第二十六話:燃えよ、恋の乙女闘魂顛末記②
思い人に何をあげるかと会議をして、甘いお菓子に決定した。
淡路はスーパーに行ったことがないらしく、材料を買うために近くのスーパーで朝日と真澄と3人で買い物をした。
『いつもお手伝いさんとかにお願いしているので…』
確信的なお嬢様発言に、朝日は納得した。
淡路がバターを手に取りそうだったのを朝日は止めた。
「あっ、こっちの方が使いやすいって私の幼なじみが言ってました」
無塩のバターよりも無塩のマーガリンの方が溶けるのが早く、使い勝手がいいので
こちらを重宝していると花月は言っていたのを朝日は思い出した。
「そうなのですか? じゃあそちらでお願いします」
早速家に戻り、まずはオーブンを160度で予熱をする。
ボールに室温に戻したマーガリンと砂糖を入れて泡立てる。薄力粉をふるいさっくりと混ぜたら、ココナッツを入れてさらに混ぜる。天板にのせたクッキングシートの上に適量をのせて160度で15分〜16分とセットすれば途中でココナッツの甘い香りが台所に広がる。
オーブンが焼き上がった音にそわそわしながらも淡路は少し冷めるのを待った。恐る恐る試食をするとサクッとした香ばしいココナッツの香りと食感が口の中に広がった。
「お、美味しいです」
「成功ですね!」
「喜んでいただけるといいですね」
「っ…はい!」
淡路は豊原に渡すことに想像し、嬉しそうな笑みを浮かべた。そして翌日になり渡す練習までしたので準備万端である。
「変化!」
淡路が頭の上に木の葉を乗せて、唱えると白いもふもふのたぬきからふわっとしたボブの髪型でタレ目の印象的な人間の女の子に変わった。
「下校時に、帰る所に声をかけて、自分の気持ちを伝えて立ち去る」
志郎から指南を受けた淡路は、ほお〜と頷いた。下校時刻に合わせた淡路は、部活帰りの豊原を待っていた。
「何かこっちまで緊張しますね」
「はい」
でも一番緊張しているだろう淡路を見た。
淡路は学校から出てくる男子に声をかけようとした時に彼は他の女子から声をかけられた。
「豊原〜」
「うん? なんだ千代田か」
「どうした?」
一人の女子が話してきた、いかにも活発そうな女の子である。
「何か忘れているんじゃないの〜?」
ニヤニヤと意味深な笑みを浮かべた。
「りょ…涼真くん」
千代田の後ろに恥ずかしそうに隠れるおかっぱの女の子がいた。
「鈴野」
女の子に気づいた豊原はさっきの女の子とは打って変わって頰を染め上げた。か細い声で鈴野は豊原に聞いた。
「あの…一緒に帰っていいかな」
「ああ いいけど」
「いいけどって本当は嬉しいくせに、じゃあね〜」
うりうりと千代田は豊原を茶化し、立ち去っていった。
「ったくあいつは……じゃあ…行くか」
「う……うん!」
鈴野は嬉しそうにコクリと頷いた。近くでそれを見ていた話し込んでいた女子生徒に朝日は話を聞いた。
「あの二人って付き合っているんですか」
「うん? 知らないの」
「なんてゆうか純愛カップルだよね」
「そっと守ってあげたいというか、ほんと初々しいよねあの二人は」
「そうだったんですね」
トサッ
想定外のことに動揺している朝日は何かが落ちた物音を耳にする。
淡路がさっきまで大事に抱えていたクッキーの袋だった。朝日は慌てて近寄り、袋を拾い上げようとして、淡路に渡そうとした彼女の名前を言おうとした瞬間、
「あわ…」
刹那、言葉が止まった。
「ーーっ」
ダッと一目散に淡路はその場所から走り出した。
「朝日様っ 追いますよ」
「あ……うん!」
淡路は感情を押し殺すようにきつく眉間にシワを寄せて苦しそうに歪む表情に言葉を失い、朝日は彼女を止める言葉が見つからなかった。
〇〇
一方、朝日の家では作戦が上手くいったのか連絡を心待ちにしていた志郎がいた。
「志郎さん! 大変です」
「どうしました?」
真澄から念話がくることは想定済みであるが、切羽詰まった感じにただならない感じがしたのは想定外だった。
「淡路さんが逃走しました」
「え…と、それは」
「豊原くんには彼女がいたようで、現場に居合わせてしまってショックを受けて暴走して今朝日様と追って河川敷にいるところ発見しました」
