序章:真夜中の来訪
それは真夜中に起きた。場所は陰陽局の最上階。その時間帯にいるのは一人しかいない。壺井桐枝という齢60過ぎの男性である。職はこの陰陽局の管理職を務めている。
いつもは定時の17時に家に帰り、妻の夕ご飯を一緒に食べるのが楽しみなのだが、ここ数日は家に帰れずにいた。それは先日捕獲して収監されている者が起因している。
『鬼族』
妖怪の中でも人の言葉を話し、高い知能を持っている。そして並外れた運動神経と身体能力を持ち合わせている。それだけなら陰陽局も順次対応できるが、彼らは特殊な能力を持っていた。
人智を超えた圧倒的な力は人間を凌駕してしまう。なので油断はできなかった。そのために保険として狭間区の住人である志郎が見張り番となった。
その見張り番を申し出てくれた志郎に壺井にとってはありがたい存在だった。そんな危険人物を見張り続けるなど人では務まらないからだ。
鬼族は陰陽局の最深部に位置する「煉獄」に収監されており、橋姫によって結界で封印されていた。万全である警備体制であるのは捕獲したものが並の妖怪ではないからだ。何事も起きなければいいと思っていた時のことだった。
コンコン
ドアを叩く音が聞こえた。この時間帯に来客するものはまずはいない。そして誰かと会う予定も壺井にはなかった。ならば、これはと考えた瞬間に壺井は動いた。まずは電話はできないので志郎にメッセージを送った。それから2回目のドアを叩く音がした。
コンコン
考えていても埒が明かないと決断するまでにわずか数秒で壺井はようやく声を発した。
「はい、どなたでしょう」
「夜分遅くにすみません 少しお時間をいただけないでしょうか?」
壺井はその言葉に反射的に断りたくなった。常識的に考えてまず夜中に来ること事態がおかしすぎるのだ。断っても無理矢理に入って来るだろうと、扉の外にいるのが人間と考えるのをやめて思考を切り替えた。
「ええ、私でよければ入ってきてください」
壺井が入室を許可し、ガチャリとドアが開いた。そこにいたのは着物姿の男性だった。歳は自分よりも若い男性だった。見るからに人間にしか見えない容姿に壺井は緊張が高まる。男は緩やかな動作で頭を下げて口を開いた。
「お時間をいただいてありがとうございます」
壺井は座っていた腰を上げて、彼に配置されているソファに座るように薦めた。
向かいに座った壺井は男の言動を待った。
「まずは自己紹介ですね。私は火の宮とかいて火宮と申します」
普通の名字であるが、それが人間が名乗っているとは限らない。投獄されている「火原」もまた人間の名前を名乗っていた。
「あなたの名前を聞いてもよろしいですか?」
ここにきて、目の前の人物の名前くらい知っているだろうと思ったが、壺井は丁寧に応えた。
「私は陰陽局の管理官、壺井桐枝と申します」
二人は自己紹介を終えて、まずは火宮と名乗った男を座らせて自分も席に着いた。
「では、単刀直入にお聞きします あなた方が捕らえた家のものを返していただけないでしょうか?」
予想通りの言葉に壺井は反射的に答えた。
「それは叶えることはできません。彼がやった罪は大きい」
「どうしてもですか?」
火宮は首を傾げながらじっと壺井を凝視する。その視線を逸らそうとはしなかった。その精神のタフさに火宮は感動を覚えた。普通の人間であれば見つめているだけで気が触れたり、おかしくなっていくのだが。それこそ妖怪を退治するキワモノ揃いの陰陽局の幹部になれないだろうが。
「はい、どうしてもです」
「なら、話を変えましょう」
「?」
唐突に話題の変更に壺井は少し意表をつかれたが逆に気になった。『同胞の解放よりも優先すべきことは一体なんなのかと』壺井はふと考えた。嫌な予感がした。
