08:力無きものたちの為に-3
3.奇妙な静寂
森の中での目覚めは爽やかだった。明るくなり始めの空はまだ白く、朝露に濡れる緑の匂いは多分に懐かしさを含む。
「少しは休めたか」
「お陰様で」
傍らから聞こえる声に答えつつ、身を起こして外套の埃を払う。その後はざっと身支度を整え、昨晩よろしく手早く食事を済ませて出発した。
今日も隊列に変更はなく、ラファエル卿が先頭を走り、レインナードさんが殿を守る構成であるらしい。私は真ん中で索敵に徹する。小鳥はさも当然とばかりに私の外套のフードの中に入り込んでいたけれど、これについては気にするまい。
夜間に魔力の補充を済ませていたにしても、自動人形なのだから飛んでいればどうしても魔力を使わざるを得ない。今はソイカ技師との連絡役に注力すべく、余計な魔力を使うのを避けたのだろう。
「現状の最終目的としては黒幕――主犯の捕縛ではありますが、考えてみればこの島に足を運んでいるとも限りませんよね。騒ぎが起きて港が封鎖されたら、自分も閉じ込められるリスクを負うことになります。それを見越して自身は島の外にいるとしたら、ここからでは手の出しようがありません」
「そりゃそうだが、遠隔で自動人形の暴走とかできるもんなのか? 自動人形を暴走させること自体が容易じゃねえっつってたろ?」
「それもそうなんですけど……」
走りながら、今日もまた作戦会議は続く。意見交換が必要な状況だということもあるけれど、それ以上に沈黙し続ける意味がそれほどないからでもあった。
今日も森は静まり返っている。鳥の声も聞こえず、獣の気配も絶えたまま。感知できる範囲では、哨戒の自動人形の姿もない。それなら状況に対する思索を深めても問題はないだろう、という訳なのだった。
『昨晩、暴走し破壊された自動人形の残骸が研究所に送られてきた。解析担当によると、やはり外部から何らかの魔術的干渉を受け、核が汚染されていることは間違いないそうだ。種を植え付けられている、という表現をしていたが……』
「種……」
種を運ぶといえば、思い浮かぶのは鳥だ。これだけ見事に自動人形を暴走させているのだから、敵も疑似生命工学ないし傀儡魔術に長けているのは疑いようもない。敵も自動人形を使っている、と前提に加えてみるとしたら――
「この島の警備体制って、どういう風になっているんでしょう。例えば、高高度の空から鳥型の自動人形を接近させ、自動人形を狂わせる種を蒔くみたいなことは有効なのかどうか」
こちらの世界ではまだ飛行機は発明されていない。風魔術に長けた魔術師の中には高速飛翔を得意とする人もいるけれど、あくまでも個人の資質に由来する個人技能の域に留まる。誰でも使える乗り物として浮遊石や魔術を用いた気球はあるけれど、こちらはあくまで「浮く」のであって「飛ぶ」には至らない。短距離での遊覧用途や、戦場では遠方の様子を窺う為の物見台代わりとして、それはそれで需要があるそうだけれど。
その他の飛行移動手段となると、未だに思い出すだに震えがくるグリフォン便を始めとした、空を飛ぶ動物を使うのが基本となる。ただし、グリフォンのような飛翔騎兵は乗り手の操作が不可欠だ。完全に無人で遠隔の、と考えると自動人形の方があるのではないかと思う。
もっとも、空を飛ぶ自動人形を作れるのは一握りの卓越した技師だけだ。それでも今私のフードの中にいるくらいの小鳥が索敵や斥候としてギリギリ実用に耐え得るレベルなのだという。猛禽ほどに大きなものは魔力消費の燃費が悪く、その姿形に反して外に放って飛ばすには向かないのだとか。
だからこそ、空からの攻撃は盲点を突ける。対空の警備があまり重視されないのなら、ステルス性能にもそこまで比重を置かなくていいだろうし。
