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06:恋人たちの石-3

3.大人と子ども



 不意に外の喧騒が耳についた。賑やかな、たくさんの人の声だ。

 発着場でグリフォンを誘導する声、物を売り買いする交渉の声、食べ物屋でお客を呼び込む声。どう考えても、遺跡の内部で聞こえるものではない。

 何故、と夢現に考え――ハッと目が覚めた。

「……部屋」

 目を開けてみれば、まだ明るい日差しが窓越しに天井に差し込んでいる。綺麗な木目の板。石造りのものが多く見られた、都市遺跡内の家屋である可能性は低い。つまり、遺跡を出て、発着場周辺の南方市街地へ戻ってきている。

 そうでないはずもないのだろうと薄っすら感じつつ身体を起こしてみれば、予想通りに大きな寝台に寝かされていた。服装は遺跡の探索に向かった時のまま。ただし、靴は脱いでいたし、ご丁寧に布団まで掛けてくれてある。現状を見るに、誰がそうしてくれたかは考えるだに明白だった。

 問題は、その「誰」かが部屋の中にいないことだ。……どこか、買い物にでも出かけているのだろうか。独りで遺跡に戻ったという線が絶対にないとは言い切れないけれど、あの人のことだから私を放ってはおかなさそうな気もする。

 窓から外の様子でも見てみようか。布団を捲って寝台から下りようとした時、部屋の外から物音が聞こえてきた。近付いてくる足音。それが部屋の前で止まったかと思うと、短い間を挟んでから鍵を開ける音がして――

「お、悪い。起きてたか」

 扉が開き、レインナードさんが顔を出した。

「ちょうど今起きました。すみません、何もかもお世話になりっぱなしで」

 考えてみれば、朝から……グリフォン便に乗る辺りからご迷惑をお掛けしてばかりだった。あの時は無事に島に降り立てたという事実で頭がいっぱいになっていたけれど、十七歳として大分ひどい有り様だったのじゃないだろうか。お礼さえ、ちゃんと言えていなかった気がする。

「今更ですが、グリフォン便に乗る時から」

 今の自分は、多分に苦虫を噛み潰したような顔になっているに違いない。情けない自覚と共に吐き出せば、部屋の中に入ってきたレインナードさんはぱちくりと目を瞬かせた後で軽く笑った。その手には大きな紙袋が抱えられている。やはり買い物をしてきたようだ。

「誰だって苦手なもんの一つや二つあるだろ。今までが子どもらしくねえ出来物だっただけに、ようやく俺が世話焼く隙が出てきたかと安心したくれーだぜ」

「恐縮です……」

「そろそろ、そういう堅苦しい喋り方すんのも止めていいと思うけどな。……じゃなくて、飯食えそうか? 外で買ってきたばっかだから、ちゃんと(あった)けえぞ」

「いただきます」

 頷き返して、今度こそ寝台から下りる。きちんと目が覚めたので、ここに至るまでの経緯もしっかり思い出すことができた。

 都市遺跡の闘技場で思わぬ戦利品を得た後、そこで緊張の糸が切れたのか、私は完全に使い物にならなくなってしまったのだ。頭は重くて痛いし、そのせいか身動きすら儘ならない。見かねたレインナードさんが「運んでくから寝てていいぞ」と言ってくれて、荷物や戦利品と一緒に抱えてもらってきた。

 部屋の中には寝台の他に、机や椅子が一揃い置いてある。靴を履いてそちらへ近付いていくと、机の上にはサンドイッチやバゲット、串焼きの肉や果物が次々に並べられていった。

「好きなもん食いな。余ったら俺が食っとく」

「ありがとうございます」

 会話の傍ら、二人向かい合って着席する。私が最初に手を伸ばしたのはサンドイッチで、レインナードさんは串焼きだった。

 壁に掛けられた時計によれば、お昼を過ぎておやつの時間に近付きつつあったようだ。朝早くにグリフォン便で地上を経ったことを思えば、意外と時間が経っていたような、そうでもないような。

