第三十三話:地獄の妖怪、餓鬼
「生徒会長!?」
中庭には花月達ーー花月と日影以外に人はいなかったのだが、さっきまで黒い靄に覆われて隠れていただけに過ぎない。
黒と白の靄は今は気持ちのいいほどすっきりとしていて、今は視界を遮るものはない。和服を着た麗人が顔を覆うようにして座り込んでいた。
「どうして、生徒会長が」
花月を追いかけていた黒い靄の正体が生徒会長ということに驚きを隠せずにどうしてと疑問は深まるばかりである。日影にさっき聞いた言葉を繰り返し考える。
黒い靄は「瘴気」。瘴気は悪い妖怪が発しているもので悪い妖怪が人間に取り憑くこともある。
花月は外れていてほしいと思いながら苦い表情で心中を漏らした。
「日影さん…もしかして 生徒会長は」
「うん」
日影…朝日も同意するよに同じ苦渋の顔つきをしていた。
「どうやら、妖怪に体を乗っ取られたようですね」
「そんなっーー」
分かっていてもあまりの事実に固唾を吞みこむ。妖怪なんてただの作り話だと思っていた。花月は昔から不思議なものが見えていた、けれど、それが妖怪の仕業なんて考えたことが無かった。
でもそれは今日までのことそして今、自分の目の前に妖怪がいて自分の身近な人が妖怪に取り憑かれている状況になにかできないと花月は考える。
「あの…生徒会長から妖怪を取り除くことはできないんですか?」
自分を襲ってきた人物でもあんなにも美しく綺麗な舞をした人を失いたくない。花月はどうにかできないか日影に聞き込む。
「できることはあります。けど取り憑かれた人間の負担が重くなり、良くて寝たきりになるか」
「悪ければーー「死」につながります」
花月は告げられた事の重大さに思わず息を飲んだ。
「そんなっ」
遠くから発する生徒会長の呻き声に花月は反応し、ずっと苦しそうな様子に心配になる。
「生徒会長はどうしてあんなに苦しんでいるんですか?」
「君を幻術にかけて飲み込もうとしたが、それに失敗して私が持っているこの刀で奴を斬りつけたんです」
日影は一メートルぐらいある日本刀を片手に持ち、その腰には刀を納める鞘がある。
朝日は攻撃の手をゆるめたくなかったが、これ以上彼の様子に手を出しかねて歯噛みする。口惜しそうな朝日を嘲笑うかのようにそれは忽然と現れた。
「ああ、ーーまたお前か」
怨嗟を含んだ異質で不気味な声音が花月と日影の鼓膜を揺らした。生温い風がジワリと肌に浸透していく。何て声なの…声だけで支配されてしまいそうになる。
「ようやくお出ましか」
日影が忌々しそうに低い声で呟いた。さっきの一撃が余り効いていないことに朝日は苛立ちを覚えていた。
花月は今、目の前にいる人が誰なのだと錯覚をする。生徒会長なのに…生徒会長の口調じゃないという違和感にゾッとする。そして彼の視線とカチリと目が合う。
動揺する花月を見て楽しそうに口元を歪ませニタリと笑った。自分の意識が生徒会長に持ってかれそうになっていた。
「落ち着いて、私がいます」
花月はそっと目を横に逸らすと、側にいる日影から話しかけられ、平常心を取り戻し勇気を出しながら生徒会長を操る妖怪に問いかけた。
「あなたは一体何者なんですか?」
〇〇
「ーーあら そういえば自己紹介をしていなかったわね」
花月に問われた生徒会長を憑いている妖怪は思い出したように話し始めた。
「私は餓鬼ーーあの世にいた妖怪よ」
「……あの世って」
「まあ地獄といえば分かるかしら」
地獄という言葉にいまいち実感が湧かない花月は気になり話しかけた。
「…地獄って死んだ人が行くところですよね? その妖怪がどうしてここに」
「この現世とあの世の抜け道があってね そこを通り抜けてきたの」
「私はね 人の飢えや渇きにとても敏感なの この人間界はまさに天国ね」
「飢えと渇きに満ち満ちた世界」
胸の上に手を当て生徒会長の陶酔した表情を見ればさぞ女子達は喜びの悲鳴をあげただろうが、今はその観客もいない。
「その中でもこの子は格別ね 人並み以上に霊感は高い」
「飢えと渇きって?」
「人には満たされない思いがある」
通常は秩序づけられた社会的な意識や欲望が、反社会的な、抑圧され封じ込められている意識や欲望などの負の感情から、魔を呼びこみやすくなる。
不平不満、他人への悪意、怨根などを心に抱いたまま鬱積している人間は、餓鬼の瘴気と同調し、染まりやすい。
心身に他の霊気を受け入れられる隙間を持つ『依代体質』の人間は、霊的物体を引き寄せやすい。
餓鬼にとり憑かれた人間は自我を失い、完全に支配下に置かれた人間の身体は、餓鬼の思いのままに操られてしまう。
「その思いはやがて心と体さえも蝕んでいく」
「それって…人の弱みにつけこんだってことですか」
花月は生徒会長の心の闇につけ込んだ妖怪を許せないと思った。
「まあ そうなるわね」
「けど悪く思わないでね これが私の「餓鬼」の食事なの」
『ガキ…? また聞きなれない単語だ』
どういう意味だと言いかけるが、これに答えたのは花月の側にいる日影である。
「餓鬼とはすなわち飢えた鬼を意味があります」
「地獄には六道と呼ばれる6種の世界があるんです。 貴方はそのうちの餓鬼道と言うところから来たのでしょうか?」
「ええ、正解よ。 なるべく人間社会にとけこみながら美味しく頂きたかったのだけど」
「邪魔が入ったのさ」
生徒会長に取り憑いた餓鬼は日影のことを睨み殺すような勢いで吐き捨てるように言った。
「この一帯を守護する守り人…「御影様」と言われているお前にな」
餓鬼はさらに日影に言い募り、それは日影に絶対に勝てるという自信からくるものか花月は不安感を覚えた。そしてまた餓鬼は面白おかしそうに話しを続ける。
「お前に私は倒せない。 人間を守ることが役目であるお前に…妖怪に取り憑いた人間を払うことなどできはしない」
「半人前のお前にはな」
「お前には前から奇妙に思っていた…人間でも妖怪でもない…」
餓鬼はどこか思案している様子に見える。そして明らかに何かを思い出した表情が窺える。
「ああーーそういうことか お前まさか「混じりもの」か!?」
『まじりもの?』
日影本人が否定しない様子に餓鬼は自分の予想が肯定したと分かった。
「これは愉快」
餓鬼は面白い玩具を見つけたようにからりと笑った。動揺する花月を見た餓鬼は丁寧に説明してきた。
「ああ人間のお嬢さん、混じりものはどちらかが人間の親ってことさ」
花月は教室の中で日影に言われたことを思い出した。
『そういえば あの時に言っていた』
『僕は妖怪の血を引いている』ってーー
餓鬼は日影を今まで嘲笑していた顔を見せていたが、今度は悲哀の表情を見せた。日影の生き方を憐れむかのような視線に花月は苛立った。
「けどお前は私よりも苦労しただろうな」
「どちらにも属してないお前はさぞ生きにくかっただろう」
花月たちがどう思っているのかお構い無しに、餓鬼の話のペースに嵌っていく。大勢の人質を取られているから日影も身動きができなかった。