「けど、人には危害はないので大丈夫だと思います」
「そうでしたか…分かりました 落ち着くまで見守り、そばにいてあげてください」
「はい」
人間と妖怪が共に垣根を越えて共存することは命がけだが、想いを伝える事は誰にもできることではない。けれどその前に彼女は玉砕してしまった。
複雑な気持ちを抱いた志郎はため息をつくと、玄関先からチャイムが聞こえた。
「御免ください」
遠くから人の声が聞こえた。
「おや、いつの間にか来客のようですね」
「は~い ただいま」
女性の声に志郎は早足で玄関先に向かった。志郎が玄関を開けるとそこにいたのはーー
〇〇
志郎との念話が終わった真澄は朝日に
「志郎さんに伝えました、それで、どうしましょうか?」
「彼女を一人にした方がいいか……それとも」
真澄は朝日にどちらにするか話し合おうとしたが、彼はすでに駆け出していた。
「っ…ちょっと行ってくる」
「朝日様っ!」
「ふぅ……全く人が好すぎますよ」
ため息をつきつつもそんな朝日の後ろ姿を真澄は優しい瞳で見送った。
淡路はひとしきり走りに走り、河川敷で体育座りをしながら黄昏ていた。
「ぐすん」
「ヒック」
嗚咽を漏らしながら、涙をぽろぽろと流していた淡路は静かな足音が近づいたことに誰だと目を向けると走ってきたのか息を荒くした朝日が立っていた。
「あ…さひさん」
「隣…座ってもいいですか?」
返事をする余裕がない淡路はコクリとうなずいた。少し時間が経つと、泣くのが治まってきたのか泣き声が聞こえなくなった。
「少し落ち着きましたか」
「…はい」
「まさか彼女がいるとは思いませんでしたね」
「はい、考えもしていませんでした。 私…本当に浮かれていて…せっかく皆さんが色々と手伝ってくれたのに」
「それは私たちは好きでやったことなので」
申し訳なさそうにいう淡路は朝日は言いかけるが、どこか無気力に流れる川面を眺めながら呟く彼女に何を話せばいいか分からずにいた。
「あんなかっこいい男の子誰も放っておくわけないですよね」
「人間に恋をしたから、きっと罰が下ったんです」
「だから豊原くんを好きにならなければっーー」
気持ちを切り替えるように淡路は閃いたようにポンと手のひらに拳をのせた。
「あ、そうです! これはただの恩返しです」
淡路は笑って言い返そうとしていたが、本当に笑っていない顔に朝日は口を開いた。
「ーーそんなことはないですよ。 人間に恋をしたから何なんです」
「ただそれだけじゃないですか」
朝日は脳裏に一人の幼なじみの少女を思い浮かんだ。
「あなたは間違っていない」
今まで聞いたことのない朝日の静かな声音に少し驚き、そして淡路の目元がくしゃりと歪んだ。
「……そう、ふふ…そうかな」
「朝日さん…少しだけ、胸を貸してくれないですか」
「はい」
朝日は両腕を広げて淡路をそっと胸に手を寄せると堰を切ったように泣き叫んだ。
「うわあああん」
突然の女の子の泣き声に何があったのかと周囲に見られたが、一時のことだった。淡路の震える背中を優しく撫でながら朝日は優しそうな瞳で彼女を見つめた。
しばらくして淡路は頭を起こし、涙を拭った。
「もう、いいんですか?」
「うん…ありがとう すごくスッキリしました」
「そうですか、それはよかったです」
さっきよりも、幾分か晴れた顔に朝日はほっとした。
〇〇
志郎も心配しているだろうと思い、連れて帰ると玄関先に見知らぬ草履が置かれていたことに気づいた。女性ものだと言うことに朝日は気づく。
「ただいま〜」
和室に入ると、お客さんが一人いたことに驚いた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは お邪魔しています」
そこには志郎の向かいに艶っぽい感じの和服の白髪の女性が座っていて朝日と目が合うと、挨拶される。誰かに似ている様なと朝日は思っているとーー
「淡路の母の伊予と申します」
「えっ」
朝日は驚き、
「淡路さんの…」
後ろにいた淡路を振り向くと、驚いた表情をしていて口が戦慄いていた。
「お、お母様、どうしてここに」
