11:正義の使途-2
2.机上の論議
「これは昨日、私とヴィゴさんを襲撃した人物が残していったものです」
「拝見するよ」
デュナン講師が机の上の金属片を手に取り、その表裏を確認する。
表面に刻印されているのはラビヌの国章であり、少なからず摩耗して角が丸くなっているのが見て取れる。こうして眺めている限りでは、それほど新しいものとも思えなかった。もちろん、最近作ってエイジング加工を施したものではないと言い切るまでには至らないとしても。
「表面のはラビヌの国章で間違いない。裏面に刻んであるのも、ちゃんと古代文字を使ってる辺り時系列を合わせてきてる。今の大陸中部公用語は五百年くらい前に成立したものだからね。――ただし、これだけなら趣味の悪い工作の産物でないとも言い切れない」
金属片を作業机の上に戻し、デュナン講師があくまで落ち着いた声で言う。
その見解自体はもっともであり、こちらにとっても想定の範囲内だ。むしろ、ここで鵜呑みにされてしまう方が心配ですらあった。慎重な見解を示してくれたのは、それだけきちんと向き合ってくれている証明でもある。なので、私も「はい」と頷いてみせてから、改めて口を開いた。
「これを残していったのは、ヴィゴさんが交戦した敵の戦士でした。一見して人間かとすら思うほど自然に喋り、自分で考えて行動しているように見える――血と肉と骨ではない、木材や金属を組み合わせた素体に鎧を纏う人形の」
「ラビヌの国章、古代文字、人間と戦える自律制御人形。確かに、北方を示唆する要素が揃っているね。でも、それだけの話ではまだ絶対に現代の自動人形ではないという判断はできないよ。こういう言い方をするのも憚られるけれど、それなりの腕の技師なら人間へ危害を加えてはならないという根本条項を外して自動人形を作ることはできる」
デュナン講師は淡々と反駁する。講義中に度々設けられる質疑応答に比べると朗らかさが抑えめで、ひたすらに怜悧な印象が先立つのは、これが講義ではないからだ。
現在進行形で国を悩ませる騒動に関わるものであり、ややもすれば更に根深く大きな問題にまで発展する可能性がある。それを示唆された上では、学院の講師を務める一流の魔術師としては軽々な発言をする訳にもゆかないに違いない。
だからこそ、私も真っ向から議論を挑む。それでこそ対話を求めた価値が出る。
「しかし、彼の人物は一貫して自分を従える者に対して非服従的でした。さほど敬う素振りを見せず、常に監視される身の上にあると。何より、彼は『上役』の奉じるものを『彼女の王』と形容していました。ついぞ『私の王』とは言わなかった。本意でなく仕えていると考えても、そこまで突飛ではないはずです」
「それもまた、所有者が君を撹乱する為にそのような言動をさせていた可能性を否定するものではない」
「言動のみならず、行動もまたその意思に準じていました。あくまで、こちらに逃げ道を作りながら情報を残す立ち回りに徹していた。私たちが捌ききれなければ、ただ単に磨り潰されて終わるだけの博打ではありましたが」
「単なる演技だと見るには、根が深い? でも、判断を下すにはもう少し補強する要素がほしいね」
デュナン講師が軽く頷き、「他には?」と促す。ようやく否定から一歩進んだ。ひそりと息を吐き、新しく別のカードを切るべく頭の中で論理を組み立てる。
「あちらの持つ手札について。――彼の人物がわざわざ私たちに披露したものは、当人曰くの『呪い』であり、私が持つ短剣と相反する性質を持っていました。ミスリルで作られ、教会で退魔の祝福を受けたものです」
教会と退魔の文言が出た瞬間、デュナン講師はすっと目を細めた。これまでにも増して、その眼差しが真剣なものとなる。
「その短剣は、今手元にある?」
「こちらに」
通学鞄を開け、テキストの上の一番取り出しやすいところに置いていた短剣を手に取る。作業机の上の金属片の横に置くと、デュナン講師はほんのりと眉根を寄せた。
