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06:恋人たちの石-1

1.忙しい少女と夏の始まり



 試験前の学生が切羽詰まって慌ただしくなるのは、日本でもこちらでも変わりがない。私も学院から清風亭に帰ってきても、ひたすら課題や自主学習に取り組む日々が続いた。寝ても覚めても学院から借りてきた理論書と首っ引き。

 遊びに出掛ける余裕もあるはずがなく、外出の頻度も格段に減った。たまに街へ出る時は、もっぱら商工ギルドでの物品購入並びに交渉である。ただ、そうして何度も訪ねたお陰で、売り物にならない屑石をタダ同然の価格で譲ってもらえることになったのは望外の幸運だった。以来、課題制作は実に順調である。

 そんな調子で、試験対策期間はかなり有意義に使えていた。すっかり清風亭に居ついたレインナードさんが度々思いもよらない事態を発生させ、それに巻き込まれることもないではなかったけれど。

「おーい、そんな毎日部屋に篭りっぱなしで勉強ばっかってのも身体に悪いぞ。たまにゃあ外に飯食いに行こうぜ、飯。好きなもん食わしてやっから」

「ありがとうございます、お気持ちだけ頂きます。まだ借りてきた論文を読み終わっていないので」

「そーか。扉ァ蹴破られて修理費請求されんのと、大人しく出てきて飯食わされんのと、どっち選ぶ?」

「何ですか、その急で理不尽な脅迫は⁉ 最初の『そうか』の返事の意味は⁉」

 とんでもない脅しで勉強を中断させられて部屋から連れ出されたこともあったし、

「すみません、レインナードさん、少しお話をお伺いできますか」

「おう、いいぜ――って、目の下隈ひっでえな⁉ ちゃんと寝てるか⁉」

「これが終わったら、三十分寝ます。それより、火魔術で火炎を発生させる時のコツを教えていただけませんか」

「コツも何も、魔力通しゃ一発だろ? 戦闘中にそれなり以上の効果を見込んで使うなら、そりゃ詠唱なり陣を描くなりする方がいいけどよ」

「あっ、これ参考にならないやつですね普通にすごく天才肌」

 図らずも魔術行使における意識の差に愕然としたこともあったし、

「ほい、土産」

「はい? ――わあ、綺麗ですね! 花、いえ鉱物?」

「氷晶花っつーメロアル氷林の名産。花に似た形を作る魔石の一種なんだとさ。魔力を吸って冷気を放つんで、部屋に置いときゃいくらか涼しくなるだろ」

「綺麗かつ実用的とは素晴らしい。ありがとうございます」

「どう致しまして。あんま根を詰め過ぎんなよな」

 ちょっと遠出の仕事のお土産をいただいて、頭を撫でられたこともあった。

 また、休日のある日の昼――ご飯を食べに一階に向かうべく、二階の廊下をフラフラ歩いていた時のこと。連日の睡眠時間の減少の煽りで一瞬ものの見事に意識が飛んでしまい、壁に激突してしまったことがあった。

 派手な音を立てて床に転がってしまったせいで、驚いたレインナードさんが部屋から飛び出してくるし、

「オイどうした、具合でも悪いか⁉」

「いえ、ただ一瞬ちょっと意識が飛んで……じゃない、壁……そう、壁は大丈夫ですか……? ぶつかったせいで、傷んでいたり……」

「壁の心配してる場合か、このアホ! 歩く時は目え開けて歩け! それからちゃんと寝ろ! 飯も食え! あと、寝ろっつったけど今ここで寝んな! 起きろ!」

「……ハッ⁉」

 初めて怒鳴る勢いで怒られたこともあった。

 これに関しては、誠に申し訳なかったと反省しています次第。……しかし、その時のレインナードさんときたら、また暑いからと上着を脱いでいたのである。

「ったく、俺は何度同じことを言やあいいんだ」

 とか何とか、床に転がっていた私を抱え上げ、一階へ運んでいってくれながらブツブツ言っていたけれど。

 こちらだって、物申したいことはあるのである。顔を合わせる度に「服を着てください」と言っているのにどうして着てくれないのか。もう諦めるしかないのか。半裸の人の腕に抱えられて運ばれていくのは、絶妙に気まずさがすごいのに。

