07:怒れる戦車の島-7
7.急襲と真相
一通り館を見学させてもらったところ、やはり建物自体にも多種多様な魔術が施されているようだった。初代の主である魔術師が一人で広大な館を扱う為のものだったのだろう。館に主がいるという事象を鍵として術式が連動し、地中や大気中の魔力を用いて稼働する。
館に仕掛けられた術式は、どれも呆れるほどの精巧さだ。部屋や廊下は一定期間で自動的に掃除され、浴室周りも掃除にお湯の管理にと自動化されているところが多い。室内温度も、そこまで高すぎず低すぎずに保たれるようになっていた。部分的にとはいえ、家事に手を割かずに済むのはさぞかし助かることだろう。何しろ、この孤児院は労働力が少ない。
癒しの泉館では、ヴァネサさんを含め十一人の子どもが暮らしている。毎日の日常生活を回していくだけで重労働であり、大騒ぎなのだ。ヴァネサさんの次に年嵩の子も十二歳、まだ五つや六つの子も多い。ようやく乳飲み子が少し育ってくれて楽になった、とか何とか。
館の見学を終えた後は、私はヴァネサさんと共に夕食の準備、レインナードさんは外で薪割りの続きをすることになった。芋の皮を剥きながら孤児院の運営状況について話を聞かせてもらったものの、つくづく癒しの泉の館という特殊かつ極めて有用な施設あってこその奇跡的な状態であると言える。
「傍で聞いているだけでも大変そうですけれど、人手を増やす……のは、難しいですよね。自動人形を採用したりは」
「もちろん、してるよ。先代のじいさんが知り合いの伝手でもらってきたヤルミルっていう自動人形がいて、力仕事と森での狩りの担当なんだけど、三日くらい前に森に入って帰ってきてなくてさ。いつもなら長くても一晩で帰ってくるから、そろそろ探しに行きたくはあるんだけど……」
そう言って、ヴァネサさんは初めて表情を曇らせた。心配ですね、とひとまずの相槌を打ちながら、私は嫌な予感を覚えてならなかった。
三日くらい前に森に入ってから帰っていない自動人形。森で狩りをする担当なら、弓を使う可能性が高い。そして、三日前は既に石切り場で事件が起こった後だ。……後でレインナードさんに相談してみた方がいいだろう。
もし、あの狙撃者が孤児院の自動人形であったとしても、完全に破壊はできていないはず。それでも家族に等しい存在が異常事態に陥っている可能性が高く、それを私が射当てたという事実を隠しておくのはフェアでない。ただでさえ、随分とお世話になっているのに。
「もしこの後また森に戻るなら、動けなくなってる自動人形がいないか気にしておいてもらえる?」
「――ええ、探せる範囲で探してみますね」
気まずさを押し殺し、真っ当な心配の言葉に頷き返す。しかし、その後もレインナードさんと二人で話すタイミングはなかなか見つからなかった。
夕食になっても、夕食が終わっても、館は盆と正月が一緒に来たような賑やかさだった。小さい子どもたちは珍しいお客に興味津々で、やっぱり面倒見のいいレインナードさんは力仕事を請け負う傍らで気さくに構ってあげるものだから、ヴァネサさんが驚くくらいの人気っぷり。
孤児院の自動人形のヤルミルくん少年型をしており、本来はヴァネサさんを手伝って男子たちの面倒を見ているのが常だったのだという。一緒にお風呂に入るも彼の担当の一つだったのだけれど、不在となってからは全ての仕事がヴァネサさんに圧し掛かっていた。
今日はレインナードさんが男子たちと一緒にお風呂に入っているので、久々にゆっくり食後のお茶を飲むことができている。私は些か焦れる気持ちがないではないものの、多忙を極めている人が多少なりと休息を取れることができていると聞けば、それはそれで良いことではある。
「ところで、ライゼルとヴィゴはどういう関係なの? 夫婦じゃないんだよね」
ただ、食堂で食後のお茶のご相伴に与りながら、不意にそんな台詞が向けられたので驚いた。夫婦……。
幸か不幸か、食堂でお茶を飲んでいるのは私とヴァネサさんだけだ。他の女の子たちは自分の部屋で過ごしていたり、図書室にいたりする。他に聞いている人がいないというのも、少しだけ動揺を抑えてくれた。
