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07:怒れる戦車の島-5

5.山中の襲撃



 山肌を抉るようにして作られた道は、その掘削技術の高さもさることながら、崩落防止の魔術が幾重にも念入りに施されているようだった。歩いていても足元に不安を感じることはなく、音を立てて吹き付ける風の方がよほど困るくらいだ。

 レインナードさんが前を歩いてくれているので助かっているけれど、一人だったら今の何倍も体力を消耗する羽目になっていたに違いない。或いは、突風に煽られて道から転がり落ちていてもおかしくなかった。

 空を見てみれば、いつしか太陽も随分と高く昇っている。その割に気温は思ったほど上がりもせず、雲も多い。上空でも強い風が吹いているのか、少し見ているだけでもそうと分かる速さで流れていた。……それに、北側の空が少し暗い。雲が厚くなっているようだ。

「レインナードさん、北の空が」

 掴んでいたジャケットの裾を引きながら声をかけると、すぐさま肩越しに視線が投げられた。橙の目が私を見、次いで北の空へと向く。

 すい、と細められる双眸はほのかな警戒を滲ませていた。

「雲行き怪しいな。こっちまで来ねえでくれりゃ、助かるんだが……」

「この道って、雨や風を凌げるような避難所みたいなのあるんでしょうか」

「地図によれば、大体の等間隔で作ってあるらしい。よっぽど雨が降りそうになってきたら、キリのいいところで止まっとく方が良さそうだな」

「風も強いですもんね……」

 暴風雨の中、切り立った崖の上の道を進む。想像するだけでゾッとする光景だった。

 レインナードさん一人なら強行軍で行けないこともないのかもしれないけれど、私には荷が重い。雨に濡れて冷えれば余計に消耗するだろうし、足元も滑りやすくなって転倒の可能性が上がる。とはいえ、今はただひたすらに足を動かすことしかできない。

 しばらくすると、最初の避難所が見えてきた。この岩山では場所を用意するだけでも一苦労なのだろう、避難所とはいっても風雨を凌げるように岩壁を掘った小さな洞穴状のものだ。

「ちょい休憩にすっか。ずっと歩き詰めで疲れたろ」

「そうですね、一休みさせてもらえれば」

 強風から逃れられるだけでも、体感温度は少し上がる。避難所に入ると、思わずホッと息が漏れた。

 洞穴はレインナードさんが腰を屈めずに立っていられるほどの高さがあるけれど、ちょうど私の膝下くらいの辺りの岩壁が削られきらずに迫り出していた。上面は平らに整えられていたので、椅子代わりにと削り残したものなのだろう。下手に石でも置いて、道から下へ転がり落ちても危ないし。

「ここまで厳しい道になるなら、もう少し甘いもんでも買っておきゃ良かったな。水飲んで、食えそうなら何かちょっとでも腹に入れとけ」

 レインナードさんは特に休むでもなく、洞穴の入り口から外の様子を窺っている。これくらいじゃ、まだまだ余裕なのだろう。限界はきていないにしても、疲労を否定しきれない私とは大違いだ。

 時刻は十時前、ちょうどおやつの時間だ。椅子に腰を下ろして革袋の水筒から水を飲み、干し肉と干しブドウを少しずつ食べておく。

「脚が(つれ)えとか、腹が(いて)えとかあるか?」

「今はまだ大丈夫です。……次か、次の次の休憩くらいまでは、たぶん」

 その後は、何とも言えない。あちこちが疲労で痛み始めるだろうけれど、それで足を止める訳にもいかないのだから。

 すみません、と情けない気分で頭を下げると、入り口の傍に立っていた足が近付いてきて頭の上に手が置かれた。

「何の、お前はよくやってるさ。十七のお嬢ちゃんなら、俺が最初から担いで運ぶことになってもそれまでだ」

「そうやって運んだことがあるんですか?」

 気になって、話の途中にもかかわらず口を挟んでしまった。

「ねえよ、例えだよ」

「なるほど……。話の腰を折ってすみません」

 即答で否定するレインナードさんの顔が微妙に渋くなっていたので、急いで「続きをお願いします」と促す。ため息は吐かれてしまったけれど、それ以上に剣呑な顔をされることもなかった。

