03:碧の女帝-1
1.地下迷宮探索・上
今回の課題制作に必要な鉱石は、それほど希少なものではない。
濃い碧色が特徴的ではあるものの、その色彩だけで評価されるほどではなく、取り立てて硬いとか、加工が容易であるという性質を持っている訳でもなかった。にもかかわらず、何故そこまでの高値が付けられているかといえば、単純に買い手が限定されているからだ。
人呼んで〈碧の女帝〉。その名で呼ばれる石を求めるのは、魔術師と相場が決まっている。〈碧の女帝〉の最大の特長が、膨大なまでの魔力貯蔵量だからだ。
百年ほど前に宮廷魔術師として名を馳せたアンイスト・テテレイアは愛用の杖に〈碧の女帝〉を象嵌し、一種の増槽として用いた記録が残っている。当時発生した内乱では、丸三日戦場を制圧する魔術を放ち続けて尚、彼女の魔力は尽きることがなかったという。
果てなく放たれ続ける魔術でもって、苛烈に攻め立てたアンイスト・テテレイア。その姿はまさに戦場を支配する女帝。彼女が戦場において用いた石は〈碧の女帝〉と呼ばれ、魔術師にとって少なからぬ価値を見出されるに至った――という話をしながら、私は快晴の空の下をレインナードさんと二人並んで歩いていた。
エルヴァ地下迷宮は王都から見ると、西南西に位置する。西へ向かう街道を定期的に往復する乗合馬車で一日ほど走ったところにある村から、更に徒歩で二時間ほど道もない広野を行くと、地下迷宮の入り口のある遺跡に辿り着く。今の私たちは、その中の二時間の徒歩旅の最中という次第なのだった。
行き来に時間の掛かる立地ではあるけれど、学院には一週間の探索欠席届を出してあるし、授業は講師方を拝み倒して今後の授業予定を教えていただき、予習しておいたので問題はない。旅支度もレインナードさんのアドバイスで整えたので、こちらも心配はないはずだ。
「んで、その〈碧の女帝〉はどの辺にあるんだ?」
「三層目からなら、魔力の濃いところで見つかるそうです。ノレクト鉱石は二層目の西の辺りが特によく採れるそうですね」
学院の図書館で見た図鑑を思い出しつつ、問いに答える。
魔力を含む鉱物の総称を魔石という。その意味では〈碧の女帝〉も、ノレクト鉱石も同じ魔石だ。魔石は魔力の濃いところに存在する鉱物が周辺の魔力に浸されて変質したもので、金や銀のような鉱物よりは比較的見付けやすい。運が良ければ、その辺にゴロゴロ転がっている可能性もないではなかった。
「どっちも、単に見つけるだけならそう難しくはなさそうだな。ノレクト鉱石が三リコ、〈碧の女帝〉が五百掛けることの三倍で……まあ、二リコで見積もっとくか。そこまで重くはねえかね」
槍を片手に持ったレインナードさんは、空いている手で指折り数えながら言う。リコはキロメートルとキログラムにおける、キロに相当する単位だ。千ルマーグで一リコルマーグ。
「ライゼルは体力に自信あっか?」
「小さい頃には犬と一緒に羊を追って野を駆け回り、少し大きくなってからは狩人の父について山で狩りをしていたくらいには」
「そりゃ最高だ。つっても、場所も違えば緊張もあるだろうからな。疲れたら、遠慮しねえで言ってくれりゃいいんだが――ところで、弓を持ってきたってことは、そいつは使える計算でいいのか?」
「一応、狩人としては一人前と父から評価をもらいました。ただ、生活の糧として狩りをしたことはあっても、魔物の討伐は経験がありません」
右腰から提げた矢筒には傭兵ギルドで餞別にといただいた矢が二十本の他に、故郷から持ってきた弓も一緒に入れてある。魔術で矢を作ることもできなくはないのだけれど、どうにも効率が悪いというか、実用性に欠ける。やけに消費魔力が大きく、精度もばらつきがあるのが現状だった。
エドガール卿が指摘していた通り、私には何か後一歩及ばないところがあるのだろう。本の理論通りに新しい魔術を試しても、決して失敗する訳でもなければ、分かりやすく質が悪い訳でもない。でも、ちょっと惜しい。
