第十七話:芽生え始めた感情の名は
現在は日が暮れてあたりが灯りがつける頃、聖子はお店を開ける準備をしていた。飴と鞭のバーは客人にはカクテルだけではなく簡単なつまみなどを出している。
ビーフジャーキー、チーズ、オイルサーディン、チョコレート、ミックスナッツの種類を準備した。
「よしっ…とあとは」
次の作業に入ろうとしていた時にポケットに入っていたスマホから着信が入った。画面を見ると登録されていない電話番号で一瞬考えるがもしやと考える。
この電話番号は名刺を渡したものしかかけられないはずだと考え直し、聖子は着信のボタンを押した。
『…はい、もしもし』
問いかけると返事が返ってきた。
「あ、こんにちは 先日はお世話になりました」
「誰だ?」
気づいていたがすぐに当てるのはなんだか待っていたような感じが気恥ずかしくなり気付かないふりをした。男性では高すぎるし、女性にしては低めの声の持ち主の知り合いは今のところ一人しかいない。
「すみません、えっと、そうですね。この前、真砂さんを…尾行していたものです」
「あ、ああ、あの時の」
「はい、お電話したのはあなた以外に頼る人がいなくて手を貸していただけないでしょうか…ダメでしたら仕方ないのですが」
申し訳なさそうにいう安久に聖子は了承した。赤の他人であるが、聖子も彼のことが気になっていたので渡りに船だった。そして最後の一言にこう付け加えた。
「すみません、あとお願いがあるのですが」
「なんだい?」
「水と冷えピタを買ってきてくれませんか?」
「うん?構わないが」
冷えピタといえば病欠の時に使うあれか?聖子は妖怪であり、風邪を引くことはないのだが、朝日が弱体化してからは一応病気になった時の知識はある。けれどあの男から妖のにおいがした。病気になるのかと考えたが結論は出なかった。
『とりあえず買ってくるか…その前に』
聖子は準備したいたつまみなどを冷蔵庫に片付けて、休業のプレートを店前におろした。
〇〇
聖子は安久が住んでいるアパートに向かった。着いたところは築30年あるだろう佇まい共同住宅で周りも静かなので住みやすいだろうと思った。
「ここに住んでいるのか」
キョロキョロと辺りを見回し、聖子はメールをすると返信が返ってきた。
『4号室』
聖子は狭いアパートの階段を登っていくと。二階に4号室があった。
「ここか」
インターホンを鳴らすと中から返事が返ってきた。聖子は柄にもなく緊張してきた。
『なんでこんなに緊張するんだ…しっかりしろ』
自分を叱咤しながら聖子は待っていると玄関のドアが開いた。
「はい」
ガチャリと開けると聖子と目があった。まず何を話せばいいかと聖子はあまり考えていなかった。
「えっと…」
「あ、すみません、きていただいて、どうぞあがってください」
安久が誘導しようと背を向いた瞬間だった。彼の体がぐらりと傾いたのだ。聖子はそれを見て咄嗟に体が動いた。
どさ
袋が落ちた音がして、中身は冷えピタと水だけだから問題ないだろう。それよりも。
「お、おい 大丈夫か?」
先ほどまでの顔は爽やかな表情は繕っていたのか顔には脂汗が滲んでおり、顔色が悪かった。そして尋常じゃないくらい体が熱かった。どうして体を冷やしたいのかようやくわかった。けれど妖怪が病気にかかるなんて初めて聞いたので、聖子はとりあえず安久を寝室に運んでいく。
「寝室はどこに」
「…あっちの部屋に」
聖子は彼を介抱しようとすると避けられた。避けられたのに少し傷つくがそれよりもまるで触らないでくれと言わんばかりの動きに聖子は嫌な予感がした。
「ちょっと、ごめんよ」
「え、ちょっと」
彼のシャツを素早く捲ると背中と腹が赤黒くなっている。まさかシャツを捲られると思ってなかった安久は驚く。
「ちょっと、これ どうしたのよ!? 早く救急車を」
聖子がスマホを取ろうとするのを安久が止めた。
「救急車はダメだ!」
声を張り上げた安久に聖子は驚いた。そして安久の体が異常に震えていることに気づいた。それをみてまずは落ち着かせることにした。