「ともかく、歩けるだけ歩いてくれりゃいい。無理しねえ範囲でな。無理して倒れられるよりかは、適当なところで俺に抱えられて、代わりに周囲の索敵を請け負ってくれる方が有難い」

「分かりました、そうします」

 全く使い物にならないお荷物を抱えているよりは、多少使えるお荷物の程度で留めた方がまだマシだというのは分かる。納得しかない合理的な考えなので、私も躊躇うことなく頷き返した。

「物分かりがよくて助かるぜ。――もう少し休んだら出発だ。それまで休んでな」

 はい、と応じながら、軽くふくらはぎを揉んでみる。まだ特に張った感じもしない。このまま、少しでも長くもってくれることを祈るしかなかった。

 休憩はおよそ十分ばかり。荷物を背負い直して避難所を出てもまだ風は強く、頭上の空の青さもさほど変わりがない。ただ、北の空の暗雲は刻一刻と近付いているように見受けられた。レインナードさんも同じことを気にしていたようで、そちらを一瞥した後に顔をしかめる。

 レインナードさんの後ろに並び、ジャケットの裾を掴ませてもらって行軍を再開。それからも、ひたすら歩き続けるだけで特筆に値することはなかった。二つ目の避難所に到着したのはお昼前で、一つ目のところよりも少し広かったということくらいだろうか。

「ここで昼飯食ってくか。何か温かいもんでも胃に入れた方がいいだろうしな」

「火を熾すんですか?」

「熾すっつーか、つける」

 どういうこと、と首を傾げずにはいられなかったけれど、レインナードさんがおもむろに槍を膝に乗せ、その穂先に火を灯し始めたので何となく分かった気がした。鞄の側面に引っ掛けられていた携帯用の手鍋を手に取るや、水稲から水を注いで手早くお湯を沸かしてお茶を淹れてくれた。

 私も鞄から携帯用のコップを外し、お茶を注いでもらう。手鍋のお湯に直接茶葉を入れた豪快なやり方ではあるけれど、今はポットも茶こしも持ち合わせていない山越えの旅なのだ。お茶が飲めるだけで贅沢というものである。

「熱いから気を付けろ」

「ありがとうございます」

 コップは取っ手までが軽量の金属製になっているので、熱が伝導しやすい。外套の裾で包んでから手に持つと、じんわりとした熱が掌に染みいった。息を吹いて冷まし、カップの底に沈んだ茶葉を避けながら、ちびりちびりと飲んでいるうちに冷えた身体がお腹の中から温まってゆくのを感じる。

 私がお茶を頂いている傍ら、レインナードさんは空になった手鍋を軽く拭き、またお湯を沸かし始めた。今度はスープ……いや、パン粥を作っているようだ。沸かしたお湯に保存食の硬いパンを削り入れ、千切った干し肉やチーズと調味料を加えて味を調える。

「今はそんなに消化に力使わねえ方がいいだろうし、ちゃんとした飯はまたそのうちな」

 レインナードさんはそう言っていたけれど、完成したパン粥はいい匂いをさせていて美味しそうだったし、実際に食べてみたら美味しかった。因みに後片付けで器やコップ、手鍋を拭いた懐紙は燃やして灰にしていた。お手軽。

「ご馳走様でした。人心地ついた気分です」

「口に合って何よりだ。もう少し休憩の時間を取ってやりてえところじゃあるが、あんまり呑気にしてもいられねえからな。調子はどうだ」

「お昼を食べて少し休めたので、次の避難所まではもちそうです」

「そりゃ良かった」

 後片付けをして、身支度を整えたら三度目の出発。温かい食事とお茶を頂けたので、心身共に少なからず回復できた。これなら次の避難所までは余裕なのでは――とか思ってしまったのが、いけなかったのかもしれない。それは避難所を発って、どれくらい時間が経った頃だっただろう。

