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07:怒れる戦車の島-4

4.南の街へ



「今度は鉱山でトラブル、ですか」

 研究所において、外からの情報を真っ先に受けるのは事務室だ。俄かに騒がしくなった所内を縫ってエレーヌさんに会いに行くと、そのような回答が得られた。前回とは違い、純粋に事態の発端のみを語るシンプルな言葉だった。

 事務室内の慌てぶりを見るに、仮にそれ以上の情報が入っていても軽々に開示してはもらえるとも思えない。お仕事の邪魔をしてはいけないと応接室に戻ってはきたものの、私もレインナードさんもため息を吐くしかなかった。

「当初の思惑とは違うが、確かにここらで切り上げた方がいいかもな。この島で、明らかに今何かが起ころうとしてる――ないし、起こってるのは間違いねえ。本格的に巻き込まれちまったら面倒だ」

「そうですね。何が起こっているのか分からないまま巻き込まれるほど、怖いこともないですし」

 元々そろそろ出立しようかという話をしていたのだ。レインナードさんの提案にも否やはない。

 兎にも角にも、状況が不可解過ぎた。魔石を核として生命を吹き込む自動人形を主力商品とするからには、アルマの島にとって多種多様な魔石を算出する鉱山は生命線そのものとなる。その扱いがぞんざいであるはずはなく、日夜細心の注意を払って運営されているに違いない。それなのに、石切り場に続いて異変が起こる?

 本当に両方、偶然の事故かもしれない。けれど、危険だと感じたのなら、その感覚を無視するなと教えられた。山では些細な兆候を見逃したが為に命取りになることも間々ある。そうならないよう、常に細心の注意を払えとサロモンさんはいつも言っていた。

 ここは山ではないけれど、状況に即して立ち回って生き延びねばならないという点で大差はない。課題の完遂にこだわって、それで怪我でもしては本末転倒だ。ちゃんと生きて帰れば、後でどうとでも取り戻せるのだから。

「今日のうちに船に乗れるようだったら乗ってしまいますか?」

「その方がいいな。こういうのは後手に回って良いことはねえ。――ちと(はえ)えが、南の島で骨休めと洒落込もうぜ」

 おどけた風で付け足された一言は、おそらく私の緊張を解してくれようとしてのことだったのだろう。いいですね、と頷いて答えた時、

「……客か?」

 やおらレインナードさんの眼光が鋭くなった。

 コンコン、と扉をノックする音。明白に問う眼差しが向けられ、それに頷き返してみれば低い声が「誰だ」と問うた。

「……ソイカだ」

 短い間をおいて返された名乗りに、思わずレインナードさんと顔を見合わせる。かの御仁との対面はほとんど一瞬で、声を覚えられるほどのものでもなかった。今この時点で真偽の判断を下すのは不可能に近い。

 レインナードさんが小声で「いいか」と問うのに再び頷き返し、今度は私が声を上げた。

「どうぞ」

 わずかな間の後、カチャリと小さな音を立てて扉が開けられる。顔を覗かせたのは、過たず初日にほんの少しだけ顔を合わせたきりの技師の御仁だった。

 隣の席に座っていたレインナードさんが、纏う空気をわずかに硬くさせる。

「今まで意固地に知らぬ存ぜぬを通してきたってのに、どんな風の吹き回しだ?」

 問う声もまたお世辞にも友好的な響きをしてはいなかったものの、ソイカ技師は意に介した風もなく部屋の中へ入ってきた。その眼差しはひたと私へと据えられており、手には小さな巻紙が携えられている。

「サインが要るのだろう」

 ぶっきらぼうな響きと共に差し出されたのは、まさにその巻紙だった。

 まさか、と目を丸くせざるを得なかったものの、ここでいつまでも呆けていては失礼だ。慌てて立ち上がり、扉の方へ足を進める。レインナードさんも後ろにくっついてきたのは、念の為の警備か。

 ソイカ技師の前まで近付き、掌を上にした手を恐る恐る出してみる。こちらの緊張を他所に、あっさりとした様子で掌に巻紙が置かれた。厚手で手触りの良い、上質な紙だ。

「何書いてある?」

 私の頭の上から覗き込んでいるであろうレインナードさんに訊かれたので、一応「拝見します」と断りを入れてから巻紙を開く。

 その中に書かれていたのは、それほど長い文章ではない。ライゼル・ハントが課題を十全に果たしたと証明するという一文と、ルカーシュ・ソイカという崩し字の署名。青みを帯びた黒のインクを用いた、丁寧な筆跡だった。

