第三十二話:黒い靄の正体
人に会ったことで安堵しかけるが油断は禁物でまだ近くに潜んでいる可能性もあるのだからと花月は自分をすぐに戒める。それにしても日影が黒い靄が見えているらしいことに驚いた。
でなければ花月の口を塞いであの化け物に気づかれないようにするのには見えなければ今までの言動もちぐはぐになる。花月は気になる事を日影に聞いた。
「あの黒い靄が見えるんですか?」
「……うん 君も見えるんだね」
日影こと朝日は本人から直接聞いていないので後ろめたい気持ちがあるが、今はグッと堪えて花月の話を聞いた。
「はい、小さい頃からずっと、でもあんなに大きなもの見たことがないです」
「この前まで小さかったんだけど私も驚いています」
あまりの出来事にぼぅーとしていると横から花月を心配する声が聞こえた。
「大丈夫ですか? どこか怪我していませんか?」
その声で花月は思いつめていたことに気がついた。彼女は慌てて日影に返事をした。
「だ、大丈夫です」
「そうですか? 何か会ったら言ってくださいね」
花月はその笑顔が幼なじみの朝日と重なったように見えた。同じ黒髪だからかな……?今はそれよりもと目の前の問題に花月は頭を切り替える。
「あれは一体何なんですか?」
「あの黒い靄は私も最初見たときはもっと小さかったんです。 けどこの数日間であんなに大きくなってしまいました」
「あれはーー「瘴気」」
「しょうき?」
「この世界には妖怪がいます」
「その妖怪から出ているものが瘴気といってーー」
「ま 待ってください 今なんて言いました!?」
「……妖怪のこと?」
妖怪のことを話すか迷ったが瘴気のことを説明するなら、妖怪のことを話すのも不可欠でやむ得なかった。
「それです 妖怪ってやっぱりいるんですか?」
「……いますよ」
妖怪という言葉に花月が驚く表情を見た朝日は、自分の素性を黙っておこうと思っていたが、抑えることができなかった。
「……私もその妖怪の血を引いているので」
「えっ!?」
花月はさら驚いて、少し後ずさりをした。日影は特に焦りもせず淡々と話しているのを見て、冷静さを取り戻した。花月はその真剣な眼差しに目を奪われる。
「けど悪いことはしない」
「私はここに来たのは人を守るためだからです」
心がこもった言葉に花月の強張った心が揺れ動く。
「守る…」
『あ、まただ』
また朝日の面影を感じる。親戚とかいたかな…?花月は朝日に似たこの人を信じる気持ちになっていた。
「それじゃ さっきのは」
「廊下側にいると黒い靄…じゃなくて妖怪が来るからこの教室の中に私を隠してくれたんですね」
さっきよりも笑みが増えた表情の花月に朝日は笑みを隠せない。
「うん びっくりさせてごめんね」
「時間が無かったから」
申し訳なさそうに頭を掻いたその仕草で手首まで覆っていた着物の裾が肘までめくれ上がる。白い肌にくっきりとした赤い歯型があったのを花月は気づいた。
『そういえば私、何かを噛んだようなーー』
花月はその途端、青褪めながら震える指でその歯型を指した。
「それって…もしかして私の歯型ーー」
「え? ああ! いやっこれは大丈夫だよ」
言いながらも視線をそらしている日影さんに花月は顔が真っ青になる。
噛まれた時は流石にショックだったが朝日だがさっき噛まれていたことを思い出し、居た堪れなくなり花月の目をそらした。
「ごっ ごめんなさい! 必死だったとはいえ化け物と勘違いしちゃって」
居た堪れなくなった花月は深く下にうつむくのを見た朝日は慌てた。
「顔を上げてください。 時間が経てばこんなものすぐに消えますよ」
「本当にすみません 助けていただいたのに」
日影本人が許してくれても、花月は助けてくれた人の腕を噛んだことに罪悪感があった。けれどそんな平謝りする花月の手を優しく握りしめてくれた。
「そんなことより、こんなところから早く脱出しないと」
『脱出』
「ここから出られるんですか!?」
それは今まで願っていたことだ。それがようやく叶う。喜色満面の笑みになりそうだったが、ある重大な事を思い出した。
「中庭に倒れている皆はーー私の友達もそこに倒れているんです」
「それじゃ まずはそこに向かいましょう」
花月と日影は渦中の場所である中庭に向かった。白い靄は今も継続中である。
玄関を出て白い靄をかき分けるとそこには倒れている大勢の生徒たちがーーいるはずなのにそこには誰一人いなかった。
〇〇
花月は隣にいる日影に学校に入る前の状況を説明する。
「ここにさっきまでたくさんの人たちが倒れていたんです」
朝日自身も学校の窓から白い靄に覆われて生徒が次々と倒れていく状況を見ていたので容易に分かる。