「調子は戻ったか? まだ頭痛えの残ってたりするか」

「今はもう大丈夫です。ぐっすり寝て回復したみたいで」

「そりゃ良かった。術式の解析の方はどうだったんだ。物にできそうか」

「理論は一通り読み込めましたが、自分なりに解釈して構築し直して――と段階を踏む必要があるので、今すぐ使えるようにするのは難しいと思います。休み中に試して実用化に漕ぎ着ければ良し、そうでなければ休み明けに学校で専門の先生に話を伺ってみるか……みたいな感じですね」

「はあ~。それにしたって古代魔術をあの短時間で解析して、そこまで得てくるたあ銘有りは伊達じゃねえな」

「おだてても何も出ませんよ」

 喋りながら、サンドイッチの次はバゲットに手を伸ばす。適当に手でちぎって、串焼きの肉を乗せて食べてみると、これがまた美味しい。お肉にはスパイシーで味の濃いソースがかかっていて、バゲットとよく合った。

「おだてちゃねえさ。まだ学生の割に、おそろしく出来がいいと褒めてんだ」

「……それを言うなら、レインナードさんもですけど。本当に腕の立つ傭兵さんなんですね」

「おだてても、ここだと飯食わしてやるくらいしかできねえぞ」

「そういうつもりではないので大丈夫です」

 左様(さよ)か、とレインナードさんが相槌を打ち、会話が途切れる。

 別に話すことがなくなったということでもなく、お互いに食べ進めるタイミングが合ってしまったというか……単に間の問題だ。喋っていなければ気まずくなるような間柄でも、今はもうない。

 黙々と食べ進める時間がしばらく流れ、

「ライゼル」

 おもむろに名前を呼ばれた。食べる手を止め、正面へ目を向ける。

「飯の最中に面白くねえ話をすんのも、こういうことを外野がやいのやいの言うのもどうかと思わんでもねえが、気になったのを見なかったことにしとくのも俺の方の据わりが悪いんで言っとく」

 私の注意が向いたのを確認すると、レインナードさんは懐紙で口元を拭ってから続けた。改まった様子であるところを見るに、何かしら真面目な話のようだ。心持ち、背筋を伸ばして頷き返す。

「お前は自分が人並みに以上に出来る自覚があるよな。その割には自信の持ち方が微妙っつーか……もっと上がいるのを知ってるからか、基本的に今の自分に納得ができてねえ。ともすれば、焦って見える節がある。だから、いつも倒れるまで無理するんじゃねえのか。素の出来がよくて理想との乖離がハッキリ計算できちまうから、余計にその傾向に拍車がかかってるのかもしれねえ」

 静かに発された台詞に、内心でぎくりとした。同じことを小さい頃、弓を習っていた時にサロモンさんに言われたことがある。

 まだ子どもなのだから、少しずつ覚えて上手くなっていけばいい。それなのに、お前は最初から完璧を目指して身を削りすぎる――と。

 そう指摘されたことに対しての自覚は、少なからずあった。それこそが私の根幹であるからだ。だって、私は()()()()()()()()()()。大人なのだから、子どもより出来なくてはいけないと考える。どうしても、そう考えずにはいられない。

「何にしても、根を詰めすぎれば身を滅ぼす。お前は俺に『戦いに熱中しすぎるな』と言ったろ。それも道理じゃあるが、こっちからすりゃあ、お前も同類だ。勉強と成長にのめり込み過ぎてる。……さすがにさっきの闘技場でやったみてえな解析は、一人でいる時にまでやろうとするほど無鉄砲じゃねえと思いてえけどな」

 じろりと見据える視線は、明らかに釘を刺す意図だろう。一人で行動している時は決してやるな、という。

 清風亭にいた時は寝不足で壁に激突して転倒、さっきも解析に夢中になりすぎて疲労困憊と、近頃とみにレインナードさんには情けないところばかり見せてしまっている。疑われても致し方のない前科持ちであることは否定できない。

