第二十五話:ゆみと隼人
今日は日曜日。時刻は十時ごろで場所は上野公園。もう少し時間が経てばもっと人が多くなるだろう。
メジャーなところが多く、今日は子供達が休日のため、家族連れや限定イベントを狙いにカップルなどが楽しそうに歩いている。
早朝では、天気が良かったのだが今はところどころ曇り空になっている。一雨来るかもしれないので、上条隼人は濡れないように自分の持ってきた商売道具を整理した。
隼人は今日も上野公園にきて、絵を売っていた。特に虹の絵の売れ行きがいい。
売りながらも隼人は公園で人をボ〜と観察するのが好きで、デッサンなど大いに役立っている。あまりジロジロと見るのも失礼なので、風景などを眺めながら見ていると、赤い風船に目が留まる。
家族連れの6歳ぐらいの女の子が嬉しそうに風船を持っていた。
『かわいいな〜』
隼人は微笑ましく見ていると、風船を気取られて足元が疎かになっていたのか、地面の上に転げてしまった。
その拍子に手から、風船の紐が離れてしまい、重力がなくなった風船は浮き上がってしまう。女の子は自分の風船が無くなったことに転んだ拍子に気づいた。
「あっ!」
風船は運よく木の枝に止まったが、3メートルぐらいの高さがある。
女の子は悲しそうに見つめ、女の子の父親は登ろうとするが登ることができずに、悪戦苦闘している。
木登りは簡単なようで実はすごく難しい。体の全身の筋肉を使うので、なおさらである。大人の分、体重があるから風船を取る前に枝が折れないかとヒヤヒヤと見ていると、女の子の家族に近寄る帽子をかぶった少女がいた。
風船の女の子より、身長が高い。中学生ぐらいだろうか。少女は女の子の父親に声をかけて、手に足をかけた途端スルスルと登っていき、あっという間に風船が引っかかっている所に到達して、少女は紐を掴み、ゆっくりと降りて行った。
隼人は鮮やかな手腕に感激して、思わず拍手をした。パチパチとする音に気づいたのか、彼女は一瞬目が合ったような気がした。
「すごい、あんな短時間で木に登るなんて」
女の子は嬉しそうに少女から受け取り、はしゃいでいた。女の子の両親は何度もお辞儀をして、女の子にお礼を言うように言った。
「お礼を言うのよ お姉ちゃんに」
「ありがとう お姉ちゃん」
女の子は親の言う通りに、少女にお辞儀をした。
「どういたしまして 転ばないようにね」
少女は立ち去っていく女の子とその両親に手を振った。
「は〜 なんか和むな〜」
朝から気持ちのいい場面を見ると、何だかすっとした気持ちになる。汗ばむ陽気と風の爽やかさに微睡んでいると声をかけられた。
「あの? なんの絵を売っているんですか」
少しうとうとしていたが、お客さんが来たことに気づいた隼人はすぐに切り替えた。
「あっ いらっしゃいませ」
『あれ?…この子、さっきの……』
どこかで見かけた帽子に、隼人は先ほどのことを思い出す。女の子の風船を取った少女だと気づいた隼人は何かサービスをしたいなと考えた。
「手に取って見てもいいですか?」
「いいですよ」
少女は絵を手に取り、風景画などを色々と見ている。隼人は彼女の熱心に自分の絵を見てくれたことに嬉しく思った。
「絵がお好きなんですか?」
「えっ あ はい、とても大好きです」
「どれもすごいですねーー特にこの虹の絵とか」
少女は虹の絵を手に取った。
「虹の絵は僕のお気に入りなんです」
「そうなんですね」
「他にも絵があるので、見て見ますか」
「いいんですか?」
パッとした輝いた少女の声音に隼人は高揚する気持ちをなるべく抑えた。
「はい」
「丁度、お客さんがいなくて空いているので」
隼人はキャリーケースに閉まっていた、スケッチブックなどを引っ張り出した。
「うわ〜、こんなにあるんですね」
「中学の頃から書き溜めたものから、最近のものまであります」
「こんなに虹の絵が……」
少女はそしてまた、隼人の絵をじっと見つめる。隼人はかつて、そんな風に話してくれた女の子のことを思い出した。
ふと一瞬だが、あの頃に戻ったような錯覚を覚えた隼人は目をこすった。少女はふとこんなことを聞いてきた。
「人物は描かれていないんですか」
「あ〜 恥ずかしながら、人を描くのは苦手なんです」
「こんなに絵が上手なのにもったいないです」
少女は残念そうに隼人に言った。
「人を描くのはもうしないって決めたんです。ある女の子と約束をしてたんです」
「最初に描いてあげるって、けどある日を境に女の子はいなくなってしまったんです」
隼人は声を押し殺しながら、少女に話す。
「その子のこと、待っていたんですね」
少女の心配そうな声に、隼人は気づいて気持ちを切り替えようと首を振る。何で出会ったばかりの少女にこんな話をしているのか、自分でもよく分からない。
「ごめんね……いきなり、こんなことを話して」
「いいえ、とてもいい話でした」
「ありがとう、隼人君」
「えっーー」
隼人は少女に自分の名前を教えていない。名字すら教えていないはずだ。なのに彼女は隼人の名前を知っている。
少女は呆然とする隼人に後ろを振り向く瞬間、目深くかぶっていた帽子から彼女の顔が見えた。
「君って……」
駆けていく少女に、隼人は居ても立っても居られず、彼女の後を追い呼び止める。
「待ってくれ……っ!」
「弓ゆみ!」
どうしてその名前を呼んだのか隼人も咄嗟で自分でも分からなかった、顔を見てない少女が彼女に似ているから思わず叫んでしまったのか。
けれどそれが正しいことに隼人は瞠目する。
名前に反応した少女はピタリと止まったのだ。そこには、五年前にいなくなった女の子がいた。年月が経っても姿形を覚えている。
隼人は呼び止めたものの、かける言葉が見つからずに立ちすくんでいると、少女の方から寄ってきた。少女が指を空に向かって差し、隼人は上を見上げるとそこには虹ができていた。
「わあ、綺麗」
「すご〜い」
「お母さん、あれ何?!」
その現象を始めて目にする子供は嬉しそうに不思議そうに顔を綻ばせる。周りが騒いでいてカメラやスマホで写真を嬉しそうに取っていたが、隼人の頰には涙がぽろりまたぽろりと流れた。
隼人は少女の方を見ると、彼女は笑いながら近寄ってきた。両腕を広げた隼人は少女を力強く抱きしめた。
抱きしめた時に帽子が頭から落ちて、彼女の素顔が露わになる。隼人は震えながら、目を細め、思わず現実なのかを疑う。
「嘘じゃないよね……これって」
「うん、本当だよ」
ゆみは優しい声で隼人に囁いた。
「やっと会えたね、隼人君」
「大きくなったね……五年も経てば、そうだよね」
ふふふと隼人の成長にゆみは嬉しそうに笑った。
「私のことを覚えてくれてありがとう…私はもう大丈夫だから、隼人君は隼人君のために生きて」
「……嫌だ」
ゆみの惜別に隼人は駄々っ子のように首を振る。
「また君に会いたい。ううん絶対に会う、その時が来るまでーー」
「ふふ、隼人君って意外と頑固だね…じゃあ、今度生まれ変わったらどっちが先に見つけるか勝負だね」
ゆみは言い終わる瞬間、隼人の腕の中で儚く消えていき、彼は嗚咽を漏らしながら泣き崩れた。
その時にはもう雨雲は少し晴れていて、一筋の光が隼人を優しく包むように照らしていた。