「港や沿岸部に海を監視する施設はあるだろうね。ただ、そうか……空か……」
「孤島なら尚のこと、敵は海から来るだろうと思ってるだろうしな。手薄になっててもおかしくはねえが」
『手段としては有効かもしれないが、この島全土に種を蒔けるほどの鳥となれば、それなり以上に大型のものでなければ務まるまい。どこから飛ばすにしても、島に到着するまでがまず難題だ』
騎士と傭兵の武闘派二人が異論もなく検討する素振りを見せる一方で、ソイカ技師は冷静に反駁する。技術者の視点からすると、やはりその部分に引っかかるのだろう。私も分かっていない訳ではないつもりではあるのだけれど。
「では、鳥型の使い魔とか」
『ふむ。……君は空からの奇襲を推す訳だ』
「そうですね。ここまで上手く意表を突くには、何かしらの盲点から攻めたのではないかと思います。それと、癒しの泉の館の自動人形の少年は狩りに出て行方知れずになったと言われていました。館の中にいた間は何事もなく、森の中で初めて異変に遭ったのだとすれば」
『屋内に留まる限りは、雨を凌ぐように種からの影響も逃れられる可能性がある、か……。確かに、研究所で被害を免れた自動人形は全て屋内保管していた。確証はないが、屋内に保管し続けることで回避できる可能性もなくはないかもしれん。参考意見として報告してみよう』
「推測が外れていなければいいのですが」
そこまで喋って、一息吐く。走りながら議論を交わすのは難しい訳ではなくても、多少は余計に体力を使うものだ。
「問題の種が除去できれば、自動人形の暴走も止まるのでしょうか」
『現時点ではまだ何とも言えん。今はまだ破壊され、完全に停止した自動人形の解析が行われたに過ぎない。稼動している個体を生け捕りにできれば、分かることも増えるだろうが』
「やはり、目下の課題はそれですね……」
ため息を一つ。それからは取り立てて会話が起こることもなく、黙々と行軍が続いた。
天候に邪魔されることもなく、南の街へ向かう足取りは順調そのもので進んでゆく。何度か休憩を挟み、お昼には食事を兼ねた少し長めの小休止をとった。その頃には空に少し雲が増え始めていたけれど、山越えを試みた日ほどの変わり様ではない。
それでも念の為、午後からは少しだけ走る速度を上げた。元々四日や五日かかる道程とはいえ、大人が歩いてという前提での計算だ。走って移動し続けることができれば所要時間も短くなるのは道理で、森の切れ目が見えてきたのはまだ太陽も空高くに残る時刻だった。
その向こうには北の街からヴァラソン山までの間に広がっていたような砂礫の荒野があり、海辺に向かって歩いていくと街に出る。
「これは――」
……はず、だった。
森を抜けた先に広がる光景を前に私は呆然とするしかなかったし、他の人の反応も似たり寄ったりだ。唖然として立ち尽くしている。
そこに何があったのかと言われれば、他に言いようもない残骸である。
「たぶん、これ、全て自動人形……だったはず、ですよね」
『おそらくは。ハント、見渡す限りで目に光の残っているものはあるか』
肩に留まった小鳥の指示に従い、周囲を見回す。
辺り一面に転がっているのは、極めて多種多様な人形だった。石造りのゴーレム、木製や陶器造りのドールに布や革で作られたぬいぐるみまで。その全てが目から光を失い、ぽっかりと穴の空いた胸を宙に晒している。
十や二十、それどころか百でさえきかないかもしれない。それほどまでに多量の自動人形が、死屍累々の語を体現するかの如く積み重なって打ち捨てられている。
「……いいえ、たったの一つとて残っていません。皆、一様に核を抜き取られているようです」
