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12:吊し人の蛮勇-1

1.大人たちの企み



 一体、何がどうなっているのか。

 ひたすらに混乱している間に、いつしか馬車もお屋敷の玄関前に到着したようだった。ゆっくりと停車し、御者の方が到着した旨を知らせる。それでもラファエル卿は未だ座席に腰かけたまま、立ち上がる素振りを見せない。

 この場で何かまだ話しておくことがあるというのなら、私もそれに従おう。今最もほしいものこそが情報だ。傍らに置いた鞄や弓矢には敢えて手を伸ばさず、向かいに座る人の出方を待つ。

 ややあってから、「さて」という分かりやすい一言でもってラファエル卿は口火を切った。

「状況が解決までは至らなくとも、ある程度の安定を見るまで君はこの屋敷に滞在することとなる」

「期間の定めが不透明過ぎると思うのですが」

「かもしれないな」

 ラファエル卿は飄々と肩をすくめる。いやに……いや、怪しいまでに軽い反応だ。

 もしかして、騎士団はもう何かしら事態を解決に導く糸口を掴んでいるのだろうか。いくらラファエル卿でも、いつ終わるとも知れない保護を軽々に請け負うとは思えない。ラファエル卿個人ではなく、騎士団という組織に許可を取っての方策であるのなら、尚のこと厳しい判断が求められるに決まっている。

 一族の末っ子で年下の世話を焼きたい傾向があるとしても、私に対してそこまでする理由にも動機にもならない。それを理由にできる次元の話ではないのだ。他方、既に敵の根城なり何らかの決定的な情報を掴んでいるのだとすれば、現状にもいくらか納得がいく。

 終了日時の予定が見えていれば保護計画も立てやすいだろうし、敵の拠点を強襲制圧するには腕の立つ兵も多ければ多い方がいいはずだ。この王都で騎士団以外で腕の立つ人間はと問おうものなら、間違いなくレインナードさんの名前は挙がってくる。それだけのものを、あの武闘大会で示していた。

 とはいえ、これまでの推測も全ては根拠もないに等しい当てずっぽうに過ぎない。もう少し判断材料がほしいところだった。

「ただはぐらかすだけの会話なら、わざわざこの場に留まって続けることもないのでは」

 殊更に険しげに装った視線を対面の席へと投げ、言葉を重ねる。大方そうなるだろうとは思っていたものの、ラファエル卿は意に介した風もなく「そう怖い顔をしないでおくれ」と宥める態度を見せただけだったけれど。

「いずれにしても、完全に私の庇護下に置かれた」

 ……ただし、全く何も教えてくれない訳でもないらしかった。

「何者も君を害すことはできないし、君がその庇護を拒むこともできない。――君の傭兵との約定でね」

 あくまで穏やかに、ラファエル卿は語る。それにしても「約定」ときたか……。やはり、この状況はレインナードさんと二人で共謀した結果であるようだ。

 それだけでも分かれば、状況に対する分析も多少は進む。動きの鈍りかけた頭でも、どうにかそれらしい答えを見つけることができる。

「即席に近い計画の割に、上手くやり遂せていますね」

 ため息を吐きたいのを堪えて言ってみると、ラファエル卿は意外そうに眉を上げた。

 それは私がここまでの話を聞いても意外と冷静さを保って見えることに対する所感であったのかもしれないし、或いは幾分か皮肉を混ぜた台詞に対するものだったのかもしれない。後者であるとすれば、少々心外ではあった。私だって、これでも全く馬鹿ではないつもりなのだ。

 この件について、以前から計画されていたはずはない。ラファエル卿個人と連絡を取れるのは私で、レインナードさんはあくまで一歩引いたスタンスを保っていた。仮に連絡先を知っていたとしても、よほどのことがなければラファエル卿に私を託したりはしないはずだ。