「とりあえず飯食わせてやるから、食ったら寝ろ。眠たい頭で勉強したって、ちゃんと入ってこねえだろーが」

「ごもっともです……」

 尚、この「食わせてやる」は「奢ってやる」の意図だけではなく、物理的な意味も含んでいたらしく、その後の私は親鳥に給餌される雛鳥の役に徹する羽目になった。逆に眠くて半分頭が動いていなくて良かったのかもしれない。

「次にまた同じようなことやらかしやがったら、またこうやって担いできて飯食わせるからな」

「やだ……」

「やだとか言うな。ほれ、口開けろ」

「あい……」

 斯様な光景が衆人環視の下に披露されてしまったので、ラシェルさんや女将さんからのお説教は回避された。レインナードさんがお目付け役をしてくれているなら、という理屈だったらしい。おかしい、最初は立場が逆だったのに。


 ともかくも、清風亭での日々は賑やかに過ぎていった。試験対策期間が去り、いよいよ本番の試験が始まるとなった時には、皆が皆真剣に気を遣ってくれるので恐縮してしまったくらいだ。

 そのお陰もあって、問題の試験も全て最善を尽くすことができたと思う。筆記試験も、実技試験も、課題提出も。最終日の筆記試験を終えた帰り際にアルドワン講師と会った時には、にっこりと微笑んで握手をされたので、実際に悪くない結果になっていたのだと信じたい。

 いずれにしても、それが最後の一押しというか、緊張の糸を切る決定打になったのは間違いない。一目散に清風亭に帰るや、私は二階の部屋に駆け上がってベッドにダイブした。枕に顔を埋めて「あ~~~~」なんて声を上げて解放感に浸っていたら、ノックの音が聞こえてきて思わず真顔になったけれども。

「あのー、ライゼルさん?」

 扉の外から窺うように呼び掛けてくる声は、間違いなくラシェルさんのものだ。もしや、さっきの声が下に届いてしまったのだろうか。それはまずい、あまりにも恥ずかし過ぎる。しかし、ここで知らんぷりもできない。

 とにもかくにも、今は来客対応が最優先である。ベッドから飛び降り、軽く身なりを整えてから扉を開けた。

「はい、どうしました?」

「その……何かあった訳ではなくてね? 帰って来るなり大急ぎでお部屋に戻ってしまったから、まさか上手くいかなかったのじゃないかと……」

 皆で心配していたの、とおずおずとラシェルさんは語る。それで代表として確かめに来てくれたのだろうか。申し訳ないことをしてしまった。

「いえ、そういうことでもなかったのですが」

 ご心配をお掛けして申し訳ありません、と軽く頭を下げて返す。すると、すぐに「そうみたいね」と柔らかいトーンで返事があった。

「顔を見たら安心したわ。上手くいったのね」

 視線を上げてみれば、ホッとした風の微笑み。心配は解けたようだし、私の呻きも聞こえてはいなかったようだ。全てオッケー。何も問題なし。良かった!

「ええ。まだ結果は分かりませんが、悪くはないと思います」

「それなら良かった! 今夜は試験が終わったお祝いなのよ。ジョエルさんとフィルマンさんが腕によりをかけて晩御飯を作っているから」

「そうなんですか? そこまで気を遣っていただかなくとも良かったのに」

「そんな水臭いこと言わないで。ケーキもレインナードさんがマリフェンで用意してくれているから、楽しみにしていてね」

「マ、マリフェン……。ありがとうございます」

 その名前を聞かされてしまうと、呆気なく釣られてしまうのが私の如何ともしがたいところである。それほどまでにマリフェンのお菓子やケーキは美味しいのだと、言い訳はさせていただきたい……。