最も森に近い場所に転がっていた、ピノキオに似た木製の人形に歩み寄る。すかさずレインナードさんが横に並ぶのを目の端で捉えつつ、人形の前で膝を折ってしゃがんだ。肩の小鳥が人形の方へ身を乗り出そうとするので手を差し伸べてみると、ちょんちょんと足で歩いて掌の上に乗ってくる。
そのまま手を人形の前に出すと、小鳥は掌の上を行き来しながら見分を始めた。
『ひどく乱暴に摘出されているな』
「表面が内側へ向かってへこんでいるので、外から圧力を掛けられた格好ですよね。言わば、抉り出されたような。……土台有り得ない話ですが、内側から飛び出した訳ではない」
『そのようだな。やり口は粗いが、内部に核と思しきものの破片も見当たらない。破壊ではなく摘出が目的と見て間違いなさそうだ。自動人形としての核か、それとも核を成す魔石自体の方か……どちらを欲しがったのかは知れんが』
「じゃあ、何かしら別で再利用する腹ってことか」
「その可能性が高そうです。自動人形を自動人形たらしめるのは核に込められた術式であり、破損しても別の素体に入れ替えれば再起動ができる。……いえ、そもそもが非常に高品質な魔石ですから、使い道はいくらでも」
「いずれにしても、敵はこの場における目的を達成したということだね」
声と共に気配が近付いてきて、レインナードさんとは逆側の隣に立つ。掌の上の小鳥が軽く羽ばたいて肩の上に戻ったので、私も膝を伸ばして立ち上がった。
「そう言わざるをえなさそうではあります。北の街で適度に騒ぎを起こして注意を引きつつ、南北の行き来を監視して分断。しかる後に南の街を制圧し、その手駒として使った自動人形から核を摘出して持ち去った。摘出というか、それができる自動人形には自分で取り出させたのかもしれませんが」
足元のピノキオくんは手の指がひどく破損していた。自分の胸部外殻を指で貫いて核を取り出したのではないかと思う。
軽く風を放って周囲を探ってみても、核と思しき魔石の気配はない。完全に、ここには自動人形の抜け殻だけが残されているだけだった。
「……胸くそ悪い」
冷静に観察していたつもりでも、自分の声に聞こえないほど低い音がこぼれ出た。
ピノキオくんの右の手首には、ガラスのビーズを糸で繋いだブレスレットが嵌められていた。糸の結び目は大きくて、ビーズの中にも隠れ切らない。彼を所有していた家庭の、まだ小さな子どもとかが作って贈ったのじゃないだろうか。
大切にされて、ひとりの家族として遇されていたことは明白だった。なのに、こんな理不尽で無残な仕打ちを受けた。そればかりか彼と暮らしていた家族も危険に晒され、他ならぬ彼自身が家族に手を上げさせられていたとしてもおかしくないのだ。
私が疑似生命工学を学ぼうとし、普通の人よりもいくらか自動人形に親しみを覚えていることを差し引いても、おそろしい蛮行だった。何をどう考えても、看過してはならない質の。
「ソイカ技師、南の街の人たちがどうなっているかの情報は届いていますか」
『残念ながら、何も。君たちが現場を見聞きする最初の人間になるだろう。――とはいえ、監禁されている程度で虐殺の類が起きている可能性は低いはずだ』
小鳥を通じて語られる言葉は、意外なほど確信的だった。何故そこまで言い切れるのだろう。不思議に思っていると、隣から「だろうな」と納得の声が上がった。
「ぱっと見でも、返り血を浴びてる奴はいねえ。そもそも核の魔石が狙いだったんなら、大規模な戦闘は避けるだろうしな。この島の連中なら、何をどうすれば自動人形を止められるかよくよく分かってる。自分から取り分を減らす馬鹿はしねえさ。これまでのやり口を見るに、そこまで計算ができねえ奴でもなさそうだ」
語る声につられるようにして見上げれば、橙の目と目が合う――前に、大きな掌が近付いてきた。頭の上に置かれたかと思うと、わしわし撫でられて頭が軽く横に揺れる。
