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07:怒れる戦車の島-1

1.束の間の日々



 時は八月半ば、夏真っ盛り。

 国内でも指折りの晴天率を誇る王都ガラジオス、その街中がどうなっているかと言えば――

「あっつい……」

「クソあちー……」

 こういうことである。毎日のように暑さに呻く羽目になっていた。

 涼しい山間のクローロス村や高高度の空の中の浮遊島とは違い、晴天の王都は午後ともなれば、空恐ろしいまでに気温が上がる。それでも、私もレインナードさんも避暑に出掛けるという選択肢は持っていない。残念ながら、それが動かしがたい現実というものなのだった。

 私は夏期休暇のレポートを片付けたり、課題を達成する為の魔術理論をあれやこれや組み立てたりと多々やることがある。レインナードさんにしても、持ち帰ったミスリルを使って槍の柄の改修を始めたばかりで武器屋さんと連絡を取り合わねばならない。

 お互いにこの猛暑から逃れる術を持ち得ず、げんなりしているという次第なのである。尚、そうした呻きの二重奏が発生するのは主に私の部屋だ。何故かと言えば、それもまた極めて単純な話で――

「レインナードさん、もっと涼しくしてください……。魔力じゃんじゃん込めて……」

「お前、普通に俺を酷使しようとするじゃん……」

「だって、暑いじゃないですか……」

 人間、気候条件には屈しがちなものなのだ。以前にレインナードさんが採ってきてくれた氷晶花が貴重な冷房代わりとなるので、氷晶花に魔力を注いでくれるのを条件に滞在を許可していた。

「それはそれとして、何度も言ってますけど服を着てください」

「何度でも言うけど暑いからいやだ」

「駄々っ子……」

 ため息を吐きつつ、冷気が漂ってくる方へと顔を向ける。

 清風亭の部屋はいわゆるワンルームに近い間取りで、私が主に勉強場所にしているテーブルは部屋の中央に位置する。キッチンを背に窓を右手に、廊下へ続く出入り口を左手に見る格好で、正面の壁際にはベッドが置かれている。テーブルとベッドの間には比較的空間の余裕があり、今はそこに麻織物を敷いて寝転んでいる人の姿があった。

 寝転んだ自分の目と鼻の先の床に置いた花瓶――正しくはそれに入れた結晶の花に手を翳しているレインナードさんは、相変わらず上着を着ていない。残念なことに、この「上着」は「上に羽織る衣服」の意ではなく、「上半身に着る衣服」の意である。暑いとすぐに脱ぐんだから……。

 とはいえ、私もレポートを書きながら氷晶花に魔力をやることはできない。レインナードさんが冷房の動力源をしてくれていれば、素直に助かるのも事実だった。敷布の上で横になり、肘をついて頭を支えたスタイルが休日のお父さんにしか見えないとしても。それを言ったらまたショックを受けてしまうだろうから、言わずにおくけれど。

「今書いてる奴、残りどんくらいで終わる?」

「もう少しで終わりそうです。折角なので書ききってしまいたくて――お昼は少し過ぎてしまうかもしれません」

「じゃ、それ終わったら昼飯な」

「先に食べていてもらっても」

「そうやって放っといたら、別の課題やり始めて飯のこと忘れるだろ。また廊下で壁にぶつかって倒れんぞ」

「それはあの一回だけじゃないですか、そろそろ許されてもいいのでは」

「いーや、許さねえね。後一年は引きずる」

「一年……」

 では、後一年はこんな感じで食事状況に目を光らされてしまうのだろうか。

 そう思うと少しばかり困った気持ちにならなくもない一方で、どこかむず痒いような気持ちにならなくもなかった。……少なくともこの先一年は同じように過ごしていくことになると、ごく自然に思ってくれている表れでもあるのだろうし。

「まあ、その話は脇に置くとしまして、とりあえず残りを書いてしまいますので」

 我ながら言い訳っぽいなと思わずにはいられない台詞を口にしつつ、再び手元のレポート用紙に目を落とす。紙製品は豊富かつ割合安価に流通している反面、ペンの類はまだまだ古式ゆかしい。羽ペンが主流なので、出先へ筆記用具を持っていくのも一苦労だ。