「確かに、これはきちんとした祝福を受けた業物だね」
「はい。この剣とヴィゴさんの助勢がなければ、あの呪いに抗することはできませんでした」
「……傭兵殿の見解は?」
「まあ、とんでもねえモンだったのは間違いねえわな。この出来物が」
そう言いながら、デュナン講師から話を振られたレインナードさんが私の方へ手を伸ばしてくる。大きな手が頭の上に置かれ、わしっと短く撫でる所作。
そうされていながら小さく安堵の息が漏れたのは、何だかんだで私も緊張していたのか。
「手持ちの魔石を全部使って、祝福を受けた剣を媒介にして、そこまで手を尽くしても押し込まれるギリギリだった。ライゼルの優秀さは俺もよく知ってる。その辺に転がってるような傭兵なら、一瞬も耐えられねえで死んでたろうな」
「そこまで言い切るかい」
「言い切るね。何なら、二度とこいつにアレに関わるような真似はさせたくねえトコだ。あれの本質がどうのこうのと論じられる頭は俺にはねえが、ほんの一端が顕現しただけであの騒ぎだ。心底にやべえもんだってことくらいは分かる。ありゃあ、明らかに子どもや学生が関わって良いもんじゃねえ。本職が最精鋭を揃えて討伐に出るような代物だ」
「あの〈獅子切〉が、それほどまでに断言するとは空恐ろしいね。参考までに訊くけれど、君はそれを討てそうかい?」
「討てと言われりゃあ、そりゃ全力を尽くすさ。ウチのお嬢ちゃんも狙われてるしな。――だとして、そもそもが俺が討つとか討たねえとかの次元じゃねえ。まずは軍隊を並べて、それからどうするかって話だろうよ。傭兵一人でどうにかなるような感触じゃなかった。仮にその必要が出たとしても、真っ向勝負は自殺行為だわな。裏を掻いて奇襲で暗殺、それ以外に勝ち筋が見出せる気がしねえ」
私の頭に置いていた手を引き、レインナードさんは肩をすくめる。
私はあの時防壁を維持して呪いを押し返すのに必死で、それ以外のことは何も分からなかった。一方でレインナードさんに私の援護しながら観察する余裕があったのだとすれば、それこそが大人と子ども、本職と学生の差なのだろう。……あまりにも大きく、遠い隔たりだ。
「なるほどね。ハントさん、呪いに関して分かっていることがあれば補足してもらえる?」
「分かっていること――というよりは、単純に呪いを受け止めた時の所感程度になってしまいますが」
再び話がこちらに戻ってきたものの、何分きちんと分析ができていた訳ではない。参考にもなるかどうか怪しいところではあったものの、デュナン講師は「それで十分だよ」とおっしゃる。それなら、話すだけ話してみよう。
言葉を押し出す前に、軽く息を吸って吐く。そうした前準備を挟まなければならなかったのは、お世辞にもあまり思い出したくはない記憶だからだ。
「ひどく底冷えがする。……それが、最初の印象でした。指先がかじかんで、そのまま裂けて血が流れるのではないかと思うほどの寒さ。それから、ひたすらに深い闇。苦痛、恐怖、憎悪、怯懦。そういう暗きものの集積たる闇黒。見た瞬間、よくないものだと直感するような」
そう喋った時、やおら隣から「ちょい待ち」と口早な声が上がった。
「その話、知らねえぞ。お前、あん時そんなもんと直面してたってのか」
……あっ。そういえば、この辺りのことは特に伝えていなかった。
レインナードさんがあれに触れずに済んだのは、あくまで私に対する癒しと、防壁を維持する為の魔力提供という役回りであったからだろう。あんなもの、触らずに済むのならその方がいい。
内心でひそりと安堵などしていると、またしても隣から――今度は少なからず険しい響きを帯びた一言。
「おい、自分だけで済んでよかったとか考えてるだろ。全部顔に出てんぞ」
「えっ嘘」
「それは嘘だけど、結局そういうこと考えてんじゃねえか」
思わず手で顔で触ってしまったら、あっさり言を翻されて隣を二度見してしまった。嘘? いや、嘘というかカマをかけられた!?
