02:女教皇は囁く
中央広場での騒動から一晩明けた朝は、清々しい晴天だった。空の青さばかりは、日本もこちらも大差ない。……というか、魔術というファンタジックな概念がある割に、意外とこちらの世界には日本もとい地球と共通した部分が多々あるのだった。
重さと長さはキログラムとメートル法にほぼほぼイコールで、名前だけ違う。中には完全に同一なものもあり、時間の単位など、その最たるものだ。一日は二十四時間で、七日で一週間。おおよそ四週で一ヶ月と括られ、十二ヶ月で一年が回る。大変分かりやすくて助かっている。
そんな一週間の始まりの本日は、昨日までに比べるとやや気温が高い感があった。いつもの制服の上にジャケットを羽織るのでは、日中が少し暑いかもしれない。今日はジャケットをお休みの代わりに、ストールを巻くことにした。
青空の下、いつも通りに歩いて王立魔術学院へ向かい――そこで思いもよらないことが起こった。
「おはようございます、ハントさん」
登校早々、挨拶をされたのである。我ながら言っていて悲しくなることに、入学以来初の珍事だった。
挨拶は重要だ。たった一言だけで印象が大きく変わる。顔を合せて開口一番笑顔で言われれば、もちろん悪い気はしない。しない、のだけれども。
「……お、おはよう。えー、エリゼくん?」
「はい! あ、申し訳ありません、きちんと名乗っていませんでしたね。エリゼ・ミシリエと申します」
「ご丁寧にどうも、ライゼル・ハントです」
昨日ぶりの少年――エリゼくんは丁寧に頭を下げて名乗る。その姿につられて会釈を返しながら、どうもおかしなことになったと首をひねった。
この少年はあのセッティ家のご長男のお供のはずで、その主が私に対し敵対的反応を取り続ける以上、この子もまた友好的に振る舞えるはずもない。少なくとも、昨日まではそうであるはずだった。
「それで、エリゼくんはここで何をしているの? 私に挨拶をしてくれるのは嬉しいけれど、お咎めがあったりするのじゃない?」
こことは、すなわち学院の正門前だ。わざわざ敷地内ではなく、門の外の表通り側に立っていた。一体何をしているのだろう、と不思議に思いつつ横を通り過ぎようとしたら、挨拶の声で引き留められたのである。
どうも何か私に用があるっぽい。ひとまず事情を問いつつ、左手の中指を門の認証魔道具に通した。学生証でもある紫の魔石の指輪がほのかに光り、重々しい音を立てて正門が開く。私が扉をくぐると、エリゼくんも青い魔石の指輪を魔導具に通して後をついてきた。
因みに、紫の魔石は主席、赤の魔石は成績上位の優秀生徒、青の魔石はそれ以外の生徒であることを示す。魔石には各個人の魔力を組み込んであるので、所有者以外が身に着けると学院に警報が届く。譲渡や売却は不可能なのだそうだ。
その仕組みがなければ、あの伯爵家のお坊ちゃまと指輪を交換……しようとしたところで、情けをかけられたとかえって激昂させせるだけかもしれない。何にしても、世の中は儘ならないことばかりである。
些か空しい気分になりつつ、正門前を離れて校舎へ向かう。まっすぐ北へ敷かれた白い石畳の先にある校舎に、本日最初の講義の行われる教室が含まれていた。エリゼくんも同じだったかまでは、さすがに把握していない。違う校舎へ行かなければならないようなら、ここで足を止めた方がいいだろうけれど、
「あの、ハントさん、僕、エジディオ様の側仕えを解かれたんです」
少し距離をあけて私の後ろを歩いてくる少年は、奇しくもこちらがその確認取ろうと口を開こうとしたと同時に、そんなことを言った。
へえ、側仕えを解かれ――
「解かれたぁ⁉」
