第三十三話:道成寺の鐘
いつもよりちょっと長めです。
ガタガタ、ざわざわ。天気の急変に村の住民たちは一体何が起きているのだと怯えた。それは屋敷に住んでいるものたちも同様である。
急激な天候の変化になんの用意もできないまま使用人たちは建物に隠れることしかできなかった。
重吉と桃子は一緒の部屋にいた。使用人にキヨを連れてこいと言ったまま帰ってこない。重吉は何かあったのかと部屋を出ようとするが桃子に止められる。
「どこに行くのです!?この天気の中で動くのは危険です」
部屋から出るとミシミシとした音が鳴り響き、轟々とした風を切る音が屋敷全体を揺らす。そして極め付けは雷である。
ピシャン
「きゃああ」
桃子に抱きつかれた重吉は身動きができなくなった。そしてしばらくしてぴたりと止まり、蝋燭に灯りをつけてもらおうと使用人を呼んだ。
「誰かおらぬか、蝋燭に灯りをつけてくれ」
だが一向に返事はなく桃子は痺れをきらす。
「誰かおらぬのか」
障子を開けても誰一人見当たらない。
「重吉さま!?誰もおりません」
「なんだと!?」
桃子の声に重吉も声をあげるが風と雷の音しか聞こえない。一体どういうことなのかと目の前が真っ暗になる。屋敷の外はさっきまでの悪天候が嘘のようで月明かりに照らされていた。
重吉と桃子は屋敷の外に出てようやく人影を見つけた。
「そこの者!」
桃子が声をあげるとその人影が振り向いた。そしてそのものの容姿に驚愕する。白い髪に金の瞳、まるで月から召された天女がいた。
「其方は一体…」
重吉はあまりの美しさに陶酔する。目の前にいる彼女がキヨだと重吉は気づいていない。気づいたのは桃子だった。
「その着物、キヨなのか」
桃子のポツリとしたつぶやきは重吉が捉えた。
「な、何を言っている キヨは」
「そうだと言ったら、ふふ冗談よ これはねそこら辺からちょっと拝借してきたの」
月灯りで彼女がきている着物には血がべっとりとついていた。
重吉は目の前の女性がキヨだと信じていない。あまりにも変わり果てた姿に信じられなかったのだ。けれど桃子は違った。直感でキヨだと感じた。それが桃子の首を締めることになる。
ニヤッとした笑みを見せると重吉と桃子は恐怖で硬直する。今まで自分の方が上だと思っていたのはずなのに急激に立場が逆転した。
「た、助けてくれ 命だけは」
重吉は腰が抜けてしまい命乞いをしてきた。そしてキヨはじっと重吉を見つめた。まるで心の奥を見透かすような目に重吉は悪寒が走った。
「あなたたちに聞きたいことがあるの」
「な、なんだ」
「私が知っている知っているお坊さんがここら辺に泊まっているって聞いたんだけど 知っているかしら、名は安珍っていうの」
「!?」
その重吉と桃子は聞き覚えがありすぎて嘘をつくことができない。
「もしかして知っているんですか?」
「ああ、知ってはいるがそのお坊さんはもうこの村にはいない」
「どこに向かったか聞いていますか?」
「ああ、確か隣の村に」
「あれ、おかしいですね 私隣の村からやってきたんですよ そしたら」
ヒュンとそれを投げ込んだ。それは人間の頭だった。
「ぎゃあああ」
重吉と桃子は震え上がる。
「ひいいい」
「隣の村からやってきた時に男たちがいてね、そこに血まみれに倒れていた人がいたの、誰だかわかる」
それに重吉と桃子は誰なのかと気づいた。
「もしや…尾行だけではなかったのか 私は脅しだけだと」
「あとは使用人に頼んであとは何も」
そう二人は致命的なミスを犯した。その使用人がチンピラまがいの野盗とは思いもしなかったのである。
「安珍様は」
「死んでいたわ、ズタズタに切り裂かれて」
安珍が死んだ。殺されたことに気が動転した重吉は喚き散らかす。
「私は知らないぞ!? この女がやったことだ」
「そうなの?」
キヨは首を傾げた。そして桃子を睨んだ。睨まれた桃子は反論する。
「わ、私は脅すまでしか言ってないわ。使用人をここに連れてきて、その使用人が悪いのよ」
二人の言い争っている無様な様子にキヨは嘲笑する。
「ふふ、あなたたちお似合いね。悔い改めなさい、その罪を」
キヨの睨みに失神してしまい、早朝になって眠らされていた使用人たちから発見される。そしてようやく目を覚ましたと思ったら物の怪に殺されるなど喚き散らし、使用人たちはほとほと困り果て、安珍が亡くなったことを知らない使用人は安珍を探すが見つからず、僧を殺したという罪は大罪である。
両親に相談すれば勘当されかねない。使用人は情報を集めてようやく見つけた。お祓いのために道成寺というお寺に向かった。
〇〇
助けを求めたのは道成寺という寺の和尚が物の怪を退治したりするのに長けていると聞きつけたからだ。
重吉と桃子は藁にもすがる思いで、使いの者を出すと返事が返ってきた。二人とも来るようにとのことで普段は遠出をしない二人だが、命には変えられないと屋敷を出た。
キヨはどうしたかというとあの物の怪に襲われた日、使用人は帰ってきたが行方不明になっている。物の怪に食われたのだろうと慕っていた使用人たちは悲しんだ。桃子はあの物の怪がキヨだと言っても誰も信じてくれなかった。
重吉は捜索し、村中の者も探したが一向に見つからなかった。重吉は後ろ髪に引かれながら、桃子と使用人を数名連れて向かった。そして山をいくつも超えて、ようやく辿り着いた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