 ナイフでペン先を少し削り、整え直してからインクをつけて再び筆記を開始する。今書いているのは古代魔術分析講義のレポートで、先生の用意した古代魔術の魔法陣を読み解くという問題形式のものだ。学院で様々な魔術に触れるなら絶対に必要だからと、古代語は司祭さんが早いうちから教えてくれていたので、読解自体はそれほど時間もかからない。

 ただし、読み解いた内容を順序立てて解説するという作文の工程が、少し厄介ではあった。パソコンがあれば、先に文章を打つだけ打って後で推敲するのも簡単に済む。けれど、こちらの世界ではそうもゆかないのだ。

 適当な裏紙に一度草稿を書き出して推敲、その後に清書を図る。それだけなら大した面倒ではないものの、清書をしている最中に新しく書き足したいことなどを思い付いてしまうと最悪だ。一言二言ならまだしも、一段落分くらいになると全体の整合性を見なければならない。つまり、最初から練り直しである。

 今のレポートも、そうして書き終えかけたものを最初からやり直すことになったので時間が押してしまった形だ。途中で書き足したい欲に負けなければ、余裕をもってお昼前に終わっていたのに……。

「……よし、終わりました」

 結局、全てを書き終えたのは正午を知らせる鐘が鳴って少々経ってからになってしまった。

「お、ご苦労さん。飯食いに行って大丈夫か?」

「はい。片付けは、まあ、また後でにしますから」

 氷晶花の冷気を逃さない為にも、窓は閉めている。風で紙が飛んだり、外から何か入り込んだりということもないはずだから、このままにして部屋を出ても問題にはならない。

 私が座っていた椅子から腰を上げると、レインナードさんもまた寝転んでいた姿勢から起き上がる。

「これで一つ片付いたとして、他の課題の進みはどうなんだ?」

「順調ですよ」

 椅子の背もたれに掛けていた、薄手のブラウスを羽織りながら答える。部屋の外に出るなら、さすがに半袖のシャツの上に何かしら重ねていった方がいいような気がしたので。

 夏期休暇の課題の一番の大物と言えるアルドワン講師の魔石加工学は、例の槍の改修でもって課題提出に代えてもらえる。レポートの提出を命じられた講義も他にいくつかあるけれど、魔術史学はテキストの要約なので一番初めに終わらせていたし、残りのものもそれほど難しくはない。治癒魔術学やその他の講義は休み明けの実技試験で成果を問われる形式なので、今焦って対策を練るようなものでもなかった。

「じゃあ、しばらくは暇になんのか?」

「そういう訳でもないですね。疑似生命工学という分野の講義があって、それがフィールドワークをしてのレポート提出が課題なんです」

「どっかに出掛けて、そこでアレコレ見聞きして来いってことか。疑似生命っつーと、自動人形(オートマタ)の類だよな。とすると、やっぱアルマか」

「ご名答です。そこで講師の先生の知り合いの技師の方に会えとか細かい条件もあることにはあるんですが、とにかくアルマ島に出向かないことには話が始まらなくて」

 喋りながら部屋の外――廊下に出れば、途端にむわっとした熱気が押し寄せてくる。階下の食堂には冷房が設置されているけれど、その恩恵が二階の通路にまで届く訳ではなかった。

「そんじゃ、槍が直り次第に出掛けるか。ギルドを通して手配すりゃ、多少船代も割引になった気がする」

「アルマ島でこなせるような依頼って、何かありますかね」

「その辺も含めて、今度ギルドに確認に行ってくるわ。ちょい遠いトコだから、王都でアルマ名指しのっつーと難しいかもしれねえが。船に乗る街でなら、何かあるかもな」

「ああー……」

 言われてみればもっとも過ぎて、何とも言えない微妙な相槌しか打てなかった。

 絡繰島の異名で知られるアルマ島は、アシメニオス王国の南西部海岸から船で三日ほどの海域にある。豊富な鉱物資源を抱える一方で農地に適した土地は少なく、食べ物を必要としない働き手を作るべくして擬似生命魔術が発達したのだという。アルマで作られる自動人形の精巧さは他国の追随を許さず、本当の人間かと錯覚してしまうほどに高度な知性を持つものや、感情表現豊かなものもあるのだとか。

