8-12
行動を共にしようとせずに摩耶と共に帰路に立った佐助と、万全の体調では無いはずの和輝達以外。……道中は、“騒がしい”の一言であった。
各々抱えていた疲労が色濃くにじみ、自然と生まれる沈黙を壊すように寛二朗が口を開いては身も蓋も無い一言に刹那と詠巳が交互にツッコむ。
――そのやり取りがしばらく続いただろうか、ようやく二人の住むマンションの前に辿りつく頃には殆ど言葉を発していなかった夢姫でさえも疲れを滲ませたようにため息を落としていた。
「――むにゃあ、あれ……ゆめちゃん!?」
「はいはい。やっと起きたの……おかーさん重かった」
「あうあう……もっと痩せるね……」
夢姫が疲れるのも無理は無い。
來葉堂からの道すがら、母を背負って歩いてきたのは他でもない、娘の夢姫だ。
刹那や寛二朗は至極当然の流れで“自分が背負おうか?”と申し出たのだが、夢姫は断ったのだ。
――夢姫の母・恵は極度の人見知りで、特に若い男性には強い拒否を示す事が多い。
和輝や刹那は数度会っている為、幾分かマシではあるのだが……そうだとしても、手放した意識を取り戻し、一番最初に目に飛び込む人物が初対面である寛二朗や、一度は恐怖心を覚えた刹那であってはパニックに陥るかもしれない。
それを危惧していた夢姫は珍しく頑張って歩いてきたのだった。
その甲斐あってか、恵は特段取り乱す事も無く夢姫の手を握る。
背の低い母が申し訳なさそうに背中を丸めると、その姿はまるで親に怒られた子供のようで……“どっちが子供か分からないな”と桔子は苦笑いを浮かべた。
「おーっし! 姫ちゃんを送り届けたし、次は修羅子ちゃんだなあ?」
「……その、“修羅子”って言うのやめて頂けないですか?」
静かなエントランスいっぱいに反響させるように寛二朗が手を叩くと、背中を丸めていた恵は心臓を掴まれたように悲鳴を上げて夢姫の腕にしがみつく。
折角、ここまで刺激しないよう配慮を重ねていたのに、苦労が水の泡になったような心持ちとなった夢姫の代わりに桔子が詰め寄ると、寛二朗はあっけらかんとした佇まいで首を傾げた。
「だって、結局のところ名前どっちで呼べば良いのか分からなくってよ」
「だから私は……」
「梗耶ちゃん!」
言いかけた桔子の言葉を遮るように、誰かが“梗耶”と呼んだ。
――桔子にとって、聞きなれた上品な声。それと同時にマンションのエントランスの奥の方から誰かが駆けてくる姿が見える。
神経がまだ昂っているままであった恵は驚いた様子であたふたと足をばたつかせて咄嗟に桔子の背中に隠れる。
手をつないだまま、後ろに引っ張られる格好となった為にバランスを崩しこけそうになった夢姫が体勢を整えなおしていると、足音の主――桔子の伯母が三人の目の前にかけてきたのだった。
「伯母さま……」
――不揃いに短くなった髪の毛、ボロボロの服……その凄惨な姿の割に、桔子は迷いを打ち払ったかのような清々とした面持ちであった。
その特異な状況を前に、普段冷静な桔子の伯母も驚きを隠せない様子で瞬きを繰り返すばかりだ。
「……猿喰さん、詠巳ちゃん。帰ろうか。猿喰さんはどうでもいいとしても、詠巳ちゃんも遅くなったら、君の帰りを待ち焦がれる人が空を泣かせてしまうかもしれない」
「そうね」
「詠巳、今のツナ語翻訳出来んの!?」
伯母と桔子、そして息を飲んで見守る恵と夢姫。……会話のきっかけが思い浮かばない様子であるがゆえに、寧ろ手を出す方が無粋であろうと察した刹那が踵を返すと、同じ考えに至っていた様子の詠巳も小さく頷き、マンションを後にした。
