第三話:橋姫
陰陽寮は夏休みに入っても、学び舎の学生達は仕事が減るわけではない。
陰陽寮の学生である賀茂憲暁は一仕事を終えて陰陽寮に帰ってきていた。
このまま自分の部屋がある学生寮に帰るかと思えば、どうにも部屋仮眠取ろうという気持ちにも慣れず、修練場を借りて座禅を組んでいた。
精神を集中させたいのにここ最近成果があまり著しくないことに焦りを感じていたのだった。
つい先日の事件で出鼻を挫かれたことも大きかった。
彼がこんなにも焦っているのは賀茂家の名声を取り戻すためだった。前の陰陽寮の創成期は安倍晴明を弟子とした賀茂保憲は陰陽道に優れた陰陽師であった。
しかし、賀茂家の名声は江戸時代に起きた大火災により大打撃を受けてしまい、以来、零落の一途を辿っているなど揶揄するものもいる始末である。
だからこそ憲暁は少しでも実績が欲しかったのだと思いつめていると、背後から忍び寄ってきたものに気づかなかった。
首筋に生温い風を感じた憲暁は驚きすぎて硬直してしまう。
「あれ、おかしいな 少しはびっくりすると思ったのに」
聞き覚えのありすぎる声にすっと冷静を取り戻した憲暁は後ろを振り返ると思っていた通りの人物がいて、というよりいつの間にかいた。
憲暁はなるべく低い声を出して彼に命令をした。
「おい、そこになおれ」
「え、どこに?」
秀光のわざとらしくキョロキョロとする仕草に憲暁は癇に障るが、怒っては相手のツボであることは熟知しているため必死に抑えた。
「ここになおれ、一歩も動くな 俺が直々に相手をしてやる」
「え〜、今汗かきたくないんだけどな〜」
やる気ゼロの声に憲暁は闘気が萎えた。
「は〜」
憲暁は座禅をすることをやめて部屋から出て学生寮に帰ることにした。
「何だか、いらっとしているね のりりん」
「お前、そのあだ名いい加減にやめろ 別にイラついていない」
口ではそういいながらも口調は荒々しく、憲暁は秀光を振り切るように歩くスピードが速い。
「そっか、それにしてもあの御影様って一体何者だろうね」
その言葉に憲暁は歩くのをピタリと止まり緩やかに歩く。
「のりりん?」
それも憲暁の気がかりの一つだったからだ。憲暁も御影様のことについて調べたがーー
・御影様
この狭間区を守っている守り人。正体不明。ということくらいしか分からなかったのだ。陰陽局のデータベースを見ても結果は同じだった。
「そういえばあの時、烏丸ちゃんもいたよね」
「烏丸? ああ烏丸桃華か 確かいたな」
そのことを憲暁は思い出す。憲暁と秀光は黒幕が退治された後に居合わせていたのであの現場を目撃した。
「一番びっくりしたのは、あの烏丸ちゃんが女の子にビンタをしたところかなーーってあれ?」
憲暁は先に歩いていた秀光が立ち止まったことに不思議そうに見ている時だった。秀光が見つめるその先にはポニーテールの少女の姿が見えたのだ。
「噂をすればだね……あれ、烏丸ちゃんじゃない?」
そこには先ほど話していた少女、烏丸桃華がいた。
〇〇
桃華は誰かに声をかけられたことに振り向くとそこには二人の少年がいた。
「やっほ〜、久しぶりだね」
「あんたは確か……賀茂秀光」
「!……僕の名前を知っているんだね」
秀光の驚く表情に桃華は口を開く。
「知っている、あなた達二人はこの陰陽寮で有名だから」
「それほどでもね〜、それより一人じゃないなんて珍しいね もしかしてお友達? あれ君って……どこかで見たような」
秀光と目があった少女、初対面の花月はしどろもどろになって語る。
「私ですか……? 会ったことはないと思いますが」
「あ、そうだ 烏丸ちゃんがビンタしていた女の子だよ」
ポンと秀光はさっき話していたことを思い出した。
「いや〜偶然だね 丁度君たちのこと話していたんだよ 御影様のことも聞きたいな〜って思って 知り合いとかだったら何か聞けないかなって ね、のりりん……」
光秀は憲暁の返事を待ち何かいうのかと思いきや、何も返ってこないので不思議に思い振り返るとーー
「妖怪のお前が友達……?」
憲暁の言葉の意図はただ純粋な驚きだった。
誰 も声を発していないその場が凍りついたようだった。花月は桃華が妖怪だということを知っているが、朝日と真澄は知らされていない。
そのことに桃華は嫌悪されるのが怖かった。
「私は……っ」
花月は桃華のつまる声に心情を察して、どうしようか困惑していた。
(どうしよう、朝日ちゃんや真澄さんに妖怪ってこと伝えていなかった、どう説明したらいいか)
ぐるぐると二人が考え込んでいると、桃華の震える手を握りしめたのは朝日だった。
「……え」
朝日に握られると思ってなかった桃華は驚く。憲暁と目を合わせて話せない桃華の代わりに答えた。
「それなら人間のあなたは一体何なのですか?」
「……なに?」
「お友達ですが何か? それとその言い方は失礼だと思いますが」
花月と真澄は朝日の口調に穏やかだが怒っていることがわかった。憲暁は言い返そうとするが朝日の正論にぐうの音も出ない。
「うるさい、お前には関係ないだろ」
「……はあ関係ありますよ 私は友達なのでーーって何ですか?」
いきなり憲暁に距離を詰められて朝日は目を見開く。
「お前、俺と会った事ないか?」