「そうですね。一人でいて身動きできなくなったら、仮に魔物の類が接近してきてもなす術もありませんから……それくらいは弁えなければいけないと思います」

「おう、是非ともそうしてくれ。その辺の危機管理は魔物だけじゃなくて、対人でもしっかりしといてもらいてえとこだが――とりあえず、ここまでが一つ目な。話はもう一つある」

「もう一つ」

 思わず繰り返してしまうと、未だ真剣な面持ちのレインナードさんが「そうだ」と頷く。随分いろいろ心配というか、気を遣わせてしまったようだ。

「お前は自分の出来にまだ納得がいってねえんだろうが、外から見れば既に相当な出来物だ。だから、自分の中での評価はどうあれ、その辺をよく自覚して上手く立ち回らねえとならねえ」

「具体的に言いますと」

「自分の持ってる技術や知識を、そう安売りすんなってことだ。それは一朝一夕で身に着けられたもんでもねえだろ。今回は学校の課題として使うってんで線引きが難しくなってたのかもしれねえが、誰かに頼まれて仕事をする時は、必ず相応の対価を要求しろ。ただでさえ自分を削りがちなんだ、言われるがままにホイホイ使われてたら身が持たねえぞ」

「……そう、ですね」

 頷き返しながら、声と表情の作り方に少し迷う。何だか――どころではなく、本当に随分と心配されてしまっていたらしい。

 ここまで真摯に言葉をかけてくれるのは、私が表向きまだ子どもだからで、それでいて魔術師としては一人前に近いと認めるに足る腕を持っていると不釣り合いさを心配してくれたからだろう。広く名を知られ、凄まじいまでの腕を誇る傭兵の人に魔術の腕を評価してもらえたという喜びも、もちろんある。けれど、それ以上に染み入るのは、どうしようもなくシンプルな善意だった。

 この人は、ただただ純粋に私という子どものことを案じ、道を示そうとしてくれている。年上の先人として、未熟な子どもが悪い目に遭わないように。

 事実として、レインナードさんの忠告は正論そのものだった。私は私の出来に満足していない。けれど、それとこれとは別のことだ。ここまで育ててくれて、学院にも送り出してくれたハント家の人々に、私はまだ何も返せていない。それなのに自分で自分を損なっていては本末転倒ではないか。

「レインナードさん以外の人とここまで深く関わり合いになるというのも想像ができませんが、心に留めておきます」

 だから、その言葉も掛け値なしの本音のつもりで答えたのだけれど。

「何ですか、その不思議な表情は」

 レインナードさんは眉根を寄せたり、唇をへの字に曲げたりと、急に何とも落ち着かない面持ちになってしまったのだった。それは一体どういう感情の……?

「お前さ、故郷の村に同じ年頃の友達とかいたか? 子どもが少なくて、あんま同年代と接した経験なかったりするか?」

「いえ、普通に何人かいましたが」

「じゃあ、勉強のしすぎで情緒があんま育たなかったとかか……」

「そういうこともないのでは……」

 ついにため息混じりに言われてしまった。どうも言わんとするところが今一つ掴み切れないのだけれど、その後はもう説明を求めても「大したことじゃねえよ」とはぐらかされるばかりで、真相を教えてはもらえなかった。


 食事を終えても、まだ窓の外は明るい。食べたものの後片付けにしても、大して手間のかかることではなかった。夕方までは十分な時間がある。改めて浮遊石の採集に乗り出しても構わないのではないかと思えたくらいだったものの、

