05:司祭長の懺悔-2
2.夏の兆し
お茶とお菓子の包みを抱えつつも少々の寄り道を挟んで清風亭に帰り着くと、時刻は午後の三時を回っていた。
すっかり日も長くなり、夏の盛りへと近づいてゆくばかりの日々だ。日中の暑さも、ちょうど今くらいの時間がピークなのだろう、ただ歩いていても汗が浮かぶ。
「戻りましたー」
軽く声を掛けながら、「準備中」のプレートの掛けられた表の扉をくぐる。同時に外よりも格段に涼しい空気に包まれ、小さく息が漏れた。
宿や酒場のようなお店では、魔石を用いた冷風扇が設置されていることも多い。清風亭でも一階のフロアに置かれており、暑い時にはお客さんたちがその周囲の席を求め、よく熾烈な席取り合戦を繰り広げていた。
清風亭の一階は昼間には食堂、夜には酒場として活用され、多数のお客さんで賑わう。ただし、今の時間は従業員の休憩と夜へ向けた仕込みに充てられる時間帯にあたり、いつもはお客で賑わっているフロアも静まり返っていた。
食堂と酒場の給仕役として働いている女性――ラシェルさんがテーブルを拭いているばかりで、当然ながら食事をしている人も見られない。
「お帰りなさい、ライゼルさん」
扉を開けて入ってきたのが私だと気付いたラシェルさんが顔を上げ、にこりと笑って迎えてくれる。
私より二つ年上のラシェルさんは、十五歳の頃から清風亭で働いているという看板娘さんだ。緩く編んだ金髪が柔らかな笑顔によく似合い、常連客からは無類の人気を誇る。
かく言う私も着なくなった服を譲っていただいたり、余分に作ったという料理のお相伴に与ったりと、日頃からお世話になること甚だしい。お陰様で、今や水面下で結成されているラシェルさん親衛隊の立派な一員である。
「ただいま戻りました。こちら、お土産です。旦那さんと女将さんは厨房ですよね? 手が空いた時にでもどうぞ」
教会でもらってきたのではない、帰り道に買ってきたお土産のお菓子を示してみせると、ラシェルさんは「まあ」と表情を綻ばせる。
「ありがとう。この箱、マリフェンかしら」
「はい、夏の新作が売り出されていたので」
マリフェンは大通りの有名なお菓子のお店だ。人気があって混むことは混むのだけれど、お店側の対応がいつも速いので、それほど並ばずに買うことができた。
「レインナードさんは、お部屋で大人しくされていますか?」
ついでに尋ねると、ラシェルさんがはっと息を呑む仕草を見せた。……おや、これは……。
「もしかして、安静の命令を無視してうろついているとか」
「え、ええと、その、私が頼みごとをしてしまって」
灰色の眼が全力で泳いでいる。ラシェルさんは純朴な人柄の女性で、要するに嘘が吐けない人なのである。その辺も常連客が「カワイイ」と評して親衛隊が増える要因の一つとなっているのだけれど、それはともかく。
「なるほど、勝手に何かをしている、と。……現場はどちらですか?」
「その、裏庭なんだけど……あの、ライゼルさん、怒らないであげてね? レインナードさんも厚意で」
「ご厚意は結構ですが、あの人は自分が怪我人だということを分かっているんでしょうかね……」
ため息を吐き、フロアを突っ切って裏口へ向かう。ラシェルさんの困ったような表情には、意図して気が付かなかった振りをした。
「ううん……あっ! ライゼルさん、後で裏庭にお茶持っていくわね」
「え? いえ、お構いなく……」
「遠慮しないのよ!」
こちらの返事にも聞く耳持たず、ラシェルさんはテーブルを拭き終えると厨房へ足早に向かっていった。固辞しようにも、私の手の中には教会でもらった包みも、まだもう一つマリフェンの箱もある。裏庭でお店を広げないとも言い切れなかった。