 補足しておくと、自動人形を扱う学問が疑似生命工学で、自分から動くことのない人形やゴーレムを操る傀儡魔術とはまた別のものと分類されている。後者を専門とする魔術師は人形師とか呼ばれることもあるけれど、前者はまだ比較的新しい学問でもあることから、専門とする魔術師は疑似生命工学技師と長い名前で呼ばれることが多い。

「まあ、アルマも鉱石だの金属だのなら見つけやすいだろ。その手の採集依頼なら、多少は見つかるんじゃねえか。――船の手配とかの日程の話は、まあ、飯を食いながらにするか」

「そうですね。今日のお昼は何にしようかな……」

「冷たいもんか、敢えて辛いもんでも食うか。迷うなあ」

「レインナードさんて、結構辛いもの好きですよね」

「美味いだろ」

 そんな話をしながら一階に降りて、一緒にお昼ご飯を食べた。実際には、その後もレインナードさんは私の部屋で涼んでいたので夕ご飯も一緒に食べたし、私が徹夜するのを防ごうと夜もそれなりの時間まで滞在してから自分の部屋に帰っていった。

 何だか「おはよう」から「おやすみ」まで一緒みたいな生活が最近の日常となりつつあるのだけれど、如何せん夏の暑さを前にしては致し方のないことなのである。あと、外出した時はわざわざお土産に美味しいお菓子やよく冷えた果物を買ってきてくれるので、余計に邪険にできないというか。

 ……いや、順調に餌付けされているとか、そういう訳ではない……はず……。たぶん……。



 レインナードさんの槍の柄の加工が終わったと連絡がきたのは、ちょうど私が最後のレポートを書き終えた日のことだった。改造を終えた槍に施す術式の理論も既に組み立ててあるので、後はアルドワン講師の予定を確認するだけ。

 用事がある時は学院に手紙を送ってくれればいいとおっしゃっていた通り、出した手紙にはすぐ返事が来た。幸い、直近ではそれほど予定も立て込んでいないという。

 手紙のやり取りを始めて三日後の午前十時に時間を取っていただけるということで話は決まり、私も最後の仕上げに勤しむことになった。人様の仕事道具に関わるからには、可能な限り精度を上げておかねばならない。

 約束の日は少し雲が多いものの、空模様は悪くない様子だった。未だ和らぐ兆しが微塵もない暑さに辟易しながら、歩いて学院へと向かう。基本的に学院は部外者の立ち入りを禁じているけれど、レインナードさんの同行については事前にアルドワン講師が手続きをしてくださっているはずなので、私たちはただ歩いていくだけでいい。

 正門ではいつも通り私は認証をパスし、レインナードさんは正門脇の守衛さんの詰め所を訪ねて許可をもらってから扉をくぐる。

「あれが講堂、そっちは図書館、あの見るからに豪勢なのは寮です。名目上は身分を問わずに入れることにはなっているのですけど、費用がとんでもないので……」

 こんな機会も滅多にないだろうし、目的地へ向かう道すがら、あちこち施設案内などしてみる。レインナードさんが学院を訪ねる次の機会もまずないだろうけれど、まあ、気分で。

「費用対効果を見て、今の宿に下宿してるって訳か」

「よく言えば、そんなところです」

「まあ、俺にとってもその方が助かるけどな」

「助かる?」

「あんなトコ、入り込むのも一苦労だろ」

「一苦労の前に、不法侵入で捕まると思いますけど……」

「捕まるようなヘマはしねえぞ」

 ケロリと返されて、一瞬の沈黙。そういう問題じゃないのでは、と思いもしたけれど、私が寮に入っていない以上は起こり得ない事態だ。流しておくことにしよう。

「んで、普段はどの辺で勉強してんだ?」

「あの辺りですね。講義室が集まっていて――その時の講義内容によりけり、講堂を使ったりもしますけど」

「じゃあ、今日もその部屋を使うのか」

「いえ、今日は特別に先生個人の研究室で」

 こっちです、と先導しながら、講義室のある本校舎へ続く道を逸れる。今回の目的地は、本校舎よりも更に奥に位置していた。

 講義室はあくまで授業で使う為の部屋であって、各講師陣が拠点にしている部屋はまた別にあるのだ。学院の敷地内でも一等奥まった場所に居を構える大きな館の中に、それぞれ研究の場となる部屋が与えられている。本来の「叡智の館」という名前は埃をかぶって久しく、学生からは「奇人館」だの「変人の巣窟」だのと些か敬意を欠いた呼び方をされてはいるものの。

