10:運命の輪は回る-3
3.奇妙な襲撃者
月曜日は学校がないし、スヴェアさんが私の護衛について契約の融通をきかせてくださったと聞けば、とりあえず挨拶に行こうと思い立つのはごく自然なことだ。
道々他の用事も済ませつつ、傭兵ギルドに到着したのは午前十時過ぎ。用事のついでに菓子折りを買って持参してみたりしたので、スヴェアさんには「律儀だねえ」と笑われたりしたけれど、何もただの差し入れではないのである。
「ついでに良い感じの依頼があったら紹介していただきたいという下心です」
などと申したら、ますます呵々大笑して候補をいくつか見繕ってくれた。
先日の農作業手伝いまで含まれるように、傭兵ギルドの取り扱う仕事は意外なほど多岐にわたる。お馴染みの魔物討伐に始まり、各種資源の採集採掘、名家の用心棒に指名手配犯の追跡捕縛、その他諸々……。それをこなす腕がありさえすれば、結構稼げるとはレインナードさんの述懐である。
もちろん、危険の伴う依頼の方が報酬は高いものだし、緊急の案件だと尚のこと金額は跳ね上がる。ただし、それは本当に腕に自信のある人に向けたもので、いくら報酬が高額でも私が手を出せるようなものではない。
「この前みたいな、農作業を手伝ってほしいって類もいくつか来てるね。他には近場の採集が少し。害獣――比較的小型の魔物の駆除もあることにはあるが、どうしても安全は保証できないね」
「害獣駆除はナシだろ。今はとにかく安全第一だ。採集か、また農作業手伝いでいいんじゃねえか」
「そうですね。その中で何を選ぶかも、また悩むところではありますけれど……」
「何なら、この辺りは持ち帰って見比べてくれていいよ。こう言うのもなんだけど、あんまり人気がない部類だからね」
スヴェアさんはほんのりと困り顔で肩をすくめる。その辺りの事情は、既にレインナードさんからも聞いて知っていた。
生活の糧としての傭兵稼業であるので、当然ながら人気なのは報酬の良いものだ。その次に依頼場所の遠近。遠方だと馬車や転送機の移動費がかかるので敬遠されやすい。近場でも農作業手伝いや簡単な採集の仕事は報酬もそこそこなので、やりたがる人もそれほど多くはない。それから、多少は「格好良さそう」なイメージも関わってくるのだとか。
レインナードさんは私が出会った時には既に名の知られた傭兵の人であったので、そういう志向を見せたことはないものの、駆け出しの人は基本的に名を上げたいという野心を持っているものらしい。なので、尚のこと魔物の討伐や指名手配犯の捜索の方が選ばれ、どうしても受理されないまま期限がきてしまう依頼も出てきてしまうのだとか。
受理した依頼に対する不達成率は記録されているし、ギルド長の成績としても評価される。ギルド長も楽じゃないのさ、とはこの前にスヴェアさんがこぼしていた台詞だ。どこの世界でも仕事をする大人は大変である。
アルマ島長にいただいた報酬で懐が温かいこともあり、最近の私たちは不人気の依頼を片付けてくれる貴重な人員としてスヴェアさんに喜ばれている。好きなだけ見比べて選んでいい、と豪快なことを言ってくれるくらいに。
「では、一旦持ち帰って考えてみます。週の半ばくらいまでには、ご連絡を」
「ああ、それで構わないよ。――それにしても、ライゼル様様だねえ! 羽振りのいいお客を何人も引っ張ってきてくれたばかりか、あの戦い大好き無鉄砲野郎のヴィゴに『安全第一』と言わしめるときたもんだ!」
「うるせえな。それはこいつが俺ですら『安全第一』とか言わなきゃいけねえ、無鉄砲お嬢ちゃんだからだよ」
「その台詞自体が、今までのあんたの口から出てくるとは思えない代物だけどね」
「何だと?」
ああっ、睨み合うレインナードさんとスヴェアさんの間で若干火花が散り始めている! このまま会話を続けさせてしまうのは危険だ、そろそろ撤収しよう……。
「はい、そこまでで! あんまり長居してもお邪魔になっていけませんから、私たちはこれで失礼します。今日もありがとうございました! ヴィゴさん、行きますよ!」
「うおっ!? ちょい、そんな引っ張んなって」
「はいはい、またいらっしゃいよ」