「ふふ、私の嗅覚をなめてもらっちゃ困るわ。 こちらの方に色々と聞きました」
伊予は娘の前に立ち、淡路は硬直する。
「あ…」
いきなりいなくなったことに怒られると思った淡路はぎゅっと目をつむり、身を縮めた。ふわりとした優しい母の香りがした。
「よく頑張りましたね 偉かったですね」
頭を優しく撫でられて、涙の跡が分かったのか優しい手つきで目元を撫でた。さっきまで思い切り泣いたのに淡路はまたじんわりときてしまった。
「お…かあさま」
「で・す・が」
「人様に迷惑をかけてはなりませんよ」
淡路のほっぺをぎゅっとつねり、彼女の柔らかい頬を持ち上げた。
「ふぁい(はい)」
それには意義があった朝日は口を開く。
「そんなことありません…私は迷惑だなんて思いませんでした」
「とても楽しい時間でした」
娘のために提言する伊予は朝日にお礼を言いかけるが、つとその容姿を見て言葉が止まった。
それは伊予にしか分かりえない記憶だった。
「あの…あなたはどこかで」
そして、ハッとした表情をし、口元を震わせて呟いた。
「…黒い髪の毛」
「瞳の色は違うけど…貴方様はーーっ」
「お母様どうされたんですか?」
母の不審な挙動に淡路は不思議がる。娘の前で見苦しい顔は見せられないと伊予は理性を取り戻した。
「…いえ、なんでもありません」
伊予は首を振った。
「さてと…いつまでもここにいる訳にはいきません そろそろお暇しますよ 淡路」
「えっ、もうですか」
淡路はもうお別れなことに眉尻を下げて残念がる母は何が娘に一番効く言葉なのかををよく知っている。
「これ以上遅くなると、お兄さん達とお姉さん達が貴方を迎えに来るかもしれませんよ」
「うええ それは困るよ」
淡路は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「そうか、お別れ…なんですね」
下をうつむいて寂しそうだったが、顔を上げた。
「短い間でしたが、お世話になりました」
「志郎さん、真澄さん」
「そして、ーーー朝日さん」
「さようなら」
「あ」
朝日と目が合うと淡路は思い出したように声をあげた。走り戻ってきて話しかけてきた。
「何だろう?」と思い朝日は顔を寄せると、
「私、朝日さんのこと好きになったので、もっと修行したらまた来ますね」
「え…」
反応は三者三様で朝日は驚き、真澄は硬直し、志郎は面白そうに笑った。
「じゃあね」
「あらあら、それではまた」
伊予は淡路のとった行動に困ったような笑みを浮かべ、志郎と真澄に会釈をして立ち去っていった。
「はあ 何だか嵐が去って言ったようですね」
志郎は空を見上げながら笑うと真澄もクスリと笑った。
「まさしくその通りですね」
朝日に先ほど淡路に言われた言葉を反芻した。
「え〜と あれって本気じゃないないですよね」
「はい? 本気以外に何があるっていうんですか?」
「ぐっ」
平然と言われた志郎の鋭い言葉に朝日はグサリとくる。
「まさか彼女が伊予さんの娘さんだったとは」
「えっ 知り合いだったの?」
「はい。 彼女の素性は隠神刑部の奥方です」
「愛媛県…かつては伊予国と呼ばれていた八百八匹の眷属「八百八狸」の眷属がいます」
「ちなみに淡路さんはその末っ子から2番目だったみたいです」
「へ〜、そんなにすごい子だったんだね」
「良かったですね 逆玉ですよ」
志郎が揶揄う声にぶつぶつと呟いていた朝日だったが我慢できず叫んだ。
「と言うより僕…一応、女として生きているんだけど、あれに深い意味はないて言うかそういう問題じゃないだろっ?!」
とキレ気味に志郎に抗議したが、彼は「ハイハイ」と面白おかしそうに笑ったので余計に朝日は怒りを募らせる。
朝日は血の繋がりはないが愉快で暖かい家族のような人たちと生活しながら、何事もなく無事に過ごすのが当たり前の日常を送っていた。
数年後、ある日を境に劇的に変わるなど彼は知る由もなかった。
〇〇
一方、朝日の家では作戦が上手くいったのか連絡を心待ちにしていた志郎がいた。
「志郎さん! 大変です」
「どうしました?」
真澄から念話がくることは想定済みであるが、切羽詰まった感じにただならない感じがしたのは想定外だった。