 そもそも、そうする必要がない。私を守るだけなら、あの人はいくらでも上手くやってのける。何より一度受けた仕事を途中で投げ出すほど、職業人としてプライドのない人でもない。だからこそ、私を守る傭兵の立場として必要だと判断したのなら、持てるカードを切るに躊躇いはしないという確信もあった。

 傭兵は目的を果たす為に動く。時には小狡い手も使うし、いろいろな計算も巡らせる。――昨日、あの人自身が言っていたのだから。

 あの人は私が無謀な行動に出ることを常に危惧していた。よって、それを封じる為の策を考え始めていたのだろう。発端は昨日の襲撃で、おそらく実行を決断したのは私が故郷の保護と引き換えに騎士団に従う意思を見せ始めたこと……と考えるのが妥当か。そして、渡りに船でラファエル卿が目の前に現れた。

 私もレインナードさんも、ラファエル卿は王都にいないものと思っていた。だから、この巡り合わせだけは純粋に幸運の賜物でもあったはずだ。その予期せぬ僥倖こそが、レインナードさんに計画実行を踏み切らせたのかもしれない。

 その後は傭兵ギルドに向かうという、もっともらしい理由で別行動を図る。いや、実際にギルドに用事があったのも本当は本当だったのだろう。依頼書を返却するだけでなく、スヴェアさんに私がラファエル卿に保護されることになったと耳打ちしておくのも、この状況では必須だ。

 更に言うと、ラムール石の飾りを渡していったのも先に清風亭を出たタイミングでのことだと想像される。私の部屋を訪ねて来た時に着けていたか確認してはいないけれど、飾りがないという違和感を覚えた記憶もなかった。レインナードさんも私に怪しまれるようなリスクを冒すとも考えにくいだけに、あの時点ではまだ自分で持っていた可能性が高い。

 ものの見事に、私の知らないところで大人たちは企みを成就させたという訳だ。

「さっき、私とデュナン講師を研究室から出して、その間に二人で作戦会議でもしたのでしょう。ヴィゴさんがあなたと企める機会なんて、他にはそうないはずです」

「ご名答。彼が私に話があるようなことを言い出した時は、内心意外に思ったものだよ。そこまで協力的な態度を見せるとは思っていなかった。君を守る為なら、多少の妥協は受け入れてくれるであろうと踏んではいたが」

 ラファエル卿はあっさりと頷く。特に隠し立てするつもりがないらしいのは、この期に及んでは私が何もできないと分かりきっているからに違いなかった。

 この屋敷からの逃亡が封じられている以上、わざわざ騙して留まらせるよう図る意味もない。私が何を思い、どう足掻こうと、この屋敷からは出られないという余裕。或いは、慈悲とでも呼ぼうか。

「ヴィゴさんとは、どのような条件で交渉を? あの人のことですから、どうせ自分の利益を求めたりはしなかったのでしょう」

「そうだな。王都にて君を保護し、また君の故郷にも警備の人間を送ること。彼が望んだのはそれだけだった」

「……本当に、あの人は」

 思わず両手で顔を覆った。ここで呑気に喜べるような根性は、さすがにしていない。

 レインナードさんが別行動をとることにしたのも、正しくは私の故郷に警備を派遣させる為だったのだろう。私と一緒に隠れていれば、確実に私を守ることはできる。ただし、私以外のものは守れないかもしれないし、私がそれを気にして余計なことをするかもしれない。

 ――だから、敢えて私には詳細を知らせずにラファエル卿へ託し、自分は独りで発ったのだ。

 私が騎士団に従うことで故郷への援助を引き出せないかと拙い計算をしていたように、自分が戦場に出ることで得られるものを得る為に。私とレインナードさん、どちらの方が戦場における価値が高いかなんて考えるまでもなく明白だ。

 あの人が何をどう計算し、どのような利益を見込んで行動したのかは、手持ちの情報から十分に推測はできる。だからといって、何故そんな行動を取ったのかは、正直なところ理解しかねた。