さすがにひどいのでは、という思いを込めてみた視線には、かえって憤懣やる方ないとばかりの表情を返されたけれど。
「帰ったら説教な」
「いや、いえ、いいです、大丈夫です」
「俺がよくねえんだよ、この問題児!」
「ひょえ」
普通に怒られてしまった。いやまあ、私も同じ立場なら怒るだろうので、気持ちは分かるというか、心配してもらっているのは有難いというかなのだけれども……。
「はいはい、そこまで。二人の間の問題は、また後で二人きりになってから話し合って頂戴ね」
ひらひらと手を振ってみせて仲裁に入ってくれたデュナン講師のお陰で、少なくとも今はそれ以上のお怒りを回避することができた。清風亭に帰ってからのことは、この際考えないでおくことにしよう。
「〈碧礫〉と〈獅子切〉が揃って、そこまでの警鐘を鳴らすのなら無視するのも危険だけれど、北の神の再来とはなかなか考えたくないというか、規模の大きすぎる話だよねえ……」
嘆き節で言って、デュナン講師は腕を組み黙りこくる。その表情は未だかつてなく悩みの色が濃い。
私はそれほど信心深くない性分なので詳細な理屈は分かりかねるものの、創造神を奉じる教会が信仰心を基に奇跡を起こすように、この世界の神は己に対する信仰と引き換えに何がしかの現象を引き起こして与える権能を持っているらしい。ならば、創造神が癒しを与えるように、北の神はその逆の質のものを与えると考えるのが妥当だ。
そもそも教会の祝福としての「退魔」は、本質的には創造神と相反するものを退ける――浄化するものだ。魔物や魔術から身を守る助けになるのは、あくまでも副次的な効果でしかない。……村の司祭さんの受け売りだけれども。
その理屈でいけば、教会の祝福に真っ向から対立する呪いという時点で、北の神に連なるものである確率は非常に高くなる。だからこそ、デュナン講師も沈黙しているのだろう。
「そういえば、私が教えていただいた範囲では、ラビヌの人形兵団の処遇について触れられてはいませんでした。その方たちは、終戦後にどうなったのですか」
ふと気になって問い掛けると、ややあってからデュナン講師は組んだ腕を解いて私を見た。
「……全て破壊されたとは記録されてるよ。当人たちに同意を取ってのことだとも、書類の上では描かれているね。少なくとも、隠密裏にラビヌで活動し続けている可能性は限りなくゼロに近い。もしそうなっていたのなら、キオノエイデが現代に至るまで国境警備隊を運用し続けているはずがない」
そこまで喋ってから、レインナードさんの方へと顔を動かして「そうだろ?」と問う。祖国の名前が出た時点で流れを予期していたのか、応じる声が紡がれるまでもさほどの間はなかった。
「ああ。キオノエイデ自体は戦争から縁遠くなって長いが、国境警備隊は軍の中でも唯一戦死者が継続的に出てる部署だって話だ。毎年でもなけりゃ、そこまで多い訳でもねえらしいけどな」
険しい表情での首肯と共に、レインナードさんはキオノエイデの国の厳しい現状を語る。現在でも死者が出ているというのなら、それはかつてのラビヌの土地から南下してくる、明確な脅威が存在している証明に他ならない。
そういえば、キオノエイデでは実力が重視され、能力がある限りは身分によって制限を受けることはない国風なのだったか。以前にレインナードさんが言っていたことだけれど、その深層にはラビヌへの警戒が今尚続いている現実によるところもありそうだ。そんな余計なことに囚われて戦力を減らしている余裕はない、と。
それらの要素を踏まえるに、ラビヌが完全に放棄された土地となっていたのはほぼ間違いないものと思われた。禁術で作られた魂ある人形であれば、必ずしも魔力の補充が独自にできないとは言い切れない。それでも素体をメンテナンスする技師の存在は不可欠で、その意味でもラビヌに残存戦力が維持されていたとは考えにくい。
……かと言って、完全に消失したと見るのも不自然ではないだろうか。
「ラビヌの禁術は秘匿されることに決まった。それに伴って人形兵団も解体されることになり、同意を得た上での解術となったのだとして――その魂は、本当にあるべきところへゆけるものでしょうか。必ずしも仇を取れたと言える訳でもなく、故国は蹂躙の果てに野晒しとなり、生ける屍の徘徊する土地と化したままだというのに」