 すん、と不意に鼻が動いたのは無自覚でのことであり、けれども明確な理由あってのものだった。

「レインナードさん、風のにおいが変わりました。雨雲が近い」

「さすが山育ち、聡いもんだな」

 二人揃って見上げた空は、いつしか青から白に色を変えていた。牛乳を溶いたような薄い雲が一面に浮かび、北の空へ向けて徐々に厚みと暗さを増してゆく。遥か遠く、真っ暗になった空ではちらりと白い光が閃くのも見えた。雷だ。

 懐中時計で確認した時刻は、午後一時過ぎ。二つ目の避難所を出たのが十二時十五分くらいだっただろうか。避難所が等間隔に配置されているのなら、まだかなり距離がある。

「ライゼル、少し急げるか。早いとこ、次の避難所に着いた方がいい」

「大丈夫です、走れます」

 ちらと向けられた視線に、はっきりと頷き返す。レインナードさんの要請も当然だった。

 このまま悠長に歩いていては、遠からず雨に降られる。避難所は小さな洞穴で、多少の雨風を凌げても暖を取るのは難しい。レインナードさんが昼食を作ってくれた時のように火を燃やすにしたって、限度がある。せめて濡れ鼠になる前に逃げ込まなければ、身体を冷やして体調を崩すおそれもあった。

 とにかく、雨が降り始める前に次の避難所に逃げ込まなければいけない。レインナードさんのジャケットから手を離す代わりに手を繋いでもらい、小走りで道を行く。風も弱くなるどころか一層に強くなってくるので、途中から手を引いてもらっているというよりは引っ張ってもらっているような有り様だったかもしれない。

 そうやって、どれくらい走り続けただろう。さすがに息が上がり、足に痛みを覚え始めた時――

「クソ、降ってきやがったな」

 低く罵る声が聞こえたかと思うと、鼻の頭にぴたんと雫が落ちてきた。咄嗟に外套のフードを頭に被せるも、すぐに強風に煽られて取れてしまう。それを嘲笑うかのように、叩き付けるような土砂降りが始まった。

 上空は完全に黒雲に覆われ、まだ二時前なのが嘘のように暗い。

「次の避難所まではもう少しだ。こうなったら、荷物ごと抱えて運んでくしかねえ。周りの索敵だけ頼めるか」

「体力はともかく、魔力はあるので、できます」

 気を抜くとゼエゼエ言いそうになる呼吸を何とか抑え、答える。レインナードさんは悔いるような目顔になって「悪いな」と呟いたものの、それ以上の言葉を重ねることはなかった。

 槍を持ったまま器用に私を左腕だけで抱え上げ、再び走り出す。強い風にも激しい雨にも押されることなく、ぐんぐん速度を上げていく。もうフードを被っていようとするだけ無駄というもので、風に持っていかれないようレインナードさんの首にしがみつくので精いっぱいだった。

 両手でしがみつきながら、何とか周辺探査の術式を維持する。相変わらず、生き物の気配はない。風は強く、雨は勢いを増すばかり。……その最中、不意に探知の網に飛び込んでくるものがあった。

「レインナードさ――」

 呼びきるよりも早く、視界の端を何かが霞めた。一瞬ばかり、雨天の暗がりが白く照らし上げられる。光だ、と当たり前の認識が遅れて脳内を駆け抜けるも、またしても言葉を口に出すことはできなかった。

 どおん、ごろごろ。鼓膜が破れそうな轟音が全身を震わせる。その衝撃に呆然とせずに済んだのは、ひとえに展開し続けていた術式の賜物だった。頭上から転がり落ちてくる、とんでもない巨大質量。その認識が悠長に呆けていることを許さない。