「こうして自動人形に被害が出てるだけに、気に病むなとも言えねえがな。お前がそう怖え顔することもねえさ」
「……はい」
「この街の有り様が報告されれば、北の街から人をやって救出がなされるだろう。その前に、我々で解放だけもしておくかい」
「そうしておいた方が、多少は何かできた気持ちになれる気はします」
『怒りに燃える気持ちは分からなくもないが、それに囚われ過ぎないことだ。――島長にはこちらで報告を入れておこう。まだ散発的に自動人形の暴走事件も起きてはいるが、石切り場と鉱山の安全も確保された。良くも悪くも南の状態が定まったのなら、手を割けるようになるはずだ』
右から左から肩の上から、次々に慰めの言葉が掛けられる。ありがたいと思う一方で、少し申し訳なくもあった。変に感情的になってしまったせいで……。
「とりあえず、街の方へ行ってみましょう。この惨状を放置するのも気が咎めますけれど、所有されていたご家族が確認して引き取られた方がいいでしょうし」
嘆息をひとつ。それで頭を切り替えることにして、自動人形の亡骸を迂回すべく足を踏み出そうとした時、
「――いや、その前に別件が先だな」
頭の上に置かれていた掌が離れ、肩に置かれたのに目を開いたのも束の間。
すっと視界の端から長躯が入り込み、背中に隠される。意外にも、レインナードさんが私を隠そうとしているのは森の方からだった。正面の亡骸の原ではなく。
そう考えたところで、感情的になるあまり索敵の術式を放り出していたことに思い当たった。私がひとり眦を吊り上げていた横で、レインナードさんは冷静に周囲の様子を窺っていたのだろう。……つまり、何者かが後ろから追い付いてきた。
いつしかラファエル卿も森の方へ向き直っている。レインナードさんの背中に隠されたまま、改めて探索の魔術を展開すると、遠くから五人ばかりの人が近付いてきていることが分かった。自動人形ではない、正真正銘の生きた人間だ。
気配も足音も殺す素振りすらない。こちらに自分たちの存在を隠す意図がないのだろう。
「――もし。あなた方が〈獅子切〉ヴィゴ・レインナード殿、〈アシメニオス王立魔術学院首席〉ライゼル・ハント殿のご一行で間違いはあるまいか」
果たしてその五人は私たちの前に姿を現すと、開口一番にそう言った。
全員が共通した意匠の立派な装束を身に着け、胸には煌びやかな徽章が輝く。いかにも軍人というか、公の人という印象が強い。話には聞いていた、島長からの使いの人だと考えるのが妥当そうだ。……それにしても、どう答えたものやら。
子どもの私と大人のレインナードさんなら、レインナードさんに任せた方がいいのだろうか。子どもがでしゃばるんじゃない、とか怒られてしまわないかしらん。
「失礼だが、こちらを誰何する諸君こそ何者かね?」
しかし、迷っている間に鋭い声が上がった。
もちろん、声の主は私でもなければ、レインナードさんでもない。ラファエル卿の問いを受け、五人の男性の視線が一斉にそちらを向く。途端、何人かが明白に息を呑む素振りを見せた。
今のラファエル卿は持ち前の顔貌の美しさばかりでなく、他者の上に立ち、他者に命じることに慣れた貴族としての威厳に満ち満ちている。大の大人とて、対峙しようものなら怯んでもおかしくない。それでも、居並ぶ五人の中央に立つ人はあくまでも平静を保ったまま続けた。
「我々はアルマ島が島王に仕える近衛隊である。勅命により、先の二名をお探ししていた。我々を誰何する貴公こそ、如何なる立場の者か?」
太く、よく通る声。金の髪は短く刈り込まれ、体躯も隆々として厚みがある。近衛隊を率いる立場にあるのか、こちらもまた偉丈夫と評するに相応しい佇まいをしていた。