一拍遅れて言葉の意味が脳に届いた瞬間、素っ頓狂な声が飛び出していた。歩く足も止め、背後を振り向く。少々勢いが付きすぎて、後ろを歩いていた少年がビックリした顔をしていたけれど、それに構っている余裕もない。
「何で――も何も、昨日の騒ぎの余波だよね。参ったなあ、やっぱりお咎めがあったんだ? かと言って、私が伯爵に弁明のお手紙を差し上げたところで、逆効果になるだけだろうし……。その解除って、一時的な謹慎みたいなもの? 後々まで尾を引くものなのかな」
ぐるぐると回る思考が、そのまま口から外に出る。つらつらと喋り続けるを私をエぽかんとして見つめていたかと思うと、エリゼくんは何がおかしいのやら、くすくすと笑いだした。急にどうしたんだ、君は。
「ハントさんは本当にお優しくて、豪胆な方なんですね」
「それは大いに間違った評価だよ。私は決してそうお優しい性分ではないし、豪胆というよりは偏屈か狭量、もしくは無知無頓着による無謀が精々だね」
この辺りについては、身の上の奇怪さが裏目に出ている気がしないでもない。身分制度のある社会の中での立ち居振る舞いが今一つ分かっていないのに、大人だった身の上相応の自意識の強さが抑えきれないというか。
自嘲半分で肩をすくめると、エリゼくんはゆるりと頭を振った。
「僕らはエジディオ様の代わりに責められることに慣れています。けれど、ハントさんそれをしないでいてくれました」
「それは君らに八つ当たりをするのが間違っているだけであって、私が優しい訳じゃないよ」
「でも、それでも、僕は嬉しかったんです」
少年は微笑む。私はただただ釈然としない思いを抱くばかりだったけれど。
この少年の仕える主は、これまでもこれからも、あんな調子で敵ばかりを作るのだろうか。伯爵家に生まれたという、その大層な幸運をもってすれば、それでもやっていけなくはないのかもしれない。しかし、それで買った恨みが帳消しにされるはずもないのだ。
それゆえに、傍仕えの子たちが「代わり」にされ得る。それがエリゼくんたちの置かれた状況なのだろう。……何というか、つくづく身分制度は困る。何をどうすれば最善になるのかが、どうにもよく分からない。
この辺りの感覚は、私が未だに「前」の感覚を引きずっているからでもあるのだろうけれど。
「まあ、君がそう思うのなら、それを私が否定する道理もないけれど……ごめん、話を逸らしてしまったね。それで、私に何か用事でも?」
「あ、はい。昨日のエジディオ様のなさりようは、さすがに耳目を集めてしまったようで、お屋敷にお戻りになった時点で伯爵も委細をご存知でした。それでエジディオ様はお叱りを受けて、しばらく一人で行動するようにと」
「ふむ、それで君は晴れて自由の身になった訳だ」
「そ、その、自由とか、そういうことでは」
分かりやすく目を逸らし、もごもごと言いにくそうにエリゼくんは呟く。大人げなく、意地の悪い言い方をしてしまったな……。
「ええと、ともかく、僕は伯爵から、しばらく自分の勉学に励むよう仰せつかったんです。――そこで、あの、主席のハントさんによく学ぶようにと」
それは良かったね、と相槌を打ちかけて止めた。未だかつてないレベルで真顔にならずにはいられない。どう考えたって、エリゼくんに掛けられた言葉が額面通りのものであるはずがないのだ。
「あ、あの……ハントさん? こちら、伯爵からのお手紙です」
エリゼくんがおずおずと封書を差し出す。激しく受け取りたくない気しかしなかったけれど、そういう訳にもいかない。
ため息を呑み込んで封筒に手を伸ばしてみれば、久しく触った覚えのない上等な絹のような手触りがした。カッターだのレターオープナーだのという持ち合せもないので、失礼ながら手で封蝋を剥がして開封する。