「上! 落石です! それから、光――」

 叫ぶのと前後して、ガクンと身体が揺れた。爆発的な跳躍。数秒前まで私たちがいた場所を巨大な岩塊が直撃し、道を崩しながら岩肌を伝って地上へと転がってゆく。しかし、広く頑丈な山道を潰すほどの落石が生じるほどであればこそ、一つで終わる訳がない。

 頭上から次々に落ちてくる落石の群れを避け、時に槍で打ち払いながら、レインナードさんは駆ける。この分なら、じきに落石の範囲から抜けられそうだ。

 ホッと息を吐きかけた刹那、全身の毛が逆立つに似た感覚に囚われた。探索術式に新たな反応。光。早い。狙っている。――そう、光だ。思えば、どうして私は先刻「雷」ではなく「光」と叫んだのか。

 初めに視界の端で(・・・・・)光を見た。それが上からのものではなかったのが、まずおかしかったのだ。その次に聞いた轟音は、地上から放たれた光が山体を穿った音であり、崩れた山肌から岩が転がり落ちる音だった。

 ……つまり、一連の事態は何者かによる地上からの攻撃に他ならない。

 誰が、何故そんなことを。疑問は後から後から浮かんでくるものの、今は思考を割くべきでない。私たちを阻み、殺そうとしているものがいる。それが分かっているだけで十分だ。他のことは、状況が落ち着いてから考えればいい。

 外套の下の上着のポケットに手を突っ込み、小石をいくつか掴みだす。売り物にならない屑石といえど、立派な鉱物だ。夏期休暇の課題制作の合間の息抜きで、簡易的な魔道具として仕立てた。予め術式を込めておき、魔力を通すだけで即時の発動を成さしめる。

 邪気払いの黒水晶。元々が自衛の手段として考えたものだ。今の状況でも、きっと効く。

開式(セット)――護れ(オギューズ)!」

 宙へ投げた小石が内包した魔力を放って輝き、透けた黒の障壁を生成する。その壁に真っ向から衝突するは、一条の光線。魔力で編まれた一矢は障壁と相殺し合うと、魔力の残滓を散らして消えた。

「あれがさっきの元凶だな」

「おそらくは。地上、森の中から狙撃してきていますね」

 二つ目の避難所を過ぎた辺りから、地上に緑が目立ち始めていた。今はもう完全に鬱蒼とした森になっていて、その中に何がいるのかは見て取れない。逆に、森の中からは山道を行く人影は見つけやすいことだろう。ひどい雨の中なので、比較的という程度には留まるにしても。

「距離はざっと三〇〇〇。どう考えても弓の射程じゃありません。何かしらの魔術で補強しているか、大規模な長距離狙撃武器……兵器? 的なものを使っているとかかとは思いますが」

「攻城兵器のようなデケえ類は小回りが利かねえと相場が決まってる。射程の外に出られりゃいいが、難しいだろうな」

「これだけの長射程なら、相当な範囲をカバーできそうですからね。……次、また来ます!」

 森の方でチカッと光るものを見たと同時、二つ目の黒水晶を投げる。飛来した光の矢は黒い障壁に阻まれるも、刹那の拮抗の末に障壁を破り、レインナードさんが駆け抜けた後の岩壁に着弾した。敵方が完全に私たちを仕留める気で射てきているのは間違いない。

「この長距離でこれだけの威力を保っている割に、次の矢を射るまでの間隔が短い。相当に腕がいいのか、それだけの装備を揃えてきているのか……。次はこちらも抜かれないだけの硬度を出しますが、手元にある石がなくなったら術式構築の速度で負ける可能性があります。そうなったら、後はもうレインナードさんに頼るしかありません」

