5.養殖場にて
翌日、イブラハムは玲子から電話を受けた。
「おはようございます。イブラハムさん」
玲子の声は、意外と元気そうだ。昨日、意識を失っていたとはとても思えない。
「玲子、体調は良くなったのか?」
「はい、おかげさまで大丈夫です。今日は午後から、養殖場でピアノを弾くことができます」
玲子は、イブラハムとの約束を忘れていなかった。
しかし、イブラハムは一抹の不安を持っている。
(ピアノを集中して弾くことで、玲子はまた、倒れるかもしれない…。玲子に無理をさせることはできない)
イブラハムはそう判断し、ゆっくりと深呼吸をした。
「玲子、無理しないで今日はゆっくり休みな。
体調がよくなったときに、お願いするから」
「でも、今日を逃すと、スラノバ国滞在中で私の予定が空いている日はありませんが…」
玲子の返事は、イブラハムを驚かせた。
玲子はオーストリアに住んでおり、スラノバ国には短期間しか滞在しない。一年前も玲子は三週間しかスラノバ国に滞在しなかった。今回の滞在は五日間だった。
イブラハムは、本心では玲子に養殖場でピアノを演奏してもらいたい。だが、それよりも玲子の健康を優先させたのだ。しかし、今日を逃したら玲子にピアノを演奏してもらう機会がなくなる。
思わずタバコを取り出し、火をつけた。大きく一息吸い込み、気分を落ち着かせた後、イブラハムは玲子に尋ねた。
「でも、ピアノを弾いて、また倒れはしないかい?」
「昨日は、熱く風通しが悪いトラックのホロの中で、しかも、慣れない小さなピアノだったので、疲れがたまったのだと思います。風通しの良い屋外で、しかも普通のピアノであれば、平気です」
(確かにトラックのホロの中は、熱くて風通しも悪かったな。エアコンの冷風は全てゼノス爺さんに当たるようにしていたし…)
イブラハムは昨日の様子を思い出し、玲子の意見に納得した。
「それでは、玲子、お願いする。今から迎えに行く」
すぐに車をとばし、イブラハムは玲子の滞在するホテルに向かった。
二時間後、ホテルで玲子を助手席に乗せたイブラハムが魚の養殖場に着いた。
イブラハムは、実はこの日のために、ピアノを生簀の前に設置していた。しかも、いろんな種類の録音装置を用意していた。
録音装置を作動させた後、玲子がピアノを演奏した。昨日と違い、玲子は楽しそうにピアノを弾いている。聞こえてくるピアノの調べも軽やかだ。まるで穏やかな風が頬を撫でているように感じる。優しさに包まれている気分だ。とても心地よい。
すると、水族館の時と同じく、魚が水面に集まりだした。まるで魚たちが、玲子のピアノ演奏を覗いているようだ。
魚たちの変化に、玲子も気づいた。
「魚さん、はじめまして。私は玲子。これから一緒に楽しみましょう!」
玲子のピアノ演奏が力強くなった。さっきよりもピアノの響きが大きく感じる。ピアノを聴いているイブラハムたちも、思わずスキップしたくなるようなピアノの調べだ。
すると、生簀の中にいる魚たちが、一斉に泳ぎだした。魚たちも、楽しそうに泳いでいるようだ。
「すごい。予想した通りだ!」
イブラハムは興奮し、思わず叫んだ。
ハッサンやパウロ、スワイダー達も、驚きの声をあげた。
凪であるにもかかわらず、養殖場の水面は波が立っている。それは魚たちが一斉に泳いだためである。水中ではさらに、魚の舞いにより水流が発生している。
玲子の演奏は、約一時間続いた。その間、玲子は魚が疲れないように曲目を調整し、スローな曲や静かな曲を織り交ぜた。
玲子のピアノ演奏が終了すると、魚たちも泳ぎ回るのを止めた。
だが、生簀の中の魚たちは、まるで心地よい汗をかいた後のように生き生きとしている。
「玲子、ありがとう。おかげで魚たちも楽しそうに泳いでくれた。今までの魚たちの動きと、明らかに違う」
「今までは、どうだったのですか?」
「今までの魚たちは、生簀の中で餌を食べるだけの生活だったので、体を動かさず、元気もなかった。しかし、玲子のピアノを聴き、演奏に合わせて泳ぐことで、みんな元気になったようだ」
イブラハムの説明を確認するかのように、 玲子は生簀の中の魚たちを見た。