ヴィゴさんの手を掴んで引っ張っていく私、私に手を掴まれて引っ張られていくヴィゴさん、それをにこやかに見送るスヴェアさん。一連の光景もまた周囲の傭兵の人たちに見守られていた訳ではあるものの、今は気にしてもいられなかった。
ギルドの建物を離れ、人通りの増え始めている通りを行く。今日は薄曇りで、陽射しも淡い。十一月も間近なので、肌感覚も秋より冬に近くなりつつあった。街を歩くにもカーディガンでは心許ないので、薄手のジャケットを羽織り始めて久しい。
ひゅるりと吹き抜けた風を防ぐべく、そのジャケットの襟を掻き合わせながら隣を歩く人へ声を掛けた。
「ヴィゴさん、どうしてスヴェアさんには少し喧嘩腰なんですか」
「あいつのギルド長としての立ち回りと、俺の方針がたまに衝突するからだよ。仕事くらい好きに選ばせろっつーのと、俺に隠れてお前をバルドゥルと引き合わせようとしたのをまだ根に持ってる」
「思いのほか根に持つタイプ」
「お前の方がさっぱりし過ぎじゃねえのか」
「まあ、スヴェアさんもスヴェアさんでお仕事をされている訳なので。その辺りは相見互いというか」
「俺より大人みてえなこと言ってんな……」
しみじみとした一言には、ただ小さく笑っておく。
今のところ、ヴィゴさんにも招かれ人という素性について打ち明けるつもりはなかった。絶対に知られたくないという訳でもないけれど、真相を知った時にどういう反応をされるのかの想像がつかないのだ。騙していたと怒る……ことは、まあ、なさそうな気がする。代わりに、ひどく気を遣わせてしまうのは有り得そうだ。
どういう状況か想像もできないけれど、どうしても言わなければならないような事態にでも陥らない限り、言う必要はないかなというのが目下の方針だった。
「ところで、預かってきた依頼書の中で気になるものはありました?」
話を変えがてら、当初の目的について議題を戻す。そうだなあ、と考えながらといった風の返事を聞いた時――ぞわりと背筋に嫌な感覚が走った。
「ライゼル」
それまでの言葉を切って名前を呼ぶ声も、一転して低く警戒を露わにしている。私が気付くのだから、歴戦の傭兵たる人が気付かないはずもなかった。
「罠を張って待ち構えてやがったな、うっかり踏み込んじまった」
「そのようです。私たちが境界を越えた瞬間に遠隔で発動させたのでは――見た感じ、それなり以上に高度な結界魔術ですね。範囲指定した任意の空間を外界から隔離し、相互に干渉できないようにする」
立ち尽くす私たちを、街行く人たちがすり抜けてゆく。結界内に囚われた私たちは外界から認識されることもなければ、触れられることもない。
半身に振り向いて後ろへ手を伸ばしてみれば、ひどく硬質な感触があった。これが結界の外周なのだろう。
「敵がただ閉じ込めて満足しているのなら、遅かれ早かれ脱出はできます。私が解析して崩せばいいだけの話ですから」
「問題は、敵がそれを許さなさそうってことか。俺とお前が何者か分かってて仕掛けてきてるなら尚のこと」
「ですね。この結界の内で何をしても外界から知覚されることはなく、同時にこちらからも外界へ影響を及ぼすこともできませんが、戦っている最中に通行人が目に入れば気が散ります。どこか人気のないところへ移動しましょう」
「そうだな。――担いでくぞ」
お願いします、と答えた瞬間に腰へ腕が回って身体が持ち上げられた。レインナードさんは軽く跳躍して近くの建物の屋根へ降り立つと、ぐるりと周囲を見回す。触れればそうと分かる結界の外周も、離れてしまえば不可視ゆえに限りなく認識しづらくなる。
「どれくらいの範囲が囲い込まれてるか分かるか?」
「決して小規模とは言えない魔術行使であるだけに騎士団に感知されるのは防げないにしても、露見までの時間と多少なりとも長くしようと思えば、そこまで思い切った広さはないと思います。ただ……」
そこで言葉を切り、前方二時の方角を指で示す。もっとも、レインナードさんにしても私が言う前から気付いていたに違いない。
隔離された世界にいる分、外界の音はどうしてもマスキングされて遠くなる。それでも聞き取れるほどの轟音が上がり、指し示した方向では灰色の煙がもうもうと立ち昇っているのは感じ取れていた。……おそらく、国内三件目の爆発事件が引き起こされたのだ。