「私の主人であるお方が、探しているものがおりまして」
「…あのお方というのは」
「私が鬼族というのはご存知ですよね? 鬼族を束ねているかた達を鬼の神の一族 ーー鬼神族と私たちは呼ばせていただいています」
言葉にするのも畏れ多いかのように火宮は声を震わせる。壺井は段々と生きた心地がしなくなったが、聞くことに徹するしかなかった。
「あのお方は私たちが仕えている姫はこう言ったのです」
火宮はここに来る数時間前のことを回想する。
〇〇
鬼神族は三つの一族に分かれている。その三つの一族を御三家と呼ばれている。火宮が仕えているのは紅の一族の姫、牡丹である。鬼神族は人間界とは異なる世界に住んでいる。その住まいはまるで平安時代のような建築、寝殿造になっている。
火宮は敬愛する主人に呼ばれて、颯爽と馳せ参じた。
「火宮、参上つかまつりました」
「ふふ、そんなに堅苦しくなくてもいいのよ、火宮 顔を上げて」
蠱惑的に笑う声に火宮は頬を赤らめて、視線を上げた。波打つ灼熱の髪は腰まであり、その目は紅色に染まっている。主人の視界に入った火宮は陶然となる。しかし次の言葉で我に帰った。
「火原がやられたみたいね、声がきこえなくなった」
「誠ですか、それは!?」
火宮はにわかに信じがたかったが牡丹の目を見て、すぐにいつもの冷静さを取り戻した。
「それは一大事、何者かにやられたということですか?」
牡丹は頬杖をつきながら答えた。
「いえ、生きてはいる。これは封じられている感じね…封じるのに得意な連中と言えば人族しかいないでしょう「「陰陽師」」
牡丹の言葉に火宮が、面白そうに笑みを深める。
「火原が誰に倒されたのかとても興味があるの。少しお使いを頼めるかしら?」
手を合わせて小首を傾げながら牡丹はお願いをした。主人たってのお願いに従属である火宮は至上の喜びを噛み締めた。
「謹んでお引き受けいたします」
〇〇
火宮は自分が鬼神族の使いであることを盾に壺井を分かりやすく脅迫しているのだ。火原を倒したもの達のことを壺井は個人的にもよく知っている。報告では御影様とそのチームが退治したということになっている。御影様=朝日を彼の主人が探しているということになる。
狭間区の住人である朝日をそんな危険人物に差し出すような真似は到底できない。ならば、嘘で誤魔化すかと考えるが、かえってまずいことになる場合もある。考えていても埒が明かないと話を進めた。
「そのさるお方は火原を倒したものに興味があるということですか?」
「ええ、ご存知でしょうか?」
「はい、確かに陰陽局に属しているものですが」
「その者と対談することはできませんか?」
『やはり、狙いはそれか』
壺井は少し逡巡し、嘘偽りなく答えた。
「それはできかねます」
「なぜです」
「あなた方がその者に何もしないという保証はありませんから」
「…なるほど」
淡々とした壺井の言葉に吉野はうなづく。それに納得するのは別として。
「ならば 交渉は決裂ということでよろしいかな?」
ニヤリと火宮は笑みを浮かべて壺井を追い詰めるが毅然と断る。
「私は彼らを守らなければなりません」
「断ればどうなるか分かっていても?」
明らかな脅しに屈することなく壺井は最後まで言い切った。
「どうなってしまってもです」
「交渉は決裂のようです…私たちが人間を殺しても文句は言わないでください」
「それは…っ」
人を守ること、朝日を守ること、それは一緒であるはずだった。けれどどう割り切っても壺井は人を見殺しにすることはできなかった。
『申し訳ありません 志郎様、朝日くん』
「お時間をいただけないでしょうか」
火宮は壺井の考えが変わったことに気づき、面白そうに顔を歪めた。
「ふふ、だけどそんなに待てませんよ そうですね、1週間後またここに来る。頭の回転が早くて助かる、お前は人にしておくのはもったいないな」