「持ち帰りの申請と鑑定はまだにしても、ミスリルは回収できたろ。浮遊石なら、そうあくせくしなくとも見つかる。今日は大人しく休んどけ」

「……。……分かりました」

 その案はあえなくレインナードさんに却下された。

 浮遊石の採掘がダメなら、もう一度都市遺跡の方を探ってみたい。何か掘り出し物があるかもしれないし、今後の役に立ちそうな魔術も解析できるかもしれない。そういう下心は大いにあれども、実行するにはレインナードさんの協力が不可欠だ。ここは大人しく引き下がるしかない。

 残念ながら、私もまだ大人ではないので、内心の不満を抑えきることはできなかったのだけれど。

「全力で渋々だな……。まずはとんとん拍子で事が進んでることを喜んどけよ。ミスリル探して浮遊島で一月、なんて話もざらだ。相当な幸運だぜ」

「まあ、それも確かに」

 こちらで生まれ直してからこの方、我が身の幸運を感謝したことは数えきれない。死んだと思ったら死ぬ前の意識をそのまま引き継いで生まれ変わって、いい家族や環境に恵まれて育ててもらえた。その時点で相当に幸運ポイントを使っている気がするのに、まだ使い尽くしていないらしいのだ。真剣に驚きである。

「この分なら、浮遊石と一緒にルレティア石も見つかるかもな。商工ギルドの買い取りが結構いい値段してたはずだ」

「浮遊石の近くで見つかる、宝飾によく使われる石ですよね。薄青色で、キラキラした綺麗な」

 学院の図書室で見た、分厚い図鑑の絵図を思い起こす。あれは宝飾品に重宝されるのも納得の美しさだった。

 いくつか見つけられたら、少しは自分で持っていてもいいかもしれない。課題制作に使うにしろ、提出と採点が済めば作ったものは返却されるのだ。自分で使うことを念頭に置いて、自分の好みに飾っても悪くはない。

 そう考えていた時、既に今手元に一塊の石があることを思い出した。

「石と言えば、ラムール石はどうしますか?」

「ああ、闘技場で拾ったやつか。『恋人たちの石』だろ? 俺は要らねえな、使い道もねえし」

 レインナードさんはあっさり言い、真実興味がなさそうに首を横に振った。

 闘技場での戦いの報酬の一つであるラムール石には、レインナードさんの言う通り「恋人たちの石」という異名がある。世間では、むしろその名前の方で知られているくらいかもしれない。

 ラムール石は同じ塊から砕いた石同士が引き合う性質を持ち、とろりと甘そうな薄桃色をしていることから、古くから恋人たちに人気があった。離れていても石が引き合うことで存在を感じられる、という情動で受けたらしい。しかし、「恋人たちの石」という異名が流布するようになったのは、比較的最近のことだ。

 ネロリザという王都の有名宝飾店が「離れがたい恋人たちへ捧ぐ護り石」と大々的に銘打ち、ペアのアクセサリーを多種多様に売り出したことで爆発的な知名度を得たのである。日本で言うところのパワーストーンのような感覚なのだと思う。以来、ラムール石は恋人たち御用達の魔石になった。

 もっとも、縁がないのは私も同じ――というか、私の方がレインナードさんよりもよっぽど縁遠いと言わざるを得ない。恋人以前に、そもそも友人と呼べる人がラシェルさんとエリゼくん以外にいないのである。学生として、さすがにどうだろうか。些か空しい気分になってくるので、ここは潔く現実から目を逸らすことにする。

「縁……。どなたか、親しい間柄の方とかはいらっしゃらないんですか? 武闘大会でも活躍された訳ですし」

 あの会場には意外と女性の観戦客も少なくなかった。レインナードさんが勝利した瞬間には、黄色い声もかなり上がっていたと記憶している。私は怪我が大丈夫かどうかと気になって、それどころではなかったけれど。

