10:運命の輪は回る-1
1.新学期の始まり
季節は粛々と巡る。夏休みが終わり、ついに学院の再開の日がやってきた。
他国ではまた別のカリキュラムを組んだりしているのかもしれないけれど、アシメニオスでは前期後期の二期制を敷いている。実施される講義も一期で終わるものと一年を通して二期で行うものとがあり、何であれ学期初めに履修内容の再確認と新規登録をしなければならない。
私の受講状況から言うと魔術史学と魔術構築学が一期終了であり、その二講義分の枠で新しく講義を取ることができた。無理をすればもう一つ二つ増やすこともできるけれど、夏の試験の苦労を思い出すと躊躇われる。また廊下で倒れたりしたら、今度こそレインナードさんに何を言われるか分からない。
とりあえずやってみて、何か問題が起きたら都度対処する――と割り切って蛮勇を奮えるほど肝の太い性分でもなし、新しく受講する講義は二つだけにした。呪いについて学ぶ解呪理論学と、四大元素魔術学・土。土属性は鉱物や植物の生成にも関わるので、そろそろ本格的に学んでみようという次第である。要するに、矢の生成をもう少し簡単にできるようになりたいのだ。
天候不順や疲労の蓄積による絶不調という状況下にあったとしても、アルマで披露してしまったような醜態は二度と晒す訳にはゆかない。もう少し効率よく術式を構築することができれば、心身の負担も減る。状況が悪い中で試みたとしても、昏倒するという最悪の事態は避けられるようになる……と期待したいところ。
解呪理論学の方は、前期に引き続き受講する治癒魔術学が後期に解毒分野を扱うと聞いたので、それに併せての選択だった。山に森にと、様々な場所を探索するからには、有事に対する備えは幅広くあった方がいい。アルマでの一件もたまたま対処しやすい毒だったので助かったけれど、そんな幸運はそうそうあることではないのだから。
よって、後期の受講科目は擬似生命工学、治癒魔術学、古代呪文学、魔石加工学、解呪理論学、四大元素魔術学・風及び土の計七つと定めた。いい具合に午前午後と曜日に振り分けられたので、元々の休校日である週末の二日だけでなく、週初めの一日目も休みにすることができたのは僥倖だった。
日常的に三連休があるなんて、社会人をしていた頃には考えられもしない。夢みたいだ。資金稼ぎの探索も格段にやりやすくなる。後は、セッティ家のご長男と一緒になる講義が少しでも少なくなるのを祈るばかり――なんて、せせこましいこと考えながら正門をくぐった新学期登校初日。
「ごきげんよう、ハントさん」
「ご、ごきげんよう……」
不覚にも応じる声がどもってしまったけれど、こればかりは仕方がないと思うのである。――だって、挨拶をされたのだ。エリゼくん以来、入学二度目の珍事と言えよう。
意表を突かれ過ぎて、不慣れな挨拶をそのまま返してしまった私ににこりと笑いかけ、白金の髪も麗しい少女は優雅な足取りで図書館へ向かっていく。まるでそうするのが当然だとでも言わんばかりの態度だった。そんなことが有り得るはずがないのに。
「何なんだ……」
暫し呆然として、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。
彼女はデルヴァンクール家のご息女で、父親はユロー伯だったか。爵位こそ同等とはいえ、デルヴァンクール家はセッティ家に比べるといくらか財政やら領地やらの面で格が落ちるとかいう噂だ。その為かどうかは知らないけれど、彼女もこれまで私に関わろうとはしなかった。
どう考えても、何かしらの思惑あってのことだろう。それとも、どこからかラファエル卿やルラーキ侯爵との縁故についての情報が漏れたか。全く何も嬉しくないけれど、ちょっとした異常事態である。あまり呑気に構えてもいられなさそうだ。
「ああ、平穏……私の平穏……」
一体どこへ行ってしまったのか。新学期再開初日から姿を消しているなんて、あんまりな仕打ちが過ぎるのじゃないか。
