存在の揺らぎ
「これ、かごむの持ち物ですか」
どことなく眠そうなかごめが持っていたのは、見覚えのある布袋だった。ヴィマナの一般船員に支給されるものだ。袋の口にピアスが刺さっている。刺した記憶もある。俺のものだろう。
「保管してくれてたのか」
「検査された物品は、全て保管し、本人に渡すことに、なっています」
ちょっとあり得ないくらい眠そうだ。もう目が開いてない。このままでは立ったまま寝てしまうのでは、と心配になる。
「いろいろしてもらって申し訳ない。俺のことは気にせず寝ててくれ」
「ありがとうごさいます」
かごめがベッドに戻った後、かばんを開けようと思ったのだが。
「おはようございます」
「だっ」
誰だお前。とは言うべきではないだろう。
「あー、えっと、おはようございます」
大きい声を出すのもだめだ。かごめが起きる。
「失礼、僕はヨハウスというものです。少しお時間いただけますか」
「大丈夫です……?」
ぺこりとお辞儀をした男の顔はほとんど見えないが、俺やかごめより年上に見える。身長も高くすらっとしていてかっこいい。白衣を着ているけど、船医には若いような。
「ありがとうございます。ナグルファルでは全船員の健康を保つため、小型機械を用いてバイタルサインを収集しています。装着することに同意していただけますか」
「そういうのもあるのか……! つけてるだけでいいんです?」
「はい、装着中は定期的にバイタルサインを収集します」
ヨハウスは簡単に説明を終え、腕にかけていた白い輪っかをふたつ差し出した。
「かごめにもお渡しください」
ヨハウスが去った後、早速その機械をつけようとしたがつけかたがわからなかった。だからかごめが起きるのを荷物を見ながら待っていた。
持ち物の中身は全部そのまま残っていそうだ。別に大事なものがあったわけではないけど、見た目に異常がなくて安心する。それは俺自身の身体についても同じだけど、ん? あれ?
「凍眠グループに選ばれたの、怪我したからじゃなかったか?」
確か、労働に支障が出るような後遺症がある若い船員に種とか持たせて凍眠させるんだよな。あれ、おかしいぞ、なんで?
俺は五体満足、健康そのもので喜ぶべきことであるはずなのに、俺がかごむであるという確信を持てなくなってしまいそうだ。
この部屋に鏡はない。俺は、かごめのグラスを手にとった。ほんのわずかに自分の顔が映る。見た目に違和感はなく、ヴィマナにいた頃から変わらないかごむに見えた。少なくともまるっきり別人ではない。
俺がうるさかったのか、かごめがもぞもぞと起き上がった。
「おはようございます、何をしていますか」
「おはよう。ごめん、鏡ないから借りて、」
嘘だろ、驚きのあまり声が出なくなってしまった。
「構いませんが、どうかしましたか」
「かごめ、俺、そっくり」
「はい。かごむの再生のために遺伝子やココロ骨格が類似した私を使ったので、あり得ることだと考えます」
えぇ、いろいろ初耳。なんだよココロ骨格って。
「実はかごめはヴィマナから来た俺の子孫で、先祖を助けるために尽力してくれたとか」
「違いますが、子孫を遺して凍眠したのですか」
「したよ。選ばれちゃったんだもん。足の怪我のせいだ」
今じゃ息子よりずっと年上か。最後に見た姿はまだ赤ちゃんだったのにな。
「それは、お気の毒に。……足の怪我は凍眠前からのものだったのですね」
ん? こいつ一瞬ちょっとだけ悲しそうな顔しなかったか? いや、気のせいか。
「足は凍眠よりかなり前だったな。今はしっかり歩けるけど、どうやって治したんだ? 手術痕もないぞ」
「……」
めちゃくちゃ考え込んでいる。何かまずいことを聞いてしまったか、聞いちゃいけないことだったとか、口止めされているとかか。
「……えっもしかして機密事項なのかこれ」
「いえ。あまりお伝えしすぎると心を失うらしいので迷っています」
なるほど俺のせいか。そんなに衝撃的な真実なのか。技術的に教えちゃいけないとかであってくれ、頼むから。
「かごむの身体は想定を超えた凍眠と宇宙線の影響でボロボロでしたので、身体のほとんどを作り直しました」
まあ、言われてみればそうだよな。治療したらしいし、俺が見つかった年に生まれたかごめもそこそこ成長しているし。
「それはかごめの細胞で?」
「はい」
なんか拒絶反応などが心配な話ではあるけど、今のところなんともないからそこはいいか。頼むぞ、俺は未来の科学力を信じるぞ。
「じゃあ肉体的にかごめは大体俺で、俺はかごめでできてるんだな。うん、わかった」
「この事実は受け入れられる事実なのですか」
「すごく複雑だけど、再生医療受けたと思って受け入れる。かごむとかごめの違いわからないけど」
俺がこいつというべきか、かごむがかごめというべきか。
「ココロ骨格までほぼ同じなのでほぼ同一人物です」
やっぱりな。そう言うだろうと思ったよ。ココロ骨格はなんかよくわからないけど、どうせ心の形とかなんだろ。
もう、ちょっとやそっとのことじゃ驚かないぞと思うんだけど、まだなんかあるんだろうなぁ。やだなぁ。
「……ところでかごむ」
「絶対感情あるだろかごめ」
しかももしかしてこいつかなり性格悪いな?
「私も時折そのように考えることがありますので、これを付けることにしました。ココロの状態までしっかり診てもらえます」
かごめが手にしていたのは、俺が受け取った輪投げリングみたいなやつだ。どう使うのかわからなかったが、どうやらどこかに接合部があり、首にはめるものらしい。俺も真似してつけてみると、なんとぴったりだった。伸縮する素材というわけでもなさそうだし、俺たち専用ということだろうか。
「これ電源どうなってるんだ?」
「ごく僅かなエネルギーを個人から得て半永久的に動きます。……だめですね、私は基準より低いエネルギー産出です」
「めっちゃ心揺らいでるように見えるのは俺だけ?」
差し出された端末の画面では折れ線グラフみたいなのがせわしなく上下していて、全く安定する様子はない。
かごめ自身は特に気にする様子もなく説明を続けた。
「生きてるんですから揺らぎは誰にでもあります。そして歳を重ねるごとに安定してきます」
「揺らがなくなると?」
「お亡くなりです」
へぇ、これ命に関わるんだ。そう聞いてからなんか心電図に見えてくるような。
上下に振れ続ける線を眺めていると、かごめが言った。
「……閉じますよ」
「見てちゃだめか?」
「構いませんが、面白いですか」
「面白い。生きてるのが数値で表せるなんて不思議だよな。皆からしたら俺なんかもうすごい歳なのに、全然揺らぎが衰えてないのも面白い」
思ったことを素直に言うと、消さずにいてくれるようだった。
「まあ、確かに。昔の人蘇らせて、最初のうちは心が揺らがないわけがありませんよね」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」
少しだけ大きな揺らぎが引かれ、また小さくなった。