第七話:通り魔
「スーッ、ハーッ」
「スーッ、ハーッ」
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」
夕方、空が夕焼け色に染まりもうすぐ日が暮れて、あたりが暗くなり夜が訪れようとしている頃合いに、閑静な住宅街を制服を着ている一人の女の子が、息を荒く吸っては吐きながら、たまに吐き続けながら疾走していた。
女の子が自分の家に走って帰るのは別におかしいことではない。
家に帰って自分が好きなテレビの番組を見たいだけなのかもしれないし、何か特別な用事があるのかもしれない。
それとも何か運動部の走りこみをしているのかと思った。しかし、彼女は帰宅部だ。
家に帰り着くまでダイエットをして走っているのかというのも違う。お年頃の彼女だが今のところ体重や脂肪などに困っていない。
つい二時間前までは、友人と原宿でクレープの味の食べ歩きをしたばかりなのだ。その数時間後に、自分が得体の知れないものに追いかけられるなんて思いもしなかった。
もう十分以上も自分の持つ全速力で走っている。呼吸も儘ならないほどに、もうすでに限界は超えている。普段走り慣れていない体は悲鳴を上げ、横っ腹に鈍い痛みが走る。こんな痛みは小学生の時にあった持久力マラソン以来だ。
けれど彼女に「休む」という選択肢はない。足を止めたら「あれ」に追いつかれてしまう。だから立ち止まることができない。
そして辺りが夕闇にくれなずむ頃、数分後に彼女の足がピタリと止まった。
今この瞬間、自分が死ぬかも知れないのにだ。彼女の目の前には高くて大きな壁があり、そびえ塞がっていたからだ。
行き止まりである。
彼女は走るだけ、逃げるだけで精一杯だった。自分の普段通らない道を走っていることに気づかないほど。
緊張から恐怖からなのか混ぜこぜになって、もう頭の中がごちゃごちゃだ。
目頭が熱くなる。額に全身に嫌な汗が吹き出てしまう。心臓の鼓動がドクン、ドクンと聞こえる。
もう来た道を戻ることはできない。元の道に戻れば「あれ」は必ずいる。「あれ」がなんなのか分からない。
なんでこんなことになったのか、女の子は考えようとした。しかし短い時間で追い詰められ極限状態になった女の子は、もう何も考える気力や体力も残されていなかった。
ズズズ
耳障りで鈍い音が鼓膜に鳴り響く。背筋がぞくりと悪寒が走る。女の子は自分の背後に何かがいることを気配で感じた。
そっと背後を覗き込むとそこには黒い大きな「闇」があった。
「いやあああああ!!!」
女の子の体なんていとも簡単に飲み込みそうだ。彼女はあまりの恐怖に無我夢中で叫び、壁際まで後ずさる。女の子との距離はもうすぐ間近まで迫った。
ーープツン
女の子の自己防衛が働いたのか精神的な限界を迎えた彼女は倒れ込んでしまう。朦朧とする意識の中、女の子は自分を覗き込む黒い闇は言葉を発しているのを見た。
女の子はその言葉を聞いたが、もう微動だにすることも叶わない。それをただ呆然と眺めてる時だった。耳に響く不思議な音色が聞こえ、そして気を失った。
「コイツハ……チガッタ」
闇は人語を話すことができるのか。はたまた言葉を元々話すことができるのか分からない。
「デモ」
「マア、ハラノタシ二ナル」
女の子を丸呑みできるぐらいの大きな大きな口を開けた。彼女を一飲みにしようと黒い影は襲い掛かった。
刹那ーー
カランと甲高い音が辺りに響いた。その音に空間が支配される。闇は自分の食事を邪魔した者を排除しようとし、その者を呪うかのように一瞥する。
「何が違うのか」
「教えてくれませんか?」
その者は闇を見てあざ笑うかのように「笑っていた」。その者は闇の睨みが全く通じないのか平然と「喋りかけた」。
「闇」よりもそこにさらなる深淵があるかのような底知れない「何か」を感じさせる。
闇はその人物を認識した。
目を歪ませ苦々しいものを睥睨するように、重く不気味な声で相手を威圧させるかのようにその者の名を呪った。
「オマエハ……」