「そうですね。レインナードさんは腕の立つ傭兵の方なので、旅の護衛をお願いしています」
気を取り直して平静を装い答えると、ヴァネサさんは手に持ったマグカップをテーブルに置きながら「ヴィゴもそう言ってた」と頷く。けれど、肯定を述べる口元に浮かんだ笑みは、妙に含みありげだ。
「でも、この館を訪ねてきた時のヴィゴの様子は、とてもじゃないけどそれだけには見えなかったよ」
そして、続いたのがその台詞である。
もはや藪蛇を突いたというより、蛇が出てくると分かっているのに藪の前から動けない蛙の気分だった。けれど、ヤルミルくん不在の心配を紛らわせることができるのなら、私が遊ばれることにも意義はある。……ということにしておこう、うん。
「レインナードさんの様子は、どんな風でした?」
「必死だったね。真白い顔で目を閉じたあんたを抱えてさ、どうか手を貸してくれって。怪しいのは分かってるから武器は外に置いていく、連れが倒れたからせめて休ませてやってくれって。形振り構わないっていうのは、こういうことかとしみじみ思ったくらい」
「そんなに」
「そんなに。愛されてるねえ」
「……そう形容するのは、語弊があるとは思いますけど」
何とも言えない気分で答え、肩をすくめる。確かにレインナードさんは私の面倒をよく見てくれるけれど、それは何も「愛」とかそういう理屈ではなく、仕事であり大人という立場だからだろう。純粋な親しさがあることも、それはそれで否定はしないにしても。
幸いにして、その話題について深掘りされる前に男子組の入浴が終わったので、私も女子組に混じってお湯を使わせてもらった。魔術で生成されるお湯にも癒しの泉の成分が混じっているのか、浸かっているとそのまま湯船の底に沈んでいきそうなくらいに心地が良い。
山で気を失った後、レインナードさんが着替えさせてくれたり、おそらくはこの館に来てからもヴァネサさんが何かしら世話をしてくださったのだと思う。雨に濡れた後にしては、髪や身体もそこまで不快感がなかった。
それでも温かいお湯に浸かって、ちゃんと一通り身体を洗えれば、気持ちも落ち着く。男子組に比べれば女子組は多少年齢層が高いので、そう騒ぎになることもない。穏やかに入浴を終え、ヴァネサさんにお礼を述べた後で向かったのは――
「こんばんは、少しお時間をいただいてもよろしいですか」
「お時間を取るのはいいが、その明らかに風呂上がったばっかの格好で突撃してくるのはどうかと、俺は思う」
もちろん、レインナードさんの部屋である。
この館は泉を擁する大きな中庭があるほどに立派な造りをしているので、空いている部屋も多い。私が起きるまでは私の部屋にいたけれど、その隣がレインナードさんに割り当てられていたらしいのだ。
しかし、肝心の人は快く扉を開けてくれはしたものの、微妙に複雑な顔をしていたのだった。また何やら危機感が云々と気にしているものと見える。
「他の人にはしません」
「その分別があるのは結構だが、こう、根本的に話がズレてる気がすんだよな……」
「別にズレてませんよ」
答えながら、部屋の中に足を踏み入れる。私が借りている部屋と同じように、ベッドの他は小さな机と椅子が一揃いあるだけだ。レインナードさんが「そっち座れ」と私に椅子を譲ってくれ、自分はベッドに腰を下ろす風だったので、有難く椅子を拝借することにする。
「――で、何がどうズレてねえって?」
「私はこれでも職業人としてのあなたをちゃんと信頼していますから、ただ必要なことをしただけだと理解しているつもりです。それについて責めるのは、駄々を捏ねているだけでしょう」
そもそも私が下手に怪我をしたり体調を崩したりして帰還すれば、レインナードさんの傭兵としての腕が疑われることになる。つまりは自分の評価にも直結している訳で、手抜かりはできないと考えるのも当然のことだ。
実際、だから謝りはしないのだとも思う。
これこれこういうことがあったと事実を申告しながら、それについての弁明はしない。自分が謝らなければいけないことをしたつもりもないからだ。けれど、私がどのように判断するかは分からないから、判断を委ねている。もっとも、これについては私の判断を信用しているというより、どんな判断を下されても受け容れるという潔さの表れだろう。