中の手紙も、これまた上質な紙を惜しげもなく使っていた。深い色合いのインクで書かれた文章は貴族に固有の手法なのか、どうにも装飾が多く婉曲で分かりにくい。読み進めるに困るほどではないものの、読み終えたら読み終えたで眉間に皺が寄っていたので、結局は大差なかったかもしれない。
手紙に書かれていたのは、大まかに言えばエリゼくんに魔術を教えてほしいという依頼だった。時間を取らせる代わりに、金銭による報酬を支払うとも書いてある。その依頼内容と条件だけを見れば、悪くない話ではあった。提示された金額も、正直目玉が飛び出しそうな次元だ。
ざっと計算してみただけでも、それなりの贅沢をしながら学院に通い続けて卒業しても十二分なお釣りがくる。ただし、これはあくまで「ベルレアン伯爵」からの手紙なのだ。要するに、依頼という体を取った援助の申し出なのだろう。その代わり、セッティ家と縁を結ぶことを求められているのではないか。
これは命令ではなく、受けるも受けないも私の意思に委ねる。仮に受けないと判断を下したとしても、私に責めを負わせることはない。そうした旨の但し書きがついているのも、単に良心的な気遣いというよりは、他の貴族との兼ね合いや予防線の意図もありそうだ。
いずれにしても、現時点で諸手を挙げて受け入れられる話ではない。報酬がどうのこうのという前に、いずれ家督を継ぐであろうご長男と凄まじく険悪な間柄のままで打診を受けては、遅かれ早かれ問題が起こるのは目に見えていた。
重々しく息を吐き、手紙を畳む。エリゼくんは既に内容を知っていたのだろう、即座に「いかがですか」と問い掛けてきた。ゆえに、私もすっぱり答える。
「光栄ですが、お断り致します。伯爵には、そうお伝えしてもらえるかな。……現時点でお話を受けても、火に油を注ぐだけの結果にならないとも限らない。そうなった時、私では責任が取れないから」
まだ誰に仕えるか、何に雇われるかの身の振り方を決めるつもりはない。その本音は伏せたまま、もう一つの理由だけを口にする。もっとも、そちらの理由の方が派手に炎上しかねない要素を含んでいるのも事実だ。
火に油の文言が暗に何を――誰のことを指しているのか察したのだろう、ハッとした様子を見せたエリゼくんが「そうですね……」と眉尻を下げる。彼自身も散々に振り回されてきた身の上であるだけに、最悪の事態も想像するに容易かったのかもしれない。可哀想な気もするけれど、この件については私も妥協できない。
封筒に戻した手紙を差し出すと、エリゼくんも肩を落としたままながら受け取ってくれた。これで一安心、になれば良いのだけれど。
「ただし、友達に勉強を教えてほしいと言われて、断るほど冷血じゃないつもりではあるよ。もっとも、分からないことがあるのなら先生方に問うべきだし、こちらもいろいろと都合がある頻繁には時間も取れないけれど」
しかし、そう言った瞬間、エリゼくんは目を輝かせて頭を振った。
「いいえ、とんでもありません! どうか、よろしくお願い致します! あの、因みに、今日は……」
「あ、ごめん。傭兵ギルドに行く予定なんだ」
傭兵ギルド、と目を丸くして繰り返すエリゼくんに、私はただ黙然と頷き返してみせた。
貴族の生活スタイルによるものなのか、朝早い講義や夕近い講義は受講する学生が少ない。本日最後の講義が終了の時刻を迎えても、数少ない生徒の間では談笑する声も乏しい。細波どころか微風よりも静かな教室を後にし、速足で廊下を進む。校舎を出て正門を通り過ぎたら、迷うことなく走り出した。
時刻は四時過ぎ。まだ空は明るいにしても、のんびりしている余裕はない。傭兵ギルドは、私が下宿している宿を中心にして学院と真逆の位置にある。徒歩では少し時間が掛かる立地であるものの、街中を走る周回馬車に乗るのも――主に金銭的な理由で――躊躇われる。とにかく急いで走っていくことにした。