その時、花月はあることにハッとする。友希子と麻里子の姿がいないことに気づき目の前が真っ暗になったのだ。
「友希ちゃん…麻里子ーーっ」
花月は大声で彼女達の名前を呼び叫んだ。
「待って! 走ったらーーっ!?」
日影の制止を振り切った花月は二人を探しに一目散に走り、周りが見えなくなっていた。
いきなり花月が走ったので、朝日は止めるのが遅れてしまいすぐに見失ってしまう。
「しまった?!」
花月は白い靄をかき分けて突き進んだ。その時、白い靄から忽然と二人の人影が現れる。
『もしかしたら!?』
花月はその人影に見覚えがあり、駆け寄った。
「友希ちゃんっ 麻里子!! 良かったっ 二人とも無事で」
「どうしたの? はな」
「いつも大人しいのに泣くなんて珍しいね」
「そうかそうか〜 私たちに会うのがそんなに嬉しかったか〜」
「ならばその胸に私の顔を埋めてイイかな」
「あんたいい加減にしないといつか捕まるよ」
「あっちにも大勢の人がいるからあっちの方に行こう」
二人のいつもの他愛のない掛け合いに、ホッと胸を撫で下ろした。
「うんっ」
2人と一緒に行けると思った花月はうなづきかけた。ーーそうだ。今までのことは悪い夢なのだとーー
朝日は倒れていた花月を見つけ気を失っている彼女を抱きしめる。
「はなちゃんっーー今、助けるから待っていて」
次の瞬間、稲妻のようなものが全身に駆け巡る。
『二人は幻術なんだ 目を覚まして』
誰かの声が聞こえた。一生懸命に花月に話しかけてくる声に無視ができない。
『幻術 何を言っているの?』
だって目の前に二人はいる。けど、ぐにゃりと一瞬だが視界が歪んだのを花月は見た。その違和感に花月は足を止めた。
「はな?」
「はなちゃん?」
「…私はそっちには行けない」
「だってあなた達は本当の二人じゃないから」
「何言っているの?」
「私たちは本物よ」
「なら私の質問に答えて」
「私の幼なじみの名前を!」
「…名前」
「名前はアレでしょう」
「ここにはいなかった」
「何だっけ?」
「わからない」
「情報が不足している」
花月は二人のあまりの無機質な片言に全身に悪寒が走る。そして同時に確信を得た。その時にまたあの優しい声が聞こえた。
『もっと目を凝らして 二人を見てください 二人の正体が何なのか分かるはずです』
そう言われた通りに花月は二人にじっと目を凝らした。
「あれはーー」
何かがほどけていくのを感じた。さっきまで自分の目に映っていた二人は黒い靄になっていて目が白黒になり後ずさる。
『私の言葉を復唱して』
「はっ、はい」
「臨りん・兵びょう・闘とう・者しゃ・皆かい・陣じん・烈れつ・在ざい・前ぜん」
日影が何を言っているかよく分からないけど、心地のいい声音が不思議と頭の中に入ってくる。
花月は日影の言う通りに復唱した。
「臨りん・兵びょう・闘とう・者しゃ・皆かい・陣じん・烈れつ・在ざい・前ぜん」
その言葉と共に二人の黒い靄は消えていった。花月は黒い靄に幻を見せられていたのだ。ようやく視界が開けたと思いやっと元の世界に戻れた。
「ぐっ…」
花月はすぐに立ち上がろうとするが、力が入らず上手く立ち上がることができずにいた。
呻いていた黒い靄は近くで震えていた。花月が幻術を破ったことにダメージを受けていたのだ。そして少ならからずとも花月も精神的なダメージで体がいうことを聞いてくれない。
黒い靄は憤然と襲い掛かるように花月に向かってきた。
襲い掛かられる花月は悲鳴をあげることもできずにここまでかと彼女は観念していたがーーそんな危機的状況をそばにいる日影はそれを見過ごすはずがない。
「良かった 私の声が聞こえて」
「…日影さん」
日影が側にいることに今気づき、また助けてくれたことに花月は目頭がジワリと熱くなった。
日影はいつの間にか日本刀のようなものを持ち、油断していた黒い靄に一太刀を浴びせた。その一太刀が効いているのか、黒い靄は苦しそうに呻き声をあげた。
「ヴギャァァァ!!!」
花月はその時、人のような叫び声を聞いた。
「今…何か人の叫び声が聞こえませんでした」
「…妖怪にもいろんな種類がいます」
「あの黒い靄は妖怪から発したものだけど、その妖怪が「人間」に取り憑いたら話は別だ」
「人間に取り憑いているって…その人が妖怪に操られているってことですか?!」
「はい」
『それじゃあ…一体誰が』
日影がで黒い靄は斬った攻撃でどんどん小さくなっていき、黒い靄から人影のようなものが見えた。
顔を手で覆い隠し、呻いている感じに見える。そして、黒い靄はすっかりと無くなり、厄介だった白い靄も徐々に晴れていく。
輪郭がはっきりとしてきた。そして花月は衝撃の姿を目の当たりにする。
そこにいたのはーー