「魚さんが元気そうに泳いでいる! イブラハムさん、良かったですね」
玲子の見た感じでも、魚たちは来た時よりも元気そうに見える。
「これからは毎日、玲子のピアノ演奏を魚に聞かせるよ。そうすれば、魚たちも喜ぶはずだ」
「イブラハムさん。でも魚たちに私のピアノ演奏を聴かせるのは、朝、夕の二回にした方が良いと思います」
「それより多く聞かせたら、魚たちはどうなるのかな?」
「おそらく、疲れが溜まり、弱ってしまうと思います。なんとなく、そう感じるのです」
「よし、わかった。玲子がそういうのであれば、魚たちには一日に聞かせる回数は、最大二回にしよう」
「イブラハムさん、ありがとうございます。そうすれば魚さんも、ピアノを聴きながら楽しく泳ぐと思います」
玲子は額の汗を拭いた。一時間ピアノを演奏し続けると、体力や気力を消耗する。
「玲子、少し休んでくれ」
イブラハムは、玲子を控室に案内した。控室は今朝、ハッサンたちが急ごしらえで作ったものだ。ベッドも置いてあり、シーツは新品のものを使用した。
「しばらくベッドで横になっているがいい」
「イブラハムさん、ありがとう」
玲子はベッドで横になった。
やはり玲子は、相当疲れていた。玲子は、瞬く間に眠りについた。だが、玲子の寝顔は、安心しきった顔をしている。おそらく玲子は、イブラハムのことを信頼しきっているのだろう。
二時間後、玲子は目を覚ました。
「玲子、お目覚めかな?」
目の前には、イブラハムが心配そうに見守っていた。
「いけない。こんなに寝ていたのね。ごめんなさい」
「食事ができている。お腹がすいただろう?」
イブラハムは玲子を食堂に案内した。
「スワイダーが作る料理は美味しいぜ」
イブラハムはそう言うと、玲子をテーブル席へ導いた。
やがて、機関士のスワイダーが料理をテーブルに運んだ。新鮮な魚介類を用いた地中海料理である。ハッサンやパウロも加わり、みんなで食べた。
「スワイダーさん、とてもおいしいです。こんな腕前でしたら、レストランを営業できますよ」
玲子が褒めると、
「玲子さん、遠慮せずにおかわりしてください。魚だけは沢山あるので」
スワイダーは上機嫌だ。
すると、ハッサンが思いついたように、
「そうだ。養殖場で、魚の舞いを見せながら食事を提供したら売れるかもしれない」
「そうだな。本業の養殖よりも、儲けるかもしれないよ」
パウロもハッサンの提案に賛成した。
「そうしたら、俺は一躍、料理長になるのかな?」
スワイダーが楽しそうに尋ねると、
「スワイダー、凄いな。今までの食事係が、一躍、料理長に変身するのだから」
イブラハムも、食堂の経営に乗り気のようだ。イブラハムは料理のメニューや営業時間をみんなに確認した。
やがて食事も終わり、みんなはマテ茶を飲みながら雑談した。
「玲子、ありがとう。玲子のおかげで新しい事業もできそうだ。この事業がうまくいけば、多くの国民が、ひもじい思いをしなくて済むようになる」
「イブラハムさん、私のほうこそ、お役にたてて嬉しいです」
「玲子、これを受け取ってくれ。少なくてすまないが、ピアノ演奏の謝礼だ」
イブラハムは、玲子に謝礼金を渡そうとした。
「イブラハムさん、その謝礼金は、会社の将来のために使ってください。私は、イブラハムさんから素晴らしいものを、クレタ島で受け取りました」
「え? おれは何も玲子にプレゼントしていないぜ?」
「鯨の赤ちゃんピンキーを、助けてくれました。あのニュースは、さわやかな感動を私に与えてくれました。そして、津波で沖に流された六人全員を救ってくださったのも、イブラハムさんたちですよね。あのニュースは、津波で被害を受けた人たちに生きる希望を与えてくれました」
玲子はさらに続けて、
「さらに昨日は、見知らぬ老人を助けるために、わざわざ来た道を引き返されました。こんな優しい人がスラノバ国にいると思うと、スラノバ国の未来に夢が持てます」
「でも、俺も小さい会社だが社長をしている。仕事をしてくれた人にギャラを払わずに帰すわけにはいかない。それに昨日は、玲子も見知らぬ老人を助けるために一生懸命尽くしてくれた」