「射られねえように走り抜けろってか。やれと言われりゃやるが、この天気じゃ容易じゃねえわな。それに、いつまでも律義に俺たちを狙い続ける保証もねえ」

「ええ。ですから、こちらからも射返すしかない」

「言いてえことは分かるが、敵は弓の射程の外から射てきてんだろ? 届かせられんのか」

「ただの弓矢なら無理です。でも、幸い私は弓術以外にも手札があるので――」

 喋っている最中にも飛来する三度目の矢。多めに魔力を込めた小石を投げれば、受け止める障壁が顕現する。今度は貫通されることも、相殺されることもなく阻みきった。

「防御用の石は残り二つ。これを預けても構いませんか。もう一度向こうに撃たせてから射返します」

「分かった。その時は止まってた方がいいよな」

「可能であれば」

 レインナードさんに小石を預ける傍ら、弓を取り出して弦を張る。この雨と風で超長距離の狙撃を行おうというのだから、探査魔術の並行展開は必須だ。同時に、この雨と風と距離では純粋に矢を飛ばして中てるにも補助がいる。

 登山で多分に疲れていた身体でやるには、正直かなり荷が重い。いくら魔力が有り余っていようとも、身体の方がその行使に耐えられなければ片手落ちだ。そういう意味でも、十全に魔術を行使するには強靭な肉体が不可欠だというアルドワン講師の教えは正しい。

「つーか、止まる以前に下ろした方が射やすいよな。どうする、頃合いを見て腰を据えるか?」

「いえ、これくらいなら大丈夫です。落ちないようにだけ支えていてもらえれば。……ただ、敵がこちらの抵抗を計算に入れて攻勢を強めてくる可能性も否定できません。そこまで織り込んで反撃に出るつもりですが、どうしても体力も魔力も消費しますから」

「倒れるかもってか? そこまでしなくていい……とも、この状況じゃ言ってられねえか」

 つまらねえ意地を張って博打に出ていい場面でもねえ、と渋い顔をしてレインナードさんが呟く。

 レインナードさんの身体能力と機転に賭けて、敵の射程外へ逃げきるという選択肢も全くない訳ではない。ただ、やはりそれは「博打」なのだ。向こうは明らかに攻勢を強めている。精度と威力をいや増し、確実に仕留める気でいるのだ。とはいえ、敵方にも付け入る隙はあった。

 本来ならば、厄介なことに敵は必ずしも私たちに攻撃を命中させる必要はないのだ。山越えを阻むのが目的なら、もう一度道を破壊してしまえばそれで済む。進行方向の道を飛び移ることもできないほど広範に破壊されてしまえば、私たちになす術はない。既に退路も断たれているのだから。にもかかわらず、敵は直接的に私たちを狙い続けている。

 狙撃の手腕は並々ならぬものを持っている。けれど、おそらくはそれだけだ。標的を射て仕留めるという点においては、お世辞にも玄人とは言えない。ただし……いや、だからこそか。命中させられないことに焦れて、形振り構わず全て破壊してしまえという自棄を起こさないとも言い切れなかった。

 そうなったところで打つ手がない訳ではないにしても、絶対的に消耗は大きくなるし、隙もできやすくなる。その前に勝負を決めてしまいたい。

「敵が手段を選ばなくなったら、山越えどころではなくなってしまいますからね。とはいえ、私が使い物にならなくなったら、それはそれでレインナードさんの負担が増えてしまいますが」

「まあ、何がどうなろうと収拾は付けるさ。後のことは心配すんな」

 軽く――それでいて揺るぎない自信に満ちた答え。ありがとうございます、と答えがてらレインナードさんの腕の中で姿勢を変え、観測し続けている敵へと正対する。弓を構え、矢をつがえて弦を引き絞る。そうして狙いを定めていても、まだ四矢目は飛んでこない。諦めた、ということもないはずだ。

 探査術式を通じて、森の中の魔力の気配は捕捉している。撤退の気配はない。ただ、魔力の収束度合いがこれまでにも比して高くなっていた。こちらが防御を硬くしたのを見て、威力を高めて射貫こうという腹積もりか、それとも……。