「これは……よろしいのですか」

「君はよく働き、よく学び、己に出来得ることを尽くした。俺は君に関わらずにいたが、君の様子は見ていた」

 戸惑い半分に見上げる私へ、ソイカ技師は淡々と言って返す。全く気付いていなかったけれど、自動人形でも派遣していたのだろう。

 一瞬だけ背後に視線を向ければ、ほんのわずかに首を横に振る仕草。レインナードさんでも感知できていなかったのだとすれば、相当な(わざ)だ。さすがはアルマ島長直下の疑似生命工学技師、その腕の凄まじさは推して知るべしか……。

「これで課題を果たしたことになるな? すぐに荷物を纏め、この島から出て行け。今なら間に合うかもしれん。間に合わなければ、ヴァラソン山を越えて南の街へ向かえ。南からならば、監視の目をくぐって船を出せる可能性がある」

 その言葉を聞いた瞬間、小さく息を呑んだレインナードさんが勢いよく踵を返した。机に置いていた数少ない荷物を取りまとめ、今にも私を担ぎ上げんばかりの勢いで戻ってくる。その表情はいつになく真剣――いや、深刻に見えた。

「これで決まりだ。今すぐ島を出る」

 了解です、と頷きながら、レインナードさんの手から鞄を受け取って背負う。

 ソイカ技師が多くを語らないのは、おそらく語れないからだ。これまでの事故についても情報共有の度合いが奇妙だったし、今も緘口令を敷かれている可能性が高い。何らかの尋常でない騒ぎが起こっているのは明らかだ。

「ソイカ技師、多々ご迷惑をお掛け致しました。その上でのご厚情、誠に痛み入ります。このご恩は、いずれ何かの折に」

 どうにも忙しなくはなってしまうものの、お礼を言って頭を下げる。そうして顔を上げると、意外な表情が目に入った。

 ソイカ技師は、何やら怪訝そうな顔をしていらっしゃるのである。

「君は歳の割に堂に入った振る舞いをするが、人間を使うのに苦手意識でもあるのか? 従者はもう少し上手く御した方がいい」

「はい?」

 従者。全くもって予想だにしない文言が出てきたお陰で、素っ頓狂な声が出てしまった。一瞬遅れて我に返り、首を横に振る。

「いえ、こちらの方は護衛として契約させていただいている傭兵の方です。従者ではありません」

「わざわざ傭兵を雇っているのか? 物好きだな。それとも生家と折り合いでもよくないのか」

 そこまでの台詞を聞き、ようやっとソイカ技師が何を言わんとしているのか理解することができた。

 アシメニオス王立魔導学院の在校生は、基本的に貴族だ。その身分であれば、わざわざ傭兵を雇うこともないと考えるものだろうし、きちんと従者を従える器量を持つのも一つの役割ではあるのだろう。

 私がこれまで接してきた技師さんの中には、雑談の中で喋って私が平民であると知っている人も少なくはない。しかし、ソイカ技師とは最初に会話とも言えない会話をしたきりで、以後も「見ていた」だけの関わりに留まる。その身の上話を知っていようはずもなかった。

「生家との関係は至極良好ですが、故郷を離れて王都で単身学生生活を営んでいる平民の身の上では、従者という概念は別世界のものに近くありますので」

 そこまで喋って、少し考える。この話題を続ける気はないし、その意味もないけれど、最後に一つ聞いておきたいことはなくもなかった。

「――話を戻しますが、この島で起こっていることについて、緘口令が敷かれているのではありませんか。それなのに私たちに助言をしてしまって、お咎めを受けることになったりは」

「何の話だ」

 素っ気ない口調の一言に「えっ」と目を開くも、

「俺は何も教えてはいない。同職の長上として、今後について助言をしただけだ」

 その後に続く言葉が聞こえるに至り、自然と再び頭が下がった。ありがとうございます、と心底からの感謝でもって重ねて述べる。

「礼を言うなら、またこの研究所を訪ねてくれ。仕事が立て込んでその余裕を捻出できなかったのも事実だが、浮遊島の傀儡魔術という貴重な話題を聞き損ねたのは正直後悔している」

