第二十九話:言葉とは裏腹に
一方、安珍はお茶をすることになり部屋で待ち構えた。
「全く大事なお客様を待たせるなんて何をしているのかしら」
この正室は気が短いのだろうか、あまり好ましくなかった。
「あまりお気になさらずに」
「すみませんね、今から側室がお茶を持ってきますので」
安珍がそれを聞いてこの家の家族構成がわかった。目の前にいる女性が正室で、側室の身分の方が低いのだろうと察した。
しかし、あまり外部のものが内情を知るわけはいかないだろうとあえて聞かなかった。そして待って10分くらいしてきたことようやくその側室の女性がやってきた。
「遅くなり、申し訳ありません」
障子の外から凛とした声に安珍はどきりとする。こんなに綺麗な声の女性はいただろうか、安珍はあちこちで修行で旅をしていたがこれほど胸がときめいたことはなかった。
障子を開けるとそこには声の通り凛とした佇まいの美女がいた。円な瞳に小さな唇、そして何より黒髪が美しく立ち振る舞いが綺麗だった。こちらを見ようともしないキヨにヤキモキしたが、ようやくこちらに目を向けた時に彼女の目が見開いた気がした。
お互いに目を外せなかった。このまま、夢現のままに彼女とどこかへと行きたいと思うほどに。
「さあさあ、安珍様 お召し上がりください」
正室から声がかかり安珍はハッとする。そしてキヨもまた自分の仕事へと戻った。安珍はおもむろに手を取り唐菓子を食べた。
サクッとした食感と香ばしい風味に安珍は感動した。
「これは」
「どうでしょう、お味は」
「とても美味しいですね」
「ありがとうございます」
褒められた言葉にキヨは笑みを浮かべた。安珍は間近でそれを見てキヨの笑顔に見惚れた。
「それでなのですが」
ずっと見ていたいと思っていたのに顔は表情が引き締まり、安珍は残念に思った。
「早速ですが、私の夫である重吉様をを診ていただきたいのです」
「はい、私でよければ」
それにうなづこうとした時、キヨの顔色が悪くなる。安珍は不審に思い首を傾げる。
「どうかされましたか?」
声をかけられたキヨは首を振る。
「い、いえ、私の方からもよろしくお願いいたします」
キヨは腰を深くし安珍にお願いをした。そして、重吉の部屋まで行くと布団の上に男性が横たわっていた。青白くほおがこけていて今にも死にそうな感じである。
「こうなられてどのくらい経っていますか?」
「そうですね、もう一週間ぐらい経っていますでしょうか」
「ということは体力はまだありそうですね」
「他には何か変わったことは」
「いえ、何にも私が嫁いで半年になりますが、彼女がくる前もこんなことはなかったと聞きます」
安珍ははキヨに向かい話をした。
「えっと キヨ殿でよろしいでしょうか」
「は、はい」
なんだか彼に名前を呼ばれるのはくすぐったかったが、桃子の前のため表に出さないようにしていた。
「えっと、キヨ殿の方が主人との結婚が早かったんでしょうか」
「はい、私の方が一年前に嫁ぎました」
「そうだったのですか」
「はい」
あまり聞かれたくないのか視線を向けないキヨに安珍はいいごもる。
「ええ、彼女は重吉さまを見初めてここに連れてきたただの宿屋の娘です。色々としてくれて助かっているわ」
側室であるのにも関わらず、まるで使用人の扱いに安珍は口元を引きつらせた。それ以外にも話すが特に成果もなく一度話を終えることにした。
重吉の手を触り、安珍は目を閉じた。怪しい気配がないか集中した。この部屋に入ってきた時に感じた気配は物怪のように見えたが何か空気が澄んでいるように感じた。
どういうことなんだと安珍は原因がわからなくなった。禍々しい気配だったらすぐに駆け込んでいただろうが、それがなかっやのも、まるで神仏の領域のような。今まで物怪しか見てこなかった安珍はにわかに信じがたかった。けれどそれが判明するは早かった。