イブラハムも自分の意思を曲げず、謝礼金を玲子に渡そうとする。
「それでは、その謝礼金で、スラノバ国の子供たちに何かプレゼントをしていただけないでしょうか? そうすれば私も嬉しいです」
玲子の提案に対しハッサンが、
「社長、玲子さんからの寄付で、子供たちに魚の舞いを見せながら食事をしてもらおう。そうすれば会社の宣伝にもなるし、一石二鳥だ」
すかさずスワイダーが、
「そうすれば、おれも料理長になれるし、一石三鳥になる」
ハッサンやスワイダーの提案に対して、イブラハムはしばらく考えた後で、
「よし、わかった玲子。このお金は、近所の子供たちに美味しい魚を食べさせるために使うことにする」
「イブラハムさん、ありがとうございます。また、必要があれば呼んでください」
「こちらこそ、ありがとう。ホテルまで送って行くよ」
イブラハムは駐車場に止めてあるトラックにエンジンをかけた。
「皆さん、さようなら」
玲子はそう言って、イブラハムの運転するトラックに乗り込み、養殖場を後にした。
一時間ほどして、イブラハムのトラックは、ホテルに到着した。
「玲子ありがとう。また、いつか会おう」
「こちらこそ、ありがとうございます。また、いつかお会いしましょう」
不思議と玲子は、近いうちにイブラハムとまた会うかもしれないと感じた。
翌日、イブラハムは玲子が演奏した曲をCDに焼き直し、CDの曲を生簀の魚たちに聞かせた。
しかし、昨日と違い、魚たちは全く反応しない。
「おかしいな。なぜ反応しないのだ?」
イブラハムはCDのボリュームを上げ下げして試してみた。しかし、魚たちはやはり曲を聴いてくれない。
するとパウロがカセットテープを取り出し、
「社長、CDでなく、昨日録音したアナログのカセットテープで試してみましょう」
パウロがCDの音楽からアナログのカセットテープの再生に切り替えると、アナログの機器から玲子のピアノ演奏が聞こえてきた。
すると驚くことに、魚たちが曲に合わせて泳ぎだしたではないか。
「やった。泳ぎだした」
イブラハムは、魚たちの泳ぎに安心した。
「でも、なぜ、CDだと魚たちは聴いてくれないのかな?」
「おそらく、CDでは録音できない周波数の音が、アナログでは録音できたためだと思います」
パウロは、CDで録音可能な周波数を、イブラハムに説明した。
「通常の音楽の生演奏では、およそ四万ヘルツまでの周波数が発生します。しかし、CDだと二万二千ヘルツより上の周波数の音がカットされています。コンパクトなディスクにデータを詰め込むため、人が聞こえない領域の音は、あえてカットしているのです」
「パウロは物知りだな。ということは、魚たちは、玲子が演奏する二万二千ヘルツ以上の周波数を感じとって泳ぎだすのだな」
「そうかもしれません。それに人間も…」
「でも人間は、二万二千ヘルツ以上の音は聞こえないのでは?」
「一般にそう言われています。でも、『CDで聴くよりアナログで聴くほうが、音質が良い』と答える人が七割近くいるとの調査結果もあります。いろんな機関が調査をしており、その調査結果の数値は、まちまちです。しかし、全ての調査結果でアナログがCDに勝っています」
パウロの説明に、イブラハムも納得し、
「そうか。確かに玲子のピアノ演奏は、CDで聴くよりアナログで聴いたほうが良いし、生演奏を聴くほうが、はるかに良いな」
「はい。おそらく人間も、二万二千ヘルツ以上の音を、体で感じとっていると思います」
「ほう、『体で感じとる』か。うまい表現だな」
「魚は、内耳という人間の耳のようなものが頭の骨の中にありますが、それ以外にも、体の両側の前から後ろまで側線という点線のようなものがあります。この側線でも、魚は音や水の流れを感じとっています。人間も、体で何かを感じとるものがあるのかもしれません。そうでなければ、白井玲子のピアノ演奏がもたらす奇跡を、説明できません」
パウロとイブラハムは、玲子のピアノ演奏が起こす奇跡の力を改めて感じた。
数日後、一人の中年の男性がイブラハムの会社を訪ねてきた。