そちらに対する気遣いも本当だろうけれど、お茶を持ってくることで私にガミガミやられているレインナードさんの援護をしようという思惑があるのは間違いない。いずれにしても、ラシェルさんを止めるのは無理だと考えた方がよさそうだ。
まあいいか、と深くは考えないことにして、裏口から再び外に出る。まだ沈む兆しも見せない日差しは眩い。室内の明るさに目が慣れかけていただけに、少し痛むくらいだった。
「お、ライゼルじゃねえか。どうしたよ?」
ゆっくりと瞬きをして目を慣らす最中に聞こえる、陽気な声。それから、かーんと鳴る軽い音。
「人を探しています」
「ん? 俺か?」
裏口の前から少しばかり脇に寄り、日の当たらない物陰に隠れる。そうしてようやく、視界を取り戻すことができた。
王都の中で広大な土地を確保するのは並大抵のことではない。清風亭の裏庭も例にもれず、小さな倉庫と物干し場があるくらいの小ぢんまりとした空間だ。ただ、今は干し物も取り込まれた後らしい。
ぽっかりと空いた一角には、斧を片手――よりによって右手である――にパカンパカンと小気味よく薪を割っていく上半身裸の男性の姿があった。
もう季節はほぼ夏だ。暑かったのだろうな、とは分かる。分かるのだけれども、汗でむやみやたらに輝く隆々とした筋肉、そして何より軽快に薪を割っていく右手の斧を見ていると、自然と半目にならざるを得ないのだった。
「ええ。一週間は安静の命令を破り、何やら肉体労働に勤しんでいらっしゃる誰かさんのことです」
「いや、安静は右手だけだろ。他は別にな?」
「今まさにその右手を使っているでしょう! 他にも服をきてくださいとか言いたいことは多々ありますが、ともかくそこにお座りなさい」
そこ、と山のように積まれた薪の前を指差すと、眉尻を下げたしょんもりした顔でレインナードさんが斧を置く。それからも特に文句を言うでもなく、すごすごとやってきて正座をしてみせた。そういう反応だけは素直なのに……。
はあ、とこれ見よがしのため息を吐くと、大きな身体がびくりと肩を跳ねさせる。ほんの少しばかり良心のようなものが痛まないではなかったけれど、ここで甘い顔をすることはできない。ロニヤ先生とスヴェアさんからお目付け役を期待されているからというだけでなく、私くらいはガミガミ言ってストッパーにならなければならないという、一種の義務感がここ数日で芽生えつつあった。
「いいですか、ロニヤ先生は一週間安静にとおっしゃいました。裏を返せば、一週間我慢すればいいんです。だというのに、たったの四日! 傷が悪化したらどうするんです! お腹の傷が治ったからといって、右手も同じように回復した訳ではないんですよ!」
意図して説教じみた口調を作って言い立てる。
商工ギルドの方で多額の予算を割いてあったのか、ロニヤ先生が卓越した治癒魔術の使い手であったのか、レインナードさんの手当てに使われた符は凄まじいまでの効果を発揮した。
包帯を替えるのを手伝ったので私もこの目で確認しているけれど、見立て通りに腹部の裂傷も翌日には治っていたし、その痕跡すら分からなくなりかけていたほどだ。しかし、右手はまだ治癒途中で、包帯だって取れていない。
「医者の先生はどうしても使いたけりゃ、二日目から使えねえことはねえっつってたしさ」
「それは使っていいという許可ではありませんし、『一週間は安静に』という根本的な指示を無視しています」
「でもよー、身体動かしてねえと鈍るだろ」
「それなら、右腕を使わないようにするとか」
「さっきまで左手でやってたんだよ」
「それで右手を使っていれば意味がないでしょう!」
勢い、ちょっと叫んでしまった。ああ言えばこう言うとはこのことか!
