第三話:朝ごはんと花屋さん
「おはようございます 花月さん」
「いつも朝日さんを起こして頂いてありがとうございます」
「いいえ、いつものことなので」
私と朝日ちゃんの足音に気づいたのか、後ろを振り向いた男性と目があった。食卓に入るとそこには男性が立っており、丁度朝餉の味見をしていた。
この男性の名は木内志郎さん。
私の身長が百五十八センチで、志郎さんは百七十前後と言ったところか長身である。
真ん中に分けた黒髪に、容姿端麗な風貌でいかにも柔和な印象があり、志郎さんも真澄さんと同じように着物を着ている。
今は袖の部分が料理の邪魔になるので、たすきがけをしているため細身の体の線がより強調される。流れるように調理をし、仕度をする手捌きにはよどみがない。
座卓の上に目線を移した私はあまり朝は食欲がない方なのだが志郎さんの作る食事には食欲が湧いてくる。和室にある座卓には、もうすでに朝ご飯が準備されていた。
朝日ちゃんを迎えにきてくれるお礼にと、志郎さんから朝ご飯を頂いている。志郎さんが作る朝ご飯はとても美味しい。
ホカホカで白く艶やかに光る炊きたてのご飯。
ほんのりだしの香りがするお味噌汁(あっ、今日はしめじとネギか)
だし巻き玉子焼きがふた切れお皿に載っていて、食べた瞬間、塩っ気のある磯の香りがふわっと口の中に広がった。
玉子焼きの中に海苔が入っていて、私の好物でもある。
主菜は幽庵焼きと言って醤油、料理酒、みりんの調味液に柚子やカボスの輪切りを入れた魚の付け焼きだ。
ここを通い始めてからちょくちょくと志郎さんに料理を教わるようになり私も料理の腕や知識にも磨きがかかり、今では一人で魚の三枚おろしができるほど上達している。
幽庵焼きの魚は,さかなへんにに春と書いて「鰆」。
名前が示す通り旬の魚で味はクセがなく、脂が乗っているのに柑橘類の爽やかな匂いであっさりとした食感をしている。
鰆は幽庵焼きより、西京漬けという京都で作られる甘い白味噌の西京味噌に、料理酒、みりんなどを加えた漬け床に魚の切り身を漬け込んで、幽庵焼きの醤油とみそを入れ替えた付け焼きのようなものだ。
今日は味噌汁だったため、味が偏らないようにしたのだろうと私は志郎さんの料理に舌鼓を打っている。
隣に座る朝日ちゃんは黙々と私が握ったおにぎり二個をペロリとたいらげた。
食後に香りが高い玄米茶で一服をしていた時だった。
食事中はテレビを見ないので気づかなかったが、食後にテレビのリモコンをつけた時、最近起きたニュース番組などが報道されていた。アナウンサーの女性が全国であった事件・事故などの原稿を読み上げる。
「今日のニュースです」
寒風の影響で野菜の値段が高騰したとか、外国で大きな地震があり死者が多数などの痛ましい出来事で日本の自衛隊が救助を手伝っているなどを聞き、話の先が気になるが時間は止まってはくれない。
そろそろ朝日ちゃんに学校に行こうと促そうしたとき、最後に読み上げられたニュースで動きが止まった。
「東京都足立区の路上で女子高生が通り魔に襲われ負傷したという事件がありました。犯人はまだ捕まっていないという状況で、警察が必死で犯人を逮捕しようと強化しているとのことです」
「…えっ」
「足立区ってここから近いですね」
近くで恐ろしい事件があったことに動揺し、テレビのニュースを聞いていた志郎さんは心配そうに顔を歪める。
「二人とも今日は午前までですが、学校が終わったらなるべく早く帰るように」
志郎さんに念入りに事つけられた私は返事をした。
「はい」
「行ってきます」
〇〇〇
今日は快晴というお天気お姉さんの天気予報を見たばかりだ。
玄関に水やりをしようと昔ながらの涼みかたで志郎は柄杓で水をすくいアスファルトの地面の上にかけた。
空を見上げながら志郎は独り言のように呟いた。
「いつの時代も物騒ですね」
「せっかくの入学式日和の天気だというのに」
「……何事も起きなければいいのですが」
その独り言をつぶやいているのが聞こえたのか、家の前を通り過ぎていく中年ぐらいの通行人が志郎を見た。