比較的大きく、広い通りを選んで走る。下手に細い路地に入ってしまうと、迷うどころか面倒な騒ぎに巻き込まれる恐れがあった。夜にかけて犯罪が増えるのは、日本でもこちらでもさほど変わりがない。人にぶつからないよう、気を払いながら通りの隅を走ってゆく。
「ちょいと、そこのお嬢さん。薔薇色のお嬢さん」
そんな時、横合いから声が掛かった。決して大きくはない、囁くような女性の声。急いで走っている最中であれば聞き逃してしまいそうなものなのに、気付けば立ち止まり、声のした方へ顔を向けていた。
声の主は、細い路地の奥にいた。まだ日も沈んでいないにもかかわらず、嘘のように薄暗い路地。それでいて深紅のクロスの掛けられた小さなテーブル、その奥に座る人影は確かに見える。
真っ黒いローブで全身を覆い、すっぽりと頭部を覆い隠すフードで顔は口元しか窺えない。……有体に言って、怪しいと評さずにはいられない出で立ちだ。
「そう、あなただよ。お嬢さん」
私ですか、と聞く前に答えがあった。今まで聞こえていた街の喧騒がひどく遠く、路地の奥から届く声ばかりが鮮明に聞こえる。
「少し占いに付き合ってゆかないかい」
「少しだけなら」
先を急いでいる。……なのに、そう答えていた。
真っ黒な人影が白い手で手招きをするのに引かれ、足が動いて薄暗い路地へ入ってゆく。私の接近に伴ってか、深紅のクロスの上で白い指がカードを手繰り、粛々と並べていった。
ほとんどは伏せられたままで、奇妙なことに表に返されたカードもその絵柄を見て取ることはできない。
「ふむ、やはり……。お嬢さんはその数奇な生涯の内で何かを成し、或いは成さないかもしれない。それはこれからの選択次第だけれど――もう運命に出逢った。歯車は回り出しているよ。世界はたゆまず動き、巡り続けている。今度こそ後悔のないように、よく考えて選び取りなさい」
声が囁く。ぱたたたた。クロスの上に並んでいたカードが舞い上がり、独りでに白い手へ納まってゆく。
「さあ、今日はこれで店じまいだ。お付き合いありがとう。縁があれば、またお会いしよう」
ざん、と幕を閉じるように視界が黒く染まり――
「はっ⁉」
瞬間、我に返った。
遠ざかっていた喧騒がワッと戻ってきて、一斉に鼓膜を叩く。その音の奔流を直に受けたせいで、一瞬ばかり気が遠くなかけた。ぶるりと頭を振って路地を見回してみたものの、深紅のクロスも黒いローブも、既に影も形もない。
「……白昼夢?」
むにり、頬をつねってみる。しっかりと痛かった。
「――って、いけない! 日が暮れる!」
慌てて踵を返し、路地を飛び出す。空は早くも青色を薄れさせ始めていた。
宿の旦那さんに場所を教えてもらった傭兵ギルドは、一見して酒場にも見える佇まいの木造建築だった。まだ夕暮れ前なのに、周囲にはさっぱり人影がない。大通りからは外れているとはいえ、そこそこ大きな道に面しているので、人通りが乏しいはずはなさそうなのに。
クローロス村にはサロモンさんを含め、優秀な狩人が何人もいる。お陰で危険な動物や魔物が村に近付いた時も、それほど大事にならずに対処できていた。ただし、全ての村が同じように戦力を備えている訳ではないし、弓矢があまり効かない魔物も稀にはいるものだ。そうした時――特に騎士団の到着まで時間がかかる場合なんかは、傭兵に頼ることも少なくない。
そこまでの大事件ではなくとも、登るのに険しい野山に生える植物や鉱物が入用になった際、傭兵の人に採取の代行を依頼するという選択肢はごく一般的だ。それくらいには社会的な認知度も信頼度も高い。とはいえ、やはり武器をもって糧を得る職業であることも事実だ。