 その日の夜はラシェルさんが言っていた通り、清風亭の一階を丸ごと使った宴会になった。表に「貸し切り」の看板を下げたというのに、意外とお客さんの姿も少なくはない。その人たちは皆一様によく見知った常連客であったり、宿の宿泊客であったりした。お祝いに協力してくださった人たちが招待されているらしい。

 フロアの中央に寄せたテーブルには美味しそうな料理がずらりと並び、レインナードさんが用意してくれたという大きなケーキが聳えている。その大きさと言えば、もはやウエディングケーキを彷彿とさせるくらいだった。大盤振る舞いにしても、いくら何でもし過ぎである。

「せっかくのお祝いだから、皆で奮発したのよ。本当にお疲れ様」

「ありがとうございます。それにしても、こんなに大きなケーキをよく……」

「そりゃあ、その分だけ早めに注文に行ってたからな」

「そうだったんですか?」

「そうさ。あんだけ一生懸命に準備してたんだから、上手くいかねえ訳がねえ。そしたら、こっちも相応のもんを用意しておきてえじゃねえか。これだけのもんなら、お眼鏡にも適ったんじゃねえか」

 どうだ、とレインナードさん――今回はちゃんと服を着ている――が私の顔を覗き込んでニカリと笑う。私はその顔を、何とも言えない感慨と共に見返した。

 嬉しいのは間違いない。でも、どうにもむず痒いような、ぐるぐると辺りをうろつきたいような、上手く言葉にできない感覚もあった。

「……とても、嬉しいです」

「そりゃ良かった。ライゼルも、ここ一月よく頑張ったな!」

 目元を緩ませたレインナードさんが、ぐしゃぐしゃと頭を撫でてくる。

その手の豪快さはシモンさんを思い出させ、実はいつも少しだけ懐かしくなっていた。さすがに「おじいちゃんみたい」とか言おうものなら、またショックを受けられてしまうに決まっているので、本人に伝える気はないけれど。

「そんじゃあ、ライゼルの試験終わりを祝って!」

 乾杯、とエールのジョッキと冷茶のグラスをぶつけ合う。あちこちで唱和する声が上がり、弾ける笑い声。用意していただいた料理にケーキ、それ以外にも持ち込まれたお土産があれこれ。そのどれもが美味しくて、嬉しくて、気を抜いたら涙が出てしまいそうだった。

 ……まあ、盛大な宴会の翌朝に何がどうなるかというのも、分かりきったことだ。明け方のフロアにはゾンビめいて呻く人があちこちに倒れて転がっている小惨事だったけれど、たまにの宴会と思えば、それもまた笑い話だろう。

 思えば、王都に来てこれでもう四ヶ月。長かったようで、あっという間だったような気もする。嫌なことも面倒なこともあったけれど、それ以上に楽しかったことや嬉しかったことも数多くあった。やはり、私はとても恵まれている。再び生まれて育った場所を離れても、こんなに温かな人たちに囲まれているのだから。

 今度クローロス村から手紙が届いたら、この宴会のことを書こう。そう決めて、私の十七歳の七月は終わった。



 八月に入ると、王都はいよいよ本格的な暑さに見舞われる。宴から三日目――まだ暑くなりきらない朝の早いうちに、私とレインナードさんは浮遊島探索行に向かうべく出発した。

 今回の目的地である浮遊島〈ジルド〉は、今現在も多数の魔術師や考古学者によって調査され続けている国定重要史跡だ。かつて栄え滅んだ文明の遺産と言われているけれど、それが具体的にいつどんな人々によって築かれ、如何にして滅んだのかという詳細は未解明の部分が多い。

 分かっているのは街一つを空中に浮かび上がらせて永年維持し、ミスリルによる武具の作成も盛んに行うことができるだけの資源や技術を持っていたらしいということだけだ。千年以上昔に滅んだのではないかと言われてはいるものの、それ以外はほぼ何も分かっていないに等しい。肝心の遺跡を浮かせている仕組みでさえ、今尚解明されきってはいない。