 いずれにしても、私の役割は敵を射抜くこと以外の何物でもない。どんな攻勢を企んでいるとしても、レインナードさんであれば捌ききってくれるはず。余計なことは考えず、自分の仕事に集中すべきだ。弓を射て中てるのならば、何も悩むことも不安に思うこともない。小さい頃から磨き上げたという蓄積をもって、疑う余地のない確信となる。

 矢をつがえる手を通じ、魔力を注ぐ。こちらに関しては細かい文言は省いてもいい。その程度で心揺れるような、柔な鍛え方はされなかった。

「四射目、来るぞ!」

 警告の声が上がると同時、視界の真正面に光を見る。レインナードさんの投げた小石の障壁が矢の着弾を防ぐ。込められた魔力に比例して顕現する壁は、私が過去三度造り出したどれよりも分厚く硬く、罅を入れられこそしても破られることはなかった。矢が散り、見事役目を果たした壁が自壊してゆく。

「お見事!」

「任されたからな! 俺たちの移動距離と狙撃角度から計算しても、敵は動いてねえ。いけるか!」

「お任せを」

 答えると同時、レインナードさんが足を止めた。振動が止めば、私の身体の揺れも止まる。その瞬間、崩落する欠片の合間を縫って矢を放ち――

「オイ、次が速えな!?」

 新たな光を見た。

 閃光の奔る軌道は、こちらの放った矢と過たず同一。真っ向から衝突し、激しい光と衝撃を伴いながら打ち消し合う。さりとて、さほどの驚きもなかった。あれだけ魔力を収束させていたのだから、敵方も何かしらの策を練っていて当然だ。

 ゆえに、私もまた矢を射た後の、空の指で再び弓弦を引く。

「ライゼル? 矢は――」

 魔力だけを基に、無から有を作り出す術については未だに慣れたとすら言えなかった。だとしても……そう、何度でも言おう。弓矢でもって標的を射貫くことにかけては、何の不安も疑いもないのだから。

 私を鍛え上げたのは、村どころか近隣一帯ですら並ぶものなしと謳われ名を知られる猟師だ。その教え子が、どうして弓の射合いで後れを取れる。

 先の矢から詠唱を省いた余力で、予めこちらの構築も始めていた。探査魔術と物理矢の補助と、魔術矢の構築。三つの魔術を並行して走らせるのは消耗も大きく、急激な魔力の消費の余波でズキズキと頭が痛み始めている。それでも、無理を押した甲斐は間違いなくあった。

 おそらく、あちらも相応の無理をしている。けれど、初動の差の分だけ私の方が速い。空の指に矢を掴む。ぎりりと弓弦を引き絞り、今度こそ狙うは森の中の狙撃者。

開式(セット)――私の風矢は(エザク・)其を穿つ(ユトナク)!」

 矢を放つ。雨を裂き、風を従えて飛ぶ一矢は、今度こそ定めた標的を射抜くだろう。それは推測ではなく、確信だった。

 だが、敵も生中な腕……いや、覚悟ではなかった。

「レインナードさん、最後の矢が来ます! でも、私たちを狙ってない!」

 敵は最後に文字通り捨て身の攻撃に出た。私たちを直接狙えば、矢は射落とされる。よって、私たちを仕留める為に私たちを狙わないことにした。――それで、自分が矢を受けるとしても。

 迫る光は一条かと思いきや、途中で無数の散弾と化す。それが周囲の山肌へと降り注ぐのと前後して、索敵の術式伝いにそれ(・・)を感じた。射た矢の命中。そして、標的の破砕(・・)

