第1話 魔の4時間目
僕、照野 尚希は、ものすごく緊張している。
今は4時間目の真っ最中だ。ちなみに、科目は生物。
生物の瓦田先生(通称;鬼瓦)は、とても厳しい。
授業中、教科書に沿った問題を出し、生徒をランダムに当て答えさせる。答えが正解だろうが不正解だろうが、「わかりません」は通用しない。当てられたら、自分の考えを言うまで着席できないのだ。
さっき、僕の2つ前の席、佐藤さんが当てられた。
鬼瓦が生徒を当てる順には決まりがある。まず1人目を、月とか日にちの出席番号で決める。そして、運悪く当てられた人がいる列の前から、順番に指名されるのだ。2問出されたら、僕の番だ。授業が始まって、まだ半分が過ぎた辺りなので、当たる可能性は高い。
手には汗が滲み、シャープペンを上手く握れない。
この緊張は、僕の名が呼ばれるかもしれないから、というわけではない。当てられたら、たとえ間違っていても、それとなく言葉を並べれば済む。
なぜ、こんなにも緊張しているのか。その理由は、僕の後ろにある。すやすやと気持ち良さそうに、寝息を立てている白雪。
そう、僕の後ろの席は、白雪なのだ。
2年の始めにくじ引きで決まったこの窓側の席。風通しは良いし、前後から3番目でちょうど真ん中だけれど、意外とあまり目立たない。ただ、この席になってからの問題は、白雪が僕の後ろの席だという点だ。
3時間目が終わった後、白雪は早弁していた。つまり、この4時間目、満腹感で満たせれている白雪は、ちょっとやそっとで起きないだろう。なんとか僕の番までに、白雪に知らせる方法を考えなくては。もしくは、僕の番で授業時間を引き延ばすことを考えるかーー
「……照野、聞いているのか照野?」
鬼瓦の声が教室に響く。あれ、もう僕の番なのか……
「は、はい!」
僕は慌てて返事をし、勢いよく起立した。勢いよく立ったのは、僕の細やかな作戦だった。僕の椅子が白雪の机に当たって、振動に気づいた白雪が目を覚ます、というシンプルなものだ。しかし、僕の思惑は外れた。思いの外、席の間隔が空いていたようで、作戦は失敗に終わったのだ。白雪にそれとなく知らせるのは難しいか……。それなら、僕が時間を稼げば良い。
「すみません、先生。問題をもう一度言ってもらえますか?」
「何だ照野、聞いていなかったのか?」
「すみません……」
今日の鬼瓦は機嫌が良さそうだ。いつもなら般若のような顔で、喝が飛んでくる。
「優性遺伝はどれが当てはまるか、A.B.Cの中から選ぶこと。理由も忘れずにな。」
この機嫌の良さなら、白雪はなんとかなるかもしれない。だが、よりにもよって選択問題なんて、すぐに回答できてしまうじゃないか。時間をどう稼げばいいんだ……。
「……B、青色の花だと思います。」
「理由は?」
鬼瓦が鋭い目つきで僕を見る。あぁ、時間稼ぐのは無理そうだ。
「理由は……よくわかりませんが、直感でそう思いました。」
「直感もいいが、理由にはなってないな。ま、答えはあってるから座っていいぞ。」
あっけなく終わってしまった。くどくどと怒られて長引くかと思ったのに。ちらりと後ろを確認すると白雪は机に両肘をつけ、まだ眠っているようだった。これはもう運に身を任せるしかないのか。僕はいつもより後ろにある椅子を引き寄せ、ガタッという音と共に座った。
「そうだな……理由はわかるか?姫路。」
すぐさま白雪の名が呼ばれた。あぁ、もう、僕が理由をちゃんと言っておけば。ごめん、白雪。
「姫路?」
僕は祈るように、机の上で両手を合わせる。
「……はい。」
呟く白雪の声が聞こえた。すっと立ち上がる白雪の気配に、僕はホッと胸をなでおろした。
「さっき照野が答えた優性遺伝の正解が、Bの理由はわかるか?」
「……はい。2つを交配し、青色の花しか咲かないという現象が起こる場合、青色の花がAAの優性遺伝子だからです。1つの個体に優性遺伝子と劣性遺伝子が存在する場合、優性遺伝子が持つ形質が現れます。」
「正解だ。」
僕は小さなガッツポーズを作って、心の中で拍手した。だが、鬼瓦は納得いかない顔をしている。
「姫路。」
座ろうとした白雪を鬼瓦が呼び止めた。
「後で髪の件で話がある。授業が終わったら、生徒指導室に来るように。」
あぁ、今年は鬼瓦が生活指導の担当だったか。1年の頃から白雪は、天パをパーマだと思われて、鬼瓦に目をつけられていたな、と思い出す。
でも、寝起きの白雪にそんなことを言ったら……
「瓦田先生、お言葉ですが。」
白雪は座るのを止め、普段とは違うハキハキとした口調で話し出す。
「私のくせ毛は優性遺伝です。この髪色は、劣性かもしれませんが。個人の意志ではない、遺伝的特徴に関して、指導されるのは如何なものでしょうか。それに、生徒証に記載されている校則には、パーマ禁止とあります。ストレートパーマも禁止の対象と受け取れますが。」
流れるように話す白雪にクラス中が注目した。鬼瓦の顔がみるみる赤くなり、ちょうどチャイムが鳴った。
「……うむ。き、きょうは、ここまで。」
鬼瓦は口籠りながら、授業の終わりを告げ、そそくさと教科書を持って教室から退散していった。
白雪は寝起きが悪い。悪いと言っても、悪態をつくとかではない。普段は、ほんわかとした口調なのだが、寝起きだけはズバズバと話すのだ。初めて見る方は驚くかもしれない。けれど、僕は長年の付き合いで慣れたものである。
「白雪?」
僕は白雪の様子を窺う。
「なーに?尚くん。」
白雪はいつもの調子に戻っていた。ただ、なぜか机の下に潜り込んで、もぞもぞとしている。
「何やってるの?」
「あのねー、これ。」
にこにこと僕の前に透明のテグスを差し出す。あぁ、なるほど。僕の椅子と白雪の机に、このしっかりとした糸を張っていたのか。僕が勢いよく椅子を下げ、引き寄せることを見越して。
「ご飯の時間だね〜。お腹空いたー。」
なんとも気の抜ける白雪の口調に、僕は思わず笑ってしまった。




