序章:その子の名前は
火原清志は渋谷スクランブル交差点での映像を見た直後、この事を伝えるべく、自分が仕えている一族に会うために人間界ではない異界へと足を踏み入れる。
異界の入り口はそこかしこにあり、影があるところでなら用が足りる。竹藪をかき分けるとそこには平安時代のような住まいが現れた。
その門の前には門番がいた。
「身分を表せ」
火原は鬼族の証である鬼の角を出した。角の色は鈍い赤である。
「紅の一族か、通れ」
火原は軽く会釈をして門を潜った。するとさっきまでの静けさは嘘のようににぎやかになった。
この異界はかつて第六天魔王という鬼の始祖が作り3人の強力な鬼が仕えていた。その3人の鬼、その者を鬼神族と呼んでいる。
鬼神族は配下の鬼族より数が少ないが強力な力を持っており、自分の血族を増やすことができる。やがて鬼神族も純血種同士で結ばれ血族が増えていった。
第六天魔王に授かった3人の鬼は特別な力を宿していた。
紅の一族は火の力を、
藍の一族は水の力を、
黄の一族は雷の力を、
火原がこれから向かうのはもちろん紅の一族の陣地である。色の違う鬼が他の陣地に行こう者なら特別な許可がない限り、なぶり殺されても文句が言えないのである。
さっきのところは入り口であり、その近くは共生のスペースなので争い事も少ない。早くあの映像のことを知らせるために火原は陣地に入った。
少し歩くと声をかけられた。
「よぉ、久しぶりだな」
火原はその人物を見て力を感じ取る。自分よりも強い妖気を持つものに歯向かうほど火原は負けず嫌いではないし、愚かではない。
「はい、お久しぶりです」
火原の弱々しい笑いに同族の男は小馬鹿にしたような笑みをして肩を寄せた。
「それにしてもあいつ、どこに行ったか知らないか」
「あいつとは…?」
一瞬どきりとするが、火原は表情が崩れるないように取り繕う。
「あいつだよ ーー傀、音沙汰もねえしいい話があるって聞いたのによ、お前知り合いじゃなかったか?」
「ああ、…何回か話し合ったりはしましたけど、最近は会っていないですね」
火原の淡々としたセリフに不思議がることもなく、
「そうか、それなら仕方ない じゃあな」
同族の男は颯爽に立ち去った。火原は目を細めながら、吐露する。
『ふ〜、危なかった』
同郷であっても一瞬の油断が命取りになる。ここはそうゆう場所である。火原は衣服を整え、主人の世話係に話しかける。
「姫様に大事な話がございます」
世話係はすぐに下がり、話し声が聞こえ、降ろされていた御簾を少しずつ上げていった。御簾の奥にいた人物の容貌が顕になる。赤い帯をつけた着物の女性。
焔のように煌めくうねった赤い髪に赤い瞳に見つめられた火原は高揚とした気持ちになる。
紅の一族の姫、牡丹
その姿は花びらを何枚も重ね鮮やかな大輪の花を連想させる。まさに王者の風格に相応しい。
「それで一体わらわに何のようじゃ」
その言葉で火原は我に帰り、自分がここに何をしに来たのか思い出した。
「はい、私がここに来たのは見せたいものがありまして」
「…ほう、ならばこちらの方が早いな」
彼女の瞳が怪しく光り、精神を支配されていった。
〇〇
牡丹は目を開けると人々の雑踏の中にいた。
空を見上げると夜なのに大都会の副都心の一つ渋谷のスクランブル交差点に電灯で辺りが照らされているので夜中でも歩くことに支障はない。
牡丹は辺りを見渡すと人々が上の方を見上げながら目を見開いている。ちょうど隣にいた人間の男が指を指して声を上げた。
『おい、あれなんだ!?』
牡丹は興味をそそられるとそこには大型のディスプレイがあり、ある映像が流れていた。
大きな化け物が青年に襲い掛かろうとして、その青年が化け物を刀のようなもので薙ぎ払ったのだ。
牡丹は化け物を退けた青年の容姿を見て、目を見開いた。その青年は長い黒髪に、銀の瞳を宿していた。
そしてその頭部には顕著な特徴があった。
ーー鬼の角
牡丹は意識がかえり、目を覚ました。
火原は牡丹から何か返事があるのを待っていたが、一向に返ってこないので何かあったのかと火原は進言した。
「いかがされましたか」
火原の言葉に牡丹は夢からようやく抜け出した。
「其方が見せたかったのはあの者のことか」
「はい、黒髪に銀の瞳に鬼の角を持つもの、これは何かあるかと思い、 急ぎ馳せ参じました」
それに牡丹は火原に労いの言葉をかけるが、小さく首を横に振った。
「いえ、私は何も……傀が命をかけていなければあの者が現れることはなかったでしょう」
「うん? 現れるとはどういうことじゃ」
火原の不可思議な言葉の表現に牡丹は首を傾げる。