ラファエル卿もわずかに目を細め、見定めるが如き視線を男性に向ける。一呼吸分の間を空けた後、朗々と響く声が応じた。
「アシメニオス王国王立騎士団は〈紅玉の獅子隊〉が長、ラファエル・デュランベルジェと申す。改めて尋ねるが――私の、妹弟子に、如何なる用件か?」
声音こそ淡々としているものの、「私の妹弟子に」と一言一言区切って圧をかける口振りは明白に言外の意図を滲ませる。
さすがに予想外の返答であったのか、金髪の男性も目を見開く風だった。この様子を見るに、ラファエル卿は真実余人に素性を知られることのないまま、私たちとの合流を果たしたのだろう。全く予期せぬ形でアシメニオス王国の騎士、それもラファエル・デュランベルジェ卿に出会ってしまったのだから、近衛隊の人たちが動揺するのも無理はない。
目下の最大の取引相手であるアシメニオス王国において、最も力ある貴族として知られる重鎮ルラーキ侯爵のご子息であること。当人もアシメニオス王国騎士団において、随一と謳われる騎士であること。そのどれもが現在の状況に対して影響が大きすぎる。
ややもすれば、これまで周辺諸国に情報を伏せたまま秘密裏に状況を解決しようとしていた方針が即時に瓦解してしまいかねない。もはや近衛隊で対処しきれるではなかった。
「ラファエル卿の勇名は、このアルマにも届いております。お会いできたこと、誠に光栄に存じ――」
「分かりきった事実を改めて伝えてもらわなくとも結構。我が妹弟子ライゼル・ハントに如何なる用か、と訊ねているのだが?」
「我々は伝令に過ぎず、子細は存じておりません。島長の居城までご同行いただければ、島長より説明がなされるかと――ラファエル卿におかれましては、何故学生の少女にご同行を?」
「先ほども述べた通り、ライゼル・ハントは私の妹弟子。無事に見聞の旅を終えられるよう万難排すが、今の私の仕事という訳だ。そうと聞いて、尚も同行を求めるかね?」
「それは……」
頬に冷や汗を浮かべる金髪の男性へ、ラファエル卿は間を置かず言って返す。
事態の趨勢は悩む必要もなく明らかで、もうこれは言葉のキャッチボールというよりは一方的にドッジボールのようだ。もっと雑な言い方をするのなら、タコ殴りの様相である。
絶対に自分が詰められる側になりたくないな、と空恐ろしい気持ちになりつつ、何とはなしに目の前で壁になってくれている人のジャケットを掴む。一瞬ばかり肩越しに視線が投げられた。
「さすがに腰が引けるか」
「思った以上に大層な騒ぎになってきたようなので……」
囁き声には囁き声で返す。腰が引けるというと微妙に違うかもしれないけれど、未だ不安が拭いきれないのは事実だった。
図らずもラファエル卿が代わりに島長の使いの人たちとの交渉を請け負ってくれている形になり、当初思い描いていた最悪の事態は避けられそうな風向きになりつつある。けれど、近衛隊の人たちがラファエル卿と交渉しなければならない難事に直面しているように、私にしたってラファエル卿に交渉をしてもらっているという負い目のようなものがなくもなかった。
「国の大層な身分の奴が首を突っ込んできたってか?」
「それは言い方が悪いですけど」
「事実は事実だろ。別に気にするこたあねえさ、お前が頼んでやらせてる訳でもねえ。向こうが勝手に口を挟んで、それで状況が良い方に転ぶなら願ったりってもんだ。あいつのアレは俺にはねえ武器だしな」
あっけらかんとした返答は、まさに現実主義の傭兵然としている。今の私では到底届かない境地ではあるけれど、そう言い切って立ち回れる人が傍にいるという頼もしさはあった。
――そうしてコソコソ囁き交わしていた時、
「ライゼル、島長の居城には私が訪ねる。君はヴィゴと共に初めの地に戻り、そこで待っていてくれ。事が済み次第、私も合流する」