 試験期間を挟んだせいか、すっかり昔のことのような感覚になりつつある記憶を振り返りながら言うと、例によってレインナードさんがしかめっ面をするのが目の端に映った。

「何を期待してんだか知らねえが、ここ一月以上同じ宿で顔合わせてたろーが? そこで何を見てたよ。俺が朝帰りしたこととか、女が訪ねて来たこととかあったか?」

 むっすりとした声。どうもこの人は、この手の話になるとめっきり反応が渋くなるのだった。私が振ったからではなく、清風亭の女将さんやお客さんに話を振られてもそうだったので、根本的に好まない話題であるらしい。

 その割には女性と接するのが苦手とか、あんまり喋りたくないという風でもないのだ。ラシェルさんとも普通に親しげにしているし、何より私に対してはものすごく親身になって面倒を見てくれている。どう考えても女性や子どもが苦手なんていう話は有り得ない。

 そのギャップが不思議で、以前買い物に行った商工ギルドで行き合ったシェーベールさんに訊いてみたこともあるのだけれど、傭兵ギルドにいる時にそういう態度を見せたことはないという。お陰で、私の脳内疑問符は増える一方だった。

「何しろ戦いに楽しみを見出して昂揚する類の男だから、好色という訳でもないが。世間話には普通に乗るし、無理をしていうという様子でもなさそうだったな」

 とは、シェーベールさんの見解である。つまり、一連の反応の渋さは私の前だけで提示されるものだという可能性も浮上してきたのだから。

 何故に、と疑問に思うのは当たり前のことであるはずだ。しかし、レインナードさんは理由を言いはしないし、そもそも私がその事実に感付いていると把握しているかどうかも不明である。……ただ、むしろ「私の前でだけ」という推測が的中していた場合、その理由については思い浮かぶものが全くないでもなかった。

 戦闘を楽しみ過ぎるという少し困った癖こそあるものの、傭兵としては至極真っ当で頼りになる人だ。だからこそ、公私混同を厳に避けているのではないかと。もっとも、これについては突っ込んで訊くのもどうかという気がするし、今後もあやふやな謎のまま終わる可能性も大きい気がする。

「それはありませんでしたが、私も全てを見ていた訳ではありませんし。私の分からないところで、何か、こう……いろいろ……」

「何がだよ……。ねえよ……」

 とはいえ、私が少々悪乗りをしてしまったばかりに、力のない返事はまるで呻くかのようになりつつあった。いよいよもってレインナードさんの肩も落ち始めてきたので、この辺りが潮時というものかもしれない。変に食い下がって、気分を悪くさせてもいけない。

「そうですか。――では、世間話はこれくらいにして、仕事の話に戻しましょう」

 分かりやすく話題の転換を示すと、レインナードさんはぱちくりと目を瞬かせた後で小首を傾げた。

「ラムール石はそこまで割れやすい石でもないので、地下迷宮のような場所を探索する時に持っていってもすぐに壊れる心配はありません。上手く使えば、分断防止に役立てられるはずです。あの時『ランプの光が届かない場所に行くな』と言っていたのも、はぐれないようにする為でしょう」

「ああ……俺はお前ほど探索の類の術が得意じゃねえし、そりゃあな」

「ラムール石を使った道具があれば、その心配は解消されます」

 わざわざ探索の魔術を使わなくても、相手が石を手放していなければ合流するのも容易になる。今後また森や山に出向くことがないとも限らないのだし、この備えがあれば幾分か探索中のトラブルの予防または深刻化の防止に繋がるはずだ。

「ということで、王都に戻ったら何か装飾品を仕立てようと思うのですけれど――こういうものは邪魔になるから止めてほしいとか、ご希望はありますか」

「あ~、いや、特に、そういうのはねえけど」

 なのに、レインナードさんの反応がどうも曖昧なのである。

 先刻までの人間関係の話の際に見せていたような気乗りしなさではないものの、どうにも歯切れが悪い。余計な装備を増やしたくないとか、ラムール石の飾りは遠慮したいとか、そういう事情があるのなら、もっとハッキリ言っているだろう。

