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06:恋人たちの石-4

4.憂う男と一つの旅の終わり



 浮遊島滞在一日目の夜は、意外にも静かだった。

 私は寝台をお借りして横になり、レインナードさんは寝台から一番遠い壁に寄りかかって座り、それぞれに睡眠をとる。日付が変わるまでは酒場の方から人の声が聞こえていたけれど、それほど遅くまで続くものではなかった。

 やはり、ここは浮遊島で他の街とは少し違った立ち位置にあるからなのだろう。鉱石の採掘、遺跡の探索、物資の捜索……。それらの目的が第一にあるからには、そこまで夜を徹して飲酒を楽しもうという人もいないものなのかもしれない。

 布団の中で取り留めもない思考を走らせているうちに、頭が重くなり始める。日中に相当時間寝ていたはずなのに、再び睡魔の手に落ちるまではものの数分とかからなかった。

 翌朝も気持ちのいい晴天で、ぐっすり寝たお陰で身体の調子もすっかり良くなっていた。食事をとるには宿の外に買いに行く以外に手段がないので、まずは身支度を整えなければならない。

「今日は先に拾い物の申請に行って、その帰りに採掘ルートの情報を浚ってくるか。安全なトコを見繕わねえといけねえし」

「そういう情報って、一般に公開されてるんでしょうか」

 部屋の中の設備を順番に使いながらの会話でまず話題に上るのは、当然ながら今日の予定についてだ。

「ある程度はされてるんじゃねえ? 商工ギルドだって、素人が要らんことして自分たちまで被害を蒙りたくはねえだろうしよ」

「あ、なるほど」

 隣の採掘ルートで崩落が起きて、そのせいで自分たちのルートまで使えなくなったりしたら大変だ。ギルドが事業として採掘を行っているのなら、その辺の管理もしっかりしていそうな気がする。

 身支度を整えて宿を出た後は近くの露店で朝ご飯を買い求め、食べながら国の調査団の事務所へ向かった。場所については、昨日の私が寝ている間にレインナードさんが調べておいてくれたので、迷うこともない。

 申請の方も特に変わったことはなく、何をどこで見つけたと説明する内容の書類を書いて、拾得品と一緒に提出するだけ。少し待ち時間はあったけれど、物としては普通というか、遺跡調査の資料になるようなものでもないからだろう。程なくしてミスリルの盾と剣、そしてラムール石は返却された。

「よし、これで大手を振って持って帰れるな。――そんじゃ、採掘行こうぜ」

「了解です。他にもいいものが見つかるといいのですけど」

 それからの採掘模様も、目立ったトラブルに遭遇することはなかった。浮遊石は順調に集まったし、ルレティア石もいくつか見つかっている。他にも課題制作に使えそうな石や、商工ギルドで買い取ってもらえそうな石も掘り出すことができた。

 レインナードさんが上手く荷物に紛れ込ませてくれたお陰で、私たちがミスリルの武具を入手していることは未だに誰にも知られていない。他方、人の口に戸は立てられぬというものか、闘技場でミスリルが見つかったという話はあちこちで噂になっていた。

 以来、探索者の動向は都市遺跡の北へ向かうルートと新たに東へ向かうルートとで二分され、闘技場で戦いに挑んでは敗北して撤退してくる人も多くなっているのだそうだ。お陰で市街地唯一の診療所はてんてこ舞い……という話は、宿の女将さん情報である。さすがに耳が早い。

「何にしても、このままなら騒ぎに巻き込まれずに帰れそうですね」

「まあな。当初の予定の三泊だけで済みそうなのは助かるが、順調すぎて怖えくらいだ。お前の強運様様かね」

「どうでしょう、私もここまで拾い物の運がいいのは初めてですから……。私の運がいいのじゃなくて、レインナードさんとワンセットになってるから、とかいう線もあるのでは」