そういう微妙なことになるケースも時々あり、その度に司祭さんも「どうしてこうなるのでしょうね」と首を捻っていた。何かがおかしい訳ではないのに、何かが足りない。その辺りの不確定さの矯正を図るのも、目下の課題だ。
「そんなら、自分の身は守れそうか。もし魔物とかに鉢合わせて戦闘になったら、自分の安全を第一に考えろ。俺の援護は気にすんな。逃げてもいいが、自分がどう逃げたか、その道のりだけは絶対に覚えとけ。迷ったら大事だ」
留意事項を述べるレインナードさんの声は真剣だった。契約を結んだ傭兵として、きちんと仕事をしてくれようとしている証でもあるのだろう。はい、と声に出して了解を示す。
それからの道のりは、迷宮内におけるその他の注意事項や約束事項についての説明に費やされた。遺跡に到着したのは、説明が終わって三十分ほど経ってのことだ。昨日村に着いて一泊し、朝一番で出てきただけに太陽も昇りきっていない。時間の余裕はたっぷりだ。
遺跡をぐるりと囲む石壁は、既にあちこちが崩れて壊れかけている。門も扉がないので、中に入るには造作もない。正面から足を踏み入れると、内部はのっぺりとした広場になっていた。かなり広い……学院で実技試験に使った大ホールと同じくらいありそうだ。
入口の門からは真っ直ぐ道が敷かれており、彫刻で装飾された石柱が等間隔で両脇に配置されている。これも完全な形を残しているものは少なかったけれど、何本かは欠けもなく綺麗に天へ向かって佇立していた。道の奥には、これまた古びた建物の影が窺える。
見るからに古そうではあるものの、定期的に補修の手が入っているらしく、真新しい修繕後も見られた。この分なら崩れる心配もなさそうだ。順当に考えれば、迷宮への入り口はあの中になるのだろうし。
ちらりとレインナードさんを見上げる。こちらの視線に気付いているのか、視線が返される前に首肯があった。
「入り口はあん中だ。目的は違うが、三度ばかし来たことあるかんな」
行くぞ、と促しつつ、レインナードさんは石柱の間の道を歩き出す。その後ろについて足を進め、最奥に座す建物の中へ踏み込んでみる。どんな暗がりかと内心警戒していたのとは裏腹に、内部は思いの外に明るかった。
……あれ、魔石のランプがある。
「レインナードさん、このランプは」
「ああ、ギルドが設置してんだ。出入りの時に暗すぎると不便だろ」
「それは、まあ、確かに……」
傭兵に仕事をしてもらわなければならない立場上、傭兵ギルドがこうした設備に投資するのは理解できる。ただし、それはそれとして心配にならなくもない。
こんな風に魔石ランプを置いておいて、盗難の心配はないのだろうか。二十四時間つけっぱなしにできるということは、それだけ性能もよく、使われている魔石も上質なものであるはず。盗難防止で何かしらの魔術が掛かっているのかも。
「で、あれが迷宮の入り口ってな」
レインナードさんが前方を指差す。思考を打ち切り、前に立つ人の脇から顔を出して覗いてみれば、まさに「これが地下への入り口」と言わんばかりの風体で下り階段が床の上に真っ暗な口を開けていた。
「俺が先頭に立つ。後ろからついてきな。何か分からねえことや気になることがあったら、すぐに声掛けてくれ」
「分かりました」
「おう。――じゃ、行くぞ。ランプ忘れんなよ」
慌てて魔石ランプを鞄から取り出し、矢筒とは逆側の腰――ベルトに括り付ける。灯した光はレインナードさんのと同じくらいの明るさに調節してから、階段へと足を進める。いよいよ地下迷宮に突入だ。
地下迷宮の中は、予想していたような湿気はほとんどなかった。少し空気が淀んでいる感はあるものの、じめじめした印象は意外にもない。
迷宮を成すのは白茶けた石畳で、壁も天井も全て同じ材質で作られている。学院で調べてみたところ、人の手が入っているのは第十層までなのだという。そこからまだ下に階層があるようなのだけれど、未だ踏破した人はいないらしい。