或いは、あの状況を挽回しきれなかったという矜持ゆえのことでもあるのかもしれない。だとしても、突然の狙撃にしろ荒天にしろ、レインナードさんに責を負わせるのはお門違いというものだ。
「あなたは私に謝罪しなければならないようなことをしなかったし、していない。私は全力を尽くしましたが、未熟ゆえにその後のことを考えられなかった。それを補っていただいた形になりますから、むしろその点についてお礼を言うべきで――というか、そもそもまだお礼を言っていませんでしたね」
面倒を見てくださって、ありがとうございました。椅子に座ったまま述べ、軽く頭を下げる。
その私を、レインナードさんはまだ何とも言えない微妙な顔をして見つめていた。ややあってから大きく息を吐き、これまでにも何度か聞いた台詞を口にする。
「本当に子どもらしからぬお嬢ちゃんだな、お前は」
「褒め言葉だと受け取っておきます」
「別に貶してるつもりもねえが、もう少し楽にしてもいいんじゃねえか。付き合いが長くなるにつれて、むしろ喋り方が硬くなってる気がすんだが」
「あー……」
それについては、割と自覚がなくもなかった。とはいえ、それはレインナードさんが思っているであろうことの真逆なのだ。私にとっては、今の方がむしろ楽なのだから。
奇妙なところのある子どもだと思われるのは避けられないとしても、ものすごく奇妙だと怪しまれるのは避けたい。だから、村にいた頃はできる限り子どもっぽい喋り方をしようとは思っていたのだ。ちゃんとできていたかは別にして。
それが王都へ引っ越して同年代の子どもより大人と喋ることが多くなって、すっかり地が出てきたというか……。
「これは別に他人行儀という訳ではなく、むしろ気が抜けてきた表れのようなものなので、たぶんそのうち適当に砕け始めると思いますから気にしないでください」
「何だそりゃ」
レインナードさんは怪訝そうな顔を隠しもしなかったけれど、気持ちは分からなくもない。子どもなら逆だろうと言われてもそれまでだ。
「ともかく、その辺りはそういうものだと思っていていただければ。――それよりも、他に気になることがあるんです。もっと深刻で、現実的な問題で」
露骨な話題転換ではあった。けれど、レインナードさんも同じことを気にしていたのかもしれない。
「この館にいたはずの、狩り担当の自動人形か」
そう告げる目顔は一転して真剣で、声も重々しかった。自然、こちらもつられて居住まいを正す。
「はい。森で狩りをするなら弓を使っていても不思議ではなさそうですし」
「確かにな。人間じゃねえって手応えにも合致する」
「ですね。なので、私が射た狙撃手が彼である可能性は、それなりに高いと思います。ヴァネサさんに委細を打ち明けておくべきかなとも思うのですけど、どうでしょう」
そう尋ねると、レインナードさんは腕を組んで暫し考え込む仕草を見せた。ほんの数秒程度の短い沈黙の後で、「お前がそうしたいってんなら、俺もそれでいいさ」と肯定が返る。
「明日ここを発つ時にでも言うか。話す義務はねえにしても、義理はなくもねしな。……ただ、人間を攻撃した自動人形は破壊される決まりだろ」
お前の方が詳しいだろうが、と付け加えられた言葉には、黙って頷き返す。
人間を攻撃してはならない。人間の命令に従わなければならない。前二項に反しない限り、自己を防衛しなければならない。ロボット工学三原則と同様の基本ルールが、自動人形の制作にもついて回る。
これに反した時、所有者と制作者のどちらが責任を負うかは売買時の取り決めによる。必ずしも所有者が責められるとは限らないとはいえ、いずれにしても公に事が露見すればただでは済まされない。まだそれほど関連法の整備が進んでいないので厳罰が下るということはないながら、被害者への賠償は避けられないし、違反をした自動人形の破壊処理は既に法で定められていたはずだ。
「その観点で言えば、俺たちが賠償を受ける側ではあるよな」
「今のところ証拠がないので、訴えるのも難しくはありますけど……だからと言って、許せとも言えません。ヤルミルくんは家族に等しく暮らしてきたようですから」