ひどく嘆かわしい気持ちで、本日最初の講義が行われる講義室へトボトボと向かった。
今日は朝から夕まで講義が入っているので、一日のスケジュールを終えた時には日も暮れかけていた。夏の盛りに比べれば、近頃は徐々に日が短くなり始めている。
テキストと筆記用具で重い鞄を肩に掛け、講義室を出て正門へ向かう。その道中にも、あちこちから挨拶の声が掛かった。当たり障りのない返事をしつつ、なるべくの速足で廊下を進む。一日中ずっとこの様子だったのだから、さすがに少しは慣れた。
「さようなら、ハントさん」
「はい、さようなら」
今のは……名前までは存じ上げていないけれど、デルヴァンクール家のご息女のご友人だったはずだ。よく一緒に行動していたような印象がある。
もはや何らかの作為を透かし見ずにはいられないことに、私に対して寛容な態度を見せてくるのはデルヴァンクール家のご息女だけに留まらなかったのである。何なら個人的に便宜を図ろうと打診されることさえあり、前期の様子を思えば手首からねじ切れそうな掌の返しっぷりと評さざるを得ない。
もっとも、その変化の根本原因にデュランベルジェ家が関わっていると聞けば、納得する他ないのが現実ではある。現当主であるルラーキ侯爵はこの国において最も力ある貴族であり、そのご子息の一人は騎士団における勇名も凄まじい。その大貴族の庇護下にあると聞けば、例え相手が平民でも扱いが変わってくるものなのだろう。
尚、現状の変化の根底にデュランベルジェ家が関与していると察する決定的な要因となったのは、奇しくもルラーキ侯爵曰くの数少ない我らが同類三人目ことセッティ家のお子様である。もちろん、彼が親切心から私に情報提供をしてくれた訳ではない。残念ながら、未だ特に素行を改めるつもりはないらしいので。
――デュランベルジェの犬め!
二つ目の講義の際、講堂ですれ違いざまにそう吐き捨てられた時は、もう一種まろやかな微笑みさえ浮かんだ。多分に大人げないかもしれないけれど、返したのは「どうも、ありがとう」の一言である。
君の立ち回りは君の問題なので興味はないが、急に変わった扱いに関してデュランベルジェ家が関わっているという情報提供には感謝します――という本音の圧縮ともいう。とはいえ、この状況もまた決して楽観できるものではない。
ここまで派手に事態が急変すると、さすがにセッティ家から何がしか恨みが向くのではなかろうか。そんな危惧もないではなかったものの、今日もエリゼくんは元気に話しかけてきてくれたし、南洋諸島のお土産も受け取ってくれた。
ベルレアン伯爵も息子とデュランベルジェ家との縁故を天秤にかけ、後者に傾いたのかもしれない。既に息子の振る舞いがルラーキ侯爵の不興を買いつつあるだけに、これ以上デュランベルジェ家に睨まれる事態を避けようと判断を下したとしても不思議ではなかった。
「何にしても、今までみたいなトラブルは減りそうで良かった」
ほっと胸を撫で下ろし、講義棟から出て前庭へ。石畳を踏んで正門をくぐり――
「よう、遅くまでお疲れさん」
ハッと思い出した。……そうだった、今期からはそういう約束になっていたのだった。
声のした方へ顔を向けてみれば、今まさに守衛室から出てくる見知った人。最近はもう下校時刻でも暗いから、と用事のない時は迎えに来てくれることになったのだった。だからといって、何故に守衛室から出てくるのかは分からないけれど。
「どーも、世話んなりました」
「いやいや、気を付けて帰りなさいね」
守衛のおじさんと朗らか極まりない挨拶を交わしている様子を見るに、不審者として拘束されていた訳でもなさそうだ。
「予想外のところから出てきますね……」
「さすがに門の前で待ち伏せしてたら、不審者扱いされてもやむなしだろ。そうなったら俺もお前も困る。だもんで、最初っから守衛のおっさんに事情を話して中で待たせてもらってたって寸法よ」
「なるほど」
理解と納得はできたけれど、一抹の畏怖は残る。すごいな、そのコミュ力……。
