第八話:食べ物の恨みは怖い・朝焼けと共に魔が降り立つ
「あっいて 気を付けろよ」
私はぶつかってしまった少年に謝った。
「ご、ごめんなさい ぼお〜としちゃって」
少年は私の顔を見ると、先ほどまで普通だったのに、いきなり痛そうに抑えていた。
「どうしたの、ひろ」
「あいたたた、こっちには古傷があってぶつかっただけでも痛いんだよ」
「お姉さん、どうしてくれんの?」とぶつかった少年のそばにいた男の子が心配そうに声をかけた。
「えっ、マジでひろ大丈夫」
心配そうに言っているが口元がニヤついているのを見た私は嘘だとわかったがとりあえず声をかける。
「あ〜、すみません 大丈夫でしたか」
「もう〜大丈夫じゃないよ、ちょっと僕と付き合ってくれない」
「…ええ」
ぶつかってしまった私も悪いがなんてはた迷惑なと思いながら困窮していると少年はいつの間にか至近距離に来ていた。
「それじゃ、行こうか」
そう言った少年は私の手を取ろうとしたがその不埒な手は私の手を掴むことはなかった。なぜかその手を握ったのは私の隣にいた女の子だった。
「烏丸さんっ」
「何だお前って、お前も結構かわいいじゃん、あんたも一緒に」
少年は言いかけようとした瞬間、烏丸さんは少年の腕をギュッと掴むと彼が悲鳴をあげた。
「いて、なにしやがんだ、離せよ」
叫んだ少年は古傷で痛めているらしい腕で烏丸さんの手首を掴んだ。
「……あんた古傷が疼いている腕でよく掴めたわね 痛いんじゃないの」
「…あ?! とっさだからか痛みを忘れていたんだよ あ〜、今痛くなってきた」
わざとらしくしゃがみ込んだ男の子に私も白けた目を向ける。
「ふん、安い猿芝居なんてやめなさい、みっともない」
「ああん、何だとてめえ」
「ちょっと顔が可愛からって調子に乗るんじゃねえ」
少年の周りにいた男の子たちは烏丸さんの言い方に癇に障ったのか怒りをあらわにしていて、一人の少年が手を出しきて体勢を崩した烏丸さんは持っていたクレープを落としてしまった。
「あっ」
「ふん、お前が悪いんだよ」
烏丸さんは落ちたクレープをずっと見つめていた。
「クレープ…私のクレープ」
まるで壊れたラジオのようにいう烏丸さんにどう声をかけられたいいか分からない。それはクレープを落とさせた張本人の少年も少し罰が悪い顔をしていた。
「おっ、お前が悪いんだよ 俺は悪くねえ」
「……昨日から食べるの楽しみにしていたのに、まだ二口しか食べてないのに」
ぶつぶつと喋る烏丸さんは不気味で声をかけづらかった。
「クレープの仇」
その時の烏丸さんの瞳は坐っており、その目つきに少年たちは震え上がりそそくさと負け犬の遠吠えを忘れず退散していった。
「いや〜すごいね、烏丸ちゃんって」
なぜか手元にはカメラをいつの間にか持っていてほくほくとしている。きっといいベストショットが撮れたのだろう。
「烏丸さん、大丈夫だった」
私は落ちたクレープを拾い上げて袋の中に入れた。もったいないが衛生的に良くない。烏丸さんが未練がありそうにそれをずっと見つめていたので私は申し訳なくなった。
「私、クレープ屋さんに話して代わりのをもらえないか聞いてみます」
「えっ、朝日ちゃん?」
「私も一緒についていきます」と真澄さんがついて行った。
返事をするまもなく二人は元来た道を戻って行った。友希ちゃんは心配そうに声をかけてくれた。
「はな、烏丸さん大丈夫だった?」
「うん、ぼぅーとしちゃっててごめんね」
「はなが謝ることはないよ。 言いがかりをつけてきたのはあっちだし」
「そうだね〜 きっと平野ちゃんの可愛さに目が眩んでしまったのね 可愛さって罪だね」
そんなわけないのにと私は苦笑いして、麻里子は烏丸さんにも話しかける。
「それと烏丸ちゃん、すごいね」
「え、あっ、あれぐらい大したことじゃないわよ」
助けてくれたことに私は烏丸さんにお礼を述べた。
「ありがとう、また助けてくれて」
そっぽを向きながら、つんけんと話すのは照れ隠しだということは私は分かっていた。
「全く気をつけなさいよね」
「うん、ごめんね」
『何というツンデレ少女なの』と麻里子がそっと呟いたのが聞こえた。
〇〇
「よかったですね 店員さんがいい人で」
クレープ屋さんに事情を話しをすると、「災難だったね」とクレープをタダでもらえることができた。
「うん」
「急いで戻りましょうか」