夕暮れになるころ、安珍が休んでいる部屋に側室のキヨがやってきたのだ。
「夜食を持ってきました」
「これはこれはありがとうございます」
すぐに帰るかと思いきや何やらじっと見つめて何かを言いたそうだった。
「子の刻、話をしたいことがございます」
「そんなに遅くにですか?」
「はい、とても大切な」
「どこで話をされますか」
「そうですね、この近くに池のほとりがあるので」
よほど聞かれたくないと安珍は考えたが、ひとまずこの場で聞けないか聞いてみた。
流石に夜の中、灯りをつけないまま歩くと危ないし、灯りをつけると使用人の誰かに気づかれる恐れがある。
「なら今、話をしませんか」
「え」
いきなりの提案にキヨは驚いて声を上げたが考え直し、そして彼女は覚悟を決めたように呼吸を整える。キヨは周囲の人の気配がないことを確認し、話を進めた。
「では お話をさせていただきます」
〇〇
「私なんです」
「え?」
「私が重吉様の、精気を取ったのは」
安珍はにわかに信じがたかった。だが彼女の口から発された言葉と瞳に嘘は感じなかった。
「それではここにきた時の気配というのは」
「それは私の気配です」
「ですがキヨ殿から禍々しい妖気は感じませんでした」
その理由をキヨは説明した。
「それは私がうまく人間界に馴染めるほど強い妖だからです」
「妖…」
「私のようなものに初めて会いましたか?」
「はい」
こくりと安珍は戸惑いながらうなづいた。
「驚くのも無理はありません。人語を理解してしゃべるものなど知性があれば人間と関わるのは極力避けるでしょうから」
「そうだったんですか、それでどうして重吉様の精気を奪うことになったんですか?」
「私が怖くないんですか?」
キヨの問いに疑問になった。自分は人間ではない妖で修行僧の彼は妖の敵なのに。不安そうなキヨの揺れる瞳に安珍は思ったことを告げた。
「それなら私は同じことを聞きます、あなたは私が怖くないんですか」
「それはあなただったら…言ってももいいかと思って」
「どうしてですか?」
どうして?そうだ、今日あったばかりでしかも初対面の男性に自分の正体を告げてしまったのだ。普段は身を隠して生活していキヨにとって正気の沙汰ではない。
「それは、あなたが話を聞いてくれるいい人間だと思って」
絞り出すようなキヨの言葉に安珍は笑みをこぼした。
「ええ、私もそう思いました、だからこそ私は退治するのではなく話ができるのならそちらを選びます」
キヨは安珍の言葉に感謝を述べた。それでどうして精気を奪うことになったのかその経緯を話をした。自分が宿屋の娘だということ。そこで屋敷の主人に見初められ強引に嫁がされらたこと。
「それと」
先ほどまでスラスラと話をしていたキヨがモゴモゴと言いごもり、安珍は首を傾げる。
「共寝をしておりません」
「えっと、そうですか」
その言葉の意味を知らないほど安珍も子供ではない。
「やはり初めては本当に好きな人に捧げたいので」
ぽつりとキヨはいったつもりだが安珍にはしっかりと聞こえていた。
「え」
「は、いや なんでもないです!」
キヨは赤面しながら大袈裟に咳払いをして強引に話を進めた。
「それで、あの正室の桃子様が来た時、これで肩の荷が降りたと思っていたのですが そうできなくて」
ふ〜とキヨはため息をこぼす。
「重吉様は正室に来ても、私の方にしか夜に来ないのでヤキモチを妬かれるのです、私の母も父が宿屋の客から言い寄られていた時はそれは恐ろしくて」
もう家も豊かになったので離縁したいので、私から欲がなくなればもう寄ってこないと思い、精気を奪ったのですが、思いの外に奪いすぎてしまってとキヨは手を覆い、嘆息する。
「あれは事故だったと」
「はい、恥ずかしながら」
俯きながらキヨはこくりと返事をする。その言葉の裏腹に安珍はほっとして、そしてその後に一体何を考えているだと猛省した。
それは彼女がまだ乙女だということだった。