第一層は罠らしい罠もほとんどなければ、魔物もほとんど出てこない。第二層から罠が仕掛けられ始めるけれど、まだブービートラップ程度のものだという。第三層からは少し罠の質が上がり、ぽつぽつ魔物も出現するようになるそうだ。
罠を始めとした人為的な仕掛けの数々は、自分の宝を迷宮の奥底に埋めて隠した古代の魔術師が、それを取りに入ろうとする者を翻弄しておちょくる為に設置したのだとかいう伝承だ。魔術師は往々にして奇人変人が多いと言われるけれど、さもありなん。古代でもその方向性に大差はないらしい。おちょくるて。
「ライゼル、具合はどーだ。息苦しいとか、頭が痛えとかねえか?」
「今のところ、大丈夫です」
コツコツとわずかな足音を響かせながら、レインナードさんは迷宮の中を進んでいく。がっしりとして重そうなブーツを履いているのに、その足取りは驚くほど軽やかで静かだった。
目的地の第三層までの地図は、ギルドで売っていたのを買ってきてある。それをちらちら見ながら確認していたところ、レインナードさんは第二層までの最短ルートを歩んでいるようだった。
しばらく歩くと、地図の通り階段の前へ到着した。第一層へ下りてきた時のものとまるきり同じ階段が、通路の突き当たりに見える。
「うっし、今日は運がいいな。無事に一階突破だ」
レインナードさんは悠々と階段を下りていく。しかし、まだ地上にあった入り口と違い、二層目へと降りていく階段は暗い。腰のランプだけでは照らしきれない上に、少し段差が急だ。
そろり、慎重に足を伸ばそうとすると、
「――ああ、悪い。どうも同業者以外と動くことが少ねえもんで」
先を行く人が足を止め、不意にこちらを振り向いた。差し伸べられたのは、日に焼けた大きな手だ。
「いえ、どうも……お世話になります」
ここで変に遠慮するべきでないのは明白だ。少しぎこちなくなってしまったかもしれないけれど、大人しく手を取る。厚くて温い掌を握り返し、時に支えにさせてもらいながら階段を下りてゆく。
「第二層は、ブービートラップが出てくるんですよね?」
「そうだな。床のスイッチを踏んだら砂が落ちてくるとか、壁のスイッチを押したら岩の大玉が転がってくるとか。その程度だ、まだ」
「まだってことは、下に行けば……」
「落とし穴の底に槍とか、煮えた油が噴き出すとかあるらしいな。俺はそこまで下ったことねえけど」
「……それはちょっと、なるべく足を踏み入れずにおきたいですね」
それはもう、翻弄するとかおちょくるの域を出ているのじゃないだろうか。普通に盗掘者を殺しにきている。罠だけで死ねる。
げっそりして呟くと、レインナードさんはからからと笑った。
「その方が良いわな。どうしてもって用事があるんじゃねえなら、わざわざ危ねえトコに行く必要はねえさ。本分は学生だろ?」
「そうですね、命あっての物種……」
階段を下りきると同時に、ため息を一つ。そこで改めて周囲を確認してはみたものの、第二層も一見して第一層と変わらない様子だった。
「ノレクト鉱石は西の方だったか。階段とはちと離れてんなあ。ま、いいか……」
一人ごちる風で呟き、レインナードさんは進んでいく。その最中、思い出したように私を振り返った。
「言い忘れてたが、俺の歩いたトコ通るようにな。さもねえと、何か踏んで――」
カチッ。
レインナードさんの言葉に重なって、ごくかすかな音が上がった。そして、わずかに足が沈む感触。誰のかと言えば、悲しいかな私のである。
「……踏んで?」
「何か落ちてきたり、転がってきたりするかもだ」
嫌な予感しかしないまま問い返してみれば、全てを察したに違いない、こちらの方が居た堪れないほどに穏やかな笑顔で返された。
ウワーッ! いきなりやった! やらかした!
「すみませんごめんなさい今何か踏んだ! 踏んだっぽいです‼」
言われた瞬間に踏むとか、いくら何でもひどい。間抜けすぎる。お約束か! リアクション芸人か!