 とは言え、国が管理しているだけあって、島の中は概ね安全だ。稀に過去の住人の置き土産として警備機構という名のトラップが発動したり、住み着いた空の魔物に遭遇することもあるらしいけれど、確立としてはさほど高くない。地下迷宮や樹海の深層に比べれば、可愛いものだという。

「即死系トラップはねえって聞くしなあ」

「死ぬより辛いとか、死にはしないけど辛いとか、そういう含みがあったりはしませんよね?」

「はっはっは、細けえことは気にすんな!」

「細かくありませんが⁉」

 しかし、元気にはぐらかしてくれるレインナードさん曰く、問題はトラップよりも島そのものの広さなのだという。

 王宮を擁する街を丸ごと浮かせたという伝承そのままに、王都ガラジオスに勝るとも劣らない規模を誇るのだそうだ。全てを詳細に探ろうと思ったら、どれだけの時間が要るかも分からない。国の調査だって何十年も前からずっと続けられているし、レインナードさんに「長丁場になるかもしれねえからな」と出発の際に渡された鞄も未だかつてない重量だった。

 しかも、ついでに傭兵ギルドで浮遊石の収集依頼も受けてきたので、帰りは更に荷物が増える可能性もある。浮遊石はその名の通りに魔力を吸って浮く石で、浮遊島でよく採れる。例によって重量はないけれど嵩張る類であり、欲を出し過ぎたかと思わなくもないものの、手間暇かけて行く以上は収穫を多くしたいのが実情だ。

 そもそも浮遊島は立地の特殊さから、到達するには地下迷宮や樹海に向かうのとはまた違った手間と費用が発生する。まず浮遊島最寄りの町であるマーヴィに移動する必要があるのだけれど、これがまた王都からだと遠いのだ。これが普通の依頼なら、どう移動するか悩みに悩んだことだろう。しかし、今回はあくまでレインナードさんのお供なのである。

 あっさりとガラジオス傭兵ギルドの転送機を使うことが決定され、長大な距離移動もほぼ一瞬。その後は、町に発着場のあるグリフォン便での空の旅となる。

 ……そう、グリフォン便。飼い馴らしたグリフォンに人や荷物を乗せるという運搬方法が、マーヴィの周辺地域では一般化されている。浮遊島が地上からも目視できるだけに、そこへの行き来を図ろうとしてきた歴史もあれば、グリフォンの一大生息地として知られる土地柄によるものでもあるのだろう。

 現在では浮遊島にも転送機が設置されているものの、国のものなので傭兵ギルドのものに比べると利用料がおそろしく高い。さすがのレインナードさんも躊躇うほどであったので、大人しくグリフォン便を利用することに決めた。

 そこまでは良かったのに、ここで突如として大問題が発生した。

 私も田舎の山村で育っただけあって、馬にはそれなりに乗れる。しかし、グリフォンはグリフォンであって、馬ではない。その上、自力で風を操って低空を移動するならまだしも、空高くに浮かぶ島を目指して飛ぶのである。

 グリフォン便の発着場に到着し、翼ある獣と対面する。その猛禽そのものの眼と眼があった瞬間、私は思った。――冷静になってみると、めっちゃ怖い。

「あー、ライゼル? 大丈夫か? 顔真っ青になってんぞ」

「高いところダメな人、割とよくいますからねえ」

「この状態で一人で乗ってけってのも酷だなあ」

 レインナードさんやグリフォンの乗り手のお兄さんたちが喋っている声も、まるきり右から左に抜けていく。これから背中に乗せてもらうというグリフォンくんと見つめ合ったまま、固まっていることしかできない。