 そのまま淡々と続けられた時には、少し笑ってしまったけれど。

「もちろん、喜んで。ソイカ技師も壮健でいらっしゃいますよう」

「ああ。帰り道は長くかかるだろう。気を付けたまえ」



 ソイカ技師に別れを告げ、研究所を飛び出した私とレインナードさんは全速力で街の宿へと戻った。手早く荷物をまとめ直し、港へと向かう。……しかし、事態はそれですら遅きに失していた。

 船出を待つ人たちでごった返す港では、口々に所感を述べる人たちの声で満ち満ちている。何でいきなり。今日中に発たなければならないのに。どうして。そのようにこぼしていながらも、意外に怒声の類は聞こえてこない。それどころか、どこかしら委縮している雰囲気さえ感じられた。

「混乱している割に、静かですね」

 港の入り口から内部を眺め、ついそんな台詞が口を突いて出る。

「そりゃあな。――あれ見えるか」

 それを聞き留めたレインナードさんが指差して示すのは、港の奥の方――船着き場に近い辺りの一隅だ。何やらずらりと人影が並んでいる。見るからに筋骨隆々とした、船乗りとしても立派過ぎるくらいの体躯の男性たち。

「あれが噂の戦士団の奴らなんじゃねえか。島長の命で港を封鎖してんだろう」

「ああ、それでソイカ技師も『監視の目をくぐって』と言っていた訳ですね」

「たぶんな。これだけ目を光らせてるなら、隠れて出航も無理そうだ。山を越えて南に向かうぞ」

 迷うことなく踵を返すレインナードさんに続き、港を離れる。港は物々しい様相ではあったけれど、街中は嘘のように平穏そのものだった。不安そうな顔をした人の姿はそこここに窺えるけれど、街にもまだ詳しい情報が伝わっていないのか、困惑しながらも現状を維持しておこうという様子が見られる。

 お店も閉まってはいなかったので、あちこちを巡って山越えに必要な装備を整え、戦闘を想定した装備も身に着けておいた。山に入る時にお決まりの外套、胸当て、脚絆を着けた後で手首から肘までにざっくり晒しを巻く。矢は最低限しか持ってきていないので、いざとなれば自分で作るしかない。

 準備が整った後は、レインナードさんの先導で街を出る。向かうのは一路ヴァラソン山だ。

「山に入るには、街から真っ直ぐ南へ下る。山越えのルートは一つきりで、山の中腹を東回りに抜ける。大人の足で一日半かかる上に、山道も相当厳しいらしい。事実上、その山が島を南北に分断してる感じだな。普通は四日五日かけて麓を迂回するか、船で海を行くのが基本なんだと」

「今は迂回している余裕はないし、海は根本的に無理ですもんね」

「そういうこった。だから、とにかく早く南の街へ向かう。そこも既にある程度戦士団による監視網が敷かれちゃいるだろうが、島長の膝元の北よりは緩む余地もある……と期待する」

「難しそうな賭けですねえ」

 正直、苦笑する以外の反応が思い浮かばないくらいだ。それでも、脱出の余地があるのなら賭けてみたい。腰を据えて状況を分析し、打開策を探るのは全ての可能性が潰えてからでもいい。

「それにしても、街道も随分と閑散としていますね」

「街道にも見張りがいるかと思ったんだがな。港の封鎖で南北に手を割いてるにしても、検問一つねえのは手薄過ぎる」

「それに、港にいた戦士の人も人間だけでしたよね。アルマの戦士団の中には自動人形兵団も含まれると聞きました。この状況で全く動員しないのも変じゃないですか」

 そうだな、と頷くレインナードさんの表情は険しい。何から何まで不穏なことばかりなのに、少しもその真相が見えてこないのだ。薄ら寒い気分になってくる。

 街での騒ぎの余波か、街道には私たちの他に人影らしい人影もなかった。頃合いを見て歩く足を早めて走り出し、少しでも距離を稼ぐべく努める。

「こっちで鞄預かったら、もう少し速度上げられっか?」

「……お願いします!」

「あいよ。どっか痛くなってきたり、息が苦しくなってきたら即知らせてくれや」

 二人分の荷物を抱えて尚余裕というか、例によって私がついてこられる速度を保って先陣を切るレインナードさんは、もはや一種のお化け的な何かのような気がしてくる。こっちは割と常に限界一歩手前に近いペースで走っているというのに……。