「……まあ、それはそれで悪かねえが」

 なんて話をしたのは、三泊目の夜のことだ。外で買ってきた夕ご飯を宿の部屋で食べながらだったのだけれど、何であれ後から揺り戻しの不運が来ないことを祈るばかりである。

 斯様に至極穏便な日々の積み重ねの末、浮遊島への滞在は三泊四日をもって終了した。四日目の朝、宿を出たその足でグリフォン便の発着場へ向かい、定期便に乗って地上へ向かう。定期便は大きなゴンドラに似た舟を複数頭のグリフォンで吊るし、そこに人や荷物を載せて飛んでゆくスタイルなのだそうだ。一度に何人もの人を運べるので、往路のようなチャーター便に比べると運賃がお安くなる。

 今回はゴンドラの中で座っていれば、それほど外の空も視界に入らない。まさかゴンドラの底が抜けるということもないだろうし、安心は安心であるはずだ。

「あのな、お嬢ちゃん? 俺の手がさ? さっきっから何かもうギリギリ音がしそうなくらいなんだけどもさ?」

 ――と、思っていたのも定期便に乗って数分までだった。

「ゴンドラ ユレル コワイ」

「死んだ魚みてえな目しながら呟かねーでくれるか」

 ある程度は風除けの魔術が施されていると言っても、万全ではない。時折強い風が吹いたり、人が行き来したりすると、どうしたって船が揺れるのだ。座席らしい座席もなく、各々が自由に舟底に座るシステムであるのも揺れに拍車をかける。

 船酔いにまでならずに済んでいるのはまだ良いのだけれど、怖いものはどうしようもない。よって、隣に座っているレインナードさんの手をガッチリ掴んで耐えるしかないのであった。

「ほんとに高いトコ苦手なんだな……。そんな怖えなら、いっそ中入ってるか? 地上に着くまで抱えてってやるぞ」

 レインナードさんが捲って示すのは、風除けの外套だ。定期便乗船者に対するサービスの一つであり、無料で貸し出される。寒い時はこれを羽織って凌いでください、という訳だ。

 もちろん、私もそれをお借りして羽織っている。しかし、寒さが避けられても揺れまでもが防げる訳ではない。どうも今日は定期便の運行に支障はない程度ながらも風が強めに吹く日らしいので、さっきっからレインナードさんを掴む手に力が入りっぱなしだった。

「……ハイル……」

 そんな状態では、例によって形振り構ってはいられないのである。

 レインナードさんが腕を持ち上げて作ってくれた外套の隙間から内部へ忍び込み、胡坐を掻いた膝の上に座る。そこでどうポジションを定めたものか迷った末、往路と同じような格好でしがみついていることにした。レインナードさんも特に止めろとは言わなかったのだけれど、

「これは絶対に他所で同じようにしたらダメだかんな……」

 遠い目をして、そんな呟きをしていた。誠にご迷惑をお掛けしております……。


 定期便はチャーター便に比べると割安な分、少し時間がかかる。朝早くに浮遊島を経ったものの、マーヴィの街の発着場に降り立った時には、すっかり日も高く昇っていた。他のお客さんが降り終えるのを待ってから、荷物と私をまとめて抱えたレインナードさんがゴンドラを降りる。

 揺れない地面の上に戻ってこられたというだけで、どっと肩から力が抜けた。

「……行きも帰りも、ありがとうございました……」

「万事面倒見るって約束だからな。揺れて気分悪くなったりはしてねえか」

「その辺は大丈夫です……」

 はふ、と息を吐きだして周囲の様子を窺う。やはり浮遊島へ向かおうとしている人が増えているらしく、定期便の乗船待ちの人の姿も多く見られた。

「こっちも随分と賑やかな感じなんですね」

「らしいな。それだけミスリルだの鉱石だのの需要が上がってるんだろうが――とりあえず、ちょい早えが昼飯でも食うか。その後に観光して帰るか、すぐに帰るか決めようぜ」

 あの辺が飯屋だろ、とレインナードさんが発着場の外の一隅を指で示す。

 目を凝らすまでもなく、レストランや食堂、酒場の看板がいくつも掲げられているのが見て取れた。発着場の近くに密集している印象なのは、やはり浮遊島との行き来が街の主要な産業というか、それに伴って出入りする人をターゲットにしているところがあるからなのだろう。