「あちらの騒ぎに手を取られるようなら、こちらの異変への対処は遅れそうですね」
「あーあー、なるほどな。このタイミングで三件目とくりゃあ、決まりだ。一連の爆発事件は同一犯、王都に攻め上る布石あるいは練習台としてサパンやオルムで騒ぎを起こしてたとみてほぼ確。狙いは、俺かお前か俺たちの両方か」
「ひょっとしなくても、私のせいかもしれません。敵がアルマで事件を起こした黒幕の一派であるのなら、あの時に接触したことで注意を引いてしまったのでは」
「不安になるのは分かるが、そりゃちと理屈がおかしいだろ。口封じでお前を狙うにしろ、ここまでピンポイントに仕掛けてこられんなら、何もあちこちで騒ぎを起こしておく必要はねえ。サッと近付いて、サッと始末する方がよっぽど簡単だ」
「……それは、まあ、確かに」
「奴らの目的は、最初からこの国だったんじゃねえか。操れんのが自動人形に限るのかそうでもねえのかは知らんが、とにかく何かしら魔石を介して手勢を増やす技を持ってる。襲撃の前準備としてアルマで略奪して、いよいよ本命を落としにきた。騎士団もラファエルを通じてアルマの一件については把握してる。だから、サパンとオルムの事件を同一犯だと断定したんじゃねえか」
苦々しい声でレインナードさんが語る。敢えて核心について触れないのは、おそらく私への配慮だ。自動人形の大量破壊現場を目の当たりにして動揺していた私に聞かせるには、少し刺激的すぎると思ったのかもしれない。
――要するに、敵はアルマで奪った自動人形の核を使い、新たな手駒を仕立てることで自爆テロを仕掛けてきているのではないかという話なのだから。
確証はないものの、それなら多くの点に納得がいく。犯人の痕跡が追えなかったのも、自爆していたのだとすれば当然だ。爆発を起こして逃げたという痕跡自体が存在しないのだから。そして、現場に何かしらの素体や核の破片が残っていれば、自動人形が関与していることも自ずと知れる。
「何であれ、どうにか切り抜けてラファエルさんに知らせないといけませんね。できれば、手土産代わりに新情報の一つや二つ得ておきたいところではありますが」
「その辺にあくせくするのは騎士団の仕事だ。たまたま上手く拾えたとかならいいが、無理して取ろうとすんなよ。それで怪我でもしてりゃ意味がねえ」
「無理はしません」
なるべく、という余計な一言は呑み込んでおく。
こうして喋っていても、敵側からのアクションはまだない。現状を引き延ばして時間を稼ぐ目論見なのか、それともどこかで待ち構えていて陣地に誘い込む気なのか。前者なら結界を解かなければいけないし、後者なら敵を打ち倒さなければいけない。どちらにしても、索敵は必須だ。
「少し探ります。その後でどうするか決めましょう」
「軽くでいいからな」
釘を刺す言葉には頷くだけの反応を返しつつ、口の中で「開式」の文言を呟く。放つ風は結界の内を巡り、まずは外周の輪郭を把握。それから徐々に中心へ回り込んでいく。
深奥に黒々と渦巻く、禍々しいまでの気配。やはり、只者でない――と警戒を強めた瞬間、全神経が臨戦態勢に切り替わった。茨を思わせる、刺々しさを帯びた魔力がこちらの風を辿ってくる。さながら、アルマでヤルミルくんを通じて探ろうとした、あの時のように。
同じ轍は踏まない。押し寄せる茨を押し返し、吹き飛ばして退ける。しかし、敵も諦める気はないらしい。更に密度を増した魔力が放たれた。完全にやる気なら、こちらとてやり返さない訳にはゆかない。
面で押し返す風を、線へ凝縮する。思い描くのは、間近で何度も目の当たりにしてきた槍の一閃の鋭さ。実体験に基づく記憶で、術に対する確信の薄さを補強する。
「――私の眼はお前を見定め、私の声はお前を斬り絶つ」
低く述べ、研ぎ澄ませた風を放つ。茨を根こそぎ斬り払う感触はあったものの、敵も消え去る最後の最後まで棘を刺そうと足掻く執念を見せた。……それでも、私に当てるには一手足りないけれど。