絶対的に私たちの分が悪い訳ではないにしても、一連の話を聞かされたヴァネサさんがどういう反応をするかは未知数だ。それなりの覚悟はしておくべきだろう。法制度で人の感情まで制御できるのなら苦労はない。それが良いか悪いかは別として。
ああ、とレインナードさんの応じる声は低く、表情もまた渋かった。
「――それと、気になってることと言やあ、俺の方にも一つある」
「何ですか?」
「お前、人間を射たことがあるか」
その声を聞いた瞬間、辺りがしんと静まり返った気がした。
もちろん、錯覚だ。遠くでまだ寝付かない子どもたちの声が聞こえてくる。今この時でさえ、決して何も物音や声がしない訳ではない。聞こえた言葉の余りの重さで、そんな気がしてしまっただけ。
「……いいえ、ありません」
一呼吸分の間をおいてから答えると、レインナードさんは思ったよりもあっさりした声で「だろうな」と相槌を打った。
「その割に、昨日は特に躊躇う風でもなく射返すと決めてたよな。もちろん、その時に敵が捕捉できてなかった訳はねえ」
「ええ。距離があったので、魔力の発生源とその射出軌道を読むに留まりましたが」
もう少し余裕があれば、もっと早い段階で人間か自動人形かの判別もつけられたかもしれない。そうしたら、あのタイミングより早く反撃に打って出ていたかどうかは……分からないけれど。
頭の片隅でぐるぐる考えていると、レインナードさんが「そうか」と呟くのが耳に入った。かと思えば、すぐさま「そうだな」と一転して何やら納得したようなトーンで言葉が重ねられる。
「俺が謝らなきゃならねえのは、そっちの方についてだな。お前の優秀さに慣れきってた。お前に射させるくらいなら、最初の時点で崖から飛び降りてでも逃げるべきだった。危うくお前に人間を射させるところだった。……いや、自動人形だったから良かったって話でもねえか。疑似とはいえ、生命に変わりはねえ。山での一件は、俺もしくじった。――悪かった」
最後の一言と共に、深々と頭が下げられる。その所作を見つめながら、私は暫し沈黙した。
サロモンさんから、狩人の心得は教え込まれたつもりだ。弓矢を用いて獣の生命を断ち、日々の糧としていただくこと。生命を奪うつもりで武器を構えたのなら、相手もこちらを殺すつもりで反撃してくると認識すべきだということ。
野山の獣に対しては、それができていたと思う。ただし、それが人間や人間を模した疑似生命に対しても同じようにできるかは分からない。昨日は射返す以外に術がないと思って、そのことしか考えられないでいた。……でも、その結果、もしヤルミルくんを破壊していたとしたら。
その真相を知った時、もしくは思い立った時。私は、その現実をきちんと受け止められただろうか。
「いえ、昨日は私も考えが浅かった。射られているのだから射返してやろうと、短絡的に考えてしまっていました。何を――誰を射ることになるのか、あの瞬間に考えが及んでいなかった」
今になって振り返ってみれば、ゾッとするほどの視野狭窄だ。
強張る頬もそのままに述べれば、レインナードさんがゆるりと顔を上げる。その面持ちは未だかつて見たこともないほどに真剣で、何よりも悩ましげだった。
「お互いに余裕がなくて、下手を打っちまったな。本職の俺と、学生のお前とじゃ同列に語れやしねえが」
そう言って息を吐き、レインナードさんはじっと私を見つめる。その眼の真っ直ぐさが、全ての根幹にあるのだという気がした。
「これから俺が傍にいる時、獣を狩る以外でお前に射させることはしねえ。所詮は理想かもしれねえが、そのつもりで動くと約束する」
こうして真正面から私という人間を見て、話をして、考えてくれる。そういう人だから、私も恐れることなく信じることができていた。
「私も、もっとしっかり考えるようにします。他に手段がなくて射なければならないのなら、その意味と責任をきちんと理解して負えるように」
そう答えると、レインナードさんは一瞬の間を開けてから頷く。珍しいことに、その表情はどこか険しくすら見えた。
一晩明けても、ヴァラソン山の東の森は天気が崩れることなく快晴だった。