唯一人、考慮が追いついていなかった寛二朗は刹那と夢姫、その双方を交互に見比べると、慌てて詠巳を追い掛けたのだった。
「――ゆめちゃん、私達も帰ろうか。折角今日はお母さん頑張ってご飯作ったのに、冷めて乾燥しちゃうから」
「……はあ? え、ちょっとお母さん……?」
刹那達の配慮に思考が追いつかなかった夢姫の代わりに、伯母と桔子を二人きりにしようと考えた恵は大きく声を弾ませると誰の返事も待たずにエレベータのボタンを押す。
ドアをスライドさせて出迎えた小箱の中へ戸惑う夢姫を押しこむと、恵自身もエレベータに入り階数ボタンを連打する。
その一部始終を見つめていた桔子に向き合うと、ようやく伯母は口を開いたのだった。
「――どういう事か、説明してもらえる? 梗耶ちゃん……」
「……伯母さま。その事ですが……私、梗耶じゃないんです」
「……え?」
どこから説明すればいいか、何を謝れば良いのか、謝るべきなのか――
桔子の中には様々な葛藤と戸惑いが入り混じっていたが、小さく息をつくと眼鏡に遮られる事も無くなったまっすぐな瞳で伯母を見つめていた。
―――
一方。住み慣れた我が家に辿りついた安堵からか、母はようやく緊張しきりの体をソファに沈める。
夢姫もまた、冷蔵庫にある作り置きの紅茶をコップに注ぐと一気に飲み干した後に旅の疲れをソファに委ねた。
この日は、色々な事がありすぎた。
一路古都へと向かい、猿喰家の次期当主――寛二朗と出会った。
しかも件の彼が自身の友人・詠巳の恋人と言うおまけ付きだ。
その後も寛二朗と共に引き返し、優菜と邂逅し――そして桔子の“叫び”を目の当たりにした。
「とても、“非日常”……だけど」
――何かが足りない。
夢姫の心は中途半端に空腹感を持て余しているかのようでどこか晴れないままであった。
勿論、明日には優菜ともう一度会って、場合によっては戦いになるやもしれないという“展望”は見えていたのだが。
夢姫は机越しの母の姿を覗き見た。
母はよほど疲れたのかソファに突っ伏したまま眠りに誘われかけているようである。
――母に心配をかけたいわけじゃない。
むしろ、母は守るべき弱いものだと言う認識の夢姫は一縷の罪悪感を脳裏に過らせると、溶かすように紅茶をかき混ぜて一気に飲み干す。
喉と胃が冷える感覚にため息をつくと、夢姫は手首にのしかかる腕輪を蛍光灯に掲げた。
「明日は、もっと心が満たされ――」
「ダメ!!」
呟きかけた夢姫を遮るように、母の声が響き渡る。
悪事を働いていた訳でもないのに、罪悪感に心臓を掴まれた夢姫がとっさに腕を隠し母の方を振り向くと――
「にゃむる……駄目……」
相変わらずソファに突っ伏したまま、何かに縋るように片手を伸ばした母のろれつの回らない声が聞こえてきたのだった。
「んもー! 寝言か!」
疲れも、心のもやもやも……何もかもが拍子抜けしてすっぽ抜けたような心境に至った夢姫は呆れてため息を落とす。
眼下で寝言を言うほどに深い眠りに落ちてしまった母の姿を、流石にこのまま放置は出来ないと思った夢姫は仕方がないと思考を一時中断し、母の部屋に布団を取りに行く事に決めて立ち上がる。
廊下に出ようと扉に手を掛けた時――もう一度母の声が聞こえた。
「待って、ゆめちゃん……その人に、ついて行ってはだめ……私と、逃げ……」
「ん?」
夢姫が振り向くと、母はまたも深い夢の中にもぐってしまったようで伸ばした手をそのまま垂らし、言葉にならない声をうなるように紡ぐ。
「……明日、お母さんに聞いてみるか」
深い思考を紡ぐほど余力の残っていなかった夢姫はため息をつくと、部屋を後にしたのだった。