「はあ……。暖簾に腕押しが過ぎる」
「ノレン?」
「何でもありません。後で傷の様子を見ますから、とりあえずこれ以上右手使うのは止めてください。それから、服も着て。露出魔ですか」
「人聞きの悪いこと言うなよなー。この陽気で薪割りとかしてたらよ、そりゃ汗かくだろ。そしたら脱ぐだろ」
「脱ぎません」
思わず真剣に即答してしまった。しかしながら、これにも「表から見えねえんだからいいじゃん」と大らかすぎる返事が返ってくる訳なのだ。
世間の目を全く気にしていない訳ではなかったと、その点でもって良しとしておくべきなのだろうか。大いに論点がズレている気がする。
「……これ以上は平行線のままでしょうし、ひとまず休憩にしましょう。さっき出掛けたついでに、お土産を買ってきたんです」
「お、まじでか。ありがとなー」
けろっとして立ち上がったレインナードさんが近寄ってくる。せめて、服を着てからにしていただけないものか……。
「出掛けたって、どこ行ってきたんだ?」
「教会です。村で魔術を教えてくださった司祭さんのお師匠さんがいらっしゃるとのことで、少しお話を聞きに」
へえ、と相槌を打ちながら、レインナードさんがまだ割る前の薪、つまり丸太をいくつか日陰に持ってきてくれた。椅子代わりにしようということだろう。……そう言えば、お茶を届けてもらえるのだっけ。
「ちょっと中に戻ってきますから、これを持っていていただけますか。中身はまだ見ちゃだめですよ」
マリフェンの箱と教会でお土産に持たせてもらった布包みをレインナードさんに預け、再び裏口をくぐって清風亭の中へと引き返す。お茶を用意してくれるということだから、厨房に行けばいいだろうか。
そう思って歩き出せば、申し合わせたようなタイミングでラシェルさんがやって来るのが見えた。その手のお盆には、冷茶が注がれていると思しいグラスが二つ載せられている。
「すみません、ラシェルさん。頂いていいですか?」
「ええ。持っていくと言ったのに、ごめんなさいね」
「とんでもありません、ありがとうございます。それに、今の裏庭は些か人目を憚る有様になっていますから……」
無論、そんな説明で全てが伝わるはずもない。ラシェルさんはきょとんとしていたけれど、敢えて深くは語らずにおいた。どんな顔をして説明すればいいのか分からなかった、とも言える。
「お説教は終わりましたから、大丈夫ですよ」
代わりにそう言ってみると、ラシェルさんはほっとしたように微笑んだ。本当にいい人だ。
お盆を受け取り、もう一度お礼を述べてから裏庭に戻る。レインナードさんは律儀に箱と包みを持ったまま、丸太に座っていた。未だに半裸で。手荷物はその辺において、服を着ていてもよかったのでは……いや、私が持っていてくださいと頼んだのが裏目に出たか。
「戻りました。こちらはラシェルさんからです。包みの方はその辺に置いておいてもらって、箱の方をいただけますか」
「あいよ」
レインナードさんの隣の丸太に腰を下ろし、布包みが別の丸太の上に置かれるのを待ってから、お盆と箱を交換する。お盆はまた別の丸太の上に置かれ、私は箱を膝の上に乗せて開ける。中には季節のフルーツのタルトとマドレーヌが二つずつ。
右手にマドレーヌ、左手にタルトを持って取り出してみれば、
「何か随分差があんな。やっぱ怒ってんのか……」
レインナードさんがしょぼくれた顔をした。何やら勘違いをしておられる。
「そんなみみっちいことはしませんよ。併せて一人分です」
「おお? そーか、何か悪いなー」
差し出された手に二ついっぺんに置き、自分の分のマドレーヌを取り出す。淡いピンク色が可愛らしい。
「んじゃ、いただきます」
「召し上がれ」
大きく口を開けたレインナードさんが円いタルトにかぶりつくのを横目に、こちらはこちらでマドレーヌに噛り付く。控えめな甘さに、口の中でほろりと崩れる柔らかさ。美味しい……。