「何はともあれ、お待たせしました」
「大して待っちゃねえよ。どこか寄ってく用事とかあるか?」
「いえ、特には。まっすぐ帰りましょう」
頭を振って、いつもの帰り道を歩き始める。レインナードさんは「そうか」と頷いて、私の隣に並んだ。こちらをさりげなく通りの端に誘導し、自分は通りに面した側に立ちながら。
護衛を兼ねているからだと分かっていても、ここまで逐一丁重に扱われてしまうと少し気恥ずかしい。一応、迎えの話が上がった時には私もそこまでしてくれることはないと言いはしたのだ。いくら季節が秋に向かっているからとはいえ、学院に迎えにまで来てもらうのは甘えすぎだ。本来の仕事の範疇からも逸脱しているのじゃないだろうか。
「別に毎日必ずって訳でもねえよ。俺だっていつまでも暇してる訳じゃねえしな。――ただ、日が落ちるのが早くなりゃあ、これまでよりも早いタイミングで動き出す輩も出てくる。新学期早々、その手の余計な心配したくねえだろ。お前がその辺のゴロツキに後れを取るとも思わねえが、何かあったって時点で俺の不手際っつー印象もつくからな」
しかし、レインナードさんはあくまで真剣な顔をしてそう言った。
レインナードさんの不手際とまで言われてしまえば、微妙に断りづらい気がしてくる。それに、いくら王都と言っても夜は日本の街中程に明るくはない。誰かが一緒に歩いてくれるのなら、心強いのも確かだった。補足しておくと、他の生徒は寮住まいだったり、護衛付きの馬車で送迎されたりしているので、私のような心配は不要である。その辺りについてだけは、正直少し羨ましい。
「初日はどうだった? 何かちょい疲れてそーな顔に見えなくもねえが」
「講義はいつも通り、特に困ったこともありませんでしたね。……ただ、ルラーキ侯爵とラファエル卿との縁ができたでしょう」
「あー……その影響が学校ン中にも届いたってか?」
委細を察した目顔になり、レインナードさんが何とも言えない顔になる。私も曖昧な笑い顔で「おそらくは」と答えるしかなかった。
「どちらが主として動かれたのかは分かりませんが、そりゃあもう鮮やかな掌返しでしたよ。すれ違う生徒が端からニッコリ笑顔でご挨拶、何なら困っていることはないかとご心配までいただく始末で」
「露骨にも程があんだろ」
レインナードさんが渋い表情を浮かべ、渋い声で言う。ごもっともです。
「某家の問題児の子には『デュランベルジェの犬め』と毒づかれたので、早くもあの家に属する一派にカウントされている感じもありますね。実際、どうもそれを否定しかねる流れになってきている気もしますが」
「噂のドラ息子か。そいつは捨て置いていいとして――まあ、魔術師として大成しようと思えば、どこかしらの貴族の派閥に属さざるを得なくはあるだろうしな。それがこの国の最大派閥で、その頂点からの覚えもめでたくあるってのは、今後を考えりゃ悪くはねえんだろうよ」
面倒くせえ話だけど、と視界の端で肩をすくめる素振り。その所感には同意すること甚だしくあるものの、宮廷魔術師を志した時点である程度は覚悟していたことでもあった。
かつてセッティ家の伯爵のお誘いを断ったのは、言い方は悪いけれど即決するほどの条件ではなかったからだ。他にもっと力ある貴族との縁が巡ってこないとも限らないという計算をしていた。……実際、その通りの事態になりつつある。
「周りの動きが過剰になってきたと感じたら、その時はラファエルにでも連絡してみりゃいいんじゃねえの。個人的な手紙の送り先、教えてもらってたろ」
「そうですね。もう割り切って立ち回った方が良さそうです」
小さく息を吐いて頷き返す。ここまでくれば、言を左右する必要もないはずだ。デュランベルジェ家を上回る条件なんて、他にはもう国王陛下直々のお声がけくらいしかない。いくら何でもそこまで狙って粘るつもりはなかった。