小走りで歩こうとする真澄だが、僕は足が鉛のように重かった。それに気づいた真澄は走るのをやめた。
「真澄…さっきはごめん」
「…さて、何のことでしょう」
数分前ーー、はなちゃんを助けに行こうとしたが僕は端っこにいたため出遅れてしまった。
『はなちゃん』
僕は幼なじみの危機を止めようとするが、頭の中で真澄に制止させられる。
『お待ちください、朝日様』
「でもはなちゃんが」
僕が一瞬立ち止まっている間に次のアクションが起こっていた。烏丸さんがはなちゃんを庇い、たったひと睨みで少年たちを退散させてしまったのだ。
『よかったですね、朝日様。 大騒ぎにならずに済んで』
『…ああ、うん そうだねーー僕、さっきのクレープ屋に戻ってくる』
『え…』
そう言うや否やはなちゃんから落ちたクレープが入った袋を受け取り、足早にクレープ屋に向かったのだった。振り上げていた拳をどう治めるか僕は自分の不甲斐なさに打ち拉がられた。
『また、守れなかった、今度はもっと近くにいたら……』
僕はギュッと拳を作り、誰にも分からぬように唇をかんだ。
『僕がこんな格好をしていなければ、はなちゃんを助けにいけた』
抗えない葛藤に苛まれ眉間にシワを寄せた。
〇〇
朝日様の胸の痛みが私には痛いほど伝わってきます。守りたいと言うものを守れなかいというのは、それは自分にとって拭えない過去で暗い気持ちになりかける。
『ダメ、私まで暗く考えては、落ち込んでしまっては今誰が朝日様を気に掛けるの』
私は自分の気持ちを奮い立たせて前を向いた。
「朝日様、私も同じように悔しいです。私もそばにいたのに何もできませんでした…だから今度またそうなったときは全力でお守りします」
そう言うと、朝日様はこちらを見て泣きそうに笑った。
「うん」
『今目立った行動をすれば何者かに朝日様が『暁光様』だと言うことがバレてしまうかもしれない』
私はもう二度と同じ過ちを犯さぬようにと自分自身を戒めた。
〇〇
地獄は一つだけじゃない。ここには八つもの地獄があり、それぞれ名前がある。そして犯した罪により罪人は投獄されるんだ。まず一番目は等活地獄である。
その次に黒縄地獄、人を殺したり盗みを重ねた人間が収監される。そして次は衆合地獄は殺人、盗み、の他に邪婬をしたものが投獄される。
衆合の次は殺人、盗みの他に飲酒をしたものが入る叫喚地獄。その次は嘘をついたものが入る焦熱地獄。その他諸々の罪状に合わせて仏教の教えに反する行為をした人が入る。その次は強姦をしたものが入る。そして最後は無間地獄。そのほかの罪状の他に聖者殺害という罪を犯したものが入ると言われている。
地獄の罪なんて知ったことじゃないが、どの地獄もいいも悪いもないのだが、罪を重ねるごとに罪が大きくなり地獄により刑罰も重くなる。
そして収監されたものは極悪で名が通った罪人が多くそれは人間以外にも限らず、人外である妖怪さえも入る。どの世界でも強い者もいれば弱いものもいる。食うものと食われる者が大別される。
その生き方が様々で強い者に媚び諂ってゴマをするものもいれば密かに下克上を狙う者もいる。それは人間の世界とさして大差ないことなのだ。ここには日々の疲れに苦しみに憂いたものもいた。
「もう嫌だ、こんな世界…」
毎日、毎日繰り返して強い鬼に媚び諂いごまをすっていた。それは他のものも同じである。失敗すれば巨大な豪腕で痩せ細った赤い肉体した鬼はひとたまりもなくすりつぶされるだろう。
赤鬼がいる地獄は叫喚地獄と呼ばれ、ここでは熱湯が沸いた大釜や荒れ狂う炎の地となっている。刑に処せられる同族の断末魔の叫び声に飽きた赤鬼をつまらなそうにあくびをした。
「お〜、おっかねえな〜」
地獄には獄卒と言う囚人を取り締まる役人がいる。罪を犯したものは弓矢で矢を射られ、焼けた鉄の地面を走らされ、鉄の棒で打たれる。
人間であれば死んでいてもおかしくないが、地獄の鬼は死ぬことが許されない。苦痛で理性がおかしくなってしまったものもいれば、赤鬼のように理性が生き残ってしまったものは果たして運がいいのか悪いのか。
「はあ〜、もう一回人間の世界に戻りてえな」
赤鬼は元々人間だった。
人間の時に悪さをして、死後その魂は楽園と呼ばれる高天原に来ることを拒否され、地獄に落ちて行った。
「まずい、まずい 早く帰らねえと頭に怒られる」
地獄には頭かしらが好きな石があり、それを捧げることでご機嫌とりをしていた。頭は石切場をねぐらにしている。住むようなところといえばそこしかないからである。
