第三十五話:母の願い、万屋あきとの邂逅
桔梗は、昼は目立つので夜に行動することになった。
誰もが寝静まった頃、本堂の隙間を掻い潜るのは朝飯前、桔梗は鐘の前に立ち娘を呼んだ。
『キヨ キヨ、起きて』
『この声は母様』
母の声に娘であるキヨはすぐに答え現れた。
「お久しぶりですね、どうされたのです」
「こんなところにいたら危ないわ 早くここから離れないと」
娘の腕を引こうとするが、そこから動こうとしない。
「キヨ、よく聞きなさい。あなたはこのままだと退治されてしまうかもしれない」
「退治? そう、あの和尚の仕業ね」
キヨは一瞬目を見開いたが誰が考えて行動を起こしたのか一人しか思いつかなかった。
「なら受けて立つわ」
「キヨ、やめなさい。相手はあの陰陽師かもしれないわ」
「陰陽師…確か占いを専門としている者たちのことね」
「それは昔の話、今は妖退治に特化しているの、そこらの下手な妖退治と訳がちがう。滅ぼされたら、私でもどうにも」
母の焦燥する声をキヨは拒絶する。
「望むところよ」
「キヨ…」
「母様、こんな娘でごめんね、でも私はここで離れられないの あの二人を死んでも許せない、そしてあの人を死なせてしまった自分にも」
そう言い残してキヨは鐘へと消えてしまった。母がどんなに呼んでも答えることはなかった。
〇〇
また私は何もできないの。トボトボと帰るその時浮かんだのは夫の最期の言葉だった。
「いえ、私にはまだ何かできるはずだわ」
桔梗はすぐさま行動に出た。まずは和尚をどうにかできないかと考えたが難しいだろう。向こうはいなくなって欲しいと思っているのだから。
一番厄介なのは陰陽師の存在だ。その時だった。誰かの話し声が聞こえたきたのだ
「ねえ、知っている 今日、万屋のお兄ちゃんが近くに来ているんだって」
「え、まじ」
「誰なの万屋って」
気になった桔梗は小妖怪たちが話しあっているところを混ぜてもらった。
「え、知らないのって、わ 人間!?」
「驚かせてごめんなさい、私は人間じゃないわ」
「あ、本当だ」
同族だとわかり小妖怪たちは安心して話を進めた。
「万屋っていうのは困っている人や悩んでいるのを助けてくれるところさ」
『万屋?』
桔梗はどこかでその名前を聞いた。確かそれを聞いたのは江戸にいた頃。今はこの和歌山にいるのか。
桔梗はその小妖怪に話しかけた。
「その万屋さんが近くに来ているの?」
「うん、そうみたい。この前隣の町にまで来てたみたいだから。まだいるんじゃないかと」
「どうやったら会えるかしら」
「会わせてあげる」
「いいの?」
「うん、なんだかとても会いたそうだったから」
「ありがとう…」
小妖怪の優しさに桔梗は目頭が熱くなった。小妖怪にに連れられて、隣の街に向かった。道成寺がある方向を見ながらしばしの別れを告げた。
『キヨ、待っていてね』
〇〇
「ここだよ」
人並み外れた運動能力もあり半日で隣町で来ることができた。
「この前はあの川で釣りをしていたんだよね」
「そうなの?」
川のほとりを見ると小妖怪が指した方向に一人釣りをしていたものがいた。そのものは黒を纏っていた。
「あき!」
小妖怪はその後ろ姿を見るや否や嬉しそうに後ろから抱きついた。ぽてっとした感触にあきと呼ばれた男は気づきつまみあげる。
「なんだ、お前か。今日はまだ釣れてないぞ」
「魚じゃないの、お客さんだよ」
「うん? お客」
その男は振り向くとその容姿がわかった。黒い髪に黒い目の瞳の青年。
「あんた、誰だ」
あきは不思議そうに首を傾げた。
〇〇
その姿はまるで俄然のない子供のようで桔梗はまさかと思ったが、周りにはこの人物しかいない。男はじっとこちらを見ていたので慌てて自己紹介をした。
「わ、私は桔梗と申します 私が悩んでいたところ この子があなたを紹介するって」
「うん? なんだ 万屋のことか」