 だって、私の為にそこまでする理由なんて、どこにもないじゃないか。

「どうして、そんなことを」

「どうして、か。君にそう言われては、彼も立つ瀬がなかろうよ」

 紛れもない憐みの響きでもって言われ、ぴくりと肩が震えた。それは驚きよりも、むしろ苛立ちの方が強かったかもしれない。

 顔を上げて発した問いは、自分でも意外なほどに剣呑な響きを帯びていた。つい先刻の装いとは比べ物にならないくらい、刺々しい。

「どういうことです」

「どういうことも何も、愛しているからだ。それ以外に理由があるかね?」

「は」

 そんな言葉が寄越されるとは微塵も考えていなかったせいで、勢い変な声が出た。唖然とする私を前にしても、ラファエル卿は笑うでも窘めるでもなく続ける。

「それがあくまで年少者へ向ける庇護的なものなのか、親しい友人に対する気遣いとしてのものなのか、それ以外の何かしらであるのかは、私には分かりかねるが――それゆえに君を守る手段を選ばないことにしたのだとは察せられる。一人の男として、彼の振る舞いは立派だと思うよ。その敬意をもって、私は君をここに留める。君も彼の気持ちを酌んでやろうという気持ちがあるのなら、事が解決するまで大人しくしていなさい」

 長々と時間を取らせて悪かったね、と最後にそう添えると、ラファエル卿はようやっと座席から腰を上げた。手ずから馬車の扉を開け、私にも降車を促す。

 それに反発したところで意味はなく、大人しく荷物をまとめるより他にできることもない。鞄を肩に掛け、弓と矢をまとめて入れた矢筒を携え、手早く準備を整える。

「鞄を持とうか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 初めから私が頷くとも思っていなかったのか、ラファエル卿も重ねて尋ねはしなかった。荷物をぶつけないよう注意を払いつつ馬車から下りると、すっかり晴れた空の日差しが目を焼く。秋晴れの太陽は痛いくらいだった。

「今日は天気がいいな。良すぎるくらいだ」

 眩しさに辟易していると、続いて馬車からラファエル卿が降りてきたので「干し物は早く乾きそうですね」などと適当な相槌を打ちつつ、その先導でお屋敷へと向かう。

 御者の方が先回りして扉を開けてくださった玄関をくぐると、予想通りに広大なホールに直面した。壁には美しい絵画が掛けられ、花瓶や何らかのオブジェのような美術品もそこここに飾られている。まるで誰かの住まいではなく、博物館や美術館に来たかのようだ。

「屋敷には私の部下と、君が生活するに不足のないだけの使用人を入れてある。出迎えは不要と伝えておいたゆえ、今は姿の見えるところにいないが、後で紹介しよう」

 ラファエル卿の言う通り、邸内には少なからぬ人の気配が感じられた。警備にどれだけの人数が割かれているのか定かではないものの、十人とかそういうレベルでもなさそうだ。私一人の安全を確保しておく為に、とんでもない大事になっているような……。

 もはや寒気の擦る思いだった。ここまでの大豪邸となれば、放っておいてもらえれば勝手に生活します、とも言えない。下手にあちこち触って、汚したり壊したりしてしまう方が大変だ。大人しく指示に従っている方が、まだ迷惑にならないのじゃないだろうか。

「ちょうど頃合いの時間でもある。まずは昼食にしよう。そろそろ君も空腹を覚える頃ではないかね」

「もうそんな時間でしたか」

 言われて、やっと朝から短くない時間が経っていることを思い出した。懐中時計を確認してみれば、確かに時刻は正午過ぎを示している。あまりお腹が減ったという気分でもないけれど、食べられる時に食べておいた方がいいのは間違いない。

「食事は都度部屋に運ぶよう命じてあるが、それでいいかね? 一人で食べるのが味気ないというのであれば、私の部下を呼んでくれても構わないし、その辺りは楽に過ごせるよう指示を出してくれ」