「こんにちは、私はバラカトといいます。イブラハムさんはおられますか?」
そのときイブラハムは、レストランの開店準備に向けて、客席の設置作業をしていた。
「イブラハムは俺だが、何か用かい?」
「先日あなたから助けていただいたゼノスは、私の部下でした。彼の代わりにお礼を述べさせてください。ありがとうございます」
バラカトはお礼の品をイブラハムに渡した。
「これは?」
「トウモロコシやメロンなど、最近スラノバ国で栽培されるようになった農作物です。お口に合えばよいのですが…」
パラカトは丁寧な言葉づかいであり、腰が低い。バラカトの方がイブラハムより年上のはずであるが、バラカトはそんなことを気にしていないようだ。
「ありがとう。いただくよ。ところで、ゼノス爺さんは良くなったのかい?」
「はい。イブラハムさんのおかげで、ゼノスは命を取り留め、現在病院に入院しています。あとひと月もすれば退院できるそうです」
「それは良かったな。しかし、ゼノス爺さんを助けたのは俺だけでは無いぜ。車の運転をしたのはハッサンだし、担架で車まで運んだのは町のみんなだ。それに『東島の勇者』玲子がトラックの中でピアノを弾き、危篤状態から脱することができた。また、『スラノバ国守護神』ドクター近藤が、途中の村まで出向いてくれたおかげで助かったのさ」
イブラハムは、自分を誇るわけではなく、淡々とみんなが協力してくれたことを説明した。
バラカトは、イブラハムの説明を微笑ましく聞いていた。
「はい。すべて存じあげております。ハッサンさんもありがとうございました」
バラカトはハッサンとは会ったことはないが、ハッサンのほうを向いてお礼を述べた。
突然お礼を言われたハッサンは驚き、
「バラカトさん、なぜ俺がハッサンだと分かったのですか?」
「それは、ドクター近藤に会って、状況を確認しましてね。大きな体格でムハマド厚生大臣に似た顔立ちの人がハッサンさんだと聞いていました」
バラカトの話からすると、バラカトはドクター近藤と知り合いのようだ。
バラカトは、ゼノスの状況を詳しく説明し、イブラハムの人柄をほめたたえた。
その後、バラカトは、イブラハムに対して、
「ところで、イブラハムさん。あなたは生簀で魚の養殖をされているようですが、その目的を教えていただけないでしょうか?」
突然の質問に対して、イブラハムは当惑した。
「不思議なことを尋ねるものだな。お金を稼ぐために決まっているじゃないか」
「でもあなたは、ゼノスを助けたときも、クレタ島でクジラの赤ちゃんピンキーを助けたときも、津波で沖に流された人たちの救助をした際も、損得を考えずに行動しています。私はそこのところが知りたいのです」
バラカトの説明に、イブラハムは驚いた。
「クレタ島のことは、玲子から聞いたのか?」
「まあ、そんなところでしょうかね」
バラカトは微笑んでいた。
イブラハムは、玲子に説明したようにバラカトにも説明を始めた。
「今、地中海の魚は激減している。それは乱獲のせいだ。このままだと地中海から魚がいなくなる。そこで俺は、魚の養殖を始めた。俺が育てた魚をスラノバ国の子供たちに食べてもらいたいためだ」
「なぜスラノバ国の子供たちに食べてもらいたいのですか?」
「スラノバ国は、内戦が終了したといっても、内戦のときの影響で、貧困者が沢山いる。ひもじい思いをしている子供たちが沢山いる。その子供たちに、俺の育てた魚を食べてもらいたい。そうすれば、子供たちも笑顔になる」
イブラハムの説明に対して、バラカトは微笑みながら一つ一つ頷いた。説明が終わると、バラカトはさらに質問した。
「イブラハムさん。先日、A国の企業がイブラハムさんの会社の魚を全て買うために、ここに来たと思います。しかし、あなたは断った。何故でしょうか?」
またしてもバラカトの唐突な質問に対し、イブラハムは驚いた。
実際、一週間前にA国の企業がイブラハムの養殖場の噂を聞きつけ、やってきたことがあった。
「バラカトさん。なぜ、そのことを知っている。そのことは玲子も知らないはずだ」