 国内有数の魔術師たちが集うからには、その館の規模も相応のものとなる。一部屋あたりの広さも確保しなければならない上、研究される魔術が何をどう影響するやら知れたものではないので、物理的のみならず魔術的な防備も厳にせねばならない。

 館というよりは要塞に近い重厚さの建物には、もちろん学生は自由に出入りすることができる。学院そのものに対するセキュリティとはまた別に部外者の立ち入りを禁じる術が施されているそうだけれど、これもまたアルドワン講師が手続きをしておいてくれるとのことなので問題はない。

 そのアルドワン講師の研究室は、館の二階にある。扉の隙間から怪しげな煙が漏れ出す部屋や、剣呑な響きの呪言が聞こえてくる部屋の前を足早に通り過ぎ、目的の部屋を訪ねると、いつも通りの穏やかな笑顔で迎えてくださった。

「いらっしゃい。準備は万端かしら?」

「万端と言い切るのは少々躊躇われますが、十全に近しくなれるようには手を尽くしました」

「そう、それは楽しみですね」

 頷いて返すアルドワン講師が手振りで部屋の中に入るよう示されたので、「失礼します」と足を進める。レインナードさんは私の後ろについてきていたので、そうすれば自然と私の後方で二人が対面する形となった。

「武闘大会での活躍は拝見しましたよ、お見事でした」

「そりゃどうも、お褒めに与り光栄で」

 短いやり取りを交わした末、大人たちが名乗り合う。レインナードさんの様子が普段に比べれば静かで事務的な印象なのは、一種の仕事モードだからだろうか。初対面の学校の先生を相手にしている訳でもあるのだし。

「――さて、あまりお喋りに時間を取られてもいけませんね。ハントさん、奥の机へ。すぐに準備に取り掛かって構いませんよ」

 アルドワン講師が示したのは、広い研究室の奥まった区画に据えられた大きな石のテーブルだった。

 天板から脚まで、その全てが真白い石を削りだして作られたと思しい重厚な逸品。天板は鏡のように磨き上げられ、壁に据えられた書架や頭上の魔石灯の光を映し込んでいた。

 そのテーブルの傍らに歩み寄り、背負ってきた鞄を足元に下ろす。その中から取り出すのは、予め用意してきた魔術陣の図案を描いたレポート用紙と、槍の改修の際に出たミスリルの粉を混ぜたインクの瓶。それから使い慣れた羽ペンだ。

 まずは魔術陣を机の上に描いてしまわなければいけない。描画中に服の裾でも触れたら大事なので、羽織ってきたブラウスは脱いで鞄の上に掛けておく。ついでに髪も今一度まとめ直して、インク瓶を開けた。

「今から陣を描きますから、描き終えてインクが乾いたら、その上に槍を置いてください」

「あいよ。今更こう言うのもなんだが、気負い過ぎねえようにな」

 はい、と頷き返し、羽ペンを手に取る。いよいよ本番だと思うと吐く息も震えそうだけれど、施術者がそんな状態ではレインナードさんも不安になってしまう。努めて平静を装い、そっとインクをつけたペン先を机の上に乗せた。

 一字一句、線の一本から点の一つまで、慎重に。何かしらの魔術でも掛けられているのか、研究室は涼しく保たれていたけれど、それでも緊張で汗が頬を伝う。それを袖で拭いながら、全てを描き終えるまでに五分ばかりがかかっただろうか。

「先生、確認をお願いできますか」

 改めて陣を見直す間を挟んでから、アルドワン講師へ呼びかける。レインナードさんが私の背後の壁際で待機しているのに対し、テーブルの向かい側に立って静観する様子であったので、それほど声を張る必要もなかった。