慌てて駆け出すように赤鬼はねぐらに入るなり謝罪した。
「申し訳ありません、頭の献上品を持ってくるのに手間取りましてーー」
しかし、呼びかけても返事が帰ってくることはなかった。不審に思った赤鬼は億劫な足取りで奥にあるねぐらに向かった。
「頭? どうして何も……」
奥に入ると巨大な鬼の体が見えて「何だいるじゃないか」と心の中で毒づいたが嘘でも言わない。
「…ここにいらっしゃったのですね お探しーー」
首を上げて目と目を合わせようとしたが、しかしそこにはーー首がなかった。睨みあげるいかつい眼光もなく膝を下ろした足と手はまるで仏にすがるような仕草をしていてピクリとも動かない。
「頭、冗談がすぎますよ それじゃあ死んだ見たいじゃ…ないですか」
そう言いながらも違うことが頭の中によぎり口元が震える。いっとき待っても返ってくる返事はなかった。
『これはもう死んでいる』
その事実に赤鬼は恐怖に体が震え上がる。
「どう…言うことだ」
首を切られても死なない鬼は幾度も見てきた。なので動かない体を目の前にして頭が真っ白になったがなんとか切り替えた。
ゴクリと生唾を呑み込む。
(…とこうしちゃいられねえ)
どうやら頭は手を組んで命乞いをしたのだろうか、首を切られて絶命したのだろう。
血が出ていれば岩屋の前で入る前に気づいていただろうが、首元からは一滴も血が流れていなかった。一滴残らず奪われたのだろうと推察する。
頭を殺されて悲しいとか悔しいとか言う心は人間の時に無くなった。それよりも生きているだけで精一杯であるこの世界じゃ、自分の身の安全が一番である。元・頭だった鬼を殺したものが戻ってくるかもしれないので焦りに駆られる。
「俺はまだ死にたくねえ」
久しぶりの生による執着に湧き上がった瞬間だった。他に怪しいものはないかと見た時、ふと巨大な体のせいで見えなかったがそこには黒い影があって硬直した。
「なんだ、これは…」
恐る恐るそれに近寄ると黒いモヤの中を見透かすように見ると白い光が赤鬼の視界に入ってきた。
「これは…この光は」
地獄には日の光は無い。上を見上げれば暗く淀んだ色しかない。だからこそ余計に眩しく、喉から手が出るほどそれに縋り付いた。赤鬼は白い光に吸い込まれるように地獄からその存在が消失してしまった。
〇〇
「ここは」
目を開けた時最初に見たものは緑だった。それは地獄ではあり得なかったもの、そして湿った土の感触と匂いがあった。
次に岩ではない自然のものではない灯りと建物があった。寝っ転がるとそこにはいつも見ていた暗い空だが、陽の光が混ざっていた。
じきに青い空と白い雲になっていくありふれた風景に呆然としていた。幾久しい風景に赤鬼はむせび震え、そして歓喜の声をあげた。
「やっと、やっとこの時がーー久しぶりの娑婆に帰ってきたぞ!!」
時間が経ち物音が近づいてきた。赤鬼はその正体に食い入るように見た。
「人間だ、生きた人間がいる」
「やはり、ここは地獄ではない」
「俺は自由だっ!」
赤鬼が地獄に行って悔い改めることはなかった遂になかった。まず起こしたのは火事とまでいかないが小火騒動を起こした。
赤鬼は火の性質をもち、厄を振りまく厄介な能力を持っていた。晴々とした朝焼けの空と共に邪悪な赤鬼が東京の地に降り立ってしまった。
そして、いち早く察知した陰陽局は公認の陰陽師を派遣させる。数日の間小火騒動で困る人間たちを見て楽しがっていた赤鬼だが邪魔をしてくるものが現れて激しく動揺する。
「なんだ?! これは獄卒か」
人間のなりをしているが妙な術を使う者に驚いたが、すぐに冷静になった。
「こいつら、変な術を使うがそんなに強くない」
相手の力量を見る余裕が出てきた赤鬼は術を力ずくで破り逃亡した。
「こちらA班、赤鬼が逃走、至急応援ー」
陰陽師たちは懸命に後を追いかけるが赤鬼は風のように走り去っていってしまった。
〇〇〇
「ちょっとびびったが、何だありゃ」
赤鬼が人として死んでから数百年の時間が経っている。それまで人間の社会でどのような変化があったのか知らない。
「これは情報を集めた方が良さそうだな」
地獄で生きるにはまず情報を集めることだった。何が良くて何がヤバいのかそして吟味しながら自分の安全の道をいく。
「しばらくは小火は起こせねえな」
赤鬼は一人ごちた。