朝日はその一言にドキリとした、もちろんドキドキという甘酸っぱいものではない。
(そうだ、どこかで会ったと思ったら、あの時の……)
御影様として朝日は先日の女子学生誘拐事件に介入していたため、ここで暴露してしまえは非常に面倒くさいことになり、志郎とここにくる前の約束事もある。
なので朝日は知らぬふりをした。
「そうですか、私は初めてですけど」
一向に話し合いが終わらない険悪な雰囲気を止めてくれたのは鈴を転がすような可愛らしい少女の声だった。
〇〇
「はいは〜い 口説くのもいいけど道の真ん中だぞ 青少年」
「何だと……っ」
機嫌が悪い憲暁は横槍に入ってきた彼女に目を止めて言い返す。
「お前、橋ババーー」
憲暁の失礼な呼び方に橋ババアと言われた少女は軽やかに跳躍して彼の肩に乗っかり、両頬をグワシと掴み込んだ。
「ほう、減らず口とはこの口かの? 陰陽寮の結界の要となっている私に敬意をはらすがいい」
「うるひゃい(うるさい) なにするんひゃ(何するんだ)」
その光景がどうにも可笑しくて花月はクスリと笑った。
「ふふ」
「何がおか……あで?!」
「はい、つっけんどんに言わない ややこしくなるから」
いきなり光秀に膝を小突かれて口が止まる。空気が読める光秀は憲暁に謝らせた方がいいと。さっきの言葉は謝罪した方がいいと話す。憲暁も悪気は無いのだろうが神経質になっていたこともありつい無神経なことを言ってしまったとーー
後ろめたそうな憲暁だが桃華に目を向けた。
「烏丸……さっきはすまなかった」
「……別に もういいわよ」
投げやりに答える桃華は立ち去ろうとするが手首をがしりと掴まれた。握ったのは憲暁だった。
訝しむ桃華に憲暁は口を開く。
「そう言われても、俺はよくない」
「私はもういいって…っ、ちょっと離してくれる」
「う〜ん、何だか 痴話喧嘩をしたカップルのようね」
少女はニタニタとほくそ笑んだ。
「もう本人がいいっていうんだからいいんじゃないのか? それともお前が女の子を道の往来で口説いていたことを宣伝してようか?」
それを聞いた憲暁は恥ずかしがったのか赤面になり硬直して焦ったようにすぐに桃華の手を離して、振り切るように立ち去って行った。光秀はお辞儀をした。
「嫌な思いさせてごめんね」
「いえ……」
光秀のように謙虚な態度をすればこちらもそれなりに桃華は対応する。
「不器用だけど優しいところもあるから それでは失礼します」
もう一度お辞儀をした光秀は憲暁の背中を追った。
〇〇
「何だか嵐のようでしたね」
思わず感想を呟く花月。
「いや〜、普段はいい子何だけどね 最近あまり調子が悪いじみたいだからね、まあ人によって言って良いことと悪いことはあるからねーー」
憤慨する少女が気になった花月はそういえば何者かと聞く。
「あの、あなたは一体?」
「ああ、自己紹介がまだだったか 私は橋姫と行ってこの陰陽寮の結界を守護を司どるものだ」
「橋姫さんというんですね」
「橋姫様と呼んで良いぞ」
「それじゃあ、橋姫様と」
「花月、様は付けなくて良いよ」
そんな橋姫に桃華はため息をしながら答えた。
「桃華! 私の方が年上なんだから敬称で呼んでよ」
桃華の言い様に橋姫は憤慨する。
「え、そうなんですか?」
「これでも1000年近く生きているのよ」
えっへんと、橋姫は誇らしく胸をそらした。
「それはすごいですね」
「もっと褒めて良いんだぞ」
端から見れば小さい子供が褒めて欲しい絵面にしか見えないのだがさっきの藪蛇になりかねないので朝日達はあえて言わなかった。
「まあ、もっと話したいところだが積もる話もあるようだしの?」
橋姫は桃華を見て優しく微笑んだ。その言葉に桃華は口を引き締めた。
「それでは、橋姫様」
「うむ」
花月の隣を歩く朝日が会釈をして二人の後ろ姿を見た時だった。花月に手を振った橋姫は一瞬瞠目する。
誰かと誰かの面影が重なった。
(今の……いやまさか 二人はもういない かれこれ1000年も前のこと、ここにいるはずはない)
橋姫は周りに気づかれないように自信なさげに首を振った。
(それにしても、もう一方の方も難儀じゃな……)
そして桃華と憲暁の言い合いしていたのは少し話題となり、その現場に居合わせたものがいた。
(何なのあの娘 憲暁くんに手を握られるなんて)
恨みがましそうに見ていたなんて橋姫を除いて気付くものはいなかった。一方、やっと桃華の自室に辿り着き部屋の中に入った。
「お邪魔します」
部屋の中は2LDKと広々としていて、トイレやバスルームは別々でキッチンもある。桃華がお茶を準備して、テーブルの上においた。
最初に口を開いたのは桃華だった。
「まずは二人に黙っていてごめんなさい 私の正体のことも」
「……え、ああ 驚きましたけど」
ねえと朝日は真澄にアイコンタクトをする。
「はい、そうですね」
真澄は口元に手を当てて驚いたふりをした。
「私のこと怖くない?」
いつもより覇気がなく桃華は辿々しく聞いてきたので、朝日は優しく話しかける。
「怖くありません それにはなちゃんの友達なら尚更です」
「えっ、私?」
まさか自分が名指しされると思ってなかった花月は照れくさそうに笑った。