半ば自棄になって叫んだ、その瞬間。
「どうどう、まあ落ち着け」
俄かに手が掴まれたかと思うと、ぐいっと強く引かれた。呆気なく身体が前へ傾いていき――どざざっとすぐ後ろで重い音が上がる。真後ろから押し寄せる空気の流れも手伝って、強靭な胸板に鼻から突っ込むことになった。
「まあ、俺の注意が遅かったのも悪かったさ。この辺なら、罠を踏んだところで大事にはならねえ。階段に逃げりゃ済むから、大岩の類が転がってくる線はナシ。定番は上からだが、二層目でそんなえげつねえモンはこねえ。――で、無事回避ってな。勉強になったろ?」
「ありがとうございます……」
打ち付けた鼻をこすりつつ、レインナードさんの腕に縋って体勢を立て直す。肩越しに後方へ視線をやれば、山盛りの砂が床一面に広がっていた。突っ立ったままでいたら、あれを頭から被っていた訳だ。なかなかに笑えない。
「同じ轍は踏まないよう、心掛けます」
「踏むなとは言わねえから、俺の手の届く範囲で頼むわな」
レインナードさんは掴んでいた私の手を離し、肩や髪を軽く払ってくれてから、再び歩き出した。どうやら少しばかり砂を被っていたらしい。それにしても、何とも手馴れた感じだ。
「レインナードさんて、子ども……というか、家族いるんですか?」
「ぶっ⁉」
ふと思い立って言ってみたら、凄い顔をして振り向かれた。怒ればいいのか、困ればいいのか、迷っているような。
「子どもも何も、俺あ立派に独り身なんだけどよ。一体何がどうして、そんな発想になったよ?」
「何だか世話が手馴れてるなと思って」
「……そりゃどうも。昔、妹がよく後ろくっついて回ってたからな。そのお陰だろーよ。つか、何か。俺はそんなでけえ子どもがいるようなおっさんに見えんのか?」
はあ、とため息を吐き、どことなしか肩を落としてレインナードさんは歩みを再開する。ああ、そういう風に聞こえてしまったのか。それは失礼を。
「いえ、そういう意味でもなく……小さいお子さんなら、まあ、いてもおかしくないかなと。お歳を存じ上げませんので、完全な印象論ですけど」
「……二十六だよ」
「なるほど。二人兄妹なんですか?」
「んにゃ、上に兄貴がいる。三人兄妹だな。そっちは? 兄弟とかいんのか」
「下に妹が二人です。三姉妹なんですよね」
「てことは、長女か。……おいおい、故郷を出てきちまって良かったのか?」
「まあ、逆に私に何かあっても妹がいますし、家族も許してくれましたから。学院を卒業した後のことは、まだ分かりませんが」
足元に細心の注意を払って歩きつつ、雑談を交わす。今のところは先客の気配も、魔物の出現の兆候も見当たらない。静かなものだった。
「――あ、地図だとこの近辺です。ノレクト鉱石の密集地帯。採掘する時って、石壁剥がしちゃったりして良いんですか?」
「あんま派手になんねえ程度にな。採掘場の類は大体前に誰か来てるもんだが、四階までは自動修繕の魔術がかかってねえ。壊し過ぎて崩落させても事だし、まずは誰かが引っぺがした跡とか見てみな。いきなり体力使うよりかは、そういうとこから初めた方が楽だろ」
言いながら、レインナードさんは足元に落ちていた石をブーツの爪先で押して脇に退けた。……なるほど、それが「誰かが引っぺがした跡」か。
分厚い板状に整えられた石片。まさしく先人の置き土産だ。ランプを掲げて周りを見回すと、床のあちこちに同じような破片や、その奥から掻き出されたのだろう土砂が積み重なっていた。壁もまた、青虫の這った葉っぱよろしくの穴空き具合。
「すごい、確かに絶好の採掘場所ですね」
「な。ちょっくら手分けして探してみるか。あんまチョロチョロすんなよ。離れていい距離は、ランプの光が重なる範囲までだ」
「はい、分かりました」
携帯スコップを取り出し、皮手袋を嵌めてから近くの壁の穴へ近づく。ざくざくとスコップで石壁の奥を掘り進める、小さな音が狭い通路に反響した。