「何食う? 好きな店選んでいいぞ」

「じゃあ、パスタのお店で。今ちょっと食べたい気がして」

 ちょうど目に留まった看板を指差して答えれば、また屈託なく「はいよ」と返事があった。二人並んで、発着場を迂回してレストランへ向かう。

 私が日本で食べていたサンドイッチやパスタも、この国では一般的に食べられている。この国独自の名前ではなく、そのまま「サンドイッチ」と「パスタ」という名前で。前にケーブスンの街で食べた「ボロネーゼ」もだけれど、サンドイッチ伯爵がこの国にもいたとか、ボロネーゼの由来になる地名があるとかいう訳でもなく、何十年か前に名を馳せた料理人の人が売り出し、命名したという話だ。

 たぶんだけれど、その人も私と同じような境遇だったのではないかと思う。というか、そういう事例が実はちょくちょくあるのではないかという気がしていた。浮遊島でよくご飯を買いに行っていた露店でも紙ナフキンに酷似した懐紙が添えられていたように、過去にやたら柔らかい紙を開発することにこだわった貴族の人がいたらしい。

 その人がいろいろと開発し、商工ギルドとも協力しつつ生産拠点を整えたお陰で、現代のアシメニオスでは製紙業も盛んだ。同時に印刷業も発達したお陰で、新聞は広く流通しているし、本も比較的安価に手に入れることができていた。

 現代の私たちがほぼティッシュな代物を気軽に使えるのも、その「紙の父」と言われる人のお陰なのだそうだ。その他にも上下水道の整備にものすごく情熱を注いだ人とかもいたらしく、ファンタジーな世界という印象の割に、この国の衛生や生活のレベルは結構高い。

 学院でいろいろ調べてみたところ、この国――いや、この世界では時たま突然の技術的ブレイクスルーが発生することがあるらしいのだ。その中のいくつかは、私のような生まれの人が関わっているのではないかと睨んでいる。エドガール卿のように魔術の天才もいれば、私のように技術開発に全く寄与できないタイプもいるので、もちろん全てが全てそうではないに決まっているけれど。

 そう真面目ぶって考えていられたのも、お店の方から流れてくる匂いを感じるまでのことだ。コトコトと煮込まれたスープを思い描かせる重層的な旨味の気配を感じしたが最後、思考は全てそちらに持っていかれてしまった。

「ああ~、すごくいい匂い……」

「タモットか、ノメルクリームか、どっち食うかな……」

 私と同じものを感じているに違いなく、隣を歩くレインナードさんの呟きも悩ましげである。

 タモットはトマト、ノメルはレモンのことで、この国でもパスタの定番素材として使われている。私は昔からボロネーゼとかトマト系が好きだったので、今でもタモット系を選びがちな傾向にあった。

「両方頼んで、分けっこしたらいいんじゃないですか?」

「そーするかあ」

 まだお昼少し前であるからか、パスタのお店はそこまで混んでいなかった。空いていたテーブル席へすぐに案内され、二人でああでもないこうでもないと相談しながら二品を選ぶ。あと、オマケでデザートのケーキも。

 やはりまだ忙しさのピークはきていないのか、オーダーした料理は意外なくらい早く届いた。私がタモットとレラッツォチーズのパスタで、レインナードさんは川魚とノメルクリームのパスタ。当然というか何というか、後者は大盛りである。イメージ通りにたくさん食べる人なので。

 自分が選んだパスタもタモットの酸味とチーズのまろやかさが絶妙に絡み合って美味しかったけれど、レインナードさんの選んだパスタも美味しかった。まろやかだけれどしつこくなく、ノメルの酸味で爽やかささえ感じるクリームと、味の濃い魚の切り身がまた合う。