 明確に拒否する訳ではない。さりとて、何だか微妙に目が泳いでいる。やけに目が合わないのである。

「要りませんか?」

「そういう訳じゃねえけどさ。そういう道具がありゃ、俺の心配も減る。作ってもらえんのは助かるわな」

「その割には微妙な反応ですね」

 どうにも意図が読みきれない。今度は私が首をひねっていると、レインナードさんはやおら真剣な顔になって言った。

「やっぱしお前、真面目過ぎたばっかりに情緒があんまさ……」

「何で私はそんなに情緒未発達を疑われているんですか……」

 つられて、答えるこちらまで真顔になってしまう。

 一体どうして、そんな疑問が生えてくるのだか。何だかもう、脳裏に白い動物型生命体の顔が浮かぶ勢いだ。「わけがわからないよ」のアレである。だというのに、またレインナードさんははぐらかす方針であるらしい。

 ゴホン、とこれ見よがしの空咳をして見せたかと思うと、「話が逸れてきたな」などと言うのである。逸れてきていないと思うのですが。

「それに、もうじき夕になる」

「まだならなくないですか?」

「なる。そのうちなる。――つーことで、暗くなる前に俺はまた少し外に出てくる。周りの宿をあたって、部屋の空きがねえか訊いてこねえといけねえからな。お前はもうちょい休んでろ。倒れるくらい疲れた後だ、休んどくに越したことはねえ。冷蔵庫にまだ開けてねえ水の瓶も入ってっから、喉が渇いたら飲むよーに」

 しかし、何だかんだレインナードさんは大変に面倒見の良い人でもあるのだ。結局は、そうやって私の心配ばかりしてくれてしまう。

 そんな言行を前にしては、こちらも大人しく従っておかねばいけないような気がしてくる。その後も「ちゃんと布団に入って寝ろ」とか世話焼きお兄さんそのものの指示をいくつか残してから、レインナードさんは出掛けていった。

「ありがとうございます、お気をつけて」

 扉の向こうへ消えていく背中に声をかけると、ひらひらと手が振り返される。

 話のいくつかは有耶無耶にされたままだし、装飾品の話も終わらせ方こそあからさまに無理矢理ではあったものの、最後まで否とは言わなかった。嫌だとは言わなかったのだから、進めていって構わない……ということにしておこう。

 寝台に上がり、布団に入ってぼんやりラムール石の加工方法を考えていたのも数分のこと、睡魔に捕まるまではあっという間だった。



 結論から言うと、残念なことに周りの宿屋に空き部屋はなかった。

 私たちが滞在している宿の女将さんも言っていたように、最近は地上から来る人が増えているのだという。様々な魔石の採掘目的であったり、やはりミスリルを求めてのことでもあったりするそうだけれど、一様にして何がしかの物資を求めてのことであるようだ。

「ちょうど知った顔の傭兵を見かけたもんで喋ってきたが、どうもやっぱ一連の事態の裏にゃ騎士団の影があるっぽいな」

「例の装備の改修問題ですか? 腕のいい魔術師を雇い上げて、質のいいミスリルを買い集めてるんでしたっけ。……既にそう噂になっているのに、この上更に?」

「そういうことらしい。ちょい前に比べると、随分買い取り価格が上がってるって話だ。それで一儲けしようって奴らが来てるんだと」

 小一時間ほどの外出を経て部屋に戻ってきたレインナードさんは、そう言って肩をすくめた。

 ますます奇妙な話だ。そこまでして装備の改修を進めているのだとすれば、明確に何らかの脅威を想定していそうな気がする。なのに、その存在自体はさっぱり見えてこないのだ。ヴィオレタとエブルの戦争も落ち着いて、今からわざわざ関わりに行くということもないだろうし。