「淡路さんが逃走しました」
「え…と、それは」
「豊原くんには彼女がいたようで、現場に居合わせてしまってショックを受けて暴走して今朝日様と追って河川敷にいるところ発見しました」
「けど、人には危害はないので大丈夫だと思います」
「そうでしたか…分かりました 落ち着くまで見守り、そばにいてあげてください」
「はい」
人間と妖怪が共に垣根を越えて共存することは命がけだが、想いを伝える事は誰にもできることではない。けれどその前に彼女は玉砕してしまった。
複雑な気持ちを抱いた志郎はため息をつくと、玄関先からチャイムが聞こえた。
「御免ください」
遠くから人の声が聞こえた。
「おや、いつの間にか来客のようですね」
「は~い ただいま」
女性の声に志郎は早足で玄関先に向かった。志郎が玄関を開けるとそこにいたのはーー
〇〇
志郎との念話が終わった真澄は朝日に
「志郎さんに伝えました、それで、どうしましょうか?」
「彼女を一人にした方がいいか……それとも」
真澄は朝日にどちらにするか話し合おうとしたが、彼はすでに駆け出していた。
「っ…ちょっと行ってくる」
「朝日様っ!」
「ふぅ……全く人が好すぎますよ」
ため息をつきつつもそんな朝日の後ろ姿を真澄は優しい瞳で見送った。
淡路はひとしきり走りに走り、河川敷で体育座りをしながら黄昏ていた。
「ぐすん」
「ヒック」
嗚咽を漏らしながら、涙をぽろぽろと流していた淡路は静かな足音が近づいたことに誰だと目を向けると走ってきたのか息を荒くした朝日が立っていた。
「あ…さひさん」
「隣…座ってもいいですか?」
返事をする余裕がない淡路はコクリとうなずいた。少し時間が経つと、泣くのが治まってきたのか泣き声が聞こえなくなった。
「少し落ち着きましたか」
「…はい」
「まさか彼女がいるとは思いませんでしたね」
「はい、考えもしていませんでした。 私…本当に浮かれていて…せっかく皆さんが色々と手伝ってくれたのに」
「それは私たちは好きでやったことなので」
申し訳なさそうにいう淡路は朝日は言いかけるが、どこか無気力に流れる川面を眺めながら呟く彼女に何を話せばいいか分からずにいた。
「あんなかっこいい男の子誰も放っておくわけないですよね」
「人間に恋をしたから、きっと罰が下ったんです」
「だから豊原くんを好きにならなければっーー」
気持ちを切り替えるように淡路は閃いたようにポンと手のひらに拳をのせた。
「あ、そうです! これはただの恩返しです」
淡路は笑って言い返そうとしていたが、本当に笑っていない顔に朝日は口を開いた。
「ーーそんなことはないですよ。 人間に恋をしたから何なんです」
「ただそれだけじゃないですか」
朝日は脳裏に一人の幼なじみの少女を思い浮かんだ。
「あなたは間違っていない」
今まで聞いたことのない朝日の静かな声音に少し驚き、そして淡路の目元がくしゃりと歪んだ。
「……そう、ふふ…そうかな」
「朝日さん…少しだけ、胸を貸してくれないですか」
「はい」
朝日は両腕を広げて淡路をそっと胸に手を寄せると堰を切ったように泣き叫んだ。
「うわあああん」
突然の女の子の泣き声に何があったのかと周囲に見られたが、一時のことだった。淡路の震える背中を優しく撫でながら朝日は優しそうな瞳で彼女を見つめた。
しばらくして淡路は頭を起こし、涙を拭った。
「もう、いいんですか?」
「うん…ありがとう すごくスッキリしました」
「そうですか、それはよかったです」
さっきよりも、幾分か晴れた顔に朝日はほっとした。
〇〇
志郎も心配しているだろうと思い、連れて帰ると玄関先に見知らぬ草履が置かれていたことに気づいた。女性ものだと言うことに朝日は気づく。
「ただいま〜」
和室に入ると、お客さんが一人いたことに驚いた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは お邪魔しています」
そこには志郎の向かいに艶っぽい感じの和服の白髪の女性が座っていて朝日と目が合うと、挨拶される。誰かに似ている様なと朝日は思っているとーー
