第二十四話:感謝と惜別
真澄がゆみの後を追ったのは土曜を挟み、日曜日になった真夜中。日曜日は家族でどこか遊びに行ったり、または仕事で朝早くから出勤する人もいるだろう。
朝日達は真夜中に趣のある我が家に帰ってきて、まずは花月を布団の中に寝かせた。数週間も他人の魂が入っていたので、朝日はいてもたってもいられなかった。その様子に聖子は優しく見つめる。
『甲斐甲斐しいわね、本当に』
花月を心配そうに見つめる朝日に志郎は優しい声をかける。
「今はぐっすりと眠っています。今日はゆっくりと寝かせたほうがいいでしょう」
「うん」
「朝日様まで疲れてしまっては、花月さんが起きた時に不審に思うでしょう」
「うっ、それは確かに」
志郎の的確な言葉に二の句を継げない。彼は腕を交差し、顎に手を添える。志郎はもうすでにいつもの格好をしている。
「それに、言い訳を考えないといけませんね」
「言い訳?」
意味がよく分からなく、朝日は志郎に尋ねる。
「花月さんの意識はここ三週間ゆみさんが憑いていて意識はありませんでした。つまり今の状態となんら変わりません」
それがどうしたんだと朝日は首を傾げる。
「三週間の記憶がないって分かると、花月さんは不審に思うはずです」
「はっ」
志郎の指摘に朝日はようやく気づいた。
「それはーー非常にまずい……どうしよ、本当にどうしよ」
『は〜、だろうと思ったわ、この子を助けるだけで後は何も考えて無かったことぐらい』
聖子は朝日の動揺っぷりにため息をつきながらも苦笑し、もう少し見ていたい気持ちもあるが解決策を提示しようと話しかけようとした時だった。
朝日が軽くパニックになっていると、ピタリと止まった。
真澄からの念話が聞こえてきたのだ。
『朝日様ーー……』
「!」
「真澄!……無事なの?!ゆみさんは……?」
『はい、ゆみさんはもう大丈夫です。じきに成仏します。花月さんの体から出られて、ゆみさんの魂は安定していましたが未練が無くなった魂は、この世に留まることが出来ません。隼人さんとご両親も挨拶をしてから成仏するみたいです』
『……それで、ゆみさんを殺した男の身柄を、病院にいる刑事のお二方にすぐに引き渡したいのですが』
「今、どこにいるの?」
『富士の樹海です』
「!?……また偉く遠いところに行ったね」
『はい、ですので朝日様に呼び出してもらおうと思いまして』
呼び出すことに朝日はピンときた。
「召喚だね」
『はい、たらいに水をいっぱい用意してもらっていいですか』
「わかった」
念話をそのままに志郎にたらいを用意してもらった。たらいに水を流し入れ、準備万端である。はたから見れば水浴びをするような涼しげな光景である。
「よし、準備できたよ」
『手を水の中に入れてください』
『そして私の名前、朝日様がつけてくれた本当の名を』
真澄の言う通りに、朝日は手を水の中に入れて彼女の名前を呼んだ。
「帰っておいでーーーー”水汀みぎわ”」
水汀は広瀬真澄の真名まな。真名とは、誰にも本当の名前が存在し、魂と深いところにに融合している命そのものと言われている。真名を縛られたりしたら命を縛られ、身動きができなくなるのと同じこと。
自身が真名を教えるということは自分の命を捧げるのと同等の行為でもあるが、反面、相手に全幅の信頼関係をおいていることでもある。
加えて真名が判明すれば主が名前をつけて契約すれば使役することができる。
強力な霊力を持つものほど多くを従わせることができる。式神にすることが可能となる。妖怪などは偽名・通り名など名乗っているのがほとんど。
相手に問われて自分の口から教えると名を支配された状態となり、言霊の成功率が高くなる。これもあって妖怪は本当の名前である真名を容易に明かさない。
朝日が手を入れた瞬間、波紋が広がり、彼の言葉に応えるかのように水面が揺らぎ出す。
朝日はぐっと握られた瞬間があり、ゆっくりと引き上げると徐々に輪郭をあらわにした。青緑の瞳と目が合い、朝日は話しかける。
「おかえり、水汀」
「ただいま帰りました 朝日様」
水汀は朝日にそこそこに挨拶を済ませると、
「それでは時間がありませんので私は病院に向かいます」
「僕も一緒に行きたいけど、ごめんね」
御影様の行動は夜に限られている。今は朝方なので歯痒い思いをする。
「いえお気になさらずに、花月さんの様子はどうですか?」
「うん。 今はぐっすりと眠っているよ」
「よかった」
真澄はゆみのことも心配していたが、花月のことも心配していた。何せ十年くらいの付き合いもあればそれなりに情が沸く。
「では花月さんをよろしくお願いします」
「うん、任せて」
真澄は田ノ上の身柄を引き渡しに、病院に颯爽と向かった。
〇〇
病院の中で重苦しい雰囲気を持っている二人がいた。足立は時間が経つにつれ、後悔の念が強まりつつあった。
強面な表情がより一層眉間にしわを寄せて、苛立ちを抑えるように足を床に打ち付けた。その様子に通行人は気づかないようにというより近づこうとしない。
「先輩、何か飲み物を買ってきましょうか」
隣で貧乏ゆすりを聞く立川から話しかけられる。
「それは前にも聞いた」
「そうでしったけ?……やっぱ落ち着きませんね」