レインナードさんの語りから一呼吸おいて口を開くと、デュナン講師が重々しく息を吐いた。
「つまり、君は君の傭兵殿が戦った相手を、ラビヌの人形兵団の一員だった者だと考えているんだね? 祖国の惨状を憂うがゆえに留まり彷徨っていた死者の魂が捕らえられ、また千年前のように利用されていると」
「はい。であれば、あの方が上役に対して反抗的であり、私たちに情報を残そうとしていたことにも納得がいきます。それと、この春にキオノエイデの皇帝陛下が来訪されましたよね」
大変な好天に恵まれた、あの武闘大会を含めたお祭り騒ぎはまだ記憶にも新しい。随分前のことのような気もするけれど、まだ半年も経っていないのだ。忘れるには早すぎるし、私の回りでもてんやわんやの騒ぎが起こって、そうそう忘れられるものでもなかった。
もっとも、キオノエイデの皇帝陛下が来訪されるのは、そこまで前代未聞の大騒ぎというほどのことではない。キオノエイデとアシメニオスは古くから同盟を結んでおり、親しい仲であるとして知られる。今になって考えてみれば、北の果てに封じられた神という共通の脅威が二国の仲を深めた側面もあったのだろう。
ともかく、私が覚えている限りでも十年かそれくらい前に今の皇帝陛下がいらっしゃっていたはずだ。初春からそんな噂が流れ始めて、初夏に実際にお越しになったのだったか……。さすがに細かいところまでは覚えていないけれど、少し間が空いてからいらっしゃって「ああ、そんな話を前に聞いていたな」と思ったような覚えがある。
隣国の皇帝来訪というビッグニュースも、田舎の村ではあくまで遠い都会の話に過ぎない。他人事がゆえに情報の到着が遅くなっていた節があったとしても、今年の春のように「来月来るってよ」みたいな、めちゃくちゃなスピード感ではなかったはずだ。――ならば、そうしなければいけない特段の理由があったのではないか。
その思考の全てを語りはしないけれど、この場にいるのはわざわざ口に出さなくとも察してくれる人たちであると思う。口を閉じて周囲の……主にデュナン講師の反応を待つと、短い間の後で大仰に肩をすくめる素振りが目に入った。
「ご明察。キオノエイデの皇帝が今年の春に急に訪ねてきたのは、ラビヌの動きがおかしいって話をしに来たんだよ。死人の動きが活発化して、国境警備隊が随分と慌ただしくなっている。もしかしたら、何者かが裏で糸を引いて侵略に使おうとしているのかもしれない。いざって時には援軍を送ってほしいってね。――で、ラビヌと言えば、どうしても禁術のことも視野に入れないといけない。僕も講義と制作と研究の合間に騎士団に呼び出されて、ああだこうだと苦労したよね」
「それで騎士団も装備の改修に大わらわだったってか。人間同士の戦争だの、魔物の討伐だのとは根本的に勝手が違うからな」
嘆き顔のデュナン講師を前に、レインナードさんが納得の目顔になる。
騎士団が何やら忙しそうにしているという噂自体は、前々から私も聞いていた。全てがラビヌの異変を発端として一連なりになっていたのだとしたら、それはそれで腑に落ちる話ではある。
「死人を討つ時は、そんなに特殊な装備が必要なんですか?」
「特殊っつーか、根本的な火力を上げねえと話にならねえんだよ。真っ当な動物だの魔物だのなら威嚇や負傷に怯んで逃げることもあるが、あの手のもんにそういう繊細さはねえ。まずもって思考能力も感情もありゃしねえんだからな。ちょっとやそっと殴ったり斬ったりした程度じゃ止まりもしねえし、死体を動かす術式を中和して止めるか、物理的に動かなくなる程度に一撃で壊しきるかの二択が基本になる訳だ。情けを掛けて半端にやるのが一番まずい。大抵の場合、逆に自分がやられるからな。死人相手はやりすぎるくらいでちょうどいいってのが、昔からの鉄則だ」
「……私は相性が悪そうですね」
考えるだけでもげんなりしてきてしまう。弓矢はどうしても点の攻撃になるから、耐久性が自慢の相手とか、急所が急所として機能しないような手合いに対しては苦戦しがちだ。
レインナードさんが昨日やったように胴体を爆散させるとか、炎で燃やしきってしまえばいいけれど、矢で射貫いた程度では止められないということなのだろう。ゾンビ映画とかを思い返してみても、確かにそんな感じのイメージはある。動きは鈍重だけれど損傷に強い、みたいな。