 書き始めから書き終わりまで、三度は読み直して確認した。自分の目では描き間違いも記述ミスも無いように思えたけれど、何かと誤字脱字はチェックをすり抜けるものだ。これも課題制作の一つに数えられる以上は、アルドワン講師の目を当てにし過ぎる訳にもゆかない。それでも一通りのチェックはしてくれるという話であったので、ここは素直に頼らせていただくことにする。

 ええ、と肯定の声だけを返したアルドワン講師の眼差しが、白い机の上に描かれた魔術陣の上を走る。平時の穏やかさとは打って変わった鋭さに、知らず息を呑んでいた。

「……よろしい。満点ですよ」

 ややあってから朗らかな笑顔と共に言われ、どっと肩の力が抜けた。大きく息を吐きだして「ありがとうございます」と答えた声は、幾分か呻くに似た響きを帯びてしまっていたかもしれない。

 まずは第一関門突破。次はインクを乾かしてしまわなければならないので、火魔術と風魔術の混成で熱すぎない程度の温風をテーブルの上へ放つ。インクが伸びてしまわないよう、風量にも気を遣わなければいけない。

 簡易ドライヤーの要領で一通り風を吹かせ、きちんと乾いたことを確認してから、今度はレインナードさんへ顔を向けた。

「槍を」

 ああ、という低い答えが返ると、長躯がテーブルの傍――私の隣へと歩み寄ってくる。その手には布に包まれた長い棒状のものが握られていた。学院を訪ねるのならばと、簡易的に梱包された槍だ。

 手早く布の覆いが外され、静かに槍が机の上へと置かれる。銀の穂先は以前と変わりがないものの、穂先のすぐ下に嵌め込まれた留め具の環にはヴァトラ石が埋め込まれ、透き通った赤色が煌めていた。柄の塗装には炎との親和性を上げる為の処置が施され、記憶の中にある色味よりも赤が強い。石突もミスリルで作り直されたので、柄の黒との対比が一層に映えていた。

 素人目にも立派な業物だ。であるからには、私も全身全霊を尽くさねばならない。

「始めます」

 小さく息を吐き、宣言。槍の上に手を翳す。黙して見守られる静寂が、少しだけ重い。

開式(セット)

 構築した陣は可能な限り精度を上げるよう尽くしたけれど、本質的にはそこまで複雑なものではない。溢れる魔力を制御し、誘導するシンプルなものだ。

「刻むは(しるべ)、捧ぐは祈り」

 まず指先で触れるのは、槍の穂先。細長い両刃の中央に刻まれた血抜きの溝をなぞるように、点々と指先で触れ、留め環のヴァトラ石まで魔力のラインを敷く。ヴァトラ石まで辿り着いたら、石の上に指を乗せたまま一呼吸。

 テーブルに描いた陣が光を帯びてゆき、込めた魔力を通じて術式を石の内部へと刻み込む。

「私の声は赫に満ちゆき、銀に道引く」

 一拍の間を置いてから、詠唱を再開。ヴァトラ石から指を離し、柄の表面をなぞって石突へと魔力の道を作る。その最中にもテーブル上の光は徐々に徐々に強くなり、柄の表面に陣の内容を転写してゆく。流線を思わせる鈍銀の術式紋が穂先の直下から石突まで到達するのを待って、術の結びと成すべく魔力を注ぎ込んだ。

猛る(ジグラ・)焔に(オベグ・)祝福を(ザゥグニ)

 いや増す光が視界を白く焼く。瞼を閉じて閃光から逃れた刹那の間の後、そこにはもう光の余韻さえなく、ちらちらとした火の粉めいた粒子が瞬いているだけだった。

 ほ、と息を吐く。留め環のヴァトラ石に、黒赤の柄に浮かび上がった紋様にと散る粒子は、術式がきちんと作用した証だ。つまり、無事に役目を果たすことができた。安堵を通り越して、腰が抜けそうなくらいの気持ちだった。

「大変素晴らしいお手並みでした。課題評価は文句なしの最優です。将来が楽しみですね」

 小さな拍手と共にアルドワン講師の声が聞こえ、放心しかけていた頭が我に返る。

「ありがとうございます。ご指導いただきましたお陰で、無事にやり遂げることができました」

 居住まいを正し、頭を下げる。それから、そうっと机の上の槍へと手を伸ばした。

 本来、この槍には予め設定した人間以外が触れると炎を発して持ち去りを防ぐという防衛機構があるのだという。私は護衛の契約を結んだ時に除外の設定をしてもらってあるので、何の問題もなく手に取ることができた。……ただ、弓に比べると槍は重い。

