10-1
夢姫達が優菜と対峙していた同じ頃――和輝は美咲と睨みあいと相成っていた。
師匠をかばい立つ格好となった和輝の真正面に対峙し、美咲はその手に光る銀色の刃を傍らで伺う寛二朗に向ける。
「……灯之崎先輩、場所を変えませんか? ここでは邪魔が入るでしょうから」
「変えるって言っても、どこに?」
「屋内で良いでしょう。どうせ室内にも誰もいませんし」
隙を伺い、どうにかナイフを奪いとれないかと画策していた寛二朗の思考を読み取っていたかのように冷めた視線を傾けると、美咲はナイフを構えたまま背後にそびえる屋敷の敷居を跨ぐ。
「……猿喰さん、でしたっけ。ひとまず、俺の事は心配しないで下さい。何とかします。……師匠と、あと水瀬達を頼みます」
「お、おお……」
振り向くことも無く薄暗い屋内へと姿を消した少年のおぼろげな背中を眺めると、和輝は柄の無い刀に光の刃を灯し小さな声を紡いだ。
うなずく他の選択肢を与えられていなかった寛二朗は八雲と顔を見合わせると、黙って和輝を見送ったのだった。
―――
「――俺、結構調べさせてもらったので、灯之崎先輩が苦手な事とかは大体把握出来てるんですよ」
「調べ……」
「はい! こう見えて分析とか攻略系得意なので、まずは通っていた小学校から調べて、次に初恋の人を特定して好む系統の顔とか苦手な声質とか」
「へ、へえ……」
得意げな美咲の足取りは軽やかで、小気味よい音を奏でて廊下は軋む。
先を早歩きに進んで行く美咲の背中を眺め、和輝は敵意とはまた違う恐怖心を押し殺した。
美咲の言葉が途切れた事をきっかけに、和輝は窓の外へと視線を投げる。
長年掃除をしていないのだろう。雨粒によってまだらに曇った土埃が視界を阻む。
だが、薄汚れたガラスの向こう側――そこには窓枠に遮られて全容が掴めないほどに巨大で禍々しい獣のような出で立ちをした“鬼”の姿がはっきりと見え、和輝は苦戦を強いられるであろう夢姫達の身を案じるばかりとなっていた。
「――最初は春宮さんの弱み、って言うんですかね。そう言うのを引き出す為に灯之崎先輩の事を調べさせてもらったんですよ」
ふと、軋む廊下の音が鳴り止み、訪れた静寂を切り裂くように美咲の声が宙に投げられる。
夢姫達の動向も気がかりではあるが、今自分が置かれている状況も決して心安らぐものではないという事実を思い出したかのように柄を握りしめると、和輝は視線を返した。
「調べていくうちに気付いたんですよ。貴方は俺と似ていて、正反対だなって」
「……」
「もう聞いたんでしょう、俺の事」
「……風見から、多少は」
窓の外からは悲鳴が聞こえる。
それが夢姫のものなのか、優菜のものなのか……遠くで聞こえる甲高い声が誰のものなのかは和輝には分からない。
その声は美咲の耳にも届いているようだ。一瞬だけ気を削がれた様子で視線を外した美咲は、すぐに目を逸らすと和輝の方へと向き直った。
「俺の母はいわゆるシングルマザー、ってやつだったみたいです。……くわしくは知らないけど、未婚のなんとか~みたいな感じで。俺が物心ついた頃には最初から父親はいなくて、母は女手一つで俺を育ててくれました。朝から晩まで、いくつかの仕事を掛け持ちして働いて」
穏やかな口調の美咲に相反して、窓の外からは少女の怒声のようなものが聞こえている。
それが桔子の声だとすぐに分かった和輝は、自分が怒られたような錯覚に思わず体を背ける傍ら……傍観していた美咲はため息を落とした。
「……貴方とは逆ですね。俺は母親が大好きでした。俺の母はどんなに自分が苦しくとも、いつも笑顔を手向けてくれた。幼さゆえに俺が何か仕出かしたとしても、決して暴力に訴える事はせずに、一緒に悩んで、考えてくれた」
「……そう」
和輝には返す言葉が無かった。
“見つからない”と言うよりは、“持ち合わせていない”感情だ。
調べた、と言う言葉が意味する通りで、美咲にはそれも想定済の事なのであろう。和輝の言葉を待つこともしないままに先の言葉を紡ぎ始めていた。
「俺は、早く大人になりたかった。大人になれば、母親を困らせる事も無くなる。勉強して、良い会社で働いてお金を稼いで……お母さんに楽させたかった」
――“あの日”
母は“昼の仕事の給料日だから”と俺をショッピングセンターのヒーローショーに連れて行ってくれました。
幼心に自分が金銭的に恵まれていないという現実は分かっているつもりでした。ずっと働き詰めの母は、いつもくたびれた洋服を着ていたから。
それでも、母は俺に少しでも子供らしい事をさせたかったのでしょう。不定期に行われる観覧無料のショーは、食べたいものを“食べたい”と言えない俺にとっても苦しい生活を忘れることのできる楽しいひと時でした。
普段であれば、食事は併設スーパーの総菜品で済ませていたのですが……その日だけは違いました。
“少しお金が入ったから”と母は俺の手を引いて、同じフロア内のフードコートに向かったんです。好きなもの食べて良いよ、と。
「――もしかして、その時にあの事件に……」
美咲が見てきたであろう光景を脳裏で辿っていた和輝は、ぽつりとつぶやく。
桔子の心を通して見てきた――“鏡”の中で見た風景と重なったからだ。
その想像は正しかったようで、美咲は小さく頷くと、長い前髪に覆い隠された片目を手のひらで押さえると、指先に力を入れた。
「……この目のところ、中々グロいと思いませんか? 倒れた柱が顔に当たっちゃいまして。……商業施設側の賠償金パワーで皮膚はある程度治せたんですけどね、眼球は駄目になっちゃいました」
口元だけで笑って見せた美咲は、冗談めかした言葉を紡ぐと長い前髪を掻きあげて見せる。
その明るい声のトーンとは裏腹――露わになった眼には光を映す事のない、暗く濁った球体がはめ込まれているようにしか見えなかった。




