【六】
清四朗が眠ってしまうと、僕はそっと部屋を抜け出した。
今の僕には身体がない。どうやら、意識だけが清四朗の中に入り込んでいるらしい。あるいは、憑りついているというか。
僕の声は清四朗に届かないし、意志が影響を与えることもない。誰も僕の存在に気付いていない。
きっとこれは夢なんだろうなと思うことで、僕は納得した。
石段に座り込んで休んでいるうちに気を失ってしまったのか、あの奇妙な虫を追いかけているうちに足を滑らせて頭をぶつけてしまったのか。
どちらにしても危険な状態のような気がするけど、どうしようもないし。せっかくだから、目が覚めるまでこの世界をじっくり見てみようと思う。
みんなが寝静まったお城の中を、ふわりふわりと漂いながら移動する。足音を立てる心配がないのが便利だ。
ずっと前に父さんに連れていってもらったどこかの城跡と同じような造りで、柱も床も天井も全部木でできている。部屋はふすまで区切られていて、松明の火が燃え移らないかちょっと心配だった。
あまり歴史が得意じゃないからよくわからないけど、たぶん戦国時代とかだと思う。男も女もみんな着物で、武器や防具を置いてある部屋なんかもあって、やぐらには交代で見張りが立っている。
驚いたのは、このお城の名前が白川城だということ。あの神社に祀られている殿様のお城じゃないか。
本や巻物が置いてある資料室みたいなところに入ってみたけれど、字が難しくて全く読めなかった。なんとか家系図のようなものを見つける。
先代の城主が亡くなったのはつい最近で、十四歳の清四朗が後を継いだばかりらしい。僕と同い年だなんてびっくりだ。
あの優しそうな清四朗が、民衆を苦しめるひどい殿様なのかな。
狩りでは笑われても獲物を捕まえず、罠にかかった子狐のミズキを助けてあげて、弟たちはとても懐いていたのに……
僕は月明かりを頼りに渡り廊下を進む。電気がないと、月はこんなに明るいんだな。
ふすまをすり抜けて部屋を覗くと、あの意地悪な母親と弟たちが眠っていた。
母親とはいうけれど、じつは先代の後妻で清四朗とは血がつながっていない。だからあんなに冷たい態度なんだ。
きっと、自分の産んだ子を城主にしようと企んでいるんだろう。
そうなると、あの厳じいととりまき連中もあやしい。表向きは清四朗の世話役らしいけど、継母の機嫌をとっていたからね。
僕は外に出て空に上ってみた。屋根よりもずっとずっと高く、山のふもとまで見渡せるくらい高く。
白川城は山の頂上に建てられていて、攻め込むのは容易ではない。だけど四方を大きな勢力に囲まれているため、いつ襲ってくるか気が気でないだろう。
北の黒岩家には剛力自慢の猛者が揃い、南の赤井家には珍しい武器や道具を作る職人が多い。東の青谷家では学者たちが緻密な計画を立て、そして西の黄瀬家では妖しい術師が何か仕掛けているという噂だ。
いずれも他の三家を攻める拠点として、この白川城がうってつけだった。
規模は小さいけれど、庭園はよく手入れされ、白壁には汚れもなくきれいなお城。山の斜面を開墾して畑にし、領民たちのささやかな暮らしを支えている。
周囲は敵、そして城内にも敵、清四朗はどうやって平和を守っていくつもりだろう。あの穏やかな笑顔の裏に、何か秘策はあるのかな。とても辛そうだけど。
ミズキが、疲れた清四朗を癒す存在になればいいな。
ひととおり見て回った僕は、清四朗の部屋に戻った。暑くて布団からはい出したミズキが、清四朗の胸の上で丸くなって眠っている。清四朗は少し苦しそうに眉間にしわを寄せているけれど、僕にはどうしてあげることもできない。
睡眠の邪魔をしないように部屋の隅でじっと夜明けを待った。