 取り落とさないよう、両腕から腹腔にまで力を入れて持ち直しつつレインナードさんを振り返ると、眩しいものでも見るように細められた橙の眼とかち合った。眩しいものを見るようにも何も、さっきの光が眩しかったのだろう。

 落ち着くまで待っているべきかと内心迷いかけた時、慌てたような仕草で「ああ、悪い」と頭を振るのが目に入った。

「いえ、強い光が出ると予めお伝えしておくべきでしたね。すみませんでした」

「いやまあ、そいつは大丈夫だったんだが」

「そうですか? なら良いのですけど――ともかく、施術は無事に完了しました。後は実際に使ってみてもらって、それで不都合が出てくるようでしたら都度調整しますので」

 施した術の内容については、事前に充分よく話し合ってある。ここで改めて語る必要はない。

 どうぞ、と槍を差し出すと、一転して真剣な面持ちになったレインナードさんが手を伸ばしてきた。大きな手が銀の紋様光る柄を握り込み、軽々と持ち上げる。両手でギリギリだった私とは違って、右手の一本だけで。

 周囲の書架や机を傷つけないよう、器用に持ち替える間にも鞘代わりの保護術式が発動する。ミスリルの刃が白い硬質な膜状の魔力で覆われ、更には再び布で包まれた。これで素手で触れようが、何かの拍子にぶつかろうが、槍の穂先が対象を傷つけることはない。

「分かった、そん時はよろしく頼むわ。……この後は先生からの訓示とかあったりすんのか?」

 軽く頷いてみせたレインナードさんがアルドワン講師へと視線を転じる。その問いへの返事は「いいえ」という、実にあっさりしたものだった。

「私の評価は先に述べたもので全てです。他に気になることや用事がなければ、お帰りいただいて構いませんよ」

「じゃあ、これで真っ直ぐ帰るか」

 それでいいか、と再び私の方を見たレインナードさんが問う。無事に優の評価がもらえたのであれば、私も特に今から教えを請うたりする必要はない。

「それで大丈夫です。――アルドワン講師、ありがとうございました」

 最後に軽い挨拶をし、レインナードさんと連れ立って研究室を後にする。

 館の外へ向かう帰り道は、やっぱり物々しい詠唱の文言が聞こえていたり、扉の隙間から紫の煙が漏れだしたりしている様を目の当たりにすることになったけれど、一応私たちに被害が及ぶことはなかった。


 元々午前の早い時間に動き出している上、槍の改修に関わる施術にかかった時間も大したものではない。学院の敷地を出ても、時刻はまだお昼前。少し早めのお昼と思えば、ちょうどいいくらいの塩梅ではあった。

「どこかでお昼ご飯を食べて帰りますか?」

「そうだな。学校の課題扱いになったとはいえ、いろいろ骨を折ってもらった。好きなもん食わせてやらあ」

 あっけらかんとレインナードさんは言うけれど、こちらも学院の課題に使わせてもらっている以上、そんなに気にしてもらうことはない。……とはいえ、ここで遠慮するのもレインナードさんに対してかえって失礼かもしれない。

「それなら、薄明亭にしましょう。魔力も精神もすり減らしたので、美味しいものを食べて回復したいです」

「あいよ。いつものケーキ屋はいいのか?」

「マリフェンは好きですけど、ケーキはご飯とは違うじゃないですか」

「それもそーか。じゃ、また帰りにだな」

「……もしかして」

「飯を食わせてやるっつったら、食後の一服まで含めてだろ」

 どうやら、マリフェンでもケーキを買ってくれるおつもりのようだ。さすがにもらいすぎでは、という気分になってくるのだけれど、レインナードさんは聞く耳持ってくれそうにない。また何かの時に私の出来ることでお返しすることにしよう。

 お喋りをしながら歩いていったものの、薄明亭自体が元々そこまで遠い立地にある訳でもない。到着したのもまだ開店したばかりのお店に顔を出すと、親父さんはぽかんとした様子で私たちを見返した。