「何にしても、ここまで論理的に説明されれば、僕だってぐうの音も出やしない。使いを待つより、こっちから連絡を入れた方がいいね。すぐに騎士団へ知らせを飛ばすよ」
いいかい、と問いながら立ち上がるデュナン講師に答える言葉は決まっている。
「もちろんです。よろしくお願いします」
昨日の襲撃現場でグザヴィエ卿にこの話を打ち明けてしまわなかったのは、話が話であるだけに、騎士団という公の機関に伝える前に識者の判断を仰ぎたかったからだ。
私はほぼ確定的にそうだと思っていたけれど、専門家が否であると判断したのなら、それがただの妄想でない証拠はどこにもない。しかし、こうして専門家の同意も得られたからには、通報すべき情報となったと見ていいはず。
忙しなく研究室の中を歩き回るデュナン講師は手早く手紙をしたためると、それを鳥型の自動人形に持たせて窓から放った。私が預かっているソイカ技師のものとは違う、木や羽毛で作られた人形だ。鳶色の小鳥がきちんと飛んでいったのを見届けると、再び作業机に戻ってきて表情を険しくさせる。
「これですぐに騎士団も動くと思う。一連の報告について、君が得た情報に基づくものだと伝えはするけど、基本的な窓口は僕にしておくよ。手柄を奪おうって訳じゃなくて、下手に関わるとなし崩しに前線まで引っ張り出されかねない。それは君を指導する講師として防ぐべき事態だから」
「お手数をお掛けします。ただ……」
勿体ぶって言葉を切ると、デュナン講師は不思議そうに首を傾げた。
もちろん、その言葉が純粋に私の――子どもの身を案じてくれてのものだとは分かっている。分かっていても、私もここで素直に引き下がる訳にはゆかないのだ。ただ大人しく守られているだけでは、昨日にあれだけ無理を通した意味がない。
「ただ? 何か他に気にかかることでもある?」
「はい。敵が私を狙ってきているようなので、故郷にまで累が及ぶのではないかと」
「ああ、なるほど。その心配も分かるけど、どこまで対処してもらえるかは未知数だね……。サパン、オルム、そして王都と分散して爆発事件が起きたせいで、各領地で主要都市の警備を厚くしようとする風潮が出ているそうだよ。ハントさんの実家は、東部の山間の村だったっけか。そこまで手を割けるかと言えば、正直怪しいと思う」
「……そうですか」
デュナン講師の見解はごく普通の、真っ当なものだとは私も思う。それでも、どうしても苦々しい感は拭えない。
「デュナン講師、もし私が騎士団に従って――」
「ライゼル」
前線に出た場合、その代償に故郷の保護を求めることは可能でしょうか。
そう問うはずの声が、途中で遮られて消える。ひどく厳しく、低い。今までに一度も聞いたことのない、そんな声で呼ばれては喋るのも忘れて隣を見ずにはいられなかった。
「その話はまた後で、別の奴にしろ。今ここで言っても仕方がねえだろうよ」
ひどく険しい目で私を見て、レインナードさんは言った。あまりにも正しい、反論のしようもない台詞を。
デュナン講師はあくまでも学院の先生であって、騎士団の関係者ではない。私が求めるところを問うたところで答えられるはずもないし、何らかの手が打てようはずもなかった。冷静になってみれば、そんなのは分かりきったことだったのに。
はい、と呻くに似た反応しか返せずにいる私を他所に、レインナードさんはデュナン講師へ「先生さんよ」と呼びかける。
「ラビヌの人形兵団ってのは、軍人の魂を使うことで死なねえ兵士を量産する算段だったようだが、そこに――何だ、現代の自動人形が課されてるような制約はあったのか? あれをするなとか、これをするなとかの」
「いや、なかったはずだよ。そういう制約を与える発想は自動人形が開発され、疑似生命工学の分野が学問として発達し始めてから発生した。当時は単純に人形に人間の魂を乗せ、その自我をもって戦場できちんとした軍事行動を取れる死なない兵士を作ることだけが重視されていたはず。わざわざそんな手間は掛けないし、そもそも掛ける必要がないよ。人としての肉体を捨ててまで戦い、祖国の為に尽くそうとした軍人たちだったろうからね」