バチッと弾ける音を頭のすぐ近くで聞き、索敵の術式が解ける。こちらはあちらに当てた。あちらはこちらに当てられなかった。最後の悪足掻きと用済みの術式で相殺なら、十分勝ちと言える範疇だろう。……いや、少しだけ左目が痛むので、やや優勢という評価に留めておくべきか。
痛んだ目から頬に伝う感触がして指を伸ばしてみれば、やはり液体だと知れた。残念ながら指先を濡らしているのは透明ではなく、あまり嬉しくない赤色ときている。その割に痛みはほとんどないし、視界も塞がってはいない。最後の衝突の余波で細い血管が切れでもしたのだろう。放っておけば治る。
「おい、無茶すんなっつったろ」
……普通にレインナードさんにはバレていて、剣呑な声を出されてしまったけれど。
「こっちが勝ったので問題はありません。敵の位置は把握できましたし、こちらの索敵を逆探知して迎撃してきましたが、やり返して退けました」
「目から血ィ出てんのにか」
「向こうはもっと派手に負傷しています。――ともかく、敵はあちらに」
手の甲で頬に伝った血を拭い、そのまま先刻捉えた気配の方向を指し示す。レインナードさんは小さく嘆息したものの、それ以上は何を言うでもなく私を抱えたまま走り出した。
建物の屋根から屋根へ、軽々と飛び移り距離を詰めてゆく。やがて見えてきたのは、大通りから一本裏に入った路地に佇む二つの影だった。表にも近いのでそれなりの幅のある道だというのに、周辺に通行人の気配はない。人払いが図られているようで、ごく自然に問題の路地を避けてゆくのが見えた。
「降りるぞ」
「弓を持ってきていないので、援護の役には立てませんが」
「自分の身を守っててくれりゃあいいよ」
答えながら、レインナードさんが屋根から飛び降りて路地に着地する。大柄な体躯に反し、やはりその所作は静かで隙がない。私を地面に下ろし、槍を握り直しては穂先の保護術式を解く。煌めくミスリルの刃を誇示するのは、敵の出方を窺う為でもあるのだろう。
「てめえらが待ち伏せ犯だな。うちのお嬢ちゃんに随分な挨拶してくれやがって、何の用だ」
「無粋な振る舞いには謝罪をするにやぶさかでないが、こちらの方がより手ひどく返されているように見えるな」
レインナードさんの初手に応じたのは、並んだ影の大きい方だった。低い男声。
頭のてっぺんから爪先まで黒一色の外套で覆い隠しているので外見的な情報はほとんど得られないものの、かなり体格に差のある二人だ。大きい方はレインナードさんよりも上背がありそうだけれど、小さい方は私より頭半分くらいは小柄に見える。
それでいて、私の注意をより強く引いたのはその小柄な方だった。外套の前面が大きく裂け、その隙間から多量の創傷で真っ赤に染まった腕が覗く。治癒を施しているのか、足元に流血の痕跡は見えないし、それほど強い血の臭いも漂ってはこない。
いずれにしても、そちらがさっき退けた茨の魔術師で間違いなさそうだ。腕の細さと輪郭を見るに、女性ないし子どもかもしれない。
「余計な口を叩くな、使い魔」
予想通り、小柄な方が忌々しげに吐き出した声は高かった。私より年上とも思えないけれど、そこまで幼くも聞こえない。少なくとも、少女という呼称が不似合いな年頃でもないだろう。
「貴様、小賢しい風遣いの女。業腹だが、我が王は貴様に興味をお持ちだ。お仕えする気があるのなら、謁見の光栄に浴させてやる」
黒衣の少女は憤然とした口振りを隠しもせず続ける。喧嘩腰なのは、私がアルマで探ろうとしてきた上に先刻の術式合戦でほぼ敗北に近い痛み分けを喫したからだろう。
とはいえ、この流れで「はい、お願いします」と答える輩がどこにいるのか。ジャケットのポケットから護身用の魔石を取り出しながら答えようとした時、少女の傍らの大きな影が肩をすくめる素振りを見せた。
「人に物を尋ねる態度でなくて申し訳ない。――彼女の王は、君を非常に高く評価している。最上の栄誉と最大の報酬をもって迎えようとの伝言を、我々は預かっていてね」
少女が私に対し敵対心を剥き出しにする一方、推定男性の方はそうでもないらしい。少女に「使い魔」と呼ばれていたからには、従属する立場にありそうなものなのに。
思いがけずあっさりとした経緯にはなったけれど、相手方の素性と目的はある程度判明した。ならば、答えは決まっている。