「遠慮しねえで、魚も食えよ。弓遣いってことは敏捷性も必要なんだろうが、それにしたってもうちょい筋肉付けた方がいいだろうしな」

 お皿を交換してレインナードさんの方のパスタを食べている最中、ふと向かいから言われた。筋肉、筋肉かあ……。あればあった方がいいのは、もちろん分かっているけれど……。

「……善処します」

「あんま考える気のねえ返事だな、それ」

 ほんのりとした苦笑交じりの声には、曖昧に笑い返すに留めておく。

 筋肉をつけて維持するには、それなりに食べるものも考えなくてはいけない。実家でならまだしも、王都での下宿生活でそこまで気を配るのはなかなか難しいのが実情だった。

 いずれにしても、私もレインナードさんも食事中はあまりお喋りをよくする方ではない。美味しいパスタは瞬く間に食べ終わり、食後にケーキを頂いたら、もう満足と満腹である。ちょうど時刻も正午に近付き、お店の中にお客さんも増えてきた。席を立つには頃合いだ。

「俺は支払い済ませてくるから、適当にその辺で待っててくれっか」

「分かりました。混んできたので、外で待っていますね」

「おう。何か変な奴に絡まれそうだったら、すぐ呼べよ」

 はい、と頷きつつ、鞄と荷物を背負い直してお店の外へ向かう。もっとも、話の流れで頷きはしたものの、正直なところ「心配性だな」と思っていた部分もないではなかった。

 浮遊島へ向かうルートの中継地点であるだけに、この街でも最近人の出入りが増えているという。とはいえ、そこまで分かりやすく治安が悪くなっている風でもなし、そんなトラブルに遭うこともないのじゃないだろうか。

 お店を訪ねてくるお客さんにぶつからないよう、入り口から少し脇に退いて待つことにした時点では、そう考えていた。

「お? 嬢ちゃん、一人か?」

 しかし、待ち始めて数分も経たないうちに、何やら不穏な声が聞こえてきたのである。レインナードさんの忠告を「心配性だな」などと軽んじてした罰にしても、フラグの回収が早すぎないだろうか。

「いえ、一人ではありません。お店の中に知り合いがいます」

「本当か? 暇してるなら、ちょいと付き合えよ。一杯飲もうぜ」

 結構です、とは言おうとして言えなかった。近付いてくる気配の方に顔を向けたまでは良かったものの、強烈なお酒のにおいが迫ってきて声が出なかったのだ。

 相手が屈強そうな男性であったことも、私を怯ませるには十分だった。強すぎるお酒のにおいに目を瞑れば、着衣も痛んだり汚れたりはしていないので、そこまで異質な見目をしている訳でもない。ただ、昼間からここまで飲んでいるのは、ちょっと尋常でない気もする。

 レインナードさんを呼びに、お店の中へ戻るべきだろうか。そう考えたのも、隙と言えば隙だったのかもしれない。

「なあ、いいだろう?」

 気付けば男性はすぐ近くにまで迫っており、その手がこちらへ伸ばされようとしていた。ひや、と冷たいものが背筋を伝う。

 避けていいのか、それとも何かしらの魔術で阻んでみればいいのか。考えはするものの、あまりに強すぎるお酒のにおいで気が散ってしまう。グリフォン便のゴンドラでも酔わなかったのに、今ここで気持ち悪くなってしまいそうだ。

 兎にも角にも、拒否の意を示しておかないと――

「俺の連れに、何の用事だってんだ。あ?」

 と、思った時。

 さながら地の底を這うような低音が聞こえてきた。決して声を荒げてなどいないのに、聞き手を威圧せしめる問答無用の重み。その人が未だかつてそんな声で喋るのを聞いたことがなかったから、そうだと思っていても自信がなくなりそうだった。