武器を扱う心得があり、それによって糧を得ることができる技術を持つという事実は、時たま他人から恐れられることもある。だから、用事のない人は傭兵ギルドに近付かない風潮でもあるのやもしれない。単に寂れている可能性……は、王都だけにないのではないかという気がする。傭兵の手が必要になる仕事も、大都市相応に多いものだろうし。
そんなことを考えながら、深呼吸を一度。それから、意を決した頑丈そうな扉を押した。キィ、とかすれた音を立てた扉の奥からは、がやがやと賑やかな話し声が聞こえてくる。
「お前たち、ここは酒場じゃないって何度言えば分かるんだね」
「おいおい、人聞きが悪いな。分かってるから、こうやって自前で酒瓶持ち込んでんだろーが」
「そーだそーだ! 自前だ自前!」
「阿呆! 馬鹿言ってんじゃないよ、尚悪いわ!」
扉を開けてみると、そこにはぽっかりとした広い空間があった。まさしく酒場のようなカウンターと、フロアに乱雑に置かれた机と椅子。カウンター近くの壁には大きな掲示板が設置されており、何やら書類が所狭しと貼り付けられている。あそこに持ち込まれた依頼が掲示されているのかもしれない。
カウンターの中には、燃えるように赤い髪の女性が立っている。細身の煙管を片手に堂々とした姿で、フロアで好き好きにお酒を飲んでいる男性たちを怒鳴りつけている様からすれば、この人がギルドの管理者なのだろうか。
歳は三十半ばくらいか、どれほど多く見積もっても五十には届かない。そんな女性が傭兵を統括しているというのは、少し意外ではあった。
この国も極端に男性社会だという訳ではないものの、やはり荒事に関わる仕事は男性比率が高い。フロア内に滞在している傭兵と思しき人たちだって、男性ばかりだ。それも地方の街ではなく王都で、と思うと一層に意外な感が強い。
「――って、ありゃあ? お嬢ちゃん、どうしたんだい。まさか依頼かね?」
その女性が、私に気付いて素っ頓狂な声を上げた。とりあえずおいでなさいよ、と手招きされたので、その仕草に従ってカウンターへ向かう。
その途中で「おい、ありゃ魔術学院の学生服だぜ」「てことは貴族か?」「貴族がなんでここに?」と囁き交わす声が聞こえたけれど、女性が一睨みするとすぐに聞こえなくなった。すごい統率力だ。
「そこの喧しい外野は放っておいてだね、確かにそのナリは学院の生徒さんのようだけど――ウチは傭兵ギルドだよ。傭兵に何か用事でもおありかい?」
「いえ、近々お願いする予定ではありますが、今回は少し違って――知人? を訪ねてきました。こちらに足を運ばれることもあるのではないかと」
「知人?」
「ヴィゴ・レインナードさんは、いらっしゃいますか」
そう問うと、女性は澄んだ青色の眼を真ん丸く見開かせた。
「およ? ライゼルじゃねえか! どしたよ、こんなトコで」
「馬鹿、そんな挨拶があるかい! わざわざアンタを訪ねてきてくれたんだよ!」
ギルドを訪ねてきてはいたが、今は少し外に出ている。そう説明されたレインナードさんが戻ってきたのは、カウンターの席に勧められるまま座り、傭兵ギルドを訪ねるに至った経緯を一通り説明し終えた頃のことだった。
幸か不幸か、やはり昨日の一件は人目を引くこと甚だしかったらしい。事情を打ち明けると「ああ、昨日の」という反応をする人も少なくなかった。居た堪れないどころの話ではないので、彼の家のご長男は可及的速やかに立ち居振る舞いをお父上に指導されてほしい。あれでは家名に対して、少なからぬマイナスイメージを振りまくことにもなりかねない。
もっとも、昨日の騒動のお陰で同情票をもらえたというか、「若いのに大変だな」というような目を向けられる風潮になってきたのには、少々感謝しなくもない。今後は傭兵さんを頼りにすることもあるだろうし、ここで伝手を作っておけるなら、それはそれで悪くないはずだ。