「これ、片方に荷物全部乗せて、もう片方にお嬢さんとお連れさんと一緒に乗ってった方がいいんじゃないですかね」

「そうすっかなあ。ライゼル、それでいいか?」

「イイデスオネガイシマス」

「完全に片言になってる……」

 かくて全方位から憐みの視線を向けられつつ、出発の準備を整えることになった。

 まずはレインナードさんが私を持ち上げてグリフォンの背に乗せてくれ、次いで私の後ろに乗り込む。背中側から抱えてくれていることになったのだけれど、

「ライゼル? どした?」

「マエ ミル コワイ」

「もう何か会話にも支障出てんな……。前見るの怖かったら、後ろで背中にくっついてるか? そしたら前も見なくて済むぞ」

「ウシロ オチル コワイ」

「……よし、分かった。俺が抱えてっから、好きなようにくっついてろな」

 理屈ではないのである。何もかんも怖いのである。どんどん空の中へ進んでいくのを見ているのも怖いし、背中にしがみついたとしても、何かの弾みで手が離れたらと思うと今から気絶しそうになる。

 そんな塩梅では形振り構ってもいられず、一人後ろ向きに座り直し、レインナードさんに抱き着いて精神の安定を図るしかなかった。正面から両腕を力いっぱい背中に回し、ついでに足も腰に回して全力でホールドする。

 何が何でも離れまいとする私を見るレインナードさんの顔は、かつて修学旅行で見た仏像の如しだった。まったりとしたアルカイックスマイル。悟りきった顔で全てを受け入れる。今はその懐の深さに甘えさせてもらうしかない。

「一応、命綱結んどきますね」

「頼んます」

 乗り手のお兄さんとレインナードさんのやり取りの末、私の腰にも鞍に繋がる命綱が結ばれると、いよいよグリフォンは空へと飛び立つことになった。


 マーヴィのグリフォン便発着場から浮遊島までは、天候が荒れなければ一時間程度の飛行で済むという。

 今日は特に天気が良く、綺麗な色の鳥の群れが近くを飛んでいたりもしたらしい。乗り手のお兄さんが気分転換になればと気を利かせてくれて、都度そういう情報も教えてくれたのだけれど、私はひたすら分厚い胸板に顔を押し付けて首を横に振るしかできなかった。

 何故ならば、周りを見るのは怖いので。周囲をの空を見回して、鳥だけをピンポイントに目に入れることはできないので。

「イツカミマス」

「いつかっていうか、次がなくねえかコレ」

 冷静過ぎるレインナードさんのツッコミは、全て聞こえなかったことにしておいたけれど。

 高高度の空へ向かっているということを抜きにすれば、グリフォンくんの背中は快適だった。そこまで揺れないし、急な旋回や上昇もない。鞍には風除けと保温の魔術がかけられているので、飛行中も寒さに悩まされることすらなかった。

 お陰様で、誰も彼もにご迷惑をお掛けしまくるという誠に過酷な一時間の旅も、結果として平穏なまま終わった。

「い、生き延びた……」

 浮遊島の発着場に降り立ち、命綱を解いてもらってから、またレインナードさんに下ろしてもらう。力いっぱいしがみついていたせいで手と足の感覚が抜けかけていたけれど、少し休めば元に戻るはずだ。

 浮遊島は「浮遊」と名がついてこそいるものの、意外にも足場の不安定さとは無縁だ。少しも揺れも傾きもなく、ふわついているような不安定さも感じない。しっかりと自分の足で立つことができて、それが平静を取り戻すのに一役買ってくれたように思う。

「大袈裟だなあ。――んじゃ、どうも世話になった」

「ご利用ありがとうございました。帰りのご予定は?」

「今のとこ細かい予定が読めねえし、日に二度の定期便もあるんだよな? そっち使うわ」

 グリフォンの乗り手のお兄さんとレインナードさんが話をしているのを聞くともなしに聞きつつ、周囲をぐるりと見回してみる。発着場の周辺一帯は、思いの外に人で賑わっていた。浮遊島は一応、アシメニオス王国の領土の一つとして数えられているものの、厳密に誰の領地と決まっている訳でもない。