坊主の案内で奥へと通されそこに座った。和尚は二人を見た途端に目を見開いた。
「なんということだ…」
顔色を青白くして顔を覆う和尚に二人は動揺する。
「どうされたのです」
「二人とも今すぐ禊に行きなさい」
和尚の指示に坊主はうなづき二人が去ったあとの坊主は和尚を心配した。
「大丈夫ですか?」
「ああ、いや」
いつもの穏やかで頼りがいのあるめが険しくなっているのが坊主たちに伝わる。
「あれは私ではどうすることもできないだろ 二人はもう呪われている」
和尚には見えていた。二人に見えざる大蛇が巻き付いていたのを。
「あれだけの妖気、一体どんな恨みを買ったのか」
和尚は二人が禊から帰ってくるまで思案した。そして禊をして少しマシになるとようやく自己紹介をした。
「私は鈴木村の領主をつとめていると重吉と申します。そしてこちらが妻の桃子」
「私たちは物怪の恨みを買ってしまったらしく、次の満月までどうにか逃げ切りたいのです」
「どうして恨みを買ったのかわかりませんか」
「それは…」
重吉と桃子は目配せをして口ごもる。
本当のことをいったら自分たちがまずいのだろうと空気が出ていたのを和尚は察したが本当のことを知らなければ何も始まらない。
「何かあるのなら包み隠さず お願いいたします」
「…はい、実は」
重吉と桃子は屋敷であったこと、自分にはキヨという側室の女性がいてその女性と仲良くなった僧がいたこと。そしてその僧が亡くなってしまったこと。和尚は聞いているうちに腑が煮えくりかえる思いだった。
なんて身勝手な人たちだろうと。
「あなたたちは自分の行いでしたことが災いになったということですね…」
「あれは、私たちは悪くありませんわ、私は悪くない」
和尚の言葉を遮るように桃子は反論する。そして重吉はただブルブルと震える。
「私は悪くない、まだ死にたくない」
精神的におかしくなってしまったのかあの出来事があってからブツブツと独り言を言うのが多くなってしまった。
「こんな時にキヨがいてくれれば」
ポツリとしたつぶやきは和尚は聞き返す。
「キヨ殿と言うのは側室の女性でしたね」
「はい、あの物の怪に襲われた日を境に見えなくなってしまって」
「そうですか」
それを最後に和尚は二人をそれぞれの部屋に案内をして休ませた。
〇〇
そして和尚は不思議な夢を見た。
「ここは」
枕元にニュルりと白い蛇が現れたのだ。
「あなたは」
「私はあなたの敵ではないわ、ただあの二人を庇うのなら敵とみなすわ」
「あなたはどうしてそんなに」
「あの方が好きだったの 安珍様が」
安珍、それは修行僧のことがでも何か違和感を感じた。安珍と仲が良かった側室の女性のことを。
「あなたはもしやキヨ殿ではないのか」
その言葉に目を細めて肯定をした。
「ふふ、力は多少あるようね でも私には敵わないことはわかっているはず 忠告はしたわよ」
それを最後に和尚は目ざめる。もう日は明け暮れくれて朝になっていた。
じっとりと嫌な汗をかいており、夢だったのかまるで現実のようだったと実感させられる。二人の目の前に現れるとしたら、次の満月だろう、そしてその時に二人がーー
いやたとえそうでも助けを求めてきたものを無碍にできない。悪い行いをしていても。和尚はどうすればいいかと考えあぐね、一人の坊主が妙案を思いつく。
「あの鐘の中だったら、何もできないのでは」
その鐘は人間よりも大きく、二人ぐらいは入れそうである。
「うむ」
それ以外に妙案が思いつかず、二人に鐘の中に隠れるように話をつけた。一晩ここで過ごすようにと言われて狭いところだが命が助かるのならと承諾した。
そしてまん丸とした月の日になり、それは忽然と現れた。坊主たちはその姿を見て腰を抜かす者もいれば、失禁するもの、気絶する者もいた。
10メートルぐらいの大蛇が地面を這う姿に遠目から見た和尚は寒気が走った。
『誰も攻撃してはならぬぞ』
攻撃しようとしてもできない。あれは人間が太刀打ちできるものではない。そしてキヨはどこにいるのかと隠していてもすぐにわかった。それが鐘の中であっても。
二人はお互いに手を握りしめ合い、ガタガタと震えていた。そして何やら物音が聞こえた。
「どこにいるのかしら 隠れていないで出てきなさい」
あの時聞いた声に震え上がる。
「ひいい」
「大丈夫だ、こんなに頑丈なら」
「ええ、そうよね」
「ああ、ここにいたのね」
キヨはお堂の中に入り、二人が入っている鐘を見つけ出した。ギリギリと巻き付けてもなかなか壊れない。
これが普通の蛇だったらここで諦めていただろう。だがキヨは普通の蛇ではない半神であり妖なのだ。
口から炎を吐き、鐘はみるみると高温になる。そしてそれは鐘の中も同様である。
「いやあああ」
「熱い、熱い、誰かここから!!?」
断末魔の叫び声を上げながら、二人は焼き殺されていく。あまりにも酷く殺される様子にただ和尚は見ていることしかできなかった。その翌日の朝、鐘は湯気を上げており、ようやく鐘に触れるまでの温度になった。そして中には骨も残さずに灰となった二人の姿だった。
「なんと…いうことだ…」
呆然としている和尚に女性の声が聞こえた。彼女だと気づいた。そしてそれが鐘から聞こえているのだと気づいた。
「私は眠る、このものたちの供養でもなんでもすればいいわ 私は…もう疲れた」
そう言い残し、鐘に取り憑いたキヨはそれ以降、姿を現さなくなった。ーーそれはいくつもの年月、数百年の歳月が流れた。