レインナードさんが言う通り、ラルイ芋を焼いて食べた時にラファエル卿とはいろいろな話をした。例のアルドワン家の騎士の人についても「諦めるよう通告しておこう」と請け負ってもらえたし、何かあれば手紙を寄越すようにと連絡先まで教えてもらえた。
これから先にまた何かしらの事件に遭遇するのかもしれなくとも、今のところは全て順調だ。順調すぎて、どこかに落とし穴があるのじゃないかと不安になってくるくらいに。
「学校であれこれ騒がれて気疲れするってんなら、またその内いい依頼探してきて、どっか連れてってやるよ。それまでどうにか流しとけ」
話ならいつでも聞くぞ、と軽い声が傍らから降る。それだけで自然と口角が上がり、肩から力が抜けていく気がした。
本当に至れり尽くせりというか、何もかも気を配ってもらってばかりだ。純粋に有難いことで、それについて申し訳なく思うのもかえって失礼なのだろうけれど、それはそれとして些か思うところがあったりなかったり。
「ありがとうございます。……それにしてもヴィゴさんって、何かこう、付き合った女の人をダメにしそうなところありますよね」
「は? なんて?」
何の気なしにこぼした一言には、幾分か低いトーンで訊き返し。ちょっと言い方が悪かったかもしれない。
「その手の人生経験に乏しい身の上なので上手く言えないのですけど、なんですか……甲斐甲斐しくお世話され過ぎて、寄りかかり過ぎそうというか、際限なく甘えてしまいそうというか」
「そんなことねえだろ。今まで一度もそんなんになった奴いねえぞ」
さも心外だと言わんばかりの声音。そうでないこともないのではと思ってはいたけれど、過去に何人かそういった関係になった女性がいるらしい。……いや別に、その事実に何か思ったりする訳ではないけれど。そういう筋合いもないし。
「じゃあ、子どもに対する面倒見が良すぎるだけですかね。お兄さん気質というか」
「……それもそこまでじゃねえと思うけどな……」
レインナードさんはモゴモゴと言っていたけれど、あんまり長引かせて面白い話題でもないので、この辺りで切り上げておくべきだろう。
「脱線したお喋りはさておき話を戻しますと、とりあえず二週間くらいは新しいスケジュールと講義の様子を見て、今月の後半くらいからぼちぼち素材探しの遠出を始めたいところですね」
「週末の鍛錬はどうする?」
話を変えたいのはレインナードさんも同じだったのか、あっさりと会話に乗ってきてくれた。
週末の鍛錬とは、傭兵ギルドの訓練所を借りての弓の鍛錬のことだ。王都で過ごすようになったら弓に触れる機会が減るのでは、という懸念は村にいた頃から抱えていた。もちろん、学院には簡易的な運動場こそあれ、弓矢の鍛錬場所のようなものはない。
レインナードさんと出会った時も、自分でどこか場所を探さなければいけないのだろうかと悩んでいたりしたのだ。その後に傭兵ギルドを訪ね、あれこれ話を聞くうちに鍛錬場の存在を知るに至り――今では週に一日か二日通うのが習慣化していた。
夏の前までは一人で行ったり、レインナードさんやシェーベールさんと街中で待ち合わせて行くことも多かった。レインナードさんが清風亭を拠点とするようになってからは、依頼で不在になっていない限りは一緒に行くのがお決まりだ。
鍛錬場では各々に必要なトレーニングをこなしたり、最近はレインナードさんに短剣の扱いを教わったりもしている。サロモンさんに習ったのは獣の解体用途としての刃物の扱いが主なので、戦いの中での使い方となると、また話が別なのだ。
「行きます。定期的に触らないと弓も鈍ってしまうので、そこまで含めた日程を維持しないと」
「了解。そんじゃ、そういう計算でいるわ」
「よろしくお願いします」
そんな話をしながら清風亭に帰りつく頃には、日もほとんど沈みかけていた。橙に紺が混じり始める空の下、表の扉をくぐる。
「おかえり、ライゼル! 学校も初日で疲れたろう、好きなものをたくさん作っておいたよ!」
その途端、女将さんの溌溂とした声が飛んできて頬が緩んだ。
ありがとうございます、と頭を下げて、まずは部屋に荷物を置きに向かう。全く、私は幸運だ。周りにいい人たちばかりがいてくれる。
