9-13
“獣”は大きな足を折り曲げ、桔子の一撃で蹲ってしまった少女を労わり包み込んでいる。
次の動向を伺いつつ、摩耶は少し離れた場所にいた刹那達を呼び寄せると声を潜めた。
「……皆、よく聞け。あの“獣”は、宿主の少女……優菜の心が生み出しておる。だが、その実体の核となっておるのは先程まで対峙していた人形の方であるから――」
「あの太い図体のどこかに核となる本体が埋まっているという解釈ですね?」
「ああ」
佐助が補足するように呟くと、その視線を辿り夢姫も獣の大きな体を凝視する。
実体が無いはずなのに、その黒い塊の向こう側の景色は伺い見る事も出来ない。
まるで、暗闇を凝縮させたかのような異様な光景を前に、夢姫は弾む鼓動を抑えつけて息を飲んだ。
「ねえ、こーいう場合って、大体お決まりの展開だとモンスターの心臓部分をぶっ刺したら倒せるんじゃないの? こう……お腹あたりをぶすーって!」
「お決まり……ゲームじゃないんだから、夢姫」
少しテンションが上がってしまったのだろう。夢姫は創作のファンタジーにありがちな巨大モンスター討伐の一幕を想像しながら両手を広げて見せると、そのいつもと変わらない緊張感に欠ける呑気な声を聞きあきた桔子がため息をつき返す。
だが、あながち的外れな意見でもなかった様子で、二人の会話を横目に見ていた摩耶は微かに頷くと白い杖を両手で握りしめていた。
「“心臓”と言う概念は無いと思うが……先程、水瀬夢姫が頭部を狙った時には全く感触が掴めなかったわけであるから、恐らくは腹部あたりにあるのであろうな」
思わぬところからの賛同を得たことで瞳に輝きを灯した夢姫が嬉しさを隠し切れずに駆け寄ろうと足を踏み出す。
――だが、摩耶は無言のうちに首を横に振り制すると、視線を優菜達のいる方へと手向けた。
その瞬間。再び、空気が沈みこむような重い感覚を夢姫達の体を取り巻く。
摩耶の視線の先には、毛を逆立てて威嚇するかの如く、黒い靄を胴体・頭の至るところから立ち昇らせている獣と、座り込んだままの優菜の姿があった。
「作戦を立てている暇はなさそうだね」
頭の部分を横に大きく裂けさせると、獣は身体を震わせて何かを吐きだす。
吐き出された唾のような黒い塊は地面に滴り広がると――雑草を瞬く間に枯らし、流れる水の如く夢姫達の足元を浸食させ始めたのだった。
「うひゃあ!? 何これキッモ!!」
「夢姫ちゃん、落ちついて! 大丈夫、これも祓えるものみたいだ」
後ずさり、よろけそうになった夢姫の背中に優しく手を添えると、刹那は絹布を巻いた指先に力を入れ拳を作る。
地面に向かい、光をまとった拳を振り下ろすと、夢姫の足を取ろうとしていた“ま”は風に身を任せ霧散して行く。
その前方では獣が吐瀉物をまき散らすようにして“ま”をまき散らしている。
迎え撃つ格好で夢姫達の前に飛び出した摩耶が杖先で地面に円を描くように軌道を描くと、光の輪が生まれ、放射線状に舞い上がった光の粒子は黒い靄を溶かしていった。
「逢坂刹那! お主は私と共にあの獣のような“鬼”を迎え討つだけの力を持っておるはず。……頼めるか?」
「大丈夫だよ。君の援護をさせてくれるかい!」
獣の体は大きく脈打ち、体の端からは黒く重たげな“ま”が滴り落ちては草花を枯らしている。
夢姫の頭を撫で、微笑むと刹那は深く頷き摩耶の隣に並び立ったのだった。
「佐助、お主は宿主の方に当たれ。あの者の心次第でこの“鬼”が暴走してしまうようだ」
「は、はい!」
「では、私はどちらにも加勢できるようにしますね!」
「風見桔子、それはありがたい」
獲物に食らいつく猛獣の如く、頭部を大きく裂くと獣は摩耶の腹を目掛け振り下ろす。
佐助に指示を出す傍ら、後ろに飛び避けた摩耶に代わって刹那が顎の下から突き上げるような打撃を加えると、靄につつまれた獣の頭部からは焦げるような煙が立ち上り、苦しそうに頭を振り回した。
「逢坂さん! 少し離れて下さい、貴方まで奪ってしまうから……!」
獣が体勢を立て直すよりも先にそう叫んだのは夢姫の後ろにいた桔子だ。
その言葉に刹那が振り向いた瞬間、桔子は鏡を胸の前でまっすぐに構えると獣の全身を鏡面に納める。
すると、鏡面からは夥しい量の黒い“手”達が湧きだし、桔子の意思に従い獣の胴体に絡み付き始めた。
「――なるほど、桔子ちゃんの“道具”は鏡、つまり……映し出された者の心を奪い……」
「ええ、光を跳ね返すように、私の力として盗めるんです……!」
絡みついた“まの手”から逃れようと抗う獣の無作為な地団太をかわしながら、摩耶は杖を振るい、刹那は拳を打ち付ける。
それぞれ肩と右頬あたりに確かな手ごたえを残すと、獣の体は存在を保てなくなっているのかぐらぐらと蜃気楼のようにシルエットを揺らめかせ、苦しみ喘いだ。
「ま、待ってー! 皆だけでカッコイイ感じに決めないでよー! あたしもー!」
桔子と刹那、そして摩耶の息の合った連携の輪の外にいた夢姫が飛び跳ねて腕を振り上げる。
そう、文字通り“付け入る隙がない”のだ。
不謹慎はよくない、と流石の夢姫も発言を慎んではいたのだが、このままでは自分だけぼんやりと立ちつくして戦いが終わってしまうという危惧が彼女を駆り立てたのだろう。
声をあげ存在を主張した夢姫が杖を片手に駆け寄り、呆れたように頭を抱える桔子が口を開くが――
――それを遮るように、“ライタくん”の声が夢姫達の頭に響き渡った。
“マサカ、ワガココロガココニソロッテイヨウトハ”
「……心? 揃う?」
“コレハコウツゴウ、ジゴクヲトリコミワガカテニ”
「好都合、地獄、取り込み、ワガカテ……? ワガカテってなにさ」
脳内の辞書に存在しない言葉が混ざり込んだ為か、夢姫は首をかしげつつも杖を握り締める。
目も口も、何も存在していないはずの獣と、夢姫は何故か目があった気がした。
「――まずい! 風見桔子、動きを封じ……」
摩耶の声が少し遠く聞こえた瞬間――
視界は暗闇に覆われ、生温かくて湿っぽい感覚が夢姫の五感に纏わりついたのだった。