「淡路の母の伊予と申します」
「えっ」
朝日は驚き、
「淡路さんの…」
後ろにいた淡路を振り向くと、驚いた表情をしていて口が戦慄いていた。
「お、お母様、どうしてここに」
「ふふ、私の嗅覚をなめてもらっちゃ困るわ。 こちらの方に色々と聞きました」
伊予は娘の前に立ち、淡路は硬直する。
「あ…」
いきなりいなくなったことに怒られると思った淡路はぎゅっと目をつむり、身を縮めた。ふわりとした優しい母の香りがした。
「よく頑張りましたね 偉かったですね」
頭を優しく撫でられて、涙の跡が分かったのか優しい手つきで目元を撫でた。さっきまで思い切り泣いたのに淡路はまたじんわりときてしまった。
「お…かあさま」
「で・す・が」
「人様に迷惑をかけてはなりませんよ」
淡路のほっぺをぎゅっとつねり、彼女の柔らかい頬を持ち上げた。
「ふぁい(はい)」
それには意義があった朝日は口を開く。
「そんなことありません…私は迷惑だなんて思いませんでした」
「とても楽しい時間でした」
娘のために提言する伊予は朝日にお礼を言いかけるが、つとその容姿を見て言葉が止まった。
それは伊予にしか分かりえない記憶だった。
「あの…あなたはどこかで」
そして、ハッとした表情をし、口元を震わせて呟いた。
「…黒い髪の毛」
「瞳の色は違うけど…貴方様はーーっ」
「お母様どうされたんですか?」
母の不審な挙動に淡路は不思議がる。娘の前で見苦しい顔は見せられないと伊予は理性を取り戻した。
「…いえ、なんでもありません」
伊予は首を振った。
「さてと…いつまでもここにいる訳にはいきません そろそろお暇しますよ 淡路」
「えっ、もうですか」
淡路はもうお別れなことに眉尻を下げて残念がる母は何が娘に一番効く言葉なのかををよく知っている。
「これ以上遅くなると、お兄さん達とお姉さん達が貴方を迎えに来るかもしれませんよ」
「うええ それは困るよ」
淡路は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「そうか、お別れ…なんですね」
下をうつむいて寂しそうだったが、顔を上げた。
「短い間でしたが、お世話になりました」
「志郎さん、真澄さん」
「そして、ーーー朝日さん」
「さようなら」
「あ」
朝日と目が合うと淡路は思い出したように声をあげた。走り戻ってきて話しかけてきた。
「何だろう?」と思い朝日は顔を寄せると、
「私、朝日さんのこと好きになったので、もっと修行したらまた来ますね」
「え…」
反応は三者三様で朝日は驚き、真澄は硬直し、志郎は面白そうに笑った。
「じゃあね」
「あらあら、それではまた」
伊予は淡路のとった行動に困ったような笑みを浮かべ、志郎と真澄に会釈をして立ち去っていった。
「はあ 何だか嵐が去って言ったようですね」
志郎は空を見上げながら笑うと真澄もクスリと笑った。
「まさしくその通りですね」
朝日に先ほど淡路に言われた言葉を反芻した。
「え〜と あれって本気じゃないないですよね」
「はい? 本気以外に何があるっていうんですか?」
「ぐっ」
平然と言われた志郎の鋭い言葉に朝日はグサリとくる。
「まさか彼女が伊予さんの娘さんだったとは」
「えっ 知り合いだったの?」
「はい。 彼女の素性は隠神刑部の奥方です」
「愛媛県…かつては伊予国と呼ばれていた八百八匹の眷属「八百八狸」の眷属がいます」
「ちなみに淡路さんはその末っ子から2番目だったみたいです」
「へ〜、そんなにすごい子だったんだね」
「良かったですね 逆玉ですよ」
志郎が揶揄う声にぶつぶつと呟いていた朝日だったが我慢できず叫んだ。
「と言うより僕…一応、女として生きているんだけど、あれに深い意味はないて言うかそういう問題じゃないだろっ?!」
とキレ気味に志郎に抗議したが、彼は「ハイハイ」と面白おかしそうに笑ったので余計に朝日は怒りを募らせる。
朝日は血の繋がりはないが愉快で暖かい家族のような人たちと生活しながら、何事もなく無事に過ごすのが当たり前の日常を送っていた。
数年後、ある日を境に劇的に変わるなど彼は知る由もなかった。