癒しの泉の館はまだまともに働ける人手の少ない孤児院であるので、朝も早い。私とレインナードさんもそれに即して起床し、まずは朝食作りを手伝った。皆が起きてきたら、食堂に集まって食事をとる。これもまた子どもがたくさん集まってのことなので、賑やかだし時間もかかる大事業だった。
泉の水は昨日のうちに採取させてもらってあるので、朝食の後片付けが終わった時点で出発もできなくはない。ただし、私たちにはヴァネサさんに話さなければならないことがあるのだ。最後に少し館の家事や仕事を手伝い、子どもたちがお昼寝をし始めるタイミングで発つことにした。
「いろいろ手伝ってもらえて助かったよ。何なら、もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「それもいいかなと思うのですけど、残念ながら日程が押していて」
お昼寝をしている子たちは、お昼寝をしない少し年上の子たちが様子を見てくれている。その合間を縫って、ヴァネサさんが一人で館の前に見送りに来てくれた。
この上ないタイミングであるので、挨拶もそこそこに本題を切り出そうとしたのだけれど――
「ライゼル!」
不意に響いた、鋭い一声。
気付いた時には、胴に腕が巻き付いて抱え込まれていた。抱えた人は即座に後方へ跳躍、寸前まで私の頭があった場所を一条の光が貫く。空を焼いた光は館の壁に着弾するも、館の防護術式に阻まれて損傷を与えるには及ばない。
ヴァネサさんが目を丸くするのを横目に、私を抱えたレインナードさんは槍を握り直して森の方へと向けた。どの辺りから光が飛んできたかは、もちろん分かっている。
「今回の旅は、どうも一筋縄ではいかないようで」
「らしいな」
呟くレインナードさんの目もまた、真っ直ぐに森を見据えていた。
「そら、出て来いよ卑怯者。隠れて狙い撃つだけが身上か? 残念だが、そんな小細工をしたところで無駄だぜ。――胸クソ悪いことに、てめえからはうちのお嬢ちゃんの魔力の匂いがぷんぷんしやがる」
見え透いた挑発に、答えはない。……ただ、獣の唸りに似たものが聞こえた。
何事かと耳を澄ませてみれば、それは次第に人の言葉の輪郭を取り始める。やがて耳に届いたのは、ひどく歪んで聞き取りづらい呪詛じみた音声だった。
「許さ、ない。許さない許さない許さない。館に近付くものは許さない。館を狙うものは許さない。わたしはおれはぼくは――……館を、みんなを守、る」
どうにも正気を保っているやら怪しい言動ではあれど、ヴァネサさんにはその声の主に覚えがあったらしい。森を見つめる彼女の顔は今や蒼白となり、事態の真相を私たちに理解させるには十分だった。
森の暗がりから、ずるりと黒い影が出てくる。一見して、それは弓を携えた少年のようだった。背格好は私とほとんど変わらないくらいだろう。ただし、胴は半ば吹き飛んでおり、右足は跡形もない。左足は辛うじて残された胴体に接続されてはいるものの、今にも胴体ごと折れてしまいそうに見えた。満身創痍どころでない有り様ながら、よろよろとこちらへ歩いてくる。
蔦で木の枝を残された身体に括りつけ、何とか直立状態を保っている。歩いて前へ進めているだけでも奇跡に近いというのに、その状態で光矢を射るとは……。如何程までの執念の表れか。
「ライゼル、分析はするな。ありゃ明らかに何かしらの術をかけられてる。お前までそれに触れて巻き込まれる訳にはいかねえ」
「了解です。……パッと見て分かる範囲だと、眼に黒い濁りが渦巻いているようなので、何かしら核に異常があるのは明らかかと」
自動人形の眼は核の様子を反映する窓でもある。それが濁っているのなら、核自体に何らかの異常が発生していると見るのが妥当だ。経年劣化を始めとした一般的に想定され得るトラブルでは、決してこんな歪み方はしない。何者かによる人為的な仕業である可能性であると見るのが妥当だ。
レインナードさんの見立てが的中しているとしたら、敵は自動人形を無差別的に暴走させることで混乱を起こし、島の南北を分断した上で戦士団を撹乱――しかる後に資源を強奪していく狙いなのじゃないだろうか。自動人形が暴走し、人間を襲う。それはこの島にとって最も避けたい醜聞だ。