「俺を訪ねてきたって――ああ、アレか? 何か護衛が必要になったとか、そういう話か?」
首を傾げて言いながら、レインナードさんは外から戻ってきた足で私のすぐ隣の席に腰を下ろした。
日本ではよほど混んでいない限り何かと一つ空けて座った気がするし、クローロス村は村ごと一つの家族のようなところがあったから、その行動はひどく新鮮に感じられた。……いや、日本でもここでも田舎に生まれ育った私が知らないだけで、都会ではそういうのも普通なのだろうか。ちょっと緊張する。
「近々その予定もあることにはありますが、今日は別件で……昨日、とてもお世話になりましたから。改めて、お礼をと。学院から来る途中で買ったものなので、ささやかですけど」
持参した菓子折りを差し出すと、レインナードさんはキョトンとして両目をぱちぱちと瞬かせた。菓子折りに手を伸ばす風でもなく、固まっている。
「……ヴィゴ! ぼけっとしてないで、何とか言ったらどうだい!」
「お、おう!」
カウンターの主であり、ギルド長でもあるスヴェアさんが大きな声を出すと、ようやく我に返ったらしかった。菓子折りを受け取っては、困惑したような居心地の悪そうな表情で頭を掻く。
「なんつーか、本当に子どもらしくねえっつか……」
その呟きには、ただ笑うだけに留めた。
かつては大人だったとしても、今はそうでない。故郷ではようやく一人前扱いをしてもらえようかという年頃で、まだ大人として扱われたことはないに等しかった。それだけに大人として成長できている気はしないものの、逆に日頃から子どもらしく振舞えているかと言われれば、それもできていない気はしていた。
「昨日もさんざもてなしてもらっちまったし、俺が俺の為にやっただけだから、そう気にしてもらうこともねえんだけどな」
「まあ、それはそれ、これはこれ。私の気持ちというものです」
「気持ちかー。そんじゃ、有難く頂いとくわ。そん代わり、依頼があった時ゃあ全力でやるんで、期待しといてくれ」
にかりと笑むレインナードさんに頷き返すと、今まで会話に耳をそばだてていた傭兵の人たちの中から「すまないが」と声が上がった。
「王立魔術学院の生徒が傭兵に依頼する用事とは、どんなものだ? 今だかつて聞いたことがないのだが」
「直近で予定しているのは、エルヴァ地下迷宮の探索の護衛と先導ですね。学院の課題で必要になる鉱石を取りに行きたいんです」
「買えるものではないのか?」
声のした方を振り向きながら答える。
声の主は短い黒髪に淡い黄緑の眼の、レインナードさんと同じくらいの歳と見える男性だった。体格的には少々小柄だけれど、しっかり鍛えられた厚みがある。歩く足取りも滑らかで、この人も腕の立つ傭兵なのかもしれない。
「百ルマーグあたり三万ネルで、最低五百ルマーグ。何回か試行することを考えたら三倍は欲しいのが実情です」
そう答えると、嫌な沈黙が流れた。傭兵の人たちが何やら察した顔で目を見かわしているのも、若干気まずい。因みにルマーグはアシメニオスにおける重さの単位、ネルは通貨単位だ。
「何と言うか、その、すまない……」
私の言わんとするところを察したらしい男性が律儀にも頭を下げるので、思わず苦笑する。
「いえ。ある程度は予め備えてはきたのですけれど、入学早々にそこまでの出費があるとなると、後々困りそうな気がしまして。迷宮の探索ついでに、何か換金できそうなものでも見つけてこようという魂胆な訳です」
「なるほどな。学院の生徒になったらなったで、また苦労があるという訳だ」
そういうことです、と応じてから、今度はレインナードさんに向き直る。
「課題の提出は来月の二十日なので、できれば今月中に採取したいと思っています。ご都合はどうですか?」
