第二十二話:陰陽局公認の特区・狭間区の名所「其の一:BAR・飴と鞭のバーテンダー兼店長」
どこか遠くを見つめながらトボトボと元気のない足取りで僕は教室で待っているはなちゃんの元に帰った。
「お待たせ はなちゃん」
「あっ、おかえり 朝日ちゃん」
こちらは僕の幼なじみの少女の平野花月という名前で通称はなちゃんと呼んでいて幼稚園に通ってた時に仲が良くなった優しい女の子だ。
幼稚園の頃に僕に話しかけて来た時は、とても嬉しくてつい答えてしまったことは今でも覚えている。
つい答えてしまったというのは、諸々の事情があって志郎からなるべく幼稚園の子と仲良くならないように、演技する必要があったのである。
幼稚園の記憶がそんなに鮮明に残っているのかと疑問に思うだろうが、それは僕が妖怪の血を引いていることに帰来する。
僕の中には妖の血が流れている。実際は子供の数倍は長生きしているのである。
けれど妖怪にしてはあまりにも人間臭く、人間にしてはどこか妖怪っぽいと言われてしまうほど、陰陽局の検査をする時に僕には妖力がないと太鼓判を押されてしまう。
だから人間として生活しても苦にはならないのだが……朝日のように人の血が混じった種族を「混血種」と呼ばれている。
逆に親同士が人間の血が全く混じっておらず、純粋な血統の間に生まれたものを「純血種」と呼ばれており、神聖視され恐れられている。
そして反面、純血種からしばしば混血種は冷遇と非難の的にされることもある。
僕たちが住んでいるところを「狭間区」と定められており、陰陽局からも公認の特区になっている。
そして狭間区にはよろず屋横丁と呼ばれているところがある。そこはどこか懐かしい下町情緒あふれる裏路地にある横丁。
あるにはあるのだがそこは容易に行くことができないところで、公認の陰陽師でさえも特別な許可証がないと入れないぐらい厳重に警備されており、彼らに取ってここは砂漠のオアシスに等しいと言える。
彼ら、よろずや横丁に住むものたちは人間では「ない」
妖の世界、人間の世界に両方ともに住むことができなかったものたちが和気あいあいと切磋琢磨しながら働いて暮らしている。
このよろずや横丁には名所・浅草にあるような仲見世が立ち並んでおり、横丁の外れには「のれん分け」をした「ななし庵」というところがある。
のれん分けは厳正な審査と正式に認可を受け入れられたものに屋号を付けられ、のれん分けされている。
よろず屋横丁は朝から夜まで何も知らない人間が行き来しても、とって食われる心配はない。
僕とはなちゃんは小さい頃からよく横丁の駄菓子屋に行ったりしていたのである。横丁にはいろんなお店や娯楽を嗜むお店が立ち並んでいるのは人間と同じである。
〇〇
昭和レトロ漂う昔ながらに懐かしい風情の商店街の中にノスタルジックな雰囲気がある洋風の酒場であるバーもまた不思議と馴染んでいる。
朝日は知り合いのいるバーの扉を開けると常連の客と目が合い挨拶をしていると、誰かがすすり泣いている声が聞こえてきた。
どうやら泣いているのは知り合いではなく、カウンターに座る女性からのようである。
シクシクと咽び泣く女性が座るカウンターの向こうには一人の麗人が立っていた。
「うえ〜ん、…ヒック」
真砂聖子まさごきよこ
ベリーショートの黒髪にスラリとした長身がモデルのようでバーテンダーの格好が様になっている。
瞳は切れ長でまさに大人の色香漂う女性である。女性は泣きながら聖子さんに語りかけている。
「私…本当に彼氏の事が好きだったんです。 なのに急に別れを切り出されてーー」
「どうすればいいか…ひぐっ 分からなくて 友達に相談したらここの噂を聞いて来たんです」
噂とはここバー・飴と鞭のバーテンダーに相談すると悩みが無くなると言われているらしい。
何とも名前にインパクトがある名前にしたものだと朝日は思いつつ、理由は聞くのが怖いので
何も彼女が先陣切って人間の恋愛悩み相談所になったわけではない。聖子が酒場を切り盛りしていたら、酒場には人間の恋愛話などつきものである。
「あなたにははっきり言うわ」
バーテンダーまずは一言。見た目通りの色気のあるセクシーな声音を発する。
「その男浮気をしているんじゃない」
「もしくは二股か」
「…そんな」
女性はバーテンダーの無慈悲な言葉に激しく動揺する。
「でも…彼は…私のことあんなに好きだって言ってくれて、必要だった言ってくれました」