 国が継続的な調査を行っているので、事業として採掘を行う時は国の許可をもらわなければいけない決まりはあっても、取り立てて禁止されてもいないそうだ。今も生きている浮遊石の鉱脈への入り口が街外れにいくつかあるので、南部地方の商工ギルドが許可を取って統一的に採掘を行っているという。だからか、いかにも鉱夫といった様子の屈強な男性の姿が多く見られた。

 それだけでなく、発着場から見渡せる距離の中にいくつもの食堂や宿屋に雑貨屋、鍛冶屋と多種多様な店舗が軒を連ねている。古めかしい建物もあれば、新しい建物もある。地上から人が来る度に作り足されてきたのだろう。商工ギルド主導の採掘が始まった影響もあるのかもしれない。

「うし、そんじゃ行くか」

 ぼんやり眺めていると、いつの間にか傍に来ていたレインナードさんに肩を叩かれた。振り返ってみれば、その肩には二人分の鞄が掛けられている。しまった、受け取りを完全に忘れてしまっていた。

「すみません、鞄を」

「調子が戻ってきたんなら、それでいいさ。――ところで、宿はどうする?」

 鞄を受け取りながら、不思議な問いを受けて首が傾いだ。

「どうする、とは」

「宿に荷物を置いて昼間だけ遺跡にもぐって夜は宿で休むか、荷物全部抱えて目的が達成されるまで遺跡ん中にもぐりっぱなしにするか、どっちがいいかって話」

「ああ、そういう……。効率を考えるなら、後者ですよね」

「まあな。その分しんどくはあるんで、おすすめはしねえがね」

「間を取って、よっぽど疲れたら戻ってきて宿で休むってのはどうです? ちょっと無駄になってしまう面は否めませんけど、部屋だけ確保しておいて」

「それもいいな。んじゃ、そうすっか」

 ええ、と頷き返し、まず手近な宿屋に二人揃って足を向ける。しかし、周囲の賑やかさ相応に宿を求める人の数も多いらしかった。最初の宿は満室。その次の宿も同じく、という事実が見えてくると、俄かに嫌な予感がしてくる。

「これ、問答無用で宿無し強行軍になりますかね」

「最悪の場合はなあ……」

 できればあんましたくはねえんだが、とレインナードさんがぼやく。

たぶん、自分一人だったらそれでも構わなくはあるのだろう。今は私がいるから気を遣ってくれているだけで。とはいえ、現実的に泊まれる部屋がなければどうしようもない。

 ここも望み薄かな、と諦め半分で三軒目の宿を訪ね、受付にいた女将さんに部屋の有無を尋ねてみると――

「あら、運がいいね! ちょうど一部屋だけ残ってますよ!」

 喜んでいいのか困ればいいのか分からない答えが返ってきて、レインナードさんと顔を見合わせてしまった。

「一部屋っきりかー……」

「寝台が大きめの部屋だから、二人で寝泊まりするにも不足はないと思うよ。最近は下からの泊まり客が多くってねえ、どこもあんまり空きがないのさ」

「いや、そういうことじゃねえっつか、商売繁盛は結構なんだけどな」

 参ったな、と呟いたレインナードさんが頭を掻く。少し悩む目顔になった後で、その視線が再び私の方へ向いた。

「他に空きがあるとも限らねえし、とりあえず拠点として確保するだけしとくか。荷物置きに使ってもいい訳だし、後で別に追加の部屋が取れるかもしれねえしな」

「そうですね。今はそれでいいと思います」

 分かった、と頷いたレインナードさんが受付の前へと歩み出る。私は少し遅れて、その背に続いた。

「その一部屋を借りる。今一括で支払うから、とりあえずは三日分確保しといてもらえるか」

「喜んで! その大荷物ってことは、遺跡の調査か何かかい?」

「そんなとこだ」

 軽く応じたレインナードさんが受付で手続きを始める。あまりまじまじ見ても失礼だ。レインナードさんの傍から離れ、表通りに面した窓の方へ足を向ける。また新しく発着場にグリフォンが到着したようで、わっと賑やかな声が上がっていた。

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