 もしかして、狙撃手の正体は。思い至ると同時に「早く伝えなければ」と猛烈な焦りが込み上げてきたものの、それを伝える前にぐるんと視界が回り、視界が暗転した。


 * * *


「レインナードさん、最後の矢が来ます! でも、私たちを狙ってない!」

 叫ぶ声が聞こえたと同時、ヴィゴは射られた光が無数に分裂する様を見た。

 飛来する光の矢を真っ向から射落とすという曲芸をもって、ライゼルの腕の程は証明されている。迎撃しない限り、その矢は確実に標的を射抜く。

 ――で、あるならば。

「野郎、最後に捨て身ときやがったか!」

 敵も矢を受けることを承知の上で、最後の一手を放ったに違いない。

 低く毒づき、ヴィゴは腕の中の娘を抱え直す。最後の力を振り絞って警告を発したのか、今や眼を閉じて完全に意識を失っていると思しい。早急にどこか安全な場所に移動する必要があった。しかし、走り出そうとした瞬間に凄まじい振動が岩山を揺らした。

 先刻の光が山道の周囲に命中したのだとは分かっていたが、それで納得できる訳でも、問題が解決する訳でもない。舌打ちをすると、ヴィゴは今度こそ走り出した。

駛駆(ジグラ)!」

 魔術による強化の施された脚力は、常人の目に留まらぬほどの爆発的な疾走を見せる。……だが、この激しい驟雨に加え、既に二度の狙撃を受けていた。山体の表面も、少なからず脆くなっていたのだろう。

 頭上から音を立てて降り注ぐ落石があったかと思えば、山道も瞬く間にあちらこちらから罅が入り始める。いくら駆ける足が速くとも、落石を斬り払いながらでは本来の速度を発揮し得ない。三度落石を退けた時、道を踏んだはずのヴィゴの足が沈んだ。

 一瞬前までは形を保っていたはずの道が、細かな砕石となって地上へ落下してゆく。しかし、宙を踏み抜いた足が、それ以上に落ちていくことはなかった。ヴィゴは岩壁へ突き立てた槍でもって身体を支えるや、まだ崩壊を免れている前方の道へと跳ぼうとしたが、

「おいおい、ここはくたばっとくトコだろうがよ」

 視界の端に閃く光を捉え、唇を歪めた。

 当初の狙撃に比べれば、その威力と速度が格段に落ちていることは一瞥にして知れる。その程度であれば、槍で打ち払うのは造作もない。だが、空中で狙撃に対処すること自体が容易でなかった。

 岸壁から引き抜いた槍を揮う。銀の刃が光を弾き散らす。やはり軽く迎撃できる威力でしかなかったが、そこで一手使わせることが敵の狙いだったのだろう。次々に着弾する光が行く手の道を砕いてゆく。ヴィゴも器用に空中で身体を捻り、再び槍を岸壁に突き立てて落下を防ごうとしたが――

「こンの、邪魔ばっかしやがって!」

 更なる追撃が岸壁を穿つ。岸壁ごと槍が剥がされてしまえば、落下が再開するのは自明の理だった。

 本意ならず空中へ身を躍らせることとなったヴィゴの脳裏で、様々な計算が巡る。岸壁を駆け上がって山越えを再開するか。だが、敵も徹底してそれを阻もうとするだろう。自分一人であればどうとでもなるが、気を失った娘を抱えた身の上にはあまりに危険が大きすぎる。

 思考する間にも、光がヴィゴの眼前に迫ろうとしていた。もはや悩んでいる時間はない。

「仕方ねえなァ!」

 呻きとも怒号ともつかない声を発し、槍を揮う。光を打ち払う余波で、刃に刺さっていた岩片が砕けて落ちた。槍を揮う所作を利用して体勢を変え、岸壁に足をつけると勢いよく蹴る。

 眼下の森は背の高い木々が鬱蒼として生え並び、隠れる場所にも事欠かない。そうでなくとも、標的が高所から下りれば狙撃手は狙いをつける術を失う。ヴィゴの脚で速力を増した落下は、もはや飛翔に近い。山道付近から木々の間へ到達するにも、ものの数秒とかからなかった。

 そのわずかな猶予すら縫って狙撃の光が差し向けられたが、命中するには至らない。苦し紛れの光が、どうしてその傭兵の槍を超えられよう。これまで同様に弾かれ、霧散して終わる。

