第二十三話:あなたが生まれてきた時の話
色素の薄い髪に、切長の瞳が記憶を呼び起こす。
「青野さん、青野さん!」
志郎はそこで自分の偽名である青野と呼ばれていることに気づき、立川は不思議そうにしているよりも心配そうに見つめていた。
「すみません、彼が知り合いに似ていたので」
「そうなんですか? まあこの世に似ている人って3人はいるんでしたっけ」
「まあ、そんな話もありますよね。すみません、あまりにも似ていたので」
不躾な態度をとった青野は宮野に謝った。
「そんなに僕と似ていた人がいるとは一度見て見たいですね」
宮野はおかしそうに笑った。
「あなたとは初めてですね」
「え、ああ、私も彼らと同じ関係者です」
「なるほど、そうでしたか」
不用意に職業を言えば、誰がどこで聞いているのかわからない。油断は禁物である。
野原が前に出て青野に頭を下げた。
「先ほどはありがとうございます 助けていただいて」
「いえ、私は注意したぐらいですから」
野原が敬語を言う姿に足立は衝撃を受けた。
『こいつ敬語を使えるのか』
「何かあったんですか」
宮野は何があったのかと経緯を聞くと動揺が走る。
「ええ、大丈夫でしたか!?どこも怪我は」
「この通りピンピンとしている」
野原は胸を張り声を上げた。どこも怪我をしてない様子に宮野はホッとする。
「よかった…野原さんの帰りをみんな心配してましたよ」
「ああ、そうだな すまない、それでは」
野原は最後に志郎たちに礼をして、立ち去っていく。
「なんかすごい二人でしたね キャラが濃ゆいというか」
立川の独り言に足立、阿倍野、加茂野、志郎は心の中で突っ込んだ。
『お前が言うな』
こうして無事に親睦を深める会はトラブルがあったものの終わりを迎えた。けれどそれは帰り着くまでの話である。現在はもう夜中の一時、家に帰宅すると娘が出迎えてくれた。
「お帰りなさい、父上」
「ただいま帰りました 何もありませんでしたか」
父の問いに香散見は思わず目が泳ぐ。
「えっと、何もなかったよ」
わかりやすい表情に志郎は察しがついた。
「はあ、何かあったんですね…」
「それは」
香散見が言おうとした時だった。ガラリとした音が後ろから聞こえた。そこには見回りに行っていたはずの朝日と真澄だった。帰ってきている志郎を見て朝日は驚く。
「もう見回りが終わったんですか」
「えっと、うん ちょっと体調が悪くて早めに切り上げてきた」
声だけ異様に元気な朝日は志郎は顔を顰める。今日の朝方は何もおかしいところはなかった。とすると、その間に何かあったとしか思えない。
「もしかして、藤次郎ですか」
「え、いや これは僕の管理不足というか」
ゴニョゴニョといいごもる朝日に志郎は埒が開かず真澄を見た。
「何があったか聞かせてくれますか」
「…」
真澄は一瞬、朝日の方を見たが志郎の眼差しにうなづいた。
〇〇
藤次郎は一通り仕事が終わってもう2時頃になる。そろそろいいだろうと家に戻ってきたのだが、双子の妹、合歓は玄関で待ち構えていた。
「どうした?」
「父上が帰ってきています」
「!…そうか」
合歓の心配する様子に藤次郎は頭を撫でた。
「ごめんな、心配かけて」
『ちょうどいい、俺もいいたいことがあったんだ』
居間に行くとそこには志郎が座っていた。
「お帰りなさい、藤次郎 お勤めご苦労様です」
「…」
そこには父ではなく、朝日に使える者としての姿だった。
「朝日様と一体なにがあったのですか?」
藤次郎はそう言われた矢先にありのまま思いの丈をぶつけた。
「私は何もしてません、体調が悪そうだったので早めに切り上げた方がいいのと言ったまでです」
具合が悪いものに休ませることは別におかしいことではないだろう。けれど朝日がどうしてあんなにも顔色が悪かったのか真澄に聞くまでわからなかった。
「朝日様の代わりを務めたことは褒めてあげましょう。ですが朝日様がどうして具合が悪いのか聞かなかったのですか?」
言い詰められる藤次郎は父を睨みつけた。その睨みはヤクザも慌てて逃げるほどだが志郎は動じない。
「睨んでも何も変わりませんよ。聞いているか聞いていないかと言っているだけです」
「聞いていません。本人には」
「うん? 本人にはということは理由がわかっているんですか?ならどうして最初にそう言わないんですか?」
親が子に言い聞かせるように志郎は優しく言っているつもりだが、今の藤次郎にとっては辛かった。
それがきっかけだった。今まで抑えていた感情がダムのように流れてきたのだ。
「わかりません」
「何がです」
「一体いつまであの人のそばに支えているつもりですか?」
「あの人が本来の姿になるその時までです」
「それっていつですか」
息子の荒げる声に志郎は初めて口を閉ざす。
「もう200年ですよ…いつまで家族を母に任せっきりにしているんですか。息子より、あんな奴の方は大事なんですね」
「!」
志郎は息子のその言葉を聞いて凍りついた。その時だった。ガラリと襖が開いて出てきたのはなんと真澄だった。
ズカズカと藤次郎に近寄り、真澄が怒っていることに気づいた。冷静沈着で物静かだが人一倍思いやりがある。
「正座をしなさい」
有無を言わさぬ口調に藤次郎はいうことを聞いた。静かな真澄がいつにないくらい怒っていた。ぱしんとした音が部屋中に鳴り響いた。どうしたかというと藤次郎のほおを真澄が叩いたのだ。
あまりの衝撃に打たれた藤次郎は目を見開いた志郎は打たれた真澄と藤次郎を見て呆然としている。
「藤次郎さん、そんなこと言ったらダメですよ あなたが生まれてきた時どれだけ大変だったのか」
「……え」
「真澄さん、それは」
自分が生まれてきた時?
「それは……父と母が昔のあの人に助けられたことは知っている、でもそれとこれは」
「いえ、まだ伝えてないことがあるんです」
「何を…」
伝えてないとは生まれて200年、もう知らないことはないと思っていた藤次郎は困惑する。
「伝えてないこと?」
真澄は志郎を見てもう隠していることができないと悟ったのか、徐に口を開いた。
「私たちが東京がまだ江戸と呼ばれていた頃、中国がまだ清と呼ばれていた頃です。私たちは追っ手から逃れるために日本にやってきました。今だと不法入国で捕まるでしょうが」
日本語を学んでいたので問題はなかったのですが、由恵が妊娠した時に吸血衝動が出てしまい暴走しかけました。
母子、共に危険な状態でした。なんとか血液を私からも与えていたものですがなかなか食欲旺盛で与えた後は貧血気味になってしまい、そんな時に追っ手に追われていたのを助けたのが暁光様でした。
そしてその時の私も血を与えられる状態ではありませんでした。そこまで聞いた藤次郎はまさかと口に出した。
「ええ、彼は自分の血を与えたんです」
「だから暁光様、いえ朝日様は妻にとってもあなたにとっても命の恩人なんです。だから彼が元に戻るまでは彼に尽くしたい」
志郎の思いに藤次郎はどこに怒りをぶつけたらいいかわからず、二人に背を向けて出て行った。