「……わかった だから安心しろ」
「…すみません 大きな声を」
「いいや、訳ありの多いものが多いからね、人のいるところってのは」
〇〇
「まずは傷の消毒をしよう いいか?」
「…はい」
安久は聖子の言葉に戸惑いながらもうなづいた。
「それしてもすごい打撲だな、車にでもぶつかったのかい?」
その言葉に安久は否定することもなく苦笑する。
「はは、車ならよかったんですけど」
「え」
思わぬ返事に変な静寂に包まれる。聖子は冗談で言ったつもりなのだが。色々と気になるところはあるがまずは患部を治療することに専念した。
「……この傷からだと私の知り合い(志郎)からもらった塗り薬があるんだけどちょっと取りに戻るわ」
「はい」
「すぐ帰ってくるわ」
「いってーーっ」
「うん?」
安久の声に聖子は不思議そうに振り返る。
「いえ、わかりました、いってらっしゃい」
「ああ、行ってきます」
そう言って聖子はアパートを出た。彼の言葉が気になった。私が逃げると思ったのだろうか。彼はまだそこまで堕ちてはない。確かに元…彼女、田畑菜々にやったことは酷いことなのだが。
『ダメね、公私混同は』
気持ちを切り替えてバーに戻り塗り薬を取りに行き、そして食材を買いに出かけた。少しして安久のアパートに帰ると彼は布団の上でぐったりと横たわっていた。
「帰ってきたよ ちょっと体動かすね」
「……うん? 帰ってきて、くれたんですか?」
「おや? 私が約束を破る薄情者と思ったのかい?」
その言葉に意識が朦朧としている安久はおかしそうに身をよじる。
「いえ、すみません 僕の周りにそうゆう人が多かったので」
「そうかい、だが自分のことまで下げることはないからね」
聖子の言葉に安久は嬉しさが込み上げる。
「少し、沁みるからね」
聖子が持っているものに安久は訝しむ。
「それは?」
「これは私の知り合いの医者が作った塗り薬だよ」
「痛くないですか?」
「そりゃ、患部に触れる時は沁みるだろうね どうする?」
どうすると聞かれてもわざわざ塗り薬を取りにいってもらっておいて、いやとはいえない。安久はおそるおそる聖子にお願いしたのだった。
「痛い時は歯を食いしばりなよ」
そう言ってタオルを渡されて、やっぱりやめようかと思ったがすでに遅かった。
「〜〜〜」
悶絶する中ようやく治療が始まり、彼の包帯を巻いた。
「よし、これで終わりね」
そこには疲れ果てた安久がうつ伏せで倒れていた。
「あ、りがとう ございました」
苦しげにうめき声でお礼を言う声に聖子はおかしそうに笑った。
「ふふ、どういたしたまして 今日はちゃんと寝るんだよ」
「はい」
部屋の中の時計を見るともう夜中になっていた。
「もうこんな時間帯か」
聖子は立ちあがろうとすると安久が声をかける。
「泊まって行きませんか?」
「え?」
聖子は驚いたように安久を見た。
「えっと、部屋の中には見ての通り何もないですが…」
オロオロと目を彷徨わせる感じに聖子はクスリと笑った。
「…そうだな、もう電車はないし、まだ何も食べていない。お前さんもまだ何も食べてないからね、消化のいいものがいいな おかゆさんでいいか?」
「はい、なんでもいいです」
「わかった。少し待っていてくれ」
そう言って聖子はキッチンに向かった。聖子が帰らないことにホッとしたことに我に帰った。
『僕は一体何をしているんだ、そうだ、僕が身動きできないから彼女に動いてもらうだけだ それだけなんだ』
『この怪我が治るまでの関係だ』
それが終わったら、お礼を言ってお別れだ。彼が今までの女性たちと別れたように忽然と別れたように…。けれど割り切れないモヤモヤが新たな感情が芽生え始めていることに安久自身は気づいていなかった。
安久を攻撃した青野=志郎が作ったお手製の薬で治療されるというなんとも不思議な背景になりました(^^;;
まさか夢にも思わないでしょうね。
第六部の執筆が終わったのですがなんと四十八話になってしまいました。
少しずつですが投稿していきます。