「なんでえ、珍しい。どうしたんだ、こんな早くに」

「ちょいとした用事の帰りでな。俺はいつもの日替わりの。ライゼルにゃ好きなもんを好きなだけ食わしてやってくれ」

「おっ、気前がいいじゃねえか。嬢ちゃん、どうする?」

「ちょっ、ちょっと待ってください、よく考えてから選びますので……」

 私たちが今日最初のお客だったようだし、カウンターで親父さんも交えてお喋りしながらご飯を食べるのも楽しそうではある。ただ、ゆっくり食べるのなら、やはり奥のテーブル席の方が良さそうだ。

 空いていたテーブル席に着き、食べきれなかったらレインナードさんが食べてくれるというお言葉に甘えて、好きなものや気になっていたものをあれやこれや注文させてもらう。一番乗りの僥倖とでも言おうか、料理の到着もいつになく早かった。

 いただきます、と声を揃えてから机いっぱいに並んだお皿に端から手を付けてみる。どれも美味しくて、自然と頬が緩んでくるようだった。次第にお客さんが増えてゆくのを横目に料理を堪能すること暫し――ふと、レインナードさんの様子がすっかり普段通りに戻っていることに思い当たる。

「レインナードさん」

「うん?」

「学院にいた時、何だか少しよそよそしい風じゃありませんでした? お仕事仕様みたいな感じですか」

 深く考えることなく、半ば気まぐれめいた雑談のつもりで発した問いだった。そういうこともある、とか軽く応じられるのではないかと思って。

「あー……それなあ」

 しかし、レインナードさんの反応は思いがけず渋かった。ほんのりと眉根を寄せ、言葉に悩む風にすら見える。

「アルドワンっつったよな、さっきの先生」

「ええ」

 頷いて答えると、レインナードさんの眉間の皺が一層に深くなる。同時に、私の疑問も増すばかりだった。

 仕事上の応対として事務的な態度になっていたのではなく、アルドワン講師その人に思うところがあったということだろうか。その割には、私には何も言っていないのが不思議だ。私が懇意にしている学院の先生ということで、気を遣って何を言わなかったという可能性もなくはないけれど……。

 黙って続きを待っていると、レインナードさんは小さく肩をすくめた。

「武闘大会で、俺あ結構派手にやったろ」

「そうですね、結構どころか物凄く派手に」

「その辺は主観の差だよな――ってお喋りは脇に置くとして、武闘大会がどうも予想以上の広報効果を持っちまったみてえでな。あの後からいろいろ声を掛けられるようになったんだが、その中でも『騎士団に雇われないか』っつって声をかけてくる奴がしつこくってなあ」

 面倒くせえんだ、と嘆息する姿は如何にも物憂げだった。性格明朗で人当りのいい人にここまで言わしめるのなら、相当に頻繁に連絡が寄越されたりしたのかもしれない。

「んで、その騎士がアルドワンって名前な訳だ」

「ああー……」

 今度は私が何とも言えない声を上げる番だった。それは確かに、微妙な態度になってしまうのも分からなくはないような。

「たぶんですけど、さっきの先生の親戚とかの人でしょうね。あの先生も昔は宮廷魔術師をしていて、自分で部隊を指揮していたそうですから」

「で、伯爵家なんだろ。そういう氏素性まで引き合いに出してきて我を通そうとしてくるもんで、いい加減鬱陶しくなってきてよ。今はスヴェアに頼んで、奴からの手紙はギルドで止めてもらってあんだ。最初は突然ギルドに押しかけていて演説ぶって、そこで断ったら手紙攻勢っつー諦めの悪さ」

「わあ……」

 更に何とも言えない声が出てしまった。そこまで実質的な対処を始めているということは、本当によっぽど耐えかねたに違いない。

 アルドワン講師は逆に身分を鼻にかけるようなところもなく、私にとっても親しみやすい人であるものの、親族でも皆が皆同じスタンスでいるはずもない。そういうこともあるのだと想像はついても、なかなか判断に困る話だった。