「んで、教会じゃ為になる話でも聞いてこれたか?」
「為にはなりましたが、それ以上に込み入った話でもありましたね」
「どういうことだ?」
「私の師匠にあたる司祭さんは、元々王都の教会に在籍されていたそうです。そこで事情があって、私の村に出向することになった。それが約十年前のことなので、司祭さんのお師匠である司祭長さんは、そろそろ弟子を呼び戻したい。けれど、おそらく司祭さんにはその気がない。どうしたものかと困っていたところに、弟子の弟子が訪ねてきた……というような」
「孫弟子を唆して、弟子を呼び戻させようってか」
「その表現では少し語弊がありますが、大枠はそんなところでしょうね。私は師匠に泣きついて助けを乞わねばならないほど困ってもいませんし、未熟でもないつもりです。それに、下手に頷いて呼び戻す手助けをしてしまうと、教会内部の権力闘争に巻き込まれる可能性もありますから」
丁重に固辞しました、とため息を吐き、話しながら食べ進めていたマドレーヌの残りを口の中に入れる。ゆっくりと咀嚼し、飲み込んだらお茶を一口。
冷風扇のように、この世界では電気の代わりに魔術や魔石を用いた冷蔵庫や冷凍庫が一般的に普及している。氷の入った冷茶もまた、それらの恩恵によるものだ。口をつけて飲んでみると、ひんやりとした感覚が喉を伝ってゆくのが心地好い。
ほっと一息吐き、次いでタルトを手に取った。季節の果物のタルトという名前の通り、固めのタルト生地にクリームがたっぷりと盛られ、色鮮やかな果実で飾り付けられている。
慎重に歯を立ててみれば、クリームの甘さと果実の酸味が口の中で混ざり合い――ああ、幸せ。
「なんつーか、スヴェアの暴走の時にしろ、どうもお前は厄介事に巻き込まれやすいのな」
「何一つこちらが望んだことではないのですけれどね」
「そういう星の巡りに生まれたってか」
「空恐ろしいことを言わないでください」
答える声は、自然と呻きに近くなった。ただでさえ数奇な運命を辿っている自覚がある。これ以上の騒動は御免蒙りたい。
「食べ終わったなら、その包みの方もどうぞ。お菓子も入っているので――教会でお土産に持たせてもらったものですけど、美味しいですよ」
レインナードさんは早くもマドレーヌとタルトの両方を食べ終え、手持無沙汰にしていた。話を変えがてら隣の丸太の上に置かれた布の包みを示してみれば、いいのかと問う眼差し。
「たくさんあると思いますから。薪割りをしていたなら、お腹も空くでしょう」
「そんじゃ、有難く」
「ええ。お時間に余裕があれば、もう少しお話しておきたいこともあるので」
「話?」
キョトンとした顔でレインナードさんが私を見る。その間も手は布包みを開け、中からフィナンシェを取り出しているのだから器用なものだった。
「武闘大会で槍が破損したでしょう。あの修理について、勝手ながらいろいろと考えてみていたんです」
「そりゃ助かるが、あれもこれも悪いな」
言葉通りに申し訳なさそうな顔をする人へ、軽く肩をすくめてみせる。これに関しては私も自分の利益を見ている側面があるので、必ずしもそんな反応をしてもらうこともないのだ。
「私もレインナードさんの装備が壊れたままでは困りますし、懇意にしていただいている先生との雑談のついでみたいなものでしたから。――レインナードさんの槍は、ミスリルの穂先を木製の柄に差し込んでいる形ですよね?」
ミスリルは鋼よりも硬く、魔力の伝導性も非常に高い希少金属だ。それで打たれた槍であれば正真正銘の業物であろうし、霜の巨人との一戦において見事に炎を宿していたのにも納得がいく。