学院の図書室で調べたところによると、ノレクト鉱石は紫がかった不透明な白い石であるらしい。白茶けたさらさらとした砂の中では見分け辛いけれど、スコップで叩いたくらいでは割れない硬度を持つという。手応えさえ感じられれば、見付けるのはそれほど難しくないはずだ。
そうして掘っては移動し、掘っては移動しを繰り返すうちに、かあんと硬い感触が掌に伝わった。……もしかして。
スコップを持ち直し、先端で穴の奥探ってみる。掘った穴の中に手を突っ込んでみると、硬い凹凸が感じられた。時々手で探りながら、慎重に周囲を掘り進める。しばらくして、ぼこっと派手な音を立てて出てきたのは一抱えもある石だった。
表面の砂をスコップで削ってみれば、淡い紫の帯の入った白い色が浮かび上がる。ノレクト鉱石で間違いなさそうだ。
「レインナードさん、ノレクト鉱石っぽいもの出ました!」
スコップと一緒に石を抱え、少し離れたところで壁を掘っているレインナードさんの許へ向かう。
「お? 早えな」
声を掛けると、レインナードさんは手を止めてこちらを振り向いた。ランプを掲げて近寄ってくると、さっき私が砂を削った表面を確認して頷く。
「確かにノレクト鉱石だな。今日はついてんなあ」
「これだけあれば、足ります?」
「んにゃ。ノレクト鉱石の指定量は三リコだ。今手に持ってるの、そんだけあるように思えるか?」
悪戯っぽく笑って言われ、あっと声を上げそうになった。
言われてみれば、腕の中の石は大きさの割に軽い。まとめて抱えていても、スコップの方が重いくらいかもしれなかった。
「……一リコあるかどうか、くらいかもしれないです」
「だろ。てことは、同じのが後二つ必要ってことだ」
「てことは、すごく嵩張るのでは……」
「だから、誰もやらねえで残ってたんだよ。軽くて硬い石だけに、使い出があるって重宝される。お陰で、ギルドにゃノレクト鉱石採掘依頼は常備されてるようなもんだが――今、身に染みて感じてるだろ? 嵩張って持ち運びが面倒ってんで、どいつもこいつもやりたがらねえ。ただし、道中安全でそこまで割が悪い訳じゃねえから、駆け出しの新米用っつーか、新入りの通過儀礼っつーか」
「では、スヴェアさんは素人の私に経験を積ませる為に?」
「んにゃ、単に他のやり手がいなかったんだろ。ここの採掘依頼がこれっきりってこたあ、基本的に有り得ねえ」
「……。そうですか」
答えるまでに短い間が挟まってしまったのは、束の間に何とも言えない感情が湧き上がってきたからだ。
もちろん、スヴェアさんが単に「周りがやりたがらない仕事を片付けさせよう」と思った訳ではないと思う。私は傭兵ではなく、学院に通う子どもでしかない。傭兵の人が傍にいるにしても、危ないところに行かせられないと考えるのは当然だ。
元々傭兵ギルドは貴族の人たちとあまり折り合いが良くないようだし、ここで私が怪我でもすれば、平民であることは都合よく無視されて「傭兵ギルドが学院生を使って怪我をさせた」という風聞が流れかねない。そうしたリスクを念頭に置いて手を打つのは、ギルド長という役職にある人の仕事の一つでもあるだろう。
私は傭兵の社会にも、その仕事にも通じていない門外漢だ。そんな学生に「この依頼リストの中からやれそうなのを選んでみましょう」と委ねるのは、私がスヴェアさんの立場でも躊躇う。悪いことは言わないから、まずはこっちが選んだものをやってみなさい――と、そう提案したに決まっている。
ちょっと手間はかかるけれど、比較的安全で報酬も悪くない。そういう仕事を選んでくれたのはリスク管理の側面もありつつ、紛れもない気遣いでもあった。それ自体は間違いないと思う。
問題は、私が割り振られた仕事の本質をきちんと掴めていなかったことだ。何を探さなければいけなくて、どうやって見つければいいかという確認はした。ただ、そこで考えが止まってしまっていた。見つけた後のことまで考えていなかった。