 もしかしたら、北の方で何か異変でもあるのだろうか。キオノエイデの北の国境線でもある大山脈の向こう側には遥か昔に前に滅んだ国の跡地が広がっており、今でもアンデッドや魔物の巣窟になっているという。その対処に手を焼いているとか、そういった理由で援助を要請すべく皇帝陛下がうちの国を訪ねてきたとか……? いや、結局は想像の域を出ない。

 今はもう少し現実的なことを考えよう。一獲千金を夢見て、続々と人の集まる浮遊島。その割に――

「遺跡の中は静かじゃありませんでした? 闘技場に向かうまでも、人とすれ違ったりもしませんでしたよね」

「一昨日だかに北部辺りでミスリルが見つかってたらしい。それで外壁をぐるっと迂回して北上するルートに人が流れたみてえだな。遺跡の中を突っ切るのも、それはそれで手間だろ」

 なるほど、と相槌を打ちながら、魔石コンロに水を汲んだヤカンをかける。部屋にはささやかながらも給湯設備があり、茶器一式から茶葉も備え付けられていたので、ありがたく使わせてもらうことにしたのだ。

 私はレインナードさんが外に出ている間に呑気にお昼寝をさせてもらったし、帰ってきたレインナードさんは期待外れの結果に肩を落としていたので。

「とにかく、他に空き部屋はなかったのですよね」

「残念なことにな」

「そうなると、やっぱりこの部屋を上手く使うしかありませんよね。この部屋も広いので、二人でも窮屈することはなさそうです」

 お湯が沸くまで、ただヤカンを眺めていても仕方がない。一旦はレインナードさんのいる机の方に戻りがてら言うと、

「そう言うんじゃねえかと思ってたけど、やっぱお前はそう言うんだよなあ……」

 またしても嘆き深い様子で、そんなことを言われたのだった。更には「嫁入り前の娘がよ……」とまで。いや、私もさすがに親族でもない男性と同じ部屋で一晩過ごすことが、傍目からどう見えるのかくらいは分かっているつもりです。

 ただ、今回は様々な要因を加味した上で、そうしてもらった方がいいのではないかと思ったのだ。そもそもレインナードさんはスヴェアさん発案の特殊案件として傭兵ギルド経由の契約を結んでいるので、やむにやまれぬ事情で同じ部屋で過ごすことになっても、そうおかしなことはしないはず。元々がとても公私混同を避ける人でもあるし、そもそも私をどうこうしなくても相手には困らないのでは。

 そうした前提要素を踏まえ、言葉は悪いけれど危険度は低いと判断している部分も多少はあったりする。

「レインナードさんの言い分は私も分かっているつもりですが、宿の女将さんは私たちが二人で部屋を使うものと思っているでしょう。この状況でレインナードさんを追い出す格好になると、かえって変に噂になってしまうかもしれませんし」

 私の意見に言い返す手札が見つからなかったのか、レインナードさんは腕を組んで椅子に座ったまま黙りこくっている。悩んでいる、とも言えるかもしれない。

「それから、もし私たちがミスリルを得て帰ってきたと誰かが見ていたら、それも少し怖くはありませんか。買取価格が高騰しているのなら尚のこと、盗んで売ろうと思い立つ人もいるかもしれません。そういう人への対策なら、レインナードさんがいてくれるのが一番だと思います」

 そこまで喋ってから口を閉じると、短い間の後でため息が落ちた。もちろん、私の口からではない。未だかつてないレベルで眉間に皺を寄せた、レインナードさんの口からである。

「今回はお前の言い分にも一理あるってことで、そうするけどな。――言っとくが、傭兵なら誰でもそういう風にして安全って訳じゃねえからな」

「いくら何でも、レインナードさん以外の人にはしませんが」

 ただ、そう答えたらレインナードさんはますます名状しがたい表情になり、ついには頭を抱えてしまった。何がこの人をそこまで悩ませているというのだろう。これはもう私の情緒が未発達なのじゃなくて、私という子どものお守りで大変なレインナードさんの情緒が不安定になっているのじゃないだろうか……。

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