「委細は全く分かりませんが、あなた方は稀に見る凶悪犯罪を起こした一派とお見受けします。そのような陣営に加わる気はありませんし、ここで見逃す訳にもゆかない。捕縛して騎士団へ連行させていただきます」
「――だってよ。振られて可哀想にな」
私の後を継いでレインナードさんが分かりやすい挑発を口にすると、少女は一層苦々しげに「愚か者め」と吐き捨てた。
「我が王に従わぬのなら、貴様を見逃す価値はない。手抜かりなく叩いて潰せ、使い魔。度し難い無知は見ているだけで不快だ。私は先に帰る」
不機嫌そのものの口振りで言いながら、黒衣の少女は足元から揺らめくようにして消えていく。その周辺に魔術陣の展開も見られない。該当の内部にでも転移術式を仕込んでいるのか。
「仰せの通りに」
ただ一人取り残された格好の男性は、どこか気のない口振りで応じ――おもむろに右手を掲げる。
その瞬間、路地を猛烈な風が吹き抜けた。咄嗟に手を顔に前に出して風除けにしたどころか、レインナードさんが前に出て庇ってくれるほどの暴風。
その風が去った後、私たちの前に立っていたのは身の丈ほどもある大剣を右手に握った、黒金の甲冑で身を包んだ戦士だった。外套のフードが外れて露わとなった兜の目元に刻まれた間隙からは、鬼火めいた赤い光が爛々と漏れ出す。
「ありゃ人間か? それとも、お得意の自動人形か」
「生身の人間の気配はしていませんが、自動人形にしても妙な印象です。……ただ、あの剣はまずそうですね」
「おう、どうにも嫌な感じがする。見るからに禍々しい、なんて言うと素人っぽいけどな」
おどけた台詞の割に、それを紡ぐ声自体は真剣だった。
艶のない黒塗りの抜き身には、血に似て暗い赤でいくつもの刻印が施されている。アシメニオスを始めとした周辺諸国で広く使われている大陸の言葉でも、浮遊島で用いられていた古代文字でもない、全く知らない意匠だった。それが脈動するように強く弱く光を滲ませる。
「結界の解析を始めますか」
「今はいい。消えた奴が帰る振りしてお前に奇襲を仕掛けてこねえとも限らねえし、他所事に意識を割くな」
槍を構える人の背に声を掛けてみれば、思いがけず厳しい声で返された。……それだけ容易でない相手と見ているのだろう。
分かりました、と答えて数歩下がる。路地の壁際にまで避けると、それを待っていたかのように戦いが始まった。
銀の髪の残光を曳き、レインナードさんが路地を疾走する。十メートル近い間合いは瞬きのうちに消え失せ、迎え撃つは禍々しき大剣。突き出される肉厚の刃を側面から弾き逸らし、銀の穂先が宙に翻った。どうやら狙いは喉笛のようだ。
人間であれば首を獲れる。自動人形なら、破壊にまでは及ばないものの、大きな損傷を与えることができる。実に合理的かつ苛烈な攻め手と言えた。
しかし、全身を重厚な鎧で固めておきながら、敵の身のこなしもさるものだった。槍の軌道を読んで身体を捻り、肩で受ける。外套を巻き込んで鎧の装甲が砕けたものの、首をもぎ取られるに比べれば安い犠牲だ。肩部の破損を意にも介さず、鎧の戦士は前へ踏み込む。
下段からの大振りで迫る巨大な剣を、レインナードさんもまた槍の柄で巧みに受けた。その表面に描かれた流線形の術式紋が光を帯び、本来は拮抗するに難しい条件を覆すだけの強化を施す。剣と槍が拮抗する、わずか数瞬。――直後、レインナードさんの手の中で槍が大きく弧を描いた。
円運動に巻き込まれた剣が地面へ払い落とされ、更には側面から痛烈な蹴りが見舞われる。剣を持つ腕ごと大きく揺れた隙を突いて、今度こそ銀の穂先が黒金の装甲を貫く。鈍く反響する破砕音。
「赫炎」
聞き覚えのある文言、と思った時には爆発が起きていた。ここが結界で隔離された空間でなければ、路地ごと吹っ飛んでいそうな爆炎の拡散。
赤い炎と白い煙が晴れた後、数メートル先の路上に転がっていたのは胴から上下に分かたれた――
「やっぱり人形か」
そう、人形である。
仰向けに倒れる鎧の戦士。その吹っ飛ばされた胴体の断面から覗くのは、明らかに人体ではない物質だ。木材や石膏、金属を組み合わせた素体に見える。