「学院でも夏前までは大抵単独行動で、お昼も一人だったので大丈夫です」

「さらりと寂しいことを言わないでくれないか……」

「それを苦にする性分でもありませんし、良くも悪くも今は大きく状況が変わっていますので」

「あまり悪くない向きであればいいのだがね。――ともかく、二階に君が過ごす為の部屋を用意しておいた。こちらだよ」

 軽口を叩くのもそこそこにラファエル卿が歩き出すので、その後にくっついて行く。ホールを抜けて廊下を直進、分岐をいくつか過ぎた先にあった階段で二階へ上がる。

 目的の部屋は階段から少し離れた、日当たりのよい一室だった。ラファエル卿が扉を開けて促してくれたので先に入らせてもらったものの、一瞬この場所に連れてこられた経緯さえも忘れかけるほどだった。素直に圧倒される。それほどまでに立派な……いや、立派という言葉ですら到底足らない。

 まず目につくのは、その広さだ。清風亭の部屋が二つどころか、三つか四つは入りそうなほどに広い。正面の大きな窓からは今も麗らかな陽光が差し込んでおり、室内に配された様々な調度品を柔らかく照らしている。天蓋付きの立派なベッドに始まり、細工の美しい文机やテーブルセット等々と南洋諸島で泊まったホテルもかくやの目も眩む佇まいである。

「何か食べたいものはあるかな。もしくは嫌いなものは?」

「どちらも特には。匿っていただく身ですので」

「そう頑なにならないでくれ。私たちは君の意に反したことをしているが、君を辛い目に遭わせたい訳ではないんだ」

「……それは、分かっています。分かっているから、余計に身の置き場がない」

 視線を足元に落として呟くと、すぐ隣に立っている人が「そうか」と気遣わしげな声で相槌を打つ。

「とりあえず、すぐに用意できるものを持ってこよう。君は荷解きでもしているといい。これからしばらくは、この部屋を拠点に過ごすことになるのだから」

 そう残すと、ラファエル卿は部屋を出ていった。遠ざかる足音がかすかに聞こえ、それが階下に消えていくのを待ってから息を吐く。

「これからしばらく、か……」



 どこの高級レストランかと瞠目する食事を部屋で一緒にとった後、ラファエル卿は既にお屋敷に到着している部下の方や使用人の方を何人か紹介してくれた。

 私という平民を前にしても、どなたも丁寧な態度を崩さない。それがラファエル・デュランベルジェ卿に従う騎士と、仕える使用人というものなのかもしれなかった。

「すまないが、これから私は少し外に出てくる。何かあれば、この者たちに話すようにしなさい。君を最大限尊重し、その望みを叶えるよう申し付けてある。――夕までには戻るので、夕食はまた一緒に食べよう」

「はい。お気をつけて」

 最後まで細々と面倒を見てくださってから、ラファエル卿はお屋敷を出ていった。もちろん、それによって周りの人たちの反応が変わったということもない。むしろ、ラファエル卿が離れたということで一気に距離が縮められた感があった。

 まだ学院の先生方にお願いした資料も届いていないし、荷物はあるけれど、わざわざ鞄を開けて中身を広げなければならないほど大層なものでもない。その状況を把握していた訳でもないにしても、お屋敷の人たちは私が暇を持て余すであろうことを予め見越していたようだった。

「ラファエル様より、お嬢様を大切にもてなすよう言いつかっております。お急ぎでないのなら、食後のお茶を召し上がりませんか?」

「書斎には様々な本が保管されております。そちらも自由にご覧になって構わないとの仰せです」

「裏庭には弓矢の修練ができる広場がございますよ」

 使用人の女性たちが次々に提案してくれるお誘いを拒む理由もまた、存在しない。そうでなくとも、一度立ち止まって考え込み始めようものなら、それきり沈んでいってしまう自覚が薄っすらなくもなかった。

 下手にあれこれ考えるくらいなら、忙しく動き回ってその暇をなくした方がまだしも建設的だ。結果として、まずはお茶を頂き、次に書斎を見学させてもらい、最後に弓の鍛錬を行うべく裏庭に向かうという全部乗せで午後の予定が決まった。