 声の主はいつの間にか私の側にいて、私の方へ伸ばされた手を横から掴んでいる。日に焼けた無骨な指に込められた力は関節が白く浮き上がるほどに強く、ミシミシと骨の軋む音さえ聞こえてきそうだ。

「連れがいると断られたのも聞こえねえほど、酒が回ってんのか」

 ややもすれば淡々として聞こえるほど冷たい声が追い打ちをかけたのと、腕を掴まれていた男性が「痛え」と野太い悲鳴を上げたのはほとんど同時だった。

「てめえ、放しやがれ!」

「先に手え出したのはそっちだろうが。嫌がる奴に無理強いすんじゃねえよ」

 レインナードさんは投げ捨てるに近い所作で男性の腕を放すと、その手を今度は私の肩に置いた。ひたりと男性を睨み据える目は動かさないまま傍に引き寄せると同時に、自分は一歩踏み出す。私を庇いつつ、男性からの視線が切れるようにしてくれたのだと思う。自然、ほっと安堵の息が漏れた。

「うるせえな、何様のつもり……」

 一方で、酔っぱらいの男性の方はかえって怒りを燃やす――かと思いきや。

「てめえ、〈獅子切〉じゃねえか! クソッ! 自分の女なら、てめえでちゃんと管理しときやがれ!」

 自分が対峙しているのが誰であるか理解した途端、捨て台詞を吐いて一目散に逃げていった。より大きなトラブルになる前に撤収してくれたのは良いのだけれど、それはそれとして釈然としない気持ちは残る。

 ややあってから、頭上で小さな嘆息が聞こえた。

「悪かったな、やっぱ店ン中で待っててもらうべきだったわ。怖かったろ」

「いえ、私も運が悪かったというか……怖いと思う前の困惑の段階で助けていただきましたので、そこまででは」

 というか、お店の前で騒ぎになりかけてしまっただけに、通りすがりの人たちの視線が若干痛い。さっきの男性の声が大きかったのが逆に効いたのか、哀れむ風でこそあれ咎めたり煙たがったりする風ではないのは不幸中の幸いだけれど。

「もう観光どころじゃありませんし、真っ直ぐ王都に帰りましょうか」

「……そうだな。最後の最後でケチがついちまったが」

 やれやれとばかりにレインナードさんが肩をすくめる。私の肩を掴んでいた手を離すと、通りの右手へと足を向けた。

 そちらの方に傭兵ギルドの事務所がある。この街に来た時も傭兵ギルドの転送機を使わせてもらったので、基本的な立地は私も頭に入っていた。レインナードさんから離れないように、ぴったりくっついていく。

「そう言えば、誤解を解き損ねてしまいましたね」

「誤解?」

「さっきの人、『自分の女なら』とか言ってたじゃないですか。誤情報を言い触らされたら面倒なことに」

「……まあ、そうだな。巡り巡って、お前の評価に何かしらの傷がついたりするかもしれねえし」

「そういう風評で傷つくようなものは私にはないと思うので大丈夫ですけど、レインナードさんは」

「俺も別に問題ねえから大丈夫だ」

 あっさりとした返事。……お互いに大丈夫なら何も問題はない、ということになるのだろうか。

 本当にそれでいいのかと追及してみたい気持ちはあれど、これまでの傾向を見るに下手に追及を重ねたところで反応が渋くなってしまうだけのような気もする。今は特別に親しい女性もいないと言っていたし、そういうものとして呑み込んでおいた方がよさそうだ。

「王都に帰ったら依頼の納品をして、商工ギルドも寄って、その後にどっかで茶でも飲み直すか。折角の遠出の締めがこれじゃ、あんまりだしな」

「いえ、そんな」

「そういや、マリフェンの店が春から二号店作ってて、そろそろ完成する頃だったよな。自分とこのケーキが食える茶屋なんだったっけか?」

「……そうですね」

 肯定を返しはしたものの、自分でも少しよそよそしいなとは思った。

 そもそも、その話をレインナードさんにしたのが他ならぬ私なのだ。あれは確か、まだ試験対策期間真っ只中の時分だったろうか。試験が終わる頃にはお店が完成しているだろうから一度くらいは食べに行ってみたいとか、一緒にご飯を食べている時に喋った覚えがある。