「先生の身内の方ということは、いつか私もお目にかかることがあるのか……どうか……」

「あの先生と関わり続けんなら、ないとは言い切れねえだろうけど、おすすめはしねえぜ。俺に判断の権限があるなら、意地でも会わせねえようにするね」

 心底嫌そうに顔をしかめ、きっぱりとした断言。話を聞いているだけの私でさえ「そこまで」と唇の端が引きつりそうだった。

「……水面下で企むのはあまり好きじゃないんですけど、アルドワン講師に相談してみましょうか。私としても、レインナードさんを引き抜かれてしまうと困りますし」

「いや、引き抜かれる気はさらさらねえけどな」

「分かっていますよ。でも、既に実害が出ていると言っても過言でない状況でしょう。引き抜きの誘いが頻繁にかけられることが心理的な負担になって、学生生活に差し障りが出かねない。そういう風に私が相談する分には、無下にはされないと思います」

 レインナードさんは異国生まれの傭兵で、私は田舎の平民。単独でも、二人合わせても、伯爵家に連なる御仁へ対抗するのは容易でない。ここは潔く伝手を頼るべきなのじゃないだろうか。

「レインナードさんと騎士の人のやり取りなら、当人同士で解決するものだと言われるかもしれません。実際、アルドワン講師が口を挟む筋合いはないでしょうからね。だとしても、そこにまだ子どもで学院の生徒である私が相談すれば、一応の口実ができる」

「……理屈は間違ってねえかもしれねえが、お前がそこまですることもねえだろ。下手したら騎士の方に睨まれかねねえぞ」

「そこは、まあ、出たとこ勝負というか――私がアルドワン講師の下で学ぶ学生であるうちは、腹が立っても睨むだけが関の山のような気がしますよ。後は卒業するまでに私が腕を上げて、伝手を増やして睨み返せるようになっておけば」

 それで済むはず、とまでは口に出さずに、手元のスープをスプーンですくい上げて一口。ちょうどいい塩加減と凝縮された野菜の旨味が絶妙だ。こういうのを「滋味がある」というのかもしれない。スープの次は小エビのフライを一つフォークで刺し、口へと運ぶ。

 私が食事を再開する傍ら、レインナードさんは今までとはまた少し印象の異なるしかめっ面をしていた。不愉快さに端を発した険しい表情とは一線を画す、喜べばいいのか怒ればいいのか迷っているような、どこか相反する要素を含んで見える表情。

「ライゼル」

「はい?」

「槍の件と、その騎士の件と――全部ひっくるめての礼は、お前をアルマに連れてって王都にまた帰ってくるだけで足りるか」

「えっ」

 何を藪から棒に。半ば呆気に取られてテーブルの向かいへ目を向けるも、返されるのはあくまで真剣な眼差しだけだ。どう見ても冗談で言っているようには思えない。

「いえ、別に全部私が私の為にやっていることなので」

「それを鵜呑みにしたら、こっちの立つ瀬がねえだろうが」

 気にしないでください、とまで喋ることはできずに、ピシャリと言われた。妙に圧が強い……。

「働きに対する報酬はちゃんと要求しろっつったろ」

「これはそういう話ではなくないですか?」

「そういう話だよ。とりあえず、アルマへの遠征は浮遊島の時と同じように俺の方で手配しとく。いいな」

「良いか悪いかと言えば、もちろん悪くはありませんけども……」

 いよいよレインナードさんが有無を言わさぬ感じになってきた。本当に自分の利益を見込んでやっているだけのことなのに。

 とはいえ、その申し出が助かるのも事実だ。今は多少貯金に余裕が出てきているとはいえ、いつまでも呑気にしていられるほどのものではない。費用面での負担が軽くなるというのなら、お言葉に甘えてしまいたい本音も確かにあった。

「じゃあ、そういうことでな。いっそ財布を置いてくくらいでも構わねえが」

「それはさすがにどうかと……」

 いくら何でもお世話になりすぎるというか、逆に不安になってくるというか。

「遠慮すんなよ、俺だってお前ひとり養うくらい出来んだぞ」

「そりゃ凄腕の傭兵さんなら、そうでしょうけども」

 結局、それからもレインナードさんは一貫して意見を翻すことはなく、私の思惑を超えたところで再び旅が始まる予感しかしなかった。

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