「お金だってあんなにいっぱいあげたのに」
「あなたそれは黙されているわね。 普通好きな人にお金が欲しいなんて言わないわ」
「そんな男なんて」
彼女の肩に聖子は手を置き囁いた。
「焼き殺せばいいのよ…もしくは地獄に送ってやればいいのよ」
「ね、そう思うでしょう あなたも」
澱みなく聖子は話すとコクコクと女性はうなづいた。
〇〇
そのゾッとする表情に朝日の背筋に悪寒が走る。
今は仮の姿バーデンダーの格好をしているが何せ彼女の正体はあの清姫。
紀州道成寺にまつわる安珍・清姫伝説がある。平安より前の時代、人間の父親と白蛇の精の間に生まれた清姫は両親のような大恋愛をすることに憧れを抱いていた。
ある年の夏の季節、熊野に参詣に来た僧がいた。
真砂の庄司清次の娘(清姫)は宿を借りた安珍を見て一目惚れし、猛烈なアプローチをかけて迫るが、安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りはきっと立ち寄るからと騙して、参拝後は立ち寄ること無く行ってしまう。
騙されたことを知った清姫は怒り、途中で追いつくが、安珍は再会を喜ぶどころか、別人だと嘘に嘘を重ね、更には熊野権現に助けを求め清姫を金縛りにした隙に逃げ出そうとする始末。
清姫の怒りは天を衝き、蛇身に化け安珍を追跡する。
道成寺に逃げ込んだ安珍は、鐘の中に逃げ込む。
しかし清姫は許さず、鐘に巻き付き安珍は鐘の中で焼き殺されてしまうのであった。
江戸時代前期に鐘に取り憑いた清姫は人間たちに様々な妨害をするようになる。
付近に災害や疾病が続いたため貴族が陰陽師に退治するように依頼をしたらしく、陰陽師に退治される前に清姫の母に娘を助けてほしいと地方を行脚していた昔の僕に懇願した。
彼に命を救ってもらい、懐の深さに惚れて昔の「あき」の仲間になったらしい。
とまあ清姫…聖子と朝日との関係である。
その前に些かヒートアップしすぎだよな…
朝日は私情入りまくりで抑制のできなくなっている聖子のバーにある広告のチラシの紙をくるりと丸めて頭を小突いた。
「おい」
「あてっ」
「あっ マスター」
ようやく朝日が来たことは気づいたらしい。
それよりも中学生の自分にマスターという彼女の迂闊さに、朝日はその言葉に内心少し焦るが表面上のポーカーフェイスは保てた。
「コホン!」
わざとらしい咳払いに聖子は気づき、自分の失言に気付き言葉を言い直した。
「……っじゃなくて 朝日ちゃんどうしたの?」
白熱気味の聖子の話から急に現れた謎の子供に女性は不思議がる。
「この子は?」
「私の甥…じゃなくて姪っ子で、両親が共働きで、遅くまで働いているからそれまで預かっているの」
「そうなんだ 偉いね」
嘘八百であるが、ここで本当のことをいえば混んがるだけなのでこの場合は嘘も方便である。
女性は何かを思い出すようにしみじみとしている。
「私もよく、両親が家にいなくて寂しい思いをしたからな〜」
「ご両親は?」
「実家に2人で仲良く暮らしています」
「なら今日は遅いから、近いうちに少し帰ってみれば…ご両親の顔をみれば少し落ち着いて考える事が出来るんじゃないかしら」
「そうですね…少し頭を整理して来ます」
「ありがとうございました 聖子さん」
暗かった表情も憑き物が落ちたようにすっきりとした表情をしながら女性は帰っていった。
その話をしみじみと聞いていた常連のお客たちは、
「聖子ママの「鞭」は痺れるね。最後に「飴」をいうことも忘れない」
「聖子様に一度叩かれたいね〜」
お酒を飲んで頬を赤らめる会社帰りの50代のサラリーマンに対し、近くにいる若い女性20代ぐらいのOLは貶した目でサラリーマンを牽制する。
「聖子お姉さまをそんな目で見ないでくれるかしら」
「どう思うかは俺の勝手だもんね〜ふんだ」
「何ですって〜」
どんどんカオスとしてきた会話に朝日は首を突っ込みたくなる。常識はあるのだがちょっと?変わった人が多いのは否めないので朝日は絡まれ無いように早々に退散することにした。
「あっ私、そろそろ寝るね 聖子お姉ちゃん」
「あっ、お休みね〜」
「よく寝るんだぞ〜嬢ちゃん」
「お休みなさい 朝日ちゃん」
最後に聖子に言われた朝日は彼女はため息をつきながらも、バー・極楽の楽しそうなお客たちを優しい目で見つめていることに感慨深く、そして嬉しくもあった。