「覚えてやがれ、次は必ず仕留めてやる」

 にい、とヴィゴは獰猛に笑い、それきり勝ちを逃した狙撃手のことは意識に追いやったようだった。

 真下に迫る緑を一瞥するや、短い「衛楯(アリフォ)」の詠唱をもって防御障壁を生成。球体状に展開させ、自らを包み込むと真っ直ぐに背の高い大木の上と落ちてゆく。幾重にも生え並んだ枝を下敷きにへし折りながら減速し、やおら障壁を解いたかと思うと、一際太く伸びた枝に右腕を巻き付ける。

 ミシミシと嫌な音を立てて枝がしなるも、折れるまでには至らない。ヴィゴの体躯が振り子に似て大きく揺れ、また少し周囲の枝葉を蹴散らしたが、当人は全くの無傷だった。そして、腕に抱えた少女も。 

「とりあえず、まずは仕切り直しだな」

 あっさりとした声で呟くや、腕で抱え込んでいた枝を離し、頑丈そうな枝から枝へと飛び移るような格好で下へ下へと移動してゆく。大荷物と人間一人を抱えているとは思えぬ速さで地面に降り立てば、未ださほど雨脚の弱まらない土砂降りの如くに千切れた葉や折れた小枝が周囲でふわりと舞った。

 派手に樹木を巻き込んだ落下を演じた割には、地面もさほど濡れていない。頭上で十重二十重の層を成す枝葉が、降りしきる雫を落ち切る前に梢の先に運んでゆくのだろう。しばし頭上を見上げた後、ヴィゴは木の根元に歩み寄って腰を下ろした。

 長々と留まっていられる余裕がある訳でもないが、まずは自分もライゼルも身なりを整え直す必要がある。土砂降りの中の強行軍、挙句の果てに高所からの落下と相俟って、まさに濡れ鼠の様相を呈していた。

 まずはライゼルを乾いた地面の上に降ろし、鞄を退けた上で寝かせる。次いで自分の荷を下ろし、手早く着替えた。もっとも、問題はその後にこそ待ち構えている。

 瞑目し、深々とした嘆息を一度。それでも、それで腹は決まった。

「後で正直に報告して沙汰を受けるから、今は勘弁してくれやな」

 鞄から取り出した魔石灯を点けて照らした少女の顔は、紙のように白い。今一度その呼吸と外傷のないことを確かめてから、ヴィゴはライゼルの外套の留め金に指を掛けた。濡れて重くなった布地に四苦八苦しながら着衣を解き、乾いた布で手早く身体を拭う。

 未だかつてここまで無心になって何かをしたことがあったっけかな、とつまらない所感が脳裏を巡ったのは、半ばは意図したことでもあった。如何せん辺りは暗く、魔石灯があっても手元を照らしきるには足らない。

 布を介して直接触れぬように図っていても、時たま指先に触れる肌の冷たさ。焦点を外して視認の範囲を少なくすべく努めていても、否応なしに眼に入る白く細い四肢。そういうものに気を取られ過ぎないようにするには、思考もまた脇道に逸れておくくらいでちょうど良かった。

 しかし、乾いた服に着替えさせても、気を失った少女は一向に目を覚ます気配がない。呼吸も正常であり、熱を出しているという風にも見えなかった。それでも不安であることに変わりはない。自分の鞄から薄手の毛布を引き出し、ライゼルを両腕に抱えて巨木の根元に座り込んでから羽織る。

 雨が止まない以上は、この場で天気が変わるのを待つしかない。降りしきる雨のせいか夏の季節が嘘のように肌寒かったが、それ以上に寒々しい気分だった。ヴィゴはため息を吐き、腕の中の少女を抱え直す。冷えた身体に、わずかでも熱を分け与えられるように。

 それは、限りなく祈りに近い所作だった。

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