「驚かせてすみません。ある人から、イブラハムさんがA国企業の提案を断った理由を調べてほしいと頼まれまして…。断らなかったら、あなたの会社は莫大な利益を得たはずなのに…」
「A国企業の提案を受けたら、俺が育てた魚は全て外国へ行き、高値で販売される。そうなると、スラノバ国の子供たちに安い魚を提供できなくなる。おれは小さいとき、毎日空腹だった。俺はスラノバ国の子供たちに、ひもじい思いをさせたくない。子供たちの未来に希望を持たせたい。それだけの理由で断った」
イブラハムの説明が終わると、バラカトは上機嫌だった。思わずニコニコと頬笑んでいる。
「イブラハムさん、あなたを見込んでお願いがあります」
そういうとパラカトは一呼吸した後に、「スラノバ国の水産大臣になっていただけないでしょうか?」と、驚くべきことを尋ねた。
あまりにも唐突な内容にイブラハムが驚いていると、
「あなたのような心の美しい人を、私たちは探していました」と、平然とした様子でパラカトが語ったではないか。
またもやバラカトの突然の申し出に、イブラハムは驚いた。
イブラハムの驚く表情を見て、バラカトは改めて説明した。
「突然の頼みで、驚かれていることでしょう。申し訳ありません。私はスラノバ国の農政大臣と水産大臣を兼任しているバラカトです」
バラカトの改まった自己紹介に対して、イブラハムはさらに驚いた。確かに、グレン首相のブレインとしてバラカトという人が農政大臣と水産大臣を兼任していることを、イブラハムは知っていた。しかも、よく見ると、テレビで見たバラカト大臣と目の前にいるバラカトとの顔は、同じである。
しかし、そんな偉い人が目の前にいるとは、イブラハムには信じられない。
「バラカトさん、あなたは本当に、あのバラカト大臣なのですか?」と、半信半疑で尋ねた。
「はい」
あいかわらずバラカトは穏やかな笑顔を向けている。
驚くイブラハムたちに対して、バラカトは説明を続けた。
「グレン首相の意向で、私たちは水産大臣となるべき人を探していました。それには条件があります。まず、第一に、心が綺麗で正直であること。第二に、スラノバ国国民の幸福を優先して考えていること。第三に、漁業に携わっていること…です。そして、ついに、あなた、イブラハムさんを見つけました」
「でも、俺が水産大臣になるにしても、何をすれば良いのかを教えてくれますか?」
イブラハムは相手がバラカト大臣だと分かったため、言葉づかいが少し丁寧になった。
「漁業を通じて、スラノバ国国民のためになることを考えてくれれば、それでかまいません。現在、スラノバ国には水産業の基盤がほとんどありません。その基盤をイブラハムさんに作ってもらいたいのです。もちろん、今の会社は、そのまま続けていただいて構いません」
バラカトの説明に対し、イブラハムは戸惑っている。
「しばらく考えさせてくれませんか。現在、レストランを開店させようとしています。その準備で忙しいので、返事は一ヶ月後でも構いませんか?」
「構いません。わかりました。一ヶ月後に、改めてまた伺います。そのときに返事をください。国民が幸せになるための返事を期待しています」
バラカトはそう言って、去って行った。
それからしばらくして、イブラハムは、養殖場を経営する傍ら、レストランも経営するようにした。
食事を楽しむ客席の周りは、透明なアクリルにし、魚たちがよく見えるようにした。
開店当初、イブラハムは、近隣の子供たちを無料で招待し、魚の舞を見せながら食事を楽しんでもらった。
音楽に合わせて魚たちが泳ぐ姿に、子供たちは驚き、楽しんで食事をしているようだ。
食事をしている子供たちは、全て笑顔である。
イブラハムは、子供たちの笑顔を見て安心した。
(俺は国中の子供たちに笑顔を与えよう)
イブラハムは誓った。
やがて、子供たちの口から店の評判が伝わり、多くの人たちがイブラハムのレストランで食事をするようになった。
料理長のスワイダーをはじめとして、全ての社員が大忙しで働いた。
社員も徐々に増え、イブラハムの会社は繁盛した。
やがて、バラカトと約束をした一ヶ月が経とうとしていた。