あきはおもむろに竿を水面から引き上げて桔梗の方に向いた。真正面に向かい合い 桔梗はようやくその容貌をみた。
風に靡く艶やかな黒髪は肩ぐらいまであり、後ろ髪を結んでいる。そしてやや吊り目で瞳の色は黒。
その顔は容姿端麗で、体型も細身であるが筋肉がついている。
「それで何に悩んでいるんだ」
「実は、私の娘なのですが」
桔梗は自分と人間との合いの娘がいて、その娘が道成寺という鐘に取り憑いていること、そしてその和尚が鐘に取り憑いている娘を退治するために陰陽師を呼んでいること。
「なるほど…陰陽師か」
あきは思案する顔をした。
「向こうは娘を退治する気満々で、下手に友人などに頼むことはできないので。そんな困っているよきに、この子が話をしているのを聞いて」
「ああ、なるほどね」
あきはくすぐったそうに笑った。
「俺が助ける代わりにあんたは何ができる」
なんでも助けるからと言って無償ということは彼は言ってない。彼も商売でやっているのだ。
『私に何ができる、違う! もう何もできないなんて』
その言葉に桔梗は生唾を飲み込むが即答した。夫の最後の言葉を思い出しながら声を上げた。
「私ができることなら何でもいたします」
「…いい返事だ。まあ、お前さん碌でもないやつだったら高くつくが、こいつらが連れてきたんだからそうじゃないだろ、いいぜ無償でやっても」
あきの思わぬ申し出に桔梗は慌てふためいた。
「いいえ、相手はあの陰陽師なのです、危険を承知で頼んでいるんです、何か対価を支払わせてください!」
「いいって、そいつに会ってみたいな。それ人と妖の半妖ならな」
「?」
「俺も人間の血を引いているからな」
「! そうなのですか」
「おうよ、それじゃ行くか 娘さんを助けに」
あきの声に小妖怪も行こうとしたが、止められる。
「あき〜 どこへ行くの」
「僕も行く」
「お前たちはダメだ、弱っちいから退治されちまうぞ」
「え〜」
ブーブーと文句を言われながら、和気藹々としている様子に桔梗は少し緊張が解けた。
「仲良しなんですね」
あきは恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「それと行くまでに娘さんがどうして取り憑くことになったのか教えてくれないか」
「はい、そうですね、まずは娘の名はキヨ、宿屋の看板娘で美人でそれを聞きつけた領主の息子が娘を嫁に欲しいと言われて嫁ぎました」
「けれどその息子には癖があり、何とかするためにキヨが嫁いで彼を弱らせようとしたのですが予想外のことが起きてしまい」
「事故?」
「娘が精気を取り過ぎてしまったんです」
「それでどうにかできないかと、安珍という近くをわたり歩いている若い修行僧がおりその者に頼んだそうです」
「そしてその僧とキヨが意気投合したらしく、それから二人の頑張りもあり。息子は体調が良くなってきたそうなんです。 しかし、事件が起きました。二人が仲がいいことに気づいたものがいたんです。キヨの女性の正室の桃子という女性です 」
「その女性は良家のお嬢様で自尊心が高いことで有名でした。なので彼女にとってキヨは目の上のたんこぶであったはず。そして二人が仲がいいことを知った領主は安珍様に脅しをかけたということ。その後に脅しをかけたのは賊の一味だったらしく。そのものが安珍様を殺してしまったのです」
「そいつらは」
「そのものたちはキヨが殺したと。そしてその二人を許すことができず。鐘の中に逃げ込んだ二人を焼き殺したと。私はすぐさまそれを知って娘の元に駆けつけましたが家に帰ろうと言っても首を振るばかりで、もうどうすればいいのか」
「そうか、なら尚更 どうにかしねえとな…いやだよな、誰かが自分のせいで亡くなるのは」
その呟きに悲しい表情をするあきは覚えがあるのか桔梗はあえて聞かなかった。