9-15
――一方。夢姫の目の前は常闇のまま、右も左も……その足元さえも見えない。
だが、頭ははっきりとしていて、視界以外の感覚は研ぎ澄まされているようで“自分が死んだわけではない”と言う確信は得られた。
踏みしめる地面は柔らかくて、少しだけ生温かい。
“動物の死骸でも踏んでるみたいだ”――
――薄気味の悪い方向に想像が及んでしまった夢姫は、“床”の正体を確かめる気にもなれず、思わず立ちつくしてしまったのだった。
「――ライアン。この子の名前はライアンにしましょう。“王”と言う意味なの。やがてこの国の“王”になる貴方を、いつでも傍に感じられる……良い名前でしょう?」
常闇の中、耳元で声が聞こえた。
近くに誰かいるのか、と夢姫は両手を広げて振り回してみたが……生温かい風を切るだけで人の姿を捉えることはなかった。
「ライアン。これからはここでこの子と、私……二人と一匹で暮らしましょうね。あの人は、もうここへ来られないから……」
耳元で聞こえた声は、上品で、だが若々しくもある女性のものだった。
「ライアンもこっちにいらっしゃい。……今日から、ここに住むわよ。この人が、新しい家族の――」
ふと、上品な女性の声が遠ざかっていく感覚が耳をつく。
この閉鎖的な空間から脱出する為の唯一の術のような気がしていた夢姫は唐突な危機感に襲われ、遠ざかっていく方向へ手を伸ばしたが……やはり生温かい風を手のひらに受けるばかりで、何も掴めなかった。
――最早、夢姫は自分が起きてるのか眠っているのか。目を開けているのか閉じているのかさえも分からなくなりかけていた。
意識を保とうと必死で叩く頬の感触はひんやりと冷たい。
「待って! いやだ、優菜はここに残りたい! その人、だって優菜のお父さんじゃないもん!」
「優菜……?」
そんな時、夢姫の後ろから少女の声が聞こえた。
舌足らずで幼い声だが、その声は確かに聞き覚えのある少女のものだ。
「いやだ、いやだ……! なんで? 今までみたいに、ここで仲良く暮らそうよ! ここで待ってたら、お父さんもまた帰って来てくれるかもしれないよ? ライタくんもそう思うよね?」
「ライタくん……? もしかして、ここは――」
「――お母さんの分からずや! ……もう、優菜には、ライタくんしか…………」
元来より柔軟な考え方が得意な夢姫は、素直に考え至った答え……“ここがどこなのか”を確かめるように身を屈め、足元に手を添わせると、大型犬のようなやわらかい毛を撫でる感触が夢姫の指先に残った。
「ねえ! “ライタくん”やい! あんた、なんで」
夢姫が言いかけた時だ。
地の底から突き上げられるような衝撃に夢姫の体は突き飛ばされ、膝をつく。
突然のことで、何が起こったのか夢姫には分からなかったが……轟音を聞いた後のようにその余韻、耳鳴りが響き続けていた。
「――ライタくん! ライタくん、起きて……しっかりして!」
「優菜の声……」
「ライタくん……ライタくん、死なないで。優菜を、一人にしないで――」
「ねえちょっと」
少女の声は、悲しげに震え、やがて涙を伴う悲鳴に変わっていく。
膝をついたままであった夢姫の足元は徐々に生温かさが無くなり、冷えて固まっていった。
「――そっか、優菜にとって、ライタくんって“大切な家族”だったんだ」
人形のように冷たく、ごわごわに固まってしまった足元の感触を確かめながら夢姫は息を飲んだ。
もう、少女の嗚咽は聞こえない。ただの暗闇と、恐ろしいほどの静寂だけがそこにあった。
「大切な家族を失った、ってことかなあ」
答えを確かめようにも、返事はない。
ただ、ぽつりと言葉を放り出してみた夢姫は“もし自分が優菜の立場にあったら”――
人の気持ちを慮る事が苦手ながらそんな想像で想いを寄せる。
夢姫にとって、大切な家族――それは唯一自分の知る肉親、女手一つで育ててくれている母・恵であろう。
恵を失ってしまったら、自分はどうなるのだろう。他に頼るべき存在がいないのではないか?
「強いて言うなら、きいちゃんとこになるけど……きいちゃんちのオジサン頼りないからなあ。本当の……父親? 父親を探すべき? そう言えばあたし、お父さん――」
――思考を巡らせていた夢姫は、まるで“思考の終着点”であるかのような……
“これ以上考えてはいけない”ような気がして、目を見開いた。
今まで考えた事も無かった。いや、考えないようにしていたのかもしれない。
それは自分の“心”であるはずなのに、もう一人の自分が支配しているかのような、言い表せない不快感は畏怖の感情へと変わっていく。
「なに、これ……前にも、こんな、事が……!」
早まる鼓動を抑えつけるように蹲り、耳をふさぐ。
自分が“誰”であるのか、そもそも本当に“自分”なのか。
――ふと、夢姫は暗闇の中で初めて人の気配を感じた。
助けようとしているかのように目の前に誰かが立っている気がしたのだ。
「あたしは」
耳をふさいでいた手をおろし、差し伸べると――
――子供のように小さく、ひんやりとした感触が指を絡めた。




