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ユグドラシル  作者: Re:
春の章
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Ⅳ.朝の授業

Ⅳ.朝の授業


 某書物などによると、大学というところでは授業なんかには出ず、只管に自分のやりたいことをやる場所であって、優等生的にキチンと授業なんぞに出ていては立派な大学生とは言えないようであった。そこでは、教授からして時間通りに教壇には現れず、少なくとも10分は遅刻して登場しなくてはならない。これをアカデミック・テン・ミニッツと言うのだそうな。

 ところが、実際に俺が大学というところに入ってみると、どうも様子が違う。周りの学生の話を聞いていると、資格がどうだの単位がどうだの、就職がどうだのといった話ばかりで、自分が好きなことをやるのだという人物にはとんと出くわさない。まったくサギにあったような気持ちだ。

 もっともこれは、俺が読んでいた本が大体において古すぎたからだろう。俺は昔から本や漫画ばかり読んでいるが、どうも昔のものばかり好んで読んでいるきらいがある。何だか知らないが、流行のものを追いかけるよりも、そういった古き良きものの方に心を魅かれてしまうのだ。

 しかし、現代の大学というものがそんな俺の趣味に合わせてくれるハズもない。必修の単位を取らなければ、卒業ができない。留年という言葉は、中々古風な響きもするし、アウトサイダー的な感じもして、カッチョイイ気もするのだがが、実際に自分の身に関わるとなると、何だか体裁が悪いような気もしてしまう。何より、そんなことになったら、田舎の両親に申し開きが出来ないではないか!!


 そんなわけで、俺も人並みに授業に出なければならないのである。

 とは言え、朝は眠い。俺は朝が苦手である…。だから、朝の授業はどうしてもサボリがちになってしまう。サボっても学校から電話なぞかかって来ないところは大学のいいところでもあるが、一つ授業をサボると芋ずる式に一日丸ごと寝てしまったりする。これでは、自分が本当に興味を持っている授業にも出ることができず、古き良き大学生どころか、単なる怠慢だ。



「カントは、本当の善とは何かということを考えます」


教壇でメガネの中年男性が語っている。教授である。怠慢な俺では有るが、たまには授業に出ているのだ。


「当時、イギリスの功利主義哲学では、人々の快を増大させることが善であると主張されていました。

これは、現代の我々からしても納得がいきやすい考え方なのではないでしょうか?」


いつまでも怠惰の淵に沈んでいる訳にもいかないしな。

しかも、この授業は俺の専門の哲学の授業だ。


「しかし、カントはそのような『快』を原理として善を定義することは間違いだと考えました。

カントは、ただ善意志のみが、無条件に善であるのだと主張します」


俺のやるべきは、快い惰眠を貪るだけじゃないはずだ。

やるべきことは、他にあるはずだ!


では、やるべきことは何だ??


「善意志は、義務として、そして同時に意欲として、我々に与えられます」

「しかし、カントは善意志が何故に善であるかということについては、曖昧なままにしているようにも思えます」


その先は朦朧として覚えていない。


だけれど、「意志」という言葉は、ヤケに頭に残った。

自分は「意志」を持って日々を送っているだろうか?


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