 とはいえ、可能な限り早く移動したい――しなければならないのも、偽らざる実情だった。準備にそれほど時間を掛けなかったとはいえ、街道に出た時点で午後の三時を回っていた。日の入りまで長く見積もっても三時間少々。

 夜に山に入るのはリスクが高すぎるから、麓で夜を越して夜明けと共に行動を開始することに決めた。明日の朝が早いだけに、山の麓へは早く着けるほど良い。峻厳な山の稜線は街からも見えていたけれど、実際にそこへ到着するには相応の時間がかかる。

 ひたすらに走り続け、その麓が見えてきたのは結局日が半ば沈んだ頃のことだった。

「険しい岩山とは話に聞いちゃいたが、ここまで荒涼としてるとはなあ」

「草木一本――とまでではないですけど、いかにも原野というか荒野って感じですね」

 麓が見えてくれば、後はもうそこまで急ぐほどでもない。走る速度が緩められるにつれて、雑談をする余裕も出てくる。

 アルマ島が瘦せて耕作に適さない土地が多いという話は聞いていたけれど、まさにこの一帯がそうした地質なのだろう。鳥獣の気配すら感じられず、地面も砂礫が目立ち緑は少ない。辛うじてぽつぽつと木が生えてはいるものの、木陰を作れるほどの植生ではなかった。

 ヴァラソン山も豊富な鉱物資源を擁する岩山で、私が慣れ親しんだ緑の山野とは一線を画す。麓に近付くにつれて、街道の周囲も荒れ地と形容する他ない無彩色の印象は強まるばかりだった。麓の一隅で辛うじて葉をつけている低木を見つけられたので、その根元を今夜の野営拠点と定める。もっとも焚火を起こせるような都合のいい枯れ枝も落ちてはいないので、暗くなりきる前に食事を済ませて寝るだけのことでしかない。

 その「寝るだけ」が今は些か難しいとも言えなくはないのだけれど。サロモンさんについて山に入り、野営をしたこともあるので露天で寝ること自体には抵抗はない。ただ、父として守ってくれる人もいない、何が起こっているのか分からない状況ですぐに寝付けるほど、私も豪胆な人間ではなかった。

「レインナードさん」

 ひそりと呼びかけた声には、すぐさま「うん?」と返事があった。傍らの頭上から。

 私は外套に包まり厚手の敷布を敷いて横になっていたけれど、レインナードさんは私の頭の少し先に槍を抱えて座っている。実態の知れない状況下では即座に反応できる姿勢を保った方がよく、二人なるべく近くにいた方がいいという判断によるものだった。

「見張りとか、立てなくて大丈夫でしょうか。……そこまで危険な魔物もいない山の中でしか夜を越したことがないので、私で役に立てるかは分からないんですけど」

「いいよ、気にすんな。何かありゃ俺が気付く。明日は山越えだ、寝付けなくても何とか寝とけ」

 無茶苦茶な言い分ではあるけれど、レインナードさんにしてもそうとしか言えないのだろう。同様にして、私も「努力します」としか答えられなかった。寝ようと思ってすぐに寝られたら苦労はない。

「よっぽど眠れなかったら、子守歌でも歌ってやるよ」

「歌お上手なんですか?」

「そりゃあもう、聞いた鳥が落ちる勢いよ」

「どっちの意味……」

 ――なんて雑談をしているうちに、少し気が抜けてきたのかもしれない。子守歌のご厄介になることもなく、意外と長くはかからず睡魔もやってきた。


 八月の日の出は、おおよそ五時前後。その少し前から起き出して身支度を整え、保存食で朝食を済ませて明るくなりきる前から出発する。

 朝になってから改めて見上げてみると、天を突く威容は山というよりは壁に似ていた。視界いっぱいに広がる、灰色のごつごつとした山肌。見るからに生命の気配に乏しい有り様は、それが主観的な感傷に過ぎないとしても、威圧的で人を寄せ付けまいとしているように見えてしまう。

 山を迂回するルートの分かれ道はとっくに過ぎた後だから、これからは山向こうへ繋がる一本道をひたすらに行く格好だ。麓は道の整備もしやすいからか、幅も広くよく均されている一方で、緩やかな斜面を進むにつれて徐々に徐々に足元は粗くなってゆく。道幅も狭まり始めていた。