不意にラファエルさんがこちらに顔を向けて言った。
レインナードさんと喋りながら聞き耳を立てていたので、会話の推移自体は把握している。よって、純粋な驚きはそれほどでもないけれど、本当に任せてしまっていいのだろうかという疑問のようなものはなくもなかった。
「よろしいのですか」
「無論、構わないとも。君は島長に謁見の機会を賜るには、まだ早かろうからね」
「……かしこまりました。ご指定の場所でお待ちします」
軽く頭を下げ、答える。ありがとうございます、とはまだ言わない。ここでその言葉を口にしては、近衛隊の人たちに余計な判断要素を与えることになる。
「ああ、道中気を付けるように。――さて、ここから島長を訪ねるには時間が掛かるはずだが、どのようにして招待してもらえるのかね?」
こちらに軽く頷いて見せた後、ラファエル卿は再び近衛隊の人たちの方へ顔を戻し、問い掛けた。応じるのは、やはりあの金髪の男性だ。自分の左手側に目を向けると、短く「セルジュ」と呼ぶ。
男声の左隣に立っていた、白髪の男性が一歩進み出る。周りの人たちに比べると、多少細身に見えなくもない。
「私がお連れ致します」
白髪の男性が右手を持ち上げてみせると、その手首に嵌められた銀の腕輪が陽光を受けてキラリと光った。透き通った白の石がいくつも埋め込まれており、それが順に輝いたかと思うと中空に巨大な魔術陣が投影される。目がチカチカしそうな複雑精密な記述は、傭兵ギルドの転送機でもお馴染みの瞬間移動魔術だ。
基本的に瞬間移動魔術は超のつく高難易度で、宮廷魔術師であっても誰もが使える訳ではないと言われている。アシメニオスで傭兵ギルドが運用している転送機が利用権限を持っていれば誰でも使えるようになっているのは、魔術陣と数多の魔石を組み合わせ、地中の魔力の流れをも利用するという――要はレベルを上げて物理で殴る概念にも似た、技術と資源と費用を惜しみなく投入して改良した力業の結果だ。
その瞬間移動魔術を、補助魔道具があるとはいえ一人でやってのける。かなりの凄腕だ。
空中に描き出された魔術陣は、次第に目を開けていられないほどの光を放ち始める。白く焼けつく光から手で目を庇い、光が消えた頃には……
「お、綺麗さっぱり何もいねえ」
辺りに他の人の気配はなく、無残な荒野の片隅に私とレインナードさんが取り残されるのみとなっていた。
「初めの場所ってのは、奴と初めに顔を合わせたトコ――つまり、泉の館でいいんだよな」
「だと思います。森の様子に変わりがなければ、時間はかかっても危険はそれほどなさそうかなという気はしますけど……」
「じゃあ、ぼちぼち行くか」
レインナードさんが森の方へ歩き出すのを横目に、最後にもう一度人形の残骸広がる荒野を眺める。誰も何も動かない、亡骸の原。その光景を目に焼き付けた後で、私も森へと踵を返す。
先に行ったと思っていた人は森の前で足を止め、荒野を眺める私を見ていたようだった。
「大丈夫か」
「……一応は。私は、この件に関しては部外者でしかないので」
呟いて、佇む人の隣に並ぶ。小さく「そうか」と相槌が返り、それから二人並んで足を踏み出した。
ここで私が敵の所業を声高に責めて感情的に振舞うのは、何か違う気がする。一種のヒロイックな、理不尽を糾弾する自分というものへの陶酔に近い側面があるのじゃないだろうか。それに呑み込まれてしまうのは、おそらく良いことではない。だから、努めて冷静に記憶しておこうと思う。
人間に対する大量殺戮は起こらなかったのかもしれない。だとしても、自動人形という疑似生命に対する大量破壊が行われ、街を滅ぼし人を虐げる非道が成された結果に変わりはない。決して許してはいけないことだ。
その事実を、決して忘れないように。