「はい、あの者は最初からあの姿ではありませんでした。普通の少年の姿から変化したのが正しいかと」
それには牡丹は興味を惹かれた。
「ほう、それはそれは面白い」
牡丹が笑みを浮かべる様子に火原は胸が高まった。
『笑っている』
鬼神族にも感情はあるが長い年月も経れば経るほど希薄になっていく。
火原もまた傀と同じく姫によって鬼族になったので主人の嬉しい感情に喜ばしくなった。
傀が人間たちをゲームの中で争わせ、その一番になった者の魂を献上しようとしたところ、あの青年が現れて傀は倒されてしまった経緯を話した。
「その中にその者は紛れ込んでいたのじゃな」
「はい、おそらくは」
「その一番になったもその者を調べることはできそうか」
「はい、プレーヤーリストの個人情報などは保存されていますので、お時間をいただければ」
恭しくこうべを垂れる火原に牡丹は鷹揚にうなづいた。
「其方の働きに期待している。あの者を見つけ次第報告するように」
「かしこまりました、我が主人」
火原は主人の期待を応えるために強くこうべを垂れた。そして彼はどうしても気になることがあった。
その者は黒髪の銀の瞳の青年のことを聞く彼女はまるで恋心を抱く少女のようだったからだ。
「恐れながら我が主人、質問があるのですか」
「なんじゃ、申してみよ」
「はい、その者は宵の一族と思われますが」
宵の一族、第六天魔王から特別な力を授かっている鬼神族の御三家と違うが御三家に近く強力な力を持っている純血種の鬼神族。そしてその生まれてくる容姿の一族はも第六天魔王と同じ黒い髪で生まれるため特別視されていた。
「そうか…。其方は知らないんだな、もう数百年も前のことじゃ」
「妾にはかつて許嫁がおったのじゃ」
そのことに火原は動揺を隠せず目を見開いた。そんな話は同族の縄張りでも聞いたことがなかったからだ。それには火原は話を進めた。
「許嫁がいらっしゃったのですか」
「ああ、彼の方は宵の一族の中でも最も力があり、そして第六天魔王の後継として相応しいお方だった…」
『後継…!?』
第六天魔王は鬼の始祖であり、絶対的な支配者という認識である。確かに宵の一族は特別視されているが御三家を置いてほどの立ち位置なのかと火原は我が耳を疑う。
そして『だった』という許嫁を話すことが過去形だったことに気づく。火原は他の一族と交流がないというよりも、宵の一族は数回祭りやらで垣間見たことがあるぐらいである。
おそるおそる火原は緊張した面持ちで話しかける。
「そのお方はどうされたのですか」
許嫁なら数百年経っているのなら彼女の隣にいてもおかしくないのだが、しかし彼女の隣には誰もいない。
「あの者はもうこの世のどこにもいない」
「……亡くなったのですか」
火原は特に考えることもなく零してしまった言葉にふと疑問に思った。特別視されている宵の一族がそう簡単に死ぬのかと。鬼神族は長命で不老で優れた身体能力を持っている。致命的な傷を負わない限りはずっと在命している。現に彼女も外見は若いが数百年は生きている。その時代に何かしら鬼神族の天敵になるようなものがいるのかと考えているとーー。
「そうじゃ、妾がいるというのに、どこぞへと消えてしまった。しばらくすれば帰ってくると思っていた。けれど一向に返ってこず、妾は待つことができなくなり彼が行ったとされる人間界に足繁く通った。其方のような同族を増やしながら、しかしいつの時代も陰陽師という人間に邪魔をされ、もう何百年も追っていたのに気配を追うこともできぬ。亡くなったというほかないだろう…」
そこに何か隠されていることよりも、なんとも悲しげな声に火原は主人の悲しみが伝わってきた。そして同時にこんなに悲しませたものに怒りが湧き上がる。
「その方のお名前を教えていただけないでしょうか」
「…朔夜さま、新月の朔に夜と書く」
『朔夜』
火原はその名前を反芻して胸に刻み込んだ。
「朔夜さまと瞳の色は違うが、どこか面影があるその者にどうしても会いたいのじゃ」
主人の憂いを取り除くために火原は宣言する。
『我が主人の願いを全身全霊をかけて、その者を見つけて参ります」
〇〇
この時、牡丹は夢にも思わなかった。
朔夜が人間の女性と恋に落ちるという鬼神族の不文律を犯し、その間に子供を儲けたことを。
その子の名前は『暁光』と名付けられた。
ひとまず3月に投稿しましたが本当にギリギリで申し訳ありませんっ
そして4月からは本来3月からやるはずだった漫画の創作をようやくできるので、色々と考えましたが、さすがにこれ以上時間を割くのはと思い、不定期に投稿することにしました(・_・;
ここまで読んでいただいてありがとうございました!