 ここから先も一本道で迷うことはないらしいものの、やがては難所を通ることにもなるのだろう。余裕のあるうちに手を打っておくに越したことはない。

「レインナードさん、すみません」

 本格的な山道に入る前に――と声をかけると、数歩先を歩いていたレインナードさんが足を止めてこちらを振り返った。その目顔だけで「どうした」と問おうとしているのは明白であったので、先んじて続ける。

「念の為、新しい装備をお渡ししておきます。何らかの事故ではぐれる可能性も、全くなくはないでしょうから」

 朝食を取り出す時に予め鞄から取り出してポケットに入れていたので、今更時間を取って荷を開く必要はない。小さな布の包みを取り出すと、レインナードさんも思い当たるものがあったようで「ああ」と声を上げた。

「浮遊島のラムール石のやつか?」

「それです。小型のペンデュラムに加工して、提げられる飾りにしました」

 包みを掌の上に置き、開いてみせる。布の上に二つ並んでいるのは、ちょうど私の掌と同じくらいの長さの飾りだ。金具は銀の、簡単に言えばキーホルダーである。

 薄桃色のラムール石は縦長の雫型に近い、二つの円錐を底面で合体させたような形に整えた。表面はあまり磨かず、ラフな印象を残したのはその方が石の表面が白っぽくなって色が薄まるからだ。男性が身に着けるからには、あまり桃色が強くない方が良いのではないかと思って。

 尚、両方とも同じような未研磨仕様なのは、それなら自分の分もわざわざ磨くの面倒だな……と思った横着の結果である。私もそこまで可愛らしい意匠のものが似合うタイプではないし。

「中に光が見えますよね? 石同士が引き合う精度を上げるのと同時に、必要のない時は引き合わないように制御する術式を込めてあります。魔力を込めれば対の飾りのある方向を示すので、適宜使ってください」

 一つを指先で摘まみ上げ、まだ日の昇りきらない空に翳す。ホログラム片のようにチカチカと瞬く光が、今の時間帯ならまだ見て取りやすいはずだ。背中を丸めて飾りに顔を近付けるレインナードさんもちゃんと見ることができたのか、小さく「綺麗なもんだな」と呟くのが聞こえた。

「デザインとか、何か気になることはありますか? 調整するのはアシメニオスに帰ってからになりますけど、覚えておくようにします」

「んにゃ、文句なし。見事なもんだ」

「では、こちらを持っていてください。一応、破損防止にいくつか術をかけておいたので、その辺に引っかけて知らぬ間になくしてるということもないはずです」

 指先で摘まみ上げていた飾りをそのまま差し出せば、大きな手がおっかなびっくりと言わんばかりの所作で受け取る。掌の上に乗せ、改めてまじまじと見つめる風であったので、作った側としてはどうにも居た堪れない気分だった。

 口元がむにゃむにゃ変な動きをしそうだったので、自分もズボンのベルトループに飾りをつける体で顔を伏せる。その視界の端でレインナードさんも同じように飾りを提げるのが見えたので、これで万が一の分断も恐れることはない。

 少々時間を食ってしまったけれど、これで山越えを再開――

「じゃ、今度は俺からな。お返しって訳でもねえけど」

 ……と、思いきや。

「万が一のことが起こった時に備えてと持ってきちゃいたんだが、本当は王都に戻ってから渡すつもりでいてな。骨休みの旅行中に渡すにゃ野暮なもんだからよ」

 そう言いながら、レインナードさんは鞄の中から細長い棒状のものを取り出した。

 何かと思えば、一振りの短剣のようだ。刃渡りは二十センチ程度だろうか。女子どもでも扱うに支障がなさそうなサイズに思える。鞘も柄も美しく真白く、何なら少々神聖な……教会に属する奇跡の気配を感じるような。

「槍の改修に使うにゃ、剣と盾の二つ分は多かったかんな。鍛冶屋の親父に頼んで、短剣を仕立ててもらっといた」

 ほら、と促されるまま差し出された短剣を手に取ってみるも、触れればより一層に込められた魔力の質がよく分かる。鞘の先端や要所要所に施された補強と柄尻の飾りは疑いようもなくミスリルだし、魔除けとしてもかなり効果が高い。ちょっとした魔術や魔物の接近なら弾いてくれてしまいそうだ。