ただ、今回の問題は双方の能力が高すぎたことだ。ミスリルの魔力伝導性の高さとレインナードさんの並外れた魔力出力の高さが相俟って、担い手を焼くほどに際限なく炎を燃やしてしまっていた。おそらく、槍の制作者もレインナードさんの能力がここまで凄まじいとは予想していなかったのじゃないだろうか。
後学の為に、先日柄から外した槍の穂先を見せてもらったけれど、決して魔力の許容量が少ない訳ではなかった。予め魔術を付与して立ち回ることを想定していたらしく、むしろ逆だ。並の魔術師が持って魔力を注いでも、あそこまで激しく燃え盛らせるのは難しいに違いない。
「そーだな。柄の先端に中茎を差し込んで、更に金属の環を嵌めて固定してる」
「いっそ柄までミスリルにしてしまえば壊れにくくなるのかもしれませんけど、多少は柔軟性があった方がいいですよね?」
「そうだな、今も前の柄を預けて同じように作ってもらうよう頼んでる。材質はセラン樹、魔術塗装で頑丈さを増すように頼んじゃいるが、あんま複雑になってくると本職の魔術師に頼めって言われるからなあ」
手間がかかるんだよな、とレインナードさんが眉根を寄せる。その気持ちも分からないではなかった。
一般に魔術師と呼ばれる職業人の中でも、物品への魔術付与を生業とする比率はかなり多いと聞く。それだけに市井で開業している人たちの腕もピンキリで、腕のいい術師とは繋ぎを作るのも大変だし、仮に依頼ができるようになっても数年先まで予約の枠が埋まっているということもザラらしい。……アルドワン講師からの受け売りだけれど。
魔石加工学も広く見れば魔術付与の分野に含まれるものなので、その界隈については顔が広いというか、いろいろ聞こえてくる話もあるのだそうだ。
「これは雑談に応じてくださった先生のご提案なのですけど、塗装での強化とは別に加工を施すのはどうかと。穂先の近くにヴァトラ石を埋めて余剰の炎を蓄積、任意のタイミングで放てるようにする。それから石突もミスリルにして、穂先から石突まで魔力の流れるラインを通す。必要な時に魔力を込めることで硬質化できるように、柄の方にも術を込めておくんです。ヴァトラ石の発動に呼応して自動化するという手も考えはしたのですけど、レインナードさんくらいできる人ならかえって邪魔になりそうな気もして――どうですか?」
私もタルトを食べ終わったので、レインナードさんの膝の上に置かれている包みの中からフィナンシェを拝借しつつ述べる。
ヴァトラ石は「炎喰らいの石」の異名を持つ、炎を引き寄せて内部に溜め込む性質を持つ魔石だ。今回の目的に対して、実にうってつけであると言える。
「どうですかも何も、今ある問題に全部対策を打ってもらえる良案じゃねえか。……気になることがあるとすれば、俺の方で今すぐに話がつけられそうな腕のいい魔術師の伝手がねえってことだけどよ」
「最近、急に騎士団の方で装備の改修が進んでいるらしいですからね。腕利きはそちらに取られているらしいですよ」
「あー、それ俺も何かで聞いたな。ヴィオレタとエブルが落ち着き始めてる今になって何でって、皆首を傾げてたぜ」
「まさか、これからよその国と戦争を始めたりはしないと思いたいですけど……。少なくとも、キオノエイデとは友好関係が続いてますよね」
「そうさなあ……。傭兵の肌感覚的に、この国が自発的にどっかへ戦争を吹っ掛けることはねえんじゃねえかとは思う。別の何か、防衛的な面で警戒するもんがあるのかもな」
「それはそれで危険なような」
「まあ、そん時は俺もちゃんと仕事するから心配しなさんな」
「ありがとうございます」
「――で」
「……で?」
急にレインナードさんの声のトーンが変わった。いや、私もそうならないと思っていた訳ではないけれど。
「おいおい、ここで知らん振りしてくれんなよ。腕利きの魔術師は騎士団に取られてる。お互いにそれを分かってる中で、ただ槍の改修案を喋ったりしねえだろ? まだこの後に話が続くはずだ。そう勿体ぶってくれんなよ、武闘大会の賞金もあるし費用面なら心配いらねえぞ」
