9-14
「――嘘……た、食べられた……!?」
獣の頭部がその薄暗い黒色で夢姫の体を包み込んだ瞬間、そこに存在したはずの少女は姿を隠す。
まるで獲物を狩った野生の動物が食事にありついたかのような、弱肉強食の世界を見せつけられたような光景を前に、桔子は言葉を飲みこんだ。
目の前で友が忽然と姿を消したのだ。平常を保てるはずも無く、呆然と目を見開く桔子達を見下ろすと、“ライタくん”は閉じたばかりの口を大きく広げた。
その口の中には夢姫の痕跡一つ存在せず……桔子と同様に心乱していた刹那や佐助もまた、言葉を失った……。
「……ライタくん、ごはん、食べれるようになったんだね……最近、何も食べて、無かったから、優菜、心配してた、よ」
驚きを隠せないまま、木刀を握る手の力を失いかけていた佐助の背中を弱々しい少女の声がすり抜けていく。
桔子の一撃が、まだ痛みとして残っているのだろう。腹部を片手で押さえたままの優菜は唇から滲む血をワンピースの袖で拭い、微笑んだ。
「――何が“ご飯”よ! この、クソガキ! 夢姫を返して!」
優菜が一歩、また一歩と力を振り絞り歩き出すと、間髪いれずに行く手を阻んだのは桔子であった。
和解したばかりだとは言え、元々古くからの親友である夢姫の事を思い頭に血がのぼったのだろう。
いつになく乱暴な言葉を吐き捨てると華奢な肩を掴んだ。
「痛い痛い! なんで怒るの? 貴方、ライタくんが飢え死にしても良いの? 猫派なの?」
「猫派とか犬派とかそう言う問題じゃない! ……あんた、“アレ”がまだ犬に見えてるの!? どう見ても、あんなの犬ですらないのに!」
肩を掴む指先を解くと、桔子は震える指先で“ライタくん”を指し示す。
目も鼻も分からない、この世の闇をかき集めたかのようにただ真っ黒な頭と四肢、時折裂けるように開かれる口のような部分からはよだれのように粘着質な“ま”を吐きだしすその姿はいわゆる“犬”と評するには程遠い……それは、理性の欠片も持たない獣のような風貌であった。
「ライタくんを悪く言わないでよ! ライタくんは、優菜を守るためにこの姿になってくれたんだもん!」
愛犬を守る飼い主のように桔子の目の前に立ちはだかると、優菜は両手を広げる。
その目にはとうの昔に光等残っていない。だが、その奥には唯一の希望とでも言いたげな、“愛情”が垣間見える気がして、桔子は思わず後ろへ引き下がった。
「ライタくんは、優菜を守って、一度は死んじゃったけど、こうやって帰ってきてくれたんだもん……! 元の体は、勝手に大人が燃やしちゃったから、もうないけど……貴方達の誰かが体を明け渡してくれたらライタくんは元通り、優菜と一緒に暮らせるって、だから頑張ってるんだもん!」
――優菜の言葉は、どこを切り取っても現実味に欠ける空想の産物のようであり、理解に苦しんだ桔子は“狂人”でも眺めているかのように表情をゆがめた。
「そうか……貴様の狙いはそう言うことか……!」
刹那や佐助も言葉を失い、ただ身構えるばかりと相成っている傍らで、摩耶は小さな声を絞り出すと唇を噛みしめる。
微かな声すら聞き逃さない佐助が我に返ったようにその姿を盗み見ると、涼しげな表情を保っている摩耶にしては珍しく怒りを体現していた。
「そうはさせぬ。……貴様の野望はここで潰すまで」
状況の理解に至っていない刹那や桔子に対し“説明している暇は無い”と言いたげに摩耶は音も無く目の前をすり抜け白い杖で黒い体を裂く。
摩耶の心など読める筈もない刹那達だが、目の前の少女の背中からは確かな“焦り”が見えた。
「よ、よく分からないけど考えている暇はなさそうだね、桔子ちゃん!」
「そうですね! とにかく、夢姫が消化される前に助けないと」
大股で踏み込んだ摩耶の一閃は“ライタくん”の喉元を切り裂き、辺りには血のように粘着質な黒い靄が飛び散る。
痛みを伴うのか、前足を大きく持ち上げてもがく“ライタくん”を見上げ、優菜もまた分かち合うように悲鳴をあげた。
「いやああああ! やめてよぉ! ライタくんを、もう一度殺すの? そんなの許さない――」
「おっと! 貴様の相手は僕だ! チビガキ!」
摩耶の動きを阻害しようと振りかざしていた優菜の握り拳を容易く受け止めると、佐助もまた木刀を片手に行く手を阻む。
拮抗、とまではいかない。力では佐助の方が上であることは明白であり、後方の憂いは無さそうだと頷いた刹那達もまた暴れ狂う獣の足元へ踏み込んだ。
「夢姫を……っ! 吐け! この……!」
重力に身を任せ、持ち上げていた前足を地に降ろすやいなや――まず腹部を貫くように黒い刀を突き立てたのは桔子だ。
だが、桔子の手には何かを刺したような感覚は残らず、空を裂いたように生温かい風だけが頬を掠める。
「危ない!」
どうやら痛みを感じる部位と、感覚さえない部分とあるらしい。
巨体を翻し、低く身を構えた獣の行く手を阻むと、刹那は絹布に守られた右手を地に付ける。
道具から溢れる光は稲光のように舗装を走り抜けて、獣の足を絡め取った。