「んー、特に予定はねえけ――どぉ⁉ 何だよ⁉」
レインナードさんが喋っている最中にスヴェアさんがいきなりカウンターを勢いよく叩き、その声が引っくり返る。何か気に障ることでも言っただろうか。恐る恐るスヴェアさんを振り返ると――何故か、そこには妙にいい笑顔が。
「ここで話を聞いていたガラジオス傭兵ギルド長から提案があるんだけどね、聞くかい? 悪くない話のはずだよ」
どこか企んでいるように見えなくもない笑顔のまま、スヴェアさんが口を開く。レインナードさんと顔を見合わせた末、とりあえず頷いてみると、カウンターに叩き付けられていた手がゆるりと持ち上げられた。
その仕草でひらりと翻るのは、一枚の紙だ。どうやら、これをカウンターに叩き付けた形であったらしい。
「今月末までにエルヴァ地下迷宮でノレクト鉱石採取の依頼がある」
もしかして……。そう思ったのが顔に出たのだろう、私を見るスヴェアさんは一層にやりとした。
「お、ライゼルは分かったかい? 察しがいい子は好きだよ。ヴィゴは――何だい、そのしかめっ面は」
「この後の展開を想像してる顔だよ」
「相変わらず、そういうところは甘い男だね。ライゼルが入用のものを取ってくるついでにノレクト鉱石を取って来てくれれば、ウチは依頼が一つ片付く。アンタたちは依頼の報酬も手に入る。悪い話じゃないだろ?」
「でもって、俺が迷宮での依頼を遂行するのにライゼルを同行させる態にして、護衛料金をチャラにしたらどうよって計算もしてんだろ」
「ま、そういうことだね。――で、話の肝はここからなんだが」
「あ? まだ何かあんのか?」
「当然じゃないか。それだけの話の為に、ここまでもったいぶる必要があるもんか。――ライゼル、学院の生徒はどういう風に課題に必要な材料を集めるね?」
スヴェアさんがそれまでレインナードさんに向けていた顔を、やおら私の方へ向け直す。学院の生徒は、どういう風に……?
「第一が、お金で買う。第二に……想像ではありますけど、使用人というか、そういう人を派遣して集めさせる、とかですか」
「そう、それが順当だ。でも、貴族ったって実際にはピンキリだからね。誰もがセッティみたく羽振りがよかったり、都合のいい手駒を揃えている訳じゃない」
スヴェアさんの笑顔が、まるで獲物を前にした肉食獣を思わせる趣を帯びる。なるほど、事の次第が分かってきた。
「何かしら困っていそうな家の生徒に、それとなくギルドのことを話せばいいんですね? ギルドにはどこそこでの採取に長けた人材がいる、とか」
「正解! さすが、学院に入るだけのことはあるね。貴族連中は、何かあってもウチを使いたがらない。自分の家だけじゃ解決できないと見做されるのを嫌うからさ。けど、目の前でアンタが良質な素材を使っているのを見せ付けられれば、絶対興味を持つ家は出てくる。そうやって広告塔になってくれるなら、依頼の報酬とは別にギルドから金一封出すよ。広告宣伝費って訳だ。どうだい?」
「やります」
「おや、即答かい」
スヴェアさんは少し驚いたような素振りをみせたものの、こちらとしては悩む理由がない。それとなく傭兵ギルドの名前を出すくらいの小細工は必要にしても、特別何か仕事が増える訳でもないのだ。このチャンスを活かさずにどうする。
「ライゼルは乗ったがね、ヴィゴ? アンタも『広報活動』の手伝いをしてくれるなら、同じように金一封出すけど」
「……別に乗るにやぶさかじゃねえけどよ、あんま学生の嬢ちゃんをいいように使おうとすんなよな」
「使ってやしない、対等な交渉と契約をしているだけさね」
渋い表情でレインナードさんはスヴェアさんを見やる。しかし、怪しみ、値踏みするに近い視線にも、ギルドの長は泰然として笑うのみ。短い退治の末、先に目を逸らしたのもレインナードさんの方だった。