私がもっとノレクト鉱石の性質について深く調べていれば、今月末という微妙に期日まで迫りつつある依頼が残っていた意味にも気付けていたはずだ。依頼をこなすことは変わらなくとも、もう少し状況を理解できていた。
「あっちもあっちで、学院の生徒っつー身の上の力量を測りかねてたんだろうよ。下手に難しいやつに同行させて、怪我でもされちゃ困る。打算もあるが、心配しての安全策だ。傭兵の本職でもあるめえし、安全無事が一番だろ。そうしかめっ面してねえで、とっとと掘って下に行こうぜ」
私が黙っていたのをどう解釈したのか、レインナードさんがわざわざ手袋を外した手を頭の上に乗せてきた。そのまま、ぐしゃぐしゃと撫でられる。
日本で生きていた頃も、今のハント家でも、年上の兄弟というものには縁がなかった。……ひょっとしたら、兄とはこんな感じなのかもしれない。
「一応、スヴェアさんがいろいろ考えてくださって、善意で選んでくださったことは分かっているつもりです。ただ私の考えが浅かったというか、調べを怠っただけの話なので」
「へえ? 若いのになかなかの考え方をするもんだな」
頭の上から手を引くレインナードさんの声には、素直に感心する響きがあった。外見はともかく、中身はそこまで若くはないので、微妙にその言葉に頷きにくいのが私の身の上の複雑なところだ。
「ま、とりあえず作業再開とすっか。疲れたら休んでいいかんな。石はその辺に置いといてくれ、そしたらこっちで見つけたのも一緒にしとくから」
「了解です」
「あ、掘った穴はできるだけ戻しとくようにな! それがマナーなんだとよ!」
はーい、と返事をしながら、石を近くの壁際に置いて再びスコップを握る。それからまたしばらく、通路には土を掘る音が響いていた。
採掘を始めて一時間ほどで、必要な量のノレクト鉱石を集めることができた。
揃った石はレインナードさんの手で油紙と布で梱包が施され、紐で括られると軽々背負われた。私が背負い鞄を使っているのに対し、斜めに掛ける肩掛け鞄を使っているのは、こうして石を背負うことを見越してだったのだろう。
「うし、そんじゃ次に行くか」
「はい。……第三層に出る魔物って、そこまで強くないですよね?」
レインナードさんの先導でまた歩き出しながら、どうにも気になって仕方がなかったことを訊く。レインナードさんは肩越しにちらりと私を見ると、すぐに視線を行く手に戻して手を振ってみせた。
「魔物が出る階層の範疇に入っちゃいるが、そう心配するこたねえよ。滅多に出やしねえし、出てきても大概が小物だ」
「小物と言うと、例えばどんな?」
「この辺なら、洞窟狼が精々じゃねえかね」
「洞窟狼って、山の中の洞窟に棲むからそう呼ばれてるんでしたよね。それが、ここにも……?」
「んにゃ、もちろん棲み付いてる訳じゃねえ。こんなところじゃ飯の確保も儘ならねえし、仮の棲み処にしようにも迷宮の作り主が残した番人が侵入者を阻む。この中で現れる魔物は予め用意された迷宮の番人か、召喚術式で引っ張り込まれた余所者かのどっちかだ」
「余所の魔物を召喚して、防衛に使っている?」
「そゆこと。連れて来られる奴らにしても、いい迷惑だろうぜ」
「ですね……。召喚されたが最後、脱出できるかも怪しいですし」
ひでーもんだよなあ、と肩をすくめたレインナードさんは、また迷いのない足取りで通路をずんずん進んでいく。
第三層へ下りる階段にも、それほど時間をかけることなく到着することができた。これまで二度下りてきた階段と似た造りのものを、再びレインナードさんの手を借りつつ下りる。ついに一番の目的の階層に来た。そこはかとなくドキドキする心臓を抑えつつ、階段を下りきって床に足をつける。
――その途端、むっとした臭気が鼻先を掠めた。
生臭い、嫌な空気。それでいて、全く知らないものではない。狩りでは馴染みの、血のにおいだ。
「先客がやり合った後か」