「そうとも、私は人形だ。ゆえあってね」
仰向けに倒れたまま、未だ平静を保った声で応じる。自動人形らしく、核や頭部に影響がなければ行動できる特性の……うん? いや待て、今「ゆえあって」と言った? 何だそれは。
そんなゆえが、この世に存在するものか。そんなもの、この世に存在していいはずもない。
「叶うならば、君たちと今少し話をしていきたいところだが、生憎と私は信用がない身の上でね。結局は監視の目が途切れん。遊んでいないで本腰を入れろと命令が下されれば、その通りにしない訳にもゆかない」
「道理で、あっさり食らった訳だ」
「ああ、肩透かしを食らわせて悪いが」
少しも堪えたところのない声で言いながら、黒金の戦士が器用にも上半身だけで身を起こす。その手には、未だあの大剣が握られたまま。
「上役の命令に従い、手抜きはこれで終わりとする。その証として私に紐づく呪いを披露しようと思うが――三つばかり重ねれば、この結界ですら抑えきれなくなる。……そう通告する意味は分かるね? 語らう時間を得られぬ代わりに、ここでできる限りを残す。上手く利用しなさい」
その台詞の後半は、レインナードさんではなく私を見て告げられた。
多分だけれど、あの人が何を言っているかは分かる気がする。そんなに私たちにとって都合のいいことが起こるだろうか、という疑問はあるにしても。
「分かりました。全力を尽くします」
「頼もしい。彼の王が目を留めるだけのことはある」
果たして、それは素直に褒め言葉と受け取って良いのかどうか――とか現実逃避をしている場合ではない。
これはテストだ。彼の人物が持つという呪いを逃げずに凌ぎきることを条件とした。それによって、何が得られるのかは分からない。ただ呪いを受けさせるという姦計に嵌って、消耗するだけで終わる可能性もあった。……でも、情報はほしい。
「ヴィゴさん!」
声を張りながら、まだ油断なく槍を構えたままの人のところへ駆け寄る。レインナードさんはまだ私の方は見ないまま、眉間に皺を寄せて厳しい声を出した。
「あいつの口車に乗ろうってんじゃねえだろうな」
「乗ります」
「即答かよ……」
「今は少しでも情報がほしいです。ここで敵方の手の内の一端でも見られれば、分析が進む。――とはいえ、これは私の勝手なわがままなので、一緒に受けてくださいとは言いません。かといって、私を置いて逃げてくださいというのも無理でしょうから」
「それで? どうするって?」
「私の持てる全てを尽くして対抗します。絶対に負けません。ヴィゴさんを守って、その上で凌ぎきります。なので、ヴィゴさんは結界が解けた瞬間にこれを上に投げてください。騎士団への救援要請が現れるようにしておきました。外界からの隔離が解ければ、気付いてもらえるはず」
手の中に握り込んでいた石の一つを差し出す。一拍分の間の後、レインナードさんはため息を吐いて左手を槍から離した。開いて向けられた掌に石を乗せ、これまでとは逆に私がレインナードさんの前に立つ。
弓は持ってきていないけれど、念の為にあの短剣を帯びてきてよかった。呪いと名のつくものならば、あの短剣の祝福が効く。短剣を抜いて右手に握ってから、手持ちの石をありったけ足元にばらまいた。
これが反撃を期した状況であれば、一点突破でやられる前にやる攻勢に出るのも手かもしれない。けれど、今は受けて耐えて情報を取らなければならないのだ。使えそうなものは何でも用意して、とにかく凌ぎきる。
「準備はいいかね? レディ」
「ええ、いつでも」
細く息を吐いて、窺う声に応じる。もちろん、恐怖はあった。
外界と結界内を完全に隔離する高度な術式をもってして隠し切れないほどの呪いなんて、およそ学生の手に負えるものではない。それでも、今ここで何としても成さなければならないのだ。
敵が私個人を狙ってきたのなら――状況が移り変わるにつれて、家族に狙いをつけないとも限らない。その時、まだ私では家族も村も守れない。誰かに守ってもらわなければならない。その為には、そうしてもらえるだけの何かを示す必要が絶対的に生じる。
戦力には足らない。技術でも足らない。……ならば、情報しかないではないか。