「何だか、相当な業物のように見えますけど……」

「若い嬢ちゃんにやるっつったら、鍛冶屋の親父がやたら張り切ってよ。ついでに教会で祝福してもらってきたんだと。退魔とか浄化っつってたかな」

「とんでもない逸品だった……」

 もう感嘆の声しか出なかった。普通に持っているのも気後れして、ついつい捧げ持つような手つきになってしまう。

「そんなすごいもの、いただいていいんですか? ミスリルの確保は私がいなくても問題なかった上に、むしろ私が傀儡魔術の勉強をさせてもらいましたけど」

「あん時もいろいろ調べてもらったろ。槍の礼の一環でもあるし、弓以外にも自衛手段を持っててもらえると俺の気が少し楽っつー私情もある」

 そう言って、レインナードさんは行く手に向き直り、ゆっくりと歩き出した。続きは山道を行きながら、という意図だろう。短剣を両手で持ったまま、先を行く人の横に並ぶ。

 それを見越したタイミングで、再び話が始まった。

「もちろん、それで戦えと言うつもりはねえよ。ただ、接近されると弓は難儀するだろ。そう言う時に何かしら自衛手段があっても悪くはねえ」

「そうですね、刃物を使うのは狩った獣を捌くのと料理くらいでしかやったことはありませんけど……覚えて悪いこともないでしょうし」

「な。本当なら、それ以外に使う機会なんざ来ねえ方がいいし、来ねえようにする為に俺がいる訳じゃあるんだが……どうも情勢が怪しすぎるからなあ」

 何がどうなってんだか、と苦々しげな声。その心配ももっともではあった。

 私はただ不安になったり、大丈夫かなと心配するくらいが関の山だ。しかし、レインナードさんは私というお荷物を抱えた上で、この不可解な状況に立ち向かい、打開しなければならない。そりゃあプレッシャーもかかろうという話である。

「手入れとか、基礎的な扱い方は暇を見て後で教える。とりあえず、今は何かあった時の奥の手として持っといてくれや」

「分かりました。ありがとうございます」

 そう答えてから、腰のベルトの左側に短剣を差し込む。

 実家で山に入る時は鉈や解体用の刃物を携行していくこともあったけれど、ガラジオスで暮らすようになってからはとんと無縁だ。お守りとして、と本当に小さなナイフは持たされているけれど、荷物の中に大事に閉まったままにしている。

 刃物を持ち歩くことが怖いというよりは、刃物を持ち歩いて抜いてしまった時に起こるトラブルの方が怖かった。仮に暴漢の類に絡まれたとしても、魔術でどうにかあしらえるという自信もなくはないだけ余計に。

 それからはまた黙々と足を動かし――小半時ばかりが経った頃、ついにお手本のような難所に到着した。緩やかに東回りで高度を上げ続けてきた道は、山の側面に到達したらしい。山肌を削って作られた道は小型の馬車なら通れそうな幅があるものの、今や道の外縁は切り立った断崖の様相を呈している。

 仮に落下しても、風魔術で勢いを減衰して着地すれば負傷のリスクは回避できる。だとしても、ただ立っているだけで背筋の寒くなる高さだった。

 高さが出てきたからか、天気の都合か。歩く邪魔になるほどではないものの、風も強くなりつつある。暦の上では夏の盛りだというのに、外套の襟を掻き合わせてしまう肌寒さだった。

「ここで落石や魔物には遭いたくないですね。探査の精度を上げておきます」

「頼んだ」

 これまでも周囲を探る術式は展開し続けていた。範囲指定はそのままで、感知精度を上げる。基礎的で簡単な術式でもあるし、魔力の消費も微々たるものだ。何より私自身の身を守る為でもあるので、浮遊島の探索を経た今では、レインナードさんも以前ほど気にすることなく任せてくれた。

 術式を通じて探れる範囲内では、気になるような反応はない。風の強さと気温の低さだけは気にならなくもないとはいえ、状況は総括して静かなものだった。

「……今の時点では、取り立てて異変や魔物の気配はなさそうです」

「そりゃ助かるな。――ただ、どうも風が(つえ)え。俺が先に立つから、後ろに続け。不安だったら、どっか服でも鞄でも掴んでろ」

 了解です、と答えてレインナードさんの着ているジャケットの裾を掴む。殊に山の天気は変わりやすいという。突然の雨や強風が発生しないとも限らない。ここで意地を張っている場合ではなかった。

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