その言葉を最後に火宮は立ち去った。最後のは社交辞令なのか、そんなものは最早どうでもよかった。極度の緊張からどっと冷や汗が吹き出し、眩暈がした。
時計を見れば、たった数分の出来事だった。壺井はそれなりの場数を踏んできたつもりだったが、張り詰めていた線が緩み目元が重くなっていく。その時、ドアを開ける音が聞こえた。
誰が入ってきたの確認する余裕はなかった。
「壺井さん!?」
「…志郎さん」
酩酊する意識の中で志郎が来たということはわかった。そして自分が倒れて彼に支えられていることに。
「すみません、時間を稼ぐことしかできませんでした」
志郎は壺井の謝罪に首を横に振った。
「壺井さん、謝ることはありません、守っていただいてありがとうございます。ゆっくりと休んでください」
優しく気遣う志郎の言葉に、憔悴している壺井の意識を深く眠らせた。
志郎は謝罪する壺井にただ申し訳なく思った。何者かが侵入したということはわかっていた。志郎は音をかき消して壺井の元に向かった。
これはかつて暗殺を生業としていたときいに身をつけた技術である。薄暗い部屋の中でもぶつかることなく歩き、そして壺井の部屋の近くまでたどり着いた。
壺井の部屋には隠し扉がある。そのうちの一つに身を忍ばせた。なので、室内の話し声はしっかりと一部始終聞いていた。火宮という鬼族が彼を脅す声をそれに苦しむ彼の息遣いを。
感情を殺すことには慣れていた。いや、そうしなければいけなかった。だけど人並みの生活ができるのも壺井の存在が大きかった。その中でも壺井は幼い頃から、彼が生まれる前から知っている。
だからこそ、許せなかった。けれど朝日の顔を思い出すとどうしても躊躇してしまった。火宮が誰を探しているか思い当たったからだ。
だからこそ、壺井は耐えてくれているのだ。今、自分が表にでれば、火宮は自分を何者かと問うだろう。そして私の近辺を探ってしまうかもしれないという危惧があった。そしてようやく、火宮の気配が去り、壺井の元に駆けつけた。
「志郎さん」
憔悴しきった壺井はまず最初に伝えたのは謝罪だった。謝らないでくれと思いながら、志郎は眉間に皺を寄せた。
彼を眠らせて、まず志郎がしたことは陰陽局のトップである陰陽頭の安倍政則に連絡をすることだった。備えられている電話機には直通に安部家にかけられる有線番号がある。
志郎は00のダイヤルを押すと、すぐに安部家に繋がった。
「至急、陰陽頭に繋いでください」
「はい、かしこまりました」
電話のガイダンスが答えるとすぐに繋がった。
「どうした壺井、こんな時間に」
夜中に電話をかけられた安倍政則は砕けた口調で壺井が襲撃されたことを知らない。
「壺井さんは今、眠っています」
「…君は誰だ」
「私は狭間区の志郎と言います。壺井さんとは古くからの知り合いです 私は鬼族の見張り番をしていました」
「あなたは…! いや今はそれどころじゃないな 壺井の容体は」
頭の切り替えが早い。政則は壺井が連絡できる状態ではないということを推測する。
「怪我をしていませんが…強い妖気に当てられてかなり憔悴しています」
「ああ、そうか ありがとうございます 志郎殿」
電話口からでもわかる安堵した声に、志郎は口元に笑みを浮かびそうになったがゆっくりとはしていられないと気を引き締めた。
「それではなるべく早く会合お願いできませんか?」
「会合ですか?」
「はい、1週間後に鬼族はまた現れます」
「!?」
志郎の言葉に政則は衝撃が走る。
「壺井さんが稼いでくれた時間をどうすべきか考えましょう」
ご無沙汰しております方も、はじめましての方も
最後まで読んでいただきありがとうございます。