和服を着た年齢的に若い男性が珍しいのだろうか。
それとも「いつの時代」という言葉のニュアンスに引っかかったのか。どちらにしろ通行人の男性の方が明らかに年齢が上だ。
しかし、男性は何も言わなかったが明らかに目は、若者の世迷い言だろうと語っている。
その通行人は特に何も言わず立ち去っていった。志郎が言った言葉の意味を訝しむことも、とがめる者は誰もいない。
志郎の見上げた先には、その暗雲とした気配とは隣り合わせに、清々しい青空とギラギラとした眩しい太陽が容赦無く彼を照らしていた。
〇〇
登校の途中には花屋さんの店があり、いつも朝の水撒きをしているエプロン姿の茶髪の男性がいる。
白いブラウスに青色のジーンズがよく似合っていて、立ち姿だけでもスラッとしていて背が高くモデルのような立ち姿は遠目からでもすぐに分かる。
「あっ、花屋さんがいた」
「おはようございます」
「おはよう二人共〜」
「ふふ、相変わらず仲良しなお二人さんね」
出会った時は幼少の頃、私は母親におつかいを頼まれたことがあった。おつかいを頼まれた時、ちょうど朝日ちゃんも一緒に遊びに来ていたので花屋さんに行き、ここで彼と知り合った。
『あら、可愛い妖精さんたちがきたわね〜』
初めて入るお店に緊張しっぱなしで現れた大人の男性に私は驚いて、朝日ちゃんは警戒心丸出しだった。はたから見れば、巨人と小人である。
でも、何度か会う内に打ち解けていき、今では気兼ねなく挨拶するぐらい上達しレている。
仕草は女性らしいのもあるだろうが歴とした男性であるのに、ここまで顔が整っているとどちらでもいい気がすると私は思った。
「高校生になったのね〜 時が経つのは早いわね」
「はなちゃんもこんなに美人になって」
花屋さんはそう言いながら私の頭の上に手を乗せた。彼には小さい頃から頭を優しくと撫でられるのを慣れているいるので嫌な気がしない。
「そんな花屋さんと比べれたら……」
手を振り、褒め言葉に思わず照れる私。
「長い付き合いなんだから「りん」って呼んでちょうだい」
至近距離まで詰められ、私は動揺するとそれを見ていた朝日ちゃんから声をかけられる。
「早く行かないと遅刻しますよ」
朝日ちゃんは私の手を少し強引に握り、歩を進める。
「うん、そうだね」
後ろを振り向きながら私は手を振った。花屋さんが優雅な笑みを浮かべ手を振ってくれた。
「行ってきます。 花屋さん」
「ふふ、行ってらっしゃい〜」
「本当に昔から仲良しね」
花屋さんが意味深な笑みを浮かべていたことを私と朝日ちゃんは知らなかった。
〇〇〇
「ふわ〜」
私は少しあくびをした。昨日はよく眠れなかったのもあるのだが今日の気温は暑くもなく、寒くもないため、恐ろしい眠気が襲ってくるのは至極当然である。校長先生の長い祝辞を聞いていると、どうしても一、二回以上は必ず出てしまう。
ようやく入学式が終わり、生徒たちは各々の自分のクラスに帰っていく。教室に入ると、なじみのある声をかけられた。
「おはよう〜 はなと朝日」
「春休み前以来だね」
話しかけてきたのは私と朝日ちゃんの中学からの友人である立花友希子だ。彼女も同じ高校に入学し、私と朝日ちゃんは友希ちゃんと呼んでいる。
あか抜けたショートの茶髪にすっきりとした目元をしていて体を動かす事が好きな彼女は、程よい筋肉がついていてほっそりとした体つきをしている。
「今日の入学式は長かったね」
高齢化社会の現代では、少子化社会のためクラスは比例して少なくなる中この学園は生徒数が100人は超える。
クラスが普通科が3クラスと特進科が2クラスあるが、進学を決めていない友希ちゃんとは分かれずにいられた。
この学校は7:3と女子の割合が多いため、一見男子にとっては楽園に映る。 けれど、女子同士でグループができると思春期な男子はなかなか輪に入ることは難しくなる。卒業するまで高校生活が一言も女子と話さずに孤独で終わるのは、あまりにも残酷である。