混乱の鎮静を図るのと並行して、情報の隠蔽もとい漏洩対策にも手を割かねばならない。黒幕の追討に打って出るにも時間がかかると踏んだのだろう。その間に、十分求める資源を奪うことができると。
「何であれ、奴は捕獲した方が良さそうだな。研究所に持ってきゃ、ソイカ辺りが分析して術を解けるかもしれねえだろ」
「そうですね。今はまだ敵の情報すら乏しい。ここで確保できれば、今後の助けになります」
「分かった。お前は後ろにいて、ヴァネサを見てろ。そっちまで矢を届かせる気はねえが、万が一の場合は防御だけ頼む。反撃はするな」
そう言って私を地面に下ろすと、レインナードさんは槍を握り直して上体を低く沈めた。それは猛獣が今にも獲物に跳びかからんとする様にも、引き絞られた弓弦から矢が放たれる寸前の様にも似ている。
「ヤルミル!」
戦闘開始の兆候を感じ取ったのだろう、ヴァネサが叫ぶ。しかし、レインナードさんは止まらない。
ドン、と地面を揺らす疾走。銀の風と化して飛び出したレインナードさんは、自動人形が射るよりも早くその喉元へと飛び込んだ。奔る穂先が肩の関節を穿ち、弓を持つ腕ごともぎ取る。衝撃でふらつく自動人形へ更に迫るのは容赦のない追撃であり、突きから払いへ転じた槍は粗く胴体に括りつけられていた義足の枝をへし折った。胴体と残る脚をそうしなかったのは、一応の手加減ではあったのだろう。
義足を失い、薙ぎ払いに耐えられるはずもない自動人形が宙を舞う。ヴァネサさんがドシャリと音を立てて地面に転がる自動人形の許へ走り出そうとするのが見えていたので、その手を掴んで引き戻した。まだ、それを許す訳にはいかない。
「今は危ない。もう少し待ってください」
こちらを振り向くヴァネサさんが何故と問いたげな顔をしていたので、短くそれだけを答える。そのまま掴んだ手を引き、背後に庇った。
「……ぼくは……おれは、館を、きみを……」
地面に倒れたままの自動人形が呟く。レインナードさんが油断なく距離を詰めてゆくものの、それすら意識にないようだった。
「守る。守ろうと。守らないと……ああ、許さない許せないどうしてぼくらの館を館は」
吐き出される言葉が、いよいよ完全に論理性を失いつつある。核を汚染されて暴走しているところへ、追加で過剰なストレスがかかった。それゆえの錯乱を起こそうとしているのなら、まだ一悶着起こる可能性もある。
「ライゼル、人形の核は胸か。そこを外しておけば、後は壊しても問題ねえか」
「頭部にも記憶を保管する機構があるはずです。頭と心臓を外してもらえれば」
「あいよ」
応じたレインナードさんが、ついに自動人形を間合いに捉える。槍が持ち上げられ、上から突く姿勢に入った時――自動人形の方も、ようやっと迫る刃の存在に気が付いたようだった。
黒く濁った双眸が、やおらに大きく見開かれる。
「――タルナダ! グローム!!」
次いで、喉が裂けんばかりの怒号。呼応して爆ぜたのは、レインナードさんをして距離を取らせるほどの猛烈な魔力だった。
含まれる術式構築情報を分析するに、転移ないし召喚を意図したものと思しい。逆立ちしたって、ただの自動人形が行使できるようなものではない。
唖然としている間に現れたのは、一台の戦車。もちろん、タンクではなくチャリオットの方だ。鈍く光る金属で造形された二頭の馬が繋がれており、片方の馬が自動人形の服の襟首を食んだかと思うと、後背の荷台へと放り投げる。
彼がこの場から離脱しようとしているのは、疑いようもなく明白だった。
「させるかよ!」
レインナードさんが戦車に攻撃の矛先を転じようとするも、荷台からふらりと天へ向かって手が伸ばされたかと思うと――
「ライゼル、目ェ閉じろ!」
飛んできた言葉に突き動かされ、反射的に瞼を閉じる。その直後に感じたのは、瞼越しにですら分かる強烈な閃光だった。
光が放たれたのも、ほんの数秒未満のことだったと思う。にもかかわらず、光が消えた時にはもう自動人形の姿も、戦車の姿も忽然と消えていた。
「ヤルミル……」
後に残されたのは愕然とするヴァネサさんと、無言で顔を見合わせる私とレインナードさんだけだった。