「そうか。……なら、尚のこと妙じゃねえか」
「何がだい?」
「そこまでの筋金入りの軍人が、何で祖国の仇に従ってんだ? 敵の素性についてライゼルの見方に異を唱える気はねえし、そうなんだろうなと思うよ。だが、だからこそ解せねえ。俺だったら、相討ち承知でもそいつの首を獲ってる」
「ああ……言われてみれば、それもそうだ。ハントさん、敵は自動人形について詳しいんだったよね?」
「あ、はい。そのはずです。アルマでも、かなりの範囲において意のままに操っているようでした」
「じゃあ、ラビヌの禁術と現代の疑似生命工学の合わせ技かな。禁術で作り出した生き人形に、自動人形に施すような制約を仕込んだ。自分に従うとか、命令に反した行動を取らないとか、そういう大雑把なものじゃないかな。あんまりガチガチに締め付ければ、自由意思を与えている意味がなくなってしまうし」
「てことは、自分に従ってても好き勝手動く遊びがあるから監視してんのかね」
「だと思うよ。昨日君たちを襲った人形が上役に従いつつも情報を残していったというなら」
「付け入る隙があるんだか、ねえんだかだな。――で、騎士団の遣いはじきに来るんだろ。俺たちはそれまでここで待っていていいのか」
「ああ、構わないよ。同席する約束になっているのなら、ここで急に席を外すのも不自然だ。僕は騎士団の遣いが前倒しで到着するだろうって、学院の方に知らせてくる。戻るまでの留守番を頼めると助かるのだけど」
「それくらいならお安い御用だ。なあ?」
レインナードさんの答えの最後の一音が、デュナン講師ではなく私に向けられていることは明白だった。はい、ともう一度頷いて了解を示す。
「それじゃあ、すぐに行ってくるからね」
後をよろしくね、と言い置き、デュナン講師は慌ただしく研究室を出ていった。部屋の主がいなくなってしまえば、私たちは状況の深刻さに反した穏やかな静寂の中に取り残されることになる。
「とんでもねえことになったな」
「……そうですね」
しみじみとした風で呟いたレインナードさんに、苦く頷き返す。
「奴らがアルマであれだけ魔石を奪ってったのも、全ては禁術の人形を作る為だったって訳なんだろ」
「おそらくは。人形を動かすモノを籠めるという観点において、それ以上に相応しい素材もありませんから。そして、あちらは既に一体は確実に成功例を造り上げている」
自分で喋っていながら、その内容に落ち込みそうになる。
最初の一体が完成してしまった後なら、量産化するのは決して難しいことではない。核となる魔石を大量に保有しているからには、素体の用意もそれほど手間のかかりはしないはずだ。通常の傀儡人形や自動人形は予め素体の完成形を用意する必要があるけれど、ラビヌの禁術によって造り上げられる人形は違う。
素体を組み上げる為の様々な材料と核として据えるに足る魔石を用意した上で、正しく術式を施すことができれば、魔石に込められる魂の生前の形に自動で整えられるからだ。魂の情報に応じ、術式によって造形が図られる。逆に魔石が破損したり、術式が解けて魂が抜けてしまえば元の素材に戻ってしまう、らしい。
「今この時にも、どこかで死人の人形兵団が編成されてるってか。おっかねえ話だぜ」
「一番最悪なのは、北の神を発端にして滅ぼされた人たちが、今度は北の神の軍勢に加えられてしまっていることですね。今度は意思のない屍としてではなく、生前の意識を留めた人形として」
「そら背反できるならするよな」
しない訳がねえ、と重く響く声には無言で頷く。
「何にせよ、本題は騎士団の遣いが到着してからだな。交渉するなら、そいつとだ。それでお前の望む結果が得られれば良し、そうでなけりゃ別の手を考えるしかねえ」
「どうにか、上手くいけばいいのですけど」
持てる手札を切り尽くして、それでも目的が果たされなかったら。……あまり考えたくない話だ。別の手が全く思い浮かばないだけに、途方に暮れるしかなくなってしまう。
「まあ、そん時ゃ俺がどうにかするさ」
私が悩む傍らで、レインナードさんはあくまでも余裕の態度を崩さない。一緒に慌てられても困るといえばそうだけれど、そんな風に言える根拠は何なのだろう。
「どうにかって、どうするんです?」
「秘密」