すぐ前から、厳しい声で呟くのが聞こえた。残念なことに、それ以外の答えはなさそうだ。
「警戒していくぞ。血に釣られて寄ってくる魔物は居ねえが、もし先客が取りこぼしてたら厄介だ」
「なら、先に探りましょうか?」
その方が効率もいいのでは、と声を掛けると、レインナードさんは目を丸くして私を振り返った。橙の眼がぱちくりと瞬く。
「探るったって、どうやるつもりだ?」
「風を走らせて。そういう探査は得意なんです。狩りでもよく使ったので」
「あー……そりゃそうか。あの学院の生徒なんだもんな。そりゃ魔術は得意か」
今思い出したと言わんばかりの様子で言い、レインナードさんが頷く。ただし、その表情はあくまで複雑だ。迷っているようにも見える。
「つっても、今回はあくまでお供であって、魔術担当として組んでる訳でもねえからなあ。タダで使うってのは良くねえだろ」
「魔物がいるなら、私は私の身を守る為に調べて対策を取らなければいけません。私が勝手に調べる分には、気にすることはないのでは」
軽く肩をすくめてみせつつ、頭の中で術式を組み立てる。
レインナードさんは傭兵で、傭兵とは己の武力や技術をもって荒事を捌き生計を立てる人たちだ。その中では、やはり技術の提供にも相応のやり取りがあるものなのかもしれない。……ただ、今回に限っては私の索敵精度がどれほどか、レインナードさん自身が知らないという事情もあると思う。
「私は私の術の精度を信用していますが、客観的にその根拠を示すのは難しい。今は耳半分くらいに聞いておいてください。後で確認が取れたら、その時に判断材料にしてもらえれば」
傭兵という仕事で身を立てているだけに、やはりレインナードさんも聡い人なのだろう。言外の意図は流されることも、疑問に思われることもなかったらしい。
そういうことなら、と頷く目顔には、普段の陽気さよりも傭兵としての冷徹さが色濃く見えた。
「んじゃま、ちょいと調べてくれっかい。この辺にいるような魔物なら、魔力に反応して襲ってくるような頭もあるめえよ」
了解です、と答えると同時、想定する術式を行使するに十分なだけの魔力を放つ。ただ放出するだけは、無意味に拡散して消えるだけだ。それを言霊によって括る。私の求める形へ、求める性能へ。
「開式。巡るに遠く、駆けるに速く。触れるに広く、浸みるに深く。――私の声は、彼方へ至る」
言葉を連ねるにつれ、意識が枝分かれして拡大してゆく感覚。目と耳は風に乗り、迷宮の内部を縦横無尽に吹き抜ける。風が通った後、多種多様に流れ込んでくる情報を意識して選別する。
――西側、二つ目の三叉路の右側に壁面の崩落。道が塞がっている。東側二つ目の丁字路の左手に砂山。罠発動の痕跡か。
探査自体はものの数秒で終わった。術の発動から完了までも、取り立てて問題はない。しかし、考え得る中で最も嫌なパターンとして、状況は提示された。
眉根を寄せて溜息を吐けば、すぐに「どうした?」と問う声が上がる。
「階段前から直進して最初の分かれ道を右、次の丁字路を左、十字路を左、三叉路を右に進んだ先に、この階で一番魔力の濃い通路がありました」
「――けど、そこに魔物の残りがいたってか?」
皆まで言わずともレインナードさんに、ただ頷き返す。
魔力を溜め込む性質を持つ〈碧の女帝〉であればこそ、魔力が濃ければ濃い場所ほど発見確率は高くなる。魔物がいるからといって調査をしないでおくには、あまりに惜しい。
どうしますか、と尋ねる代わりにレインナードさんを見上げると、
「んじゃ、そいつを仕留めてから悠々採掘といくかね」
「いいんですか?」
「おうよ。ここらの魔物はまだ小物だ。石を背負ってようが、遅れは取らねえよ。第一、俺はこういう時の為にいるんだからな。――さあて、再出発だ。念の為、弓と矢は持っときな」
レインナードさんは石を軽く背負い直すと、私が弓を手に取ったのを確認して歩き出す。矢筒から矢を取り出してつがえながら、私もその後に続いた。