やはり、こちらの考えていることはとうにお見通しであったようだ。歴戦の傭兵と知られるに相応しく、聡い人なのである。
口の中にわずか残っていたフィナンシェを冷茶で流し込んでから、一息吐く。そのワンクッションを挟むことで、腹を括った。……括れたと、思う。
腕利きの傭兵が愛用する武器を、個人的な利益の為に利用させてもらう。要はそういった話でもあるだけに、いざ打ち明けるとなると心臓がどくどくと早鐘を打ってならなかった。
「お話しした改修案で問題がなく、それに必要な素材を用意し、私の課題の一環として扱うことにも同意するのなら、魔石加工学の先生が同席して施術を見守ってくださるそうです。あくまで術を施すのは私という学生になるので、その点について不安が残るようでしたら、別途人を探していただいた方が良いと思います」
「じゃあ、それで頼むわ」
「即答⁉」
こちらは相当に緊張して提案したというのに、その軽いまでの迷いのなさは何なのか。本当に大丈夫なのかと疑いの目を向けずにはいられなかったものの、
「数十年ぶりの麒麟児だって評判だぜ、〈碧礫〉」
にやりとした笑みと共に返され、一瞬言葉を失った。知っていたのか。
「もっと自慢してもいいだろうに、ちっとも話にも出さねえんだもんな」
「……あまりいい意味の銘ではないので」
「ああ、『礫』だからか?」
軽く問い返してくる声には、無言で頷き返す。
磨かれてもいない、碧い小石。未熟の証明でしかない。
「そんなもん、当たり前だろ」
「え?」
もしかしたら、慰めの言葉でもかけられるのだろうか。その思惑を完全に裏切った一声に、間抜けな声が漏れた。
「今の時点で玉だったら、学校に通う必要がねえだろ。お前はまだ原石だけど光るもんがあるから、これから勉強して磨いて立派な宝石になれっつーこったろ? 激励だ激励。何をしょぼくれる必要があるよ。仮にも宮廷魔術師筆頭なら、後で名を付け直せる自信も無しに銘をやるようなアホな真似はしねえさ」
そう萎れてねえでもっと食え、と手の中にフィナンシェが勝手に追加される。私がもらってきたものなんですけど、とか憎まれ口の一つでも叩いてみようかと思って、結局止めた。
先日の武闘大会に関わっていたアルドワン講師も私が誰の槍について考えていて、その槍の持ち主がどんな人物かは知っている。宮廷魔術師として部隊を率いて前線に立ったこともある御仁なのだから、傭兵の武装についても決して軽く考えてはいないはずだ。
その上で提案してくれたのだから、それだけのものを私に見出してくれていると信じても間違いではない、と思う。〈碧の女帝〉の課題も満点をもらえたし、それの一つの判断材料になったのかもしれない。レインナードさんに対しては、まだそれほど能力を示すことができている気はしないけれど……。
「ともかく、分かりました。当初の計画通りに進めます。まずは素材を揃えなければいけませんが、ヴァトラ石はそう珍しいものでもないので、商工ギルドに在庫があるのではないかと」
「おう、ありがとう。石の方は、まずそっちを当たってみるか。ミスリルは――そこらで気軽に買えるもんじゃねえし、買うにしたって高いしなあ」
「石突に使うだけでも武闘大会の賞金で足りるかどうか、でしたか」
これもアルドワン講師からの情報である。
レインナードさんの槍の改修を課題と絡めようとしている以上、あまりヒントを与えすぎても良くないということだったのだろう。一連の話の中でも全てを事細かに教えて頂いた訳ではなく、意図的にぼかされたところも少なくはなかった。
それでもミスリルについては、はっきりと「購入する以外の方法を探した方がいいでしょうね」とおっしゃっていたので、そういうことなのだろう。何をどうしても買うのは見合わない、という。
