9-11
「ほわっ……!? た、大変ツナっち! 和輝が美咲くんと戦い始めちゃったよ!?」
和輝達の対峙に最初に気付いたのは夢姫だ。
元来より集中力散漫であるため、この瞬間もきょろきょろと周囲を伺い見ていた夢姫は声をあげて刹那の元へ駆け寄るものの……先に跳ね返ってきたのは彼の優しい声では無く、その近くにいた佐助による刺々しい言葉であった。
「放っておけ! 灯之崎なら問題なかろう。それより今は――」
「今だよライタくん!」
優菜の号令と共に、夢姫の目の前を黒い塊が駆け抜けていく。
それは全身を黒い靄で覆い隠してしまった“ライタくん”のようで、佐助がそれを認識する頃にはぬいぐるみの体は誰の手も届かない天高くに舞い上がり、“ま”を噴き出す準備に入っているのか、その体を丸めているようであった。
「そうはさせない!」
佐助が構え、摩耶が杖を振りかざすよりも少し先に駆け出していたのは桔子。
桔子は黒の鏡、その何も写りこまない鏡面をぬいぐるみに向かいかざすと、ぬいぐるみから滲み出ていた“ま”を吸いこみ、代わりに真っ黒な無数の手を吐きだした。
鏡から伸びる“黒い手”達は桔子の意思に従うように天へと続き、ぬいぐるみの両足を絡め取った瞬間――地上から見上げるように見守っていた優菜は悲鳴をあげて桔子の腕を掴みに掛かった。
「ライタくんに何するの!? このおばさんめ!」
「おば……!?」
まるで子供のような、幼稚な悪口を浴びせながら両手で体を叩くが……優菜の華奢な体から放たれる打撃など痛みは皆無に等しいものであった。
だが、動きを制限されるほどにうっとうしくまとわりつかれる状況と相成っていた為、捉えたぬいぐるみの体を空中に投げだすと鏡を背中に守り少女を振り払った。
「――おっと、例え愛らしい犬の姿であっても、噛みつく悪い子には手加減はしてあげないよ!」
一方、空中に投げだされた“ライタくん”はすぐに体勢を整えなおし、ロケットのように急転直下、桔子の姿目掛けその体ごと突進する。
その軌道上を遮るように絹布をはためかせると、弾かれた“ライタくん”は地面に転がり、絹布を手に巻き直した刹那は桔子の背中を守り微笑んで見せたのだった。
「……癪だけど、後ろは任せますね、逢坂さん。癪だけど」
地面に転がり倒れ込んだ姿はごく普通のぬいぐるみそのものである。
……だが、当然これで終わるはずがないと対峙していた刹那も、優菜と睨みあう桔子も。
そしてぬいぐるみを囲むように身構えていた佐助と摩耶の視線を一斉に集め――
“ライタくん”は力なく横たえた四肢を微かに動かし持ち上げると、反動をつけて地面に打ち付けた。
――“オモシロイ、ワレニ、アダナストイウコトカ”
ぬいぐるみが力を奮ったところで、その体は布と綿の寄せ集めであるのだから力まかせの音が出るはずがない。
だが、打ち付けられた瞬間――その場にいた全員の耳には確かに車にぶつけられたような堅い轟音と耳鳴り、そして摩耶に似ていて全く異なる、地の底からわき上がるような声が響いた。
「今、あのぬいぐるみ喋った……よね?」
夢姫が驚きを擁したまま視線をスライドさせていくと、皆気持ちは同じだったようで目が合った桔子は何回か頷いている。
「だから、喋るって言ってるじゃない。ライタくんはとても賢いワンちゃんなんだよ」
分かりやすく目を丸くしていた夢姫達をみかねると、少女は“然も当たり前の事”を教え直すかのように言葉を紡いだ。
“ユウナ、オヌシノネガイヲキコウ。ダレヲケシタイ?”
「んー……ライタくんをいじめた悪い大人! ……なんだけど、優菜はあの時、ちゃんと悪い人のお顔見えてなかったから覚えてないんだ……ねえ、ライタくん。どれがライタくんを轢いたの?」
脳に直接響くような重厚な音と、少女の無垢な声が交互に夢姫達の耳の奥に響く。
長年の関係性を表現するかのように仲睦まじく組み交わされるやり取りの一方でその言葉はどれも不穏な単語ばかりであり、夢姫達は息を飲み、少女の言葉を見守るばかりであった。
“ワレガノゾムハ、ココロヲカンゼンニスルコト”
「うん、そうだよね。ライタくん、ずっと言ってたもんね。元の体に戻りたいって。……そうだよね、元の体に戻れたら、また……昔みたいに……!」
優菜の声は震えていた。途切れ途切れな単語を絞り出すように紡ぐと、地に伏したぬいぐるみを抱きかかえた。
まるで、小動物を慈しむかのように慣れた手つきで抱え上げる腕からは確かな絆と、優しい心さえにじむ。
「ライタくん、ここにいる皆、全員を殺そ? そうしたら、その中から一番しっくりくる“体”を選べるからね」
ぬいぐるみの胸に頬を埋めた少女の目には大粒の涙がしみ込んでいる。
何か辛い記憶を呼び覚ましているのかもしれない――少女の表情は苦しみに打ち震えているように思えた夢姫達は、辿りついた想像を胸の奥に留めたまま各々の“道具”を構えた。
「――大丈夫だよ。ライタくんの“新しい体”になるだもん、傷は付けないようにしてあげる」
優菜が“ライタくん”を静かに地面の上に降ろすと、意思を持たないはずの“喋るぬいぐるみ”は二本の足を広げ人間のような振舞いで立つ。
見守る少女の瞳には、もう涙の跡も残っていない。心を決めたような、静かな眼差しであった。