 お茶は今までに飲んだどれよりも香しく深い味わいだったし、書斎には学院の図書室にすらないような古い魔術書も収められている。喉から手が出るとはこのことかと思った。オマケに、弓の鍛錬はラファエル卿の部下の一人であるダビド・リュイリエ卿が見てくださるという。

 淡々とした面持ちをした小柄で細身の方だけれど、現在お屋敷に滞在されている騎士の方の中で最も弓矢の扱いに長けているのだそうだ。もっとも、私も魔術よりも弓の扱いの方がよっぽど自信のあるような手合いである。

 静かに始まった鍛錬の時間も、学院の講義のように解説してもらいながら教わるというよりは、私が矢を射るのを横でダビド卿が眺めながら雑談をする形に近かった。

「弓は誰に教わったのかね」

「父です。故郷で山に入る狩人を生業にしています」

「故郷はどの辺りに?」

 喋りながら、弓弦にかけて引ききった矢を放つ。的までの距離はおよそ五十メートル。矢はすぱんと的の中央を射抜いた。心理面がガタガタの自覚がある割には、ちゃんとできている。

「東部のクローロス村です。カドゥール子爵領の端の」

 私は直接お目にかかったことはないけれど、カドゥール子爵は老齢の好々爺然とした方らしい。王立魔術学院への入学を志すにあたり、司祭さんがカドゥール子爵に話をしに行ってくれた。その時も「大々的に支援とかできなくて悪いけど、がんばってらっしゃい」と軽く認可をくださったのだとか。

 もちろん、支援云々も決して意地悪で言っている訳ではない。領地として貧しくこそないものの、如何せん牧歌的な田舎を絵に描いたような土地である。宮廷魔術師を目指すと言い出した子どもが現れたとしても、領主様が特別扱いする訳にもゆかないというのは納得のできる話だ。何しろ、その時点では何の実績もないのだから。

 逆を言えば、客観的な根拠があれば、必ずしもそうではない。良い成績を取れれば、それを理由に支援ができると思うよ――ともおっしゃっていたそうで、司祭さんにも「成績が発表されたら、写しを送ってくださいね」と言われていた。司祭さんがカドゥール子爵に連絡を取るというか、援助の申請をしてくれるのだという。

 さすがに私が領主様に直接お手紙を差し上げる訳にはゆかないにしても、その辺りの事情は何から何まで司祭さんに頼りきりになってしまっている面が否めない。また改めてお礼をしなければ……。

「……あ、しまった」

 思考が脱線し過ぎたせいか、新しくつがえて射た矢はわずかに狙いを外した。反省。

「カドゥール子爵――ブノア・サヴォイワ卿だな。俺はお会いしたことはないが、六十年かそこからの昔、騎士団で勇名を轟かせた御仁と聞いた覚えがある。サヴォイワ家は南方の伯爵家だが、御家の事情でブノア卿がカドゥール子爵を継ぐこととなり、騎士団からも引退されたのだったか」

 私のミスを前にしても表情を動かすことなく、さりとて何を指摘するでもなく、未だ淡々とした面持ちでダビド卿が続ける。まだこの程度では口を挟むに及ばず、ということなのかもしれない。もしくは、自分でどれだけ調整できるかを見られているのか。

「よくご存じですね」

「東部に非常に腕のいい狩人がいると噂を聞き、調べたことがある。そのついでだ」

「なるほど」

 頷きつつ、新しい矢を手に取って弓につがえる。弦を引き絞りながら、口には出さないまでも「もしかして」と不意に思考が走った。

 その「非常に腕のいい狩人」とは、サロモンさんのことなのではないだろうか。しかし、ここで「それはたぶん私の父です」などと言うのも妙な気がする。自意識過剰……というと違うかもしれないけれど、それっぽい感じがしてしまうのでは。