今は現在朝の八時ごろ、病院にいる田ノ上は病室から消えて半日が経とうとしている。まだ誰も田ノ上本人がいなくなったことは当事者以外知らない。
「それにしてもすごいですね、式神って」
田ノ上がいなくなって、陰陽師の阿倍野から代役を術で作ってくれた。これで1日は持つと言われたが安心はできない。
立川自身も自分で考え決めたことだが、だんだん時間が経つにつれ、先輩の苛立ちを見て、少し決心が揺らぎつつあった。
けどあの少女がボロボロになるまで守ってきたものを反故にするのは良くないと彼は思ったからだ。
立川は物思いにふけっていると、目の前に誰かが立っていることに気づかなかった。不意に自分のおでこに衝撃を食らい、痛みで涙目になる。
「ふへっ?!」
「な、何するんですか先輩っ?!」
「ああ、……ただ、なんとなく」
立川の当然の激高に足立は素知らぬふりをした。
「ああ……そうですかって、なんとなくってなんですか、びっくりするじゃないですか」
立川は足立のいきなりの挙動に抗議して先輩の反応にムッとする。
「じゃ、僕もやります」
「嫌だよ」
立川は足立にグググと迫り、足立は抵抗する言い合いをしてとーー病室の中から笑い声が聞こえた。
「今、中から聞こえなかったか?」
「この声ってまさか」
聞き覚えのある足立と立川はドアを引き、中に入ってみると、あの時の少女が立っていた。
「遅くなってしまい申し訳ありません」
目と目が合い、少女は立川たちに向かい深くお辞儀をする。
「田ノ上は取り返しました」
ベッドの上に眠っている式神は、田ノ上が戻ったことでただの紙切れになり、ベットの上に寝かせた。
「とりあえず応急処置は済ませましたので命に別状はありません」
「そうですか」
真澄は二人を安心させるように、田ノ上の状態を告げた。
「この度は私の力が及ばなかったばかりに、お二人に危険な思いをさせてしまったことをお詫びします」
「え、いいんですよ。私たちの方が助けられましたし」
謝る少女に立川は顔を上げるようにいった。彼女は二人に好印象を抱き、懐から紙を出した。
「もし何か困ったことがありましたらこれを」
紙を渡された立川は何も書かれていない紙を凝視する。
「それになんでも良いので、名前を書いてください」
「名前を」
「はい、もし今回のように危険が及んだときに、微力ですが助けに参ります」
「助けにって、まだ若いのに」
立川の言葉に彼女はクスリと笑った。
「これでも100歳超えてますよ」
「え……」
「それでは、また」
少女は立川と足立に会釈をして病室のドアから出て行った。立川は彼女の行った言葉に半ば放心状態である。
「100歳って僕のばあちゃんより年上だ!」
立川はやっと意識を取り戻し、病室のドアを開けて廊下を見渡すがそこにはもう少女の姿形はみあたらなかっった。
〇〇
ゆみは遠のいていく虹を見ながら、喜びにあふれていた。
「風が気持ちいい」
「空が綺麗」
曇って味とかするのかなと思いながら、ゆみは東京に戻ってきた。空を流れ星のように飛び彼女は自分の実家の庭に降り立った。
窓から覗き込むと見覚えのある二人の夫婦がいた。五年ぶりの再会に、ゆみは目頭が熱くなった。
「お母さん」
「ーーーゆみ」
台所に立っていた母親が最初に気づいた。妻の異変に気づいた夫は側による。
「どうしたんだ?」
「今、ゆみの声がしたの」
「どういう?」
妻の言動に不審がっていると、ゆみは父親を呼んだ。
「お父さん」
「ゆみなのか?」
「あんたも聞こえたでしょ?」
『庭まできて』
カーテンを開けるとそこには、一人の女の子が立っていた。五年前行方不明になった娘がいる。
「ゆみ、あなたは本物なの?」
「本物以外何があるのよ?」
ふふとゆみは両親の狼狽を可笑しそうに笑う。
「私が来たのはね、お別れに来たの」
「どういうこと?」
「私はもうこの世にはいないの」
「それって」
「時期に私を殺した犯人が処罰される」
「!!!?」
「そんな?!」
ゆみの言葉に動揺し硬直する。彼女は二人を両腕に抱きしめた。
「私ねお母さんとお父さんに伝えてないことがあって」
「ゆみが死んだなんて信じたくないっ」
母は娘の死を嘆き悲しみ、父も涙をこらえきれずに泣いている。
「私、二人の間に生まれて本当によかった、生んでくれてありがとう、私の分も長生きしてね」
嗚咽を漏らしながら両親は呟いた。
「犯人を殺してやりたい」
両親の思いにゆみはしっかりとした口調で嗜める。
「そんなこと私が許さないからね。その男に今も恨みはないとは言えない……けど、まあ色々としちゃったし」
トラウマになるようなことを散々やったので、生きた心地はしないだろうとゆみは伝えた。
「だからこれから二人の人生を生きて欲しいの」
「喧嘩して、離婚しちゃっても私はどっちの味方だから」
その言葉に二人は少しだけ笑った。それにつられたゆみもまた笑う。
「それじゃ、行くね」
「……ええ、行ってらっしゃい」
「うん、行ってきます」
ゆみは両親に最後の挨拶をかわし、風のように消えて行った。空は晴天、気持ちのいい青色だった。
「残るはーーーあと一人」
ゆみは別れの涙をぬぐい、ある場所に向かった。