「分かったよ、ここで手を離すのも癪ってもんだ。やりゃいいんだろ」
「アンタのその妙にお人好しなところ、アタシゃ嫌いじゃないよ」
「そいつはどーも」
やれやれ、とレインナードさんは肩をすくめる。その仕草に余りにも緊張感が欠けて見えたので、思わず「あの」と口を挟んでしまった。
「そんなに軽く頷いてしまって、大丈夫ですか? かなり長期の案件になると思いますし、私が学院に在籍してる間、それなり以上に制限が発生することに」
「そりゃ分かってるけどよ、ここで退けねえだろ」
唇をへの字に曲げて、むっすりとした返答。
そういう問題だろうか、と思うものの、そういう問題だと思っているから売り言葉に買い言葉のような有り様で乗ってきたのだろうし。昨日に物探しを手伝ってくれたのもそうだけけど、レインナードさんもなかなか独特な思考回路をされている気がする。……それが「お人好し」ということなのか。
ともかく、相手はギルドに所属する、きちんとした職業傭兵の人なのだ。何か不都合が発生したり、どうしても嫌になったりしたら、その時はきちんと自分で対処されることだろう。スヴェアさんにしても、そこまでレインナードさんに強要する理由はないはずだ。
それからスヴェアさんの手引きで諸々の契約書を作成し、地下迷宮探索の打ち合わせをしてから、ギルドを辞すことになった。……なった、のだけれども。
「あ、真っ暗」
いつしか日が落ち、外はすっかり暗くなっていた。これはまずい。大通りを選んで走っていけば、何とかなるだろうか。なってほしい。
「ありゃ、こいつはしくじったね。ヴィゴ、送ってってあげな!」
「へいへい、言われねえでもそうするつもりだよ。行くぞー、ライゼル。ついでに飯でも食ってこうぜ。差し入れもらった分、奢ってやらあな」
「え、いえ、そこまでは……」
「いーからいーから。そんじゃ、行ってくらあ」
言うが早いか、レインナードさんが私の手を掴み、さっさと歩き出す。
「ちょ、待って――すみません、これで失礼します。ありがとうございました!」
引っ張られながら何とかお礼を言って、ギルドを出る。スヴェアさんや傭兵の人たちがやたらと微笑ましげな目をしていた気がするのは、まあ、深くは考えずにおくとして。
気を取り直して、宿までの帰り道を行く。途中でガラジオス名物の香草イーロタを使った鳥の蒸し焼きを野菜と一緒に挟んだパンを露店で買ってもらったので、有難く夕食にさせていただくことにした。初めて食べるタイプのパンだけれど、イーロタの柑橘類にも似た独特の匂いが風味を引き立てていて、いくらでも食べられそうなほど美味しい。
「むぐ、美味しいですねコレ」
「だろ、俺のお気に入りでよ。てーか、こうやって外にある店で何か買って食べるとか、やっぱしねえもんなのか? 学院で禁止とかされてんのか?」
「そういう規則はなかったと思いますが、あまり縁がなくて」
単に食費の問題で、とまでは言わないけれど。
ふーん、と同じようにパンを食べながら相槌を打っていたレインナードさんが、不意に「じゃあ」と私を見下ろした。まるで悪戯を思い付いた子どもみたいな笑顔を浮かべている。
「これから美味い飯屋とか案内してやるよ。せっかく王都に来てんだ、名物とか食っとかねえと損だろ?」
「それは確かに……。ご迷惑でないなら、よろしくお願いします」
軽く頭を下げると、「おう」とレインナードさんは屈託なく頷く。
昨日から思いもよらない目が出続けているような気がするけれど、王都や採集先に詳しい人物と知り合えたのは素直に喜ぶべきだ。……美味しいご飯も気になるし。
それからレインナードさんとはまた明日の午後に傭兵ギルドで打ち合わせをする約束をして、宿の前で別れた。