 縁があれば、いつかダビド卿がサロモンさんを知ることもあるだろう。今は黙っておく。代わりに矢を放つと、今度はきちんと狙い通りの場所に突き刺さった。良し良し。

「君の父君は腕の良い狩人なのだろう。もしや、俺が探していたのも君の父上だったのかもしれんな」

「有り得なくはないと思います」

 答えるついでに、また新しい矢を手に取る。それからはひたすら射て、中てて、中てた矢を回収するというルーチンワークめいた流れを繰り返すに終始した。

 矢を射る時はそれだけに意識の全てを偏らせてしまうのも危険だというのは、サロモンさんに最初に教えてもらったことの一つだ。自分が捕捉できていない別種の獣が迫っている可能性もあるし、賢い獣なら矢の射られた方角を見て反撃に出てくることもある。常に思考に余裕を残し、周囲への警戒を怠るな――とは、子どもの頃に果てしなく言い聞かされた。

 ダビド卿も、それに近い観点で監督されていたのだと思う。時には会話の合間に何気ない所作で小石が投げて寄越されることもあり、それをきちんと受け止めて投げ返すと表情に乏しい面差しのまま「大変よろしい(ネイフ・セルト)」と褒めてくれた。

 鍛錬に集中していれば、時間はあっという間に過ぎてゆく。深層心理としては、それをこそ求めて集中していたきらいがあるのかもしれないけれど、いずれにしても気が付けば空が橙色になり始めていた。

「日が傾いてきた。今日はこれくらいにしておくべきだな」

「ダビド卿は明日以降も、このお屋敷に滞在されていますか?」

「護衛態勢が維持される限りは、その人員として固定されている」

「では、お時間がありましたら、また明日鍛錬にお付き合いいただけますか」

「そうさせてもらえると、こちらとしても都合がいい」

「ありがとうございます、よろしくお願いします」

 軽く頷いてくださったダビド卿にお礼を言って、手早く鍛錬の後片付けをする。手入れの行き届いたお庭を鑑賞して楽しむには、残念ながら頃合いの時を過ぎてしまっていた。裏庭を出た後は足を止めることなく表に戻る。

 正面玄関からお屋敷の中へ入れば、すぐに使用人の方が気付いて迎えてくれた。

「お帰りなさいませ。まだラファエル様はお戻りになっておりませんから、もうしばらくお部屋でお休みください」

 その指示に「分かりました」と頷くのと前後して、別の方が冷たいお茶を持ってきてくださった。長く鍛錬をして喉が渇いていらっしゃるでしょう、と微笑む方にお礼を述べてお茶をいただき、ダビド卿とも玄関ホールで分かれる。

「部屋までの道は分かるかね」

「大丈夫です、覚えています」

 たぶん、というオマケの一言は情けなさ過ぎるので呑み込んでおいた。広すぎて迷いそうなお屋敷の中を記憶を頼りに進み、どうにか部屋へと辿り着く。

 部屋の中の調度はどれもこれも立派過ぎて気後れしてしまうものの、床に座るのも空しいのでソファに腰を下ろすことにした。秋の日は釣瓶落としとはよく言ったもので、ソファの良すぎる座り心地も相俟って、ぼうっとしている間にも空は暗くなっていく。

 天井に据えられた魔石灯が灯り、その眩しさでハッと我に返る。部屋で休んでいるにしても、ただただ呆けているなんて。せめてカーテンくらいは閉めないと――とソファから腰を上げた時、やおら馴染みのない魔力の気配を感じた。ベッドの足元に置いた鞄、その中からだ。

 何がどうしたのかと訝しむ暇もなく、鞄の中から一羽の蝶が舞い出してくる。見覚えのある、赤い蝶。それはふわりふわりと私の方へ飛んでくると、あっという間に一人の男性へと姿を変えた。

「消沈しているね」

 苦笑を浮かべ、こちらへ歩み寄ってくる人物は侯爵位にある大貴族であるはずなのに、まるで出来の悪い生徒を前にした教師のようにも見えた。

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