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「ライタくん、痛かったよね。……うん、うん。ライタくんは優しいねえ。でも、優菜が怒ってるの。ライタくんにあんな痛い思いさせて、助けもしないで……逃げて、大人の風上にもおけないんだもんね」
耐性が出来ているはずの桔子や佐助、そして八雲でさえも気分が悪くなってしまいそうな程に禍々しく、これまで対峙したどんな“鬼”達よりも薄汚れた黒い靄が少女の胸の中、小ぶりなぬいぐるみの全身を取り巻いている。
「――まずは、ライタくんと同じように、あんたも車にはねられちゃえばいいよ。助けてあげないから」
「……!」
虚ろな顔で“何か”に耳を傾けていた少女は、その手からぬいぐるみを手放す。
――本来、自らの意思を持たない無機物であるそれは、重力に従い地面に落ちるのが道理のはず。だが、黒い靄が――“ま”の力か、道具の力なのか……少女の支配を離れたぬいぐるみは地表の間際でその身をふわりと浮かせると、そのまま弾丸のように先頭に立っていた摩耶目掛け突進した。
「にゃやー!? 人形が動いた!? ゴーストだゴースト! バスターズ!」
「夢姫、今テンション上げてる場合じゃ……きゃあ!」
白い杖を一文字に一閃させると、ぬいぐるみは意思を持っているかのごとく布製の四肢をひるがえし空高くかわす。
思い描いた“非日常”な光景に思わず本音が漏れ、声を弾ませた夢姫をみかねて、桔子が諌めようと歩み寄ったその時――
その声に反応したのかぬいぐるみは赤く染まったプラスチックの瞳を光らせ、そのまま二人の元へ突撃してきたのだった。
「――危ない!」
頭上から真っ逆さまに落ちてくるぬいぐるみを見上げ、桔子が鏡をかざす。
そんな桔子に声を投げ、庇うように腕を引いたのは和輝であった。
隕石のような勢いを乗せて落ちてきたぬいぐるみに向け、和輝が光を携えた刀を一閃させる。だが、ぬいぐるみは自らの意思で動いているのかその身を軽やかにひるがえすと切っ先をすり抜け優菜の元へ駆け戻っていった。
「ライタくん大丈夫? ……良いんだよ、無理しないで。優菜なら、大丈夫だから」
少女は舞い戻ったぬいぐるみの頭部を撫でながら微笑む。
――だが、その瞳には優しさや愛情などの温かな感情など残っていないように思えていた。
冷たい瞳とも言えない優菜の眼差しは“空っぽ”と表現するのが一番近しいだろう。
光を宿していない虚ろな眼で“ライタくん”の顔に頬を寄せると、摩擦で起こる煙の如く黒い靄が燻し出された。
「か、和輝さんごめんなさい」
「……別に。ただ、もう守れないから、気をつけて」
いささか乱暴に言葉を紡いだ和輝がそう息を吐いている一方……優菜がいる庭の中央を伺い見ていた寛二朗は意を決したように走りだす。
「――隙あり!」
「うわあ!?」
夢姫達と優菜が睨みあいの様相と相成っていた中、不意に少年の驚いたような声が一同の意識を削ぐ。
声のした方を反射的に見やると――そこには、今まで静観に勤めていた寛二朗が隆々とした腕で美咲の首を抱え込み、動きを完全に封じた姿があったのだった。
「く……っ! 放して下さい! 俺は、どうせなら、華奢な女の子に、首ぎゅーってされたい! むさい臭い!」
「うるせー! 女の子が良いなら、後で白い姉ちゃんにやってもらえ!」
美咲は比較的身長が高い方であるとは言え、それよりも背が高く、また体格もがっしりとした寛二朗に対しては力で及ばないようである。
少しの間、美咲は言葉での抵抗を試みていたようだが、すぐに諦めてため息を落としていた。
「おいおチビちゃんや! ……お前さんの相方を捕えたぞ。だからこれ以上無駄な抵抗は――」
「無駄ですよ……」
美咲の動きを封じていた寛二朗が少女の背中に声を浴びせる。
――だが、少女からの言葉は無く、何かを察していた様子の美咲の力ない言葉だけが跳ね返ってきた。
「ねえ、ライタくん。ライタくんと出会えて、優菜は本当に良かったよ。優菜のお父さんはね、優菜よりもお仕事が大事なの。優菜のお母さんはね、優菜よりお父さんが大事なんだ。……だけど、寂しくは無いんだ。だって優菜には、ライタくんがいるもん。優菜の“お父さん”で“お母さん”、優菜の“お友達”。優菜の“希望”で“全て”――」
まるで人形のように表情を固めたまま、少女の唇だけが動く。
感情の動きなどと言った人間らしい動作が微塵も見えない少女の無機質な言葉を目の当たりに、摩耶は息を飲んだのだった。
「ここまで道具に依存してしまうとは……!」
「――優菜の全てを奪ったのは貴方? それとも貴女? ……まあどれでもいいか。優菜、こんなに怒ったの初めてかも」
ぬいぐるみは相変わらず、尽きることなく噴き出し続ける“靄”に覆われ、本来の布地すら見えない。
顔と思われる部分に口づけをした少女は表情も持たないまま呟くと、瞳孔を刹那に向けた。
優菜が照準を合わせるように指で指し示すと、“ライタくん”は天高くその体を舞いあがらせ、四肢を大の字に広げる。
ファンタジーアニメの一場面のようにポップな動きを見せたかと思えばすぐに両手を胸の前に組み、腹部から黒い光線のようなものを打ち放してきた。
「……! 僕は君から何も奪っていないよ! まあ、“心を奪った”と言われて無垢な天使に悲しい歌を奏でさせることはあるけどね……!」
しなやかな細身の体を翻し、難なく避けて見せた刹那は悪戯に微笑むと道具である“絹布”で指先を包む。
軽やかにかわした刹那とちょうど背中合わせのような格好で優菜を見据えていた佐助は呆れたようにため息を落としていた。
「貴様はいつか女子に刺されそうであるな。と言うか刺されろ」