後期のスケジュールは前期に比べると一日あたりの予定が詰まっている分、少し帰りが遅くなったり、疲労が増して感じられることもないではない。それでも多少のことでしかないし、休みの日自体は増えているのだ。週末に鍛錬を組み込んでも、さしたる負担ではなかった。
レインナードさんも「さすがに身体が鈍る」と言って、近頃はぽつぽつと依頼を受け始めている。とはいえ、王都の中で片付くものか、日を跨いだ帰還になるようなものでも私の講義が少ない――明るいうちに帰ってこられる、迎えの重要度の低い――日を選んでいる節があった。そんなに心配してくれなくていい、という本音もありはするけれど、同じ話題を何度も蒸し返すのもどうだろうか。
いずれにしても、探り探りの新規日程も日常生活にそれほど大きな変化を及ぼすことはなかった。そうと分かれば、私も少しずつアルバイト再開を期したいところである。
季節は秋、十月半ば過ぎ。あちこちの村で収穫作業を始めとした各種手伝いを求める依頼が相次いでいると、傭兵ギルドでも噂になっていた。厳密にいうと、農作業手伝いは本来の傭兵ギルドの受注する範疇の仕事ではない。とはいえ、力仕事が得意な人員というと傭兵ギルドが頼られがちなのも事実で、この時期は農工ギルドを経由して依頼が舞い込むのだとか。
「ということで、農工ギルドの依頼を受けてみるのもいいかなと思うのですけど。今はまだ必要素材採集の必要はなくとも、貯金を増やしておくに越したことはないでしょうし」
「そうだな、その手の依頼なら危ねえ目に遭うこともまずねえはずだ。そろそろ言い出すんじゃねえかと思って、俺の方でもいくつか見繕っといた」
「さすが!」
――という会話を経て久しぶりに受けた依頼は、近くの村でのりんご収獲だった。
この世界では当然ながら独自の名称や単位が用いられている一方で、間々「前」の私も知る名称や用語が使われていることがある。ルビーやサファイアのような鉱物の名前は比較的その傾向が強いものの、農作物はそこまででもない。過去に鉱物関係に詳しい招かれ人でもいたのかもしれなかった。
そんな中、りんごは燦然たる「りんご」の名前で流通しているばかりか、他の農作物に比べてやけに品種が多い。これは「かも」でも何でもなく、間違いなく生前りんご農家だった招かれ人の人がいたのだと思う。「イジューフ」種のりんごとか、「ドロゴ・ナニーシュ」種のりんごとか。今まで音で聞いていただけでは気付かなかったけれど、この前に市場で文字表記を見た時にハッとした。ふじとシナノゴールド……。
りんごはりんごのままにしたけれど、さすがに品種名をそのまま拝借するのは気が咎めたのかな、とか思ったりした……というのは蛇足として。
依頼で訪ねた村で主として栽培されているのは、黄色いリンゴのドロゴ・ナニーシュなのだそうだ。傭兵ギルド所在のある最寄り街まで転送機で飛び、その街で馬を借りて村へ向かう。実家では馬にもよく乗っていたから、これについては特に不安もない。借りた馬も大人しい牝で助かった。
よく晴れた空の下を、二頭並んで行く。街道を進んでゆけば、次第にりんご農園もちらほらと見られるようになり、その中では今まさに収穫作業に勤しむ人の姿もあった。今が収穫の最盛期なのか、流れる空気さえほのかに甘酸っぱい気がしてくる。
「ヴィゴさん、りんごお好きです?」
「あれば食うかな。自分でそんな買って食ったりはしねえけど」
「直売所でもあったら少し買っていって、りんごパイとか、焼きりんごでも作ろうかなと思ったんですけど」
「ご馳走さんです」
「気が早い」
談笑しているうちに、いつしか馬の歩む道も街道というよりは農道に近い趣を帯び始め、遠目にも村が確認できるようになってきた。流れる風は穏やかで、怪しい気配もない。
まるでピクニックみたいだ、なんて少々不謹慎な考えが脳裏を過ってしまうくらいに、辺りはひたすらに長閑だった。