「俺もそこまで細かい相場を覚えてる訳じゃねえが、そんなもんだ。例によって、質の良いのは騎士団で確保し始めてるとも言うしな。手間を惜しまず、大人しく採りに行くべえよ」
「自力で確保するなら、ガレカーン地底湖近辺の坑道を掘るか、浮遊島〈ジルド〉でミスリルを使った既製品を探すかの二択ですよね」
「その辺が一般的だな。つーても、素人が掘っても見つかる気はしねえしなあ。浮遊島なら、ざーっと探ってありそうな場所絞れたりしねえか?」
「魔力の濃いところを探す分には、できなくはないと思いますけど」
魔力の伝導性の高いミスリルなら、魔力の濃い場所を探しているうちに見つかる可能性も全くなくはない……かもしれない。
浮遊島は遥か古の時代に高度な文明を誇った王朝が王宮のある都市ごと空に浮かせたという伝説のある島で、アシメニオス王国の南部地方上空に浮かんでいる。もちろん、その古代都市跡にミスリルの鉱脈がある訳ではない。都市遺跡を探索しているとミスリルを用いた武具が見つかることもあるので、ミスリルを見つけるのなら――という際に間々候補に挙げられるのだった。
「そんなら諸々の費用は俺の方で持つし、他に見つかったモンで欲しいのがあったら持ってっていいんで、一緒に行ってみねえ? ちゃんと万事面倒は見るしよ」
勉強になると思って、とレインナードさんが手を合わせる。
浮遊島なんてそう気軽に行ける場所ではないし、勉強になるのは間違いない。その探索行に腕利きの傭兵の人が同行してくれて、しかも費用を負担してくれるというのも、まず起こり得ないような幸運だろう。そこまで頼まれなくとも、私としては迷うような話ではない。
ただ、気になることがあるすれば――
「夏休みに入ってからなら、講義もないので都合はつきます。でも、それも私で大丈夫ですか? 他の、もっと魔術の腕の確かな方を選んだ方が良いのでは」
「俺は魔術で探れる奴が必要で、そっちは資金繰りに使えるものが必要。互い利害は一致してんだからいいじゃねえか。それに、地下迷宮で腕は見せてもらってるだろーが? あれだけ探れりゃ十分だ」
「地下迷宮と浮遊島では規模が比べ物にならないと思いますけど……」
「何も一度に全部調べろってじゃねえんだ、構やしねえさ」
レインナードさんはあっけらかんとしている。
私というお荷物を抱えて、それなり以上の期間の探索を続けるのは並大抵のことではないと思うのだけれど。それとも私という荷物を抱えていて尚、問題なく目的を遂行できるという自信……も、ありそうだ。何しろ、広く名を知られた辣腕傭兵の人なのである。
「レインナードさんが問題ないと判断したのであれば、私も構いません。ただ、それだと出発まで結構時間が空いてしまうことになりますけど」
「ああ、それも大丈夫だ。柄だって、そうすぐには出来上がらねえしよ。どっちにしろ浮遊島に行くにゃあ、代用の槍が要る。今度鍛冶屋んとこで見繕ってくるから、それの慣らしがてら軽い仕事受けて暇潰ししてらあな」
言われてみれば、それももっともな話だった。破損した槍を直し、改良する為の探索行だ。新しい代役を立てなければ、武装がないまま旅立たなければいけなくなってしまう。
双方の条件が概ね折り合っているのであれば、これ以上の問答も不要だろうか。後は各々に為すべきことを為すだけ。
「では、そういうことで――私はきちんと試験をパスできるように対策を練っておきます」
「おう。根を詰めすぎねえようにな」
「そうですね。試験がどうにかなっても、そこで倒れていたら意味がないので……ところで、そろそろ服を着ませんか」
「え? 暑いだろ」
「……そうですか……」
最後の最後で脱力を禁じ得なかったけれど。