「さっき食ったケーキで腹いっぱいってんなら、無理に食えとは言わねえけど」

 どうする、と笑い含みの声が聞こえてきて沈黙する。ぐうの音も出ないとはこのことだった。

 レインナードさんにしても、最初から全部分かっていて強引に話を進めたに違いないのだ。マリフェンの名前を出されれば、私も釣られずにはいられない。そうと知っていて、敢えて反論を遮って言わせなかった。

「……じゃあ、商工ギルドで鉱石がいい値段で買い取ってもらえたら、それで打ち上げってことにしましょう」

「そんくらい食わせてやるぞ」

「さっき助けていただいたので」

「あんなもん、恩に感じるなよ。酔っぱらいに絡まれてる奴がいるなら助けるもんだし、そうでなくたってお前の護衛は俺の役目だ」

 そう言って、レインナードさんがこちらに視線を寄越す。

 投げられた眼差しは、もう普段通りの私がよく知るものだ。先刻の冷たさも、鋭さもどこにもない。出会った日に傾けてもらった厚意が、今もそのままに――その時よりも更に深く手渡されるばかり。

「所詮は契約してるだけの傭兵と言われりゃ否定はできねえが、それが俺の何もかも全部って訳でもねえしな。困ったことがありゃ、そん時は遠慮しねえで言えよ。それもできねえような仲でもねえだろ?」

「……そうですね。レインナードさんも、私の手でも必要になることがあったら、声を掛けてください」

「おう。俺にとっても降って湧いた伝手だからな」

 腕のいい魔術師は貴重だぜ、なんておどけてみせる人に、小さく笑い返す。そういう言い方をするのも必ずしも全てが本音なのではなくて、私があまり気にしないようにという配慮なのだろう。

「運がいいですね」

 敢えて主語を省いた呟きには「そうだな」と相槌が返されたけれど、きっとレインナードさんは私がどういう意味で言ったのかは分かっていないはずだ。

 つくづく運がいいのは、私だ。浮遊島でも、王都に来てからも、幸運を自覚して噛み締めたことは何度もある。でも、おそらく一番の幸運は()()に違いない。

 ヴィゴ・レインナードという人と出会うことができたこと。あの惨憺たる夕に、縁を結ぶことができたこと。それこそが、私にとって何よりの僥倖だった。

「急にやる気が出てきました。早く王都に帰って、いろいろ理論を組み立てたい気分です」

「おいおい、熱心なのはいいが熱中しすぎんなよ」

「善処します」

「そこはちゃんと『ハイ』って言え、『ハイ』って」

「努力します」

「あのなあ、この頑固娘」

 そうして何度目かも分からないお叱りを受けながら、マーヴィの傭兵ギルドから転送機を使って王都に戻った。

 ガラジオスの傭兵ギルドにはスヴェアさんを始めとして、今日も見知った顔の傭兵の人たちが思い思いに過ごしている。ほんの数日離れていただけなのに、その光景が妙に懐かしさを掻き立てた。

「おや、お帰り。浮遊島はどうだったね? 収穫はあったかい」

「はい、いろいろと」

「そりゃ結構なことだね。ついでに納品していくかい? いろいろ依頼を受けていったろう」

「端から全部やってく。その報酬で、この後に美味いケーキ食いに行くんだ」

「おっ、デートか⁉」

「いいねえ、若えなあ!」

「そういう話題の時ばっか俊敏に反応すんなよ、おっさんたち。羨ましくても代わっちゃやらねえぞ」

 なんて、少し反応に困る声が飛び交ったりもしたけれど。

 ともかく、この夏最初の冒険は無事に終わったのだった。


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