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他愛もない話の合間にも、“にゃんこ”は次々と佐助の手で駆逐され、ついには残り一体となっていた。
口では憎まれ口を叩きつつも食べ始めてからは文句を言わない彼の姿に“味は認められたのかもしれない”とクララは温かな眼差しを手向けた。
ふと、來葉堂の扉は春の柔らかい風と共に静かにベルを鳴らす。
「――仲良いな、お前ら」
ようやく帰ってきた和輝は、二人の姿を見るやため息を落としている。呆れたようなその小さな声を聞き逃す事なく、佐助は“貴様の帰りが遅いからであろうが!”と立ち上がる。
そんなやり取りを微笑ましそうに見守っていたクララは、思い出したように手を叩くと厨房へと姿を隠した。
「……今日も“摩耶様の任務”?」
クララの姿が見えなくなった事を確認すると、和輝は佐助の前の席に座り重たげな鞄を隣の椅子に預ける。
――昨年の暮れごろの騒動の後、その命が解かれている事を和輝は知らない。
つまり佐助は命令に従っている訳ではなく、半ば自分の意思でこの來葉堂に足を向けているのだが……。
“わざわざそれを伝える必要もない”と佐助は黙ったままであった。
「……そんなところだ。それより、奇妙な噂が流れておるようでな。どうせ貴様は知らぬであろうから教えてやろうと思って」
「はあ。上からどうも」
――佐助がこの日聞いたばかりの“噂”について話す傍らで、クララは温かいお茶とピラミッド状に積まれた“みたらしにゃんこ”を和輝の前に設える。
鼻歌交じりのクララがステップを踏むように立ち去っていくのを尻目に、和輝は団子の頂点に君臨しているにゃんこと目があった気がして、思わず目を逸らした。
ファンシーな団子は、暖かな夕日が差し込む窓の光を浴び、少しずつ表面を乾燥させていく。毛並の模様のように点々と振りかけられた餡も、“早く食べてくれ”と言わんばかりに皿の上に流れ落ちていった。
――謎のプレッシャーが和輝を押し始めていた頃……佐助は頂点に君臨していたにゃんこの頭を手元に残っていたつまようじで躊躇なく刺し貫くと自らの口に運びいれたのだった。
「――と、言うのが噂だ。どうだ? 気になるであろう?」
「あー……あ、うん……」
そこそこの大きさゆえに一口では食べきれなかったのだろう。
無残に引き裂かれた“猫の形だったもの”を眺め、和輝は気の抜けた声を返す。
そんな返事が気に入らなかったらしい佐助は残りを口に放り込むとつまようじの切っ先で和輝を指し示し鋭い視線を投げかけた。
「これは恐らく“ま”の仕業だ。女子が逃げようにも逃げられなかったのは、“鬼”と化した何者かに、“ま”に囚われかけたから。そしてその“鬼”が残した最後の言葉は……」
「つまり」
「“誰か”を探してる! ……って事ね!!」
和輝が言いかけた言葉をかき消すように、甲高い声が二人の頭上に降り注ぐ。
全開に開けられた窓からは暖かな風と少し埃っぽい匂い、そして外から乗りこんできたのだろうか、窓枠に座り足を汲む見なれたミニスカート姿が――水瀬夢姫の姿が見えたのだった。
「――水瀬。人の家を訪ねるときは玄関を尋ねろ、って習わなかった?」
「びっくりさせようかなーって」
「おい」
意気揚々と店内に足を踏み入れると、夢姫は和輝が手にしたままだったつまようじを奪い取り、てっぺんを失ったままのにゃんこの頭を貫き取り上げる。
“女子ってこの手の菓子は写真撮るものじゃないのか”
やや極端な思考ではあるが、想像を無視した行動をとる少女の姿を和輝が呆然と眺めている傍ら……容赦なくにゃんこをかじると、夢姫は佐助の隣の席を陣取りその目を輝かせた。
「佐助! さっきの話の続きだけど、今晩あたり調査しに行くんでしょ? あたしも行くわ! こんな面白そうなイベント見逃す手は無いもんね」
つまようじを奪われてしまった和輝には餡がたっぷりかけられた団子を食べる手段が残されていない。
自分が既につまようじを使用済みだった可能性を夢姫は考えなかったのだろうか、と和輝は半ば呆れたように夢姫を眺めていたが、わざわざ話に割り込むほどの気力もなかったらしく厨房へと席を立つ。
そんな和輝の憂鬱など知る由もない夢姫が続けざまにもう一個――皿に手を伸ばしていると、佐助が呆れたようにそれを叩き落としため息をつく。
「これは遊びでは無い。足手まといはついて来るな」
「あだ! ……何よ失礼な! それを言うなら、佐助だってそうじゃん! まやちゃんがいないと“ま”とか追っ払えないじゃん」
「摩耶“様”と呼べ愚か者」
「反論そっち!?」
厨房から戻ってきた和輝は“どっちもどっちだ”とため息を落とす。
ほんの少し目を離した間に、相性の悪い二人はどんどんと話を脱線させ悪口に悪口を塗り重ねる無駄な論争を過熱させていた。
「――あらっ夢姫ちゃん、来てたの~? ベルの音がしなかったから気付かなかったのだ!」
和輝の後を追い、厨房から顔を出したクララは賑やかな来客に気付くと声をあげ手を叩く。そして、どうやらまだ“にゃんこ”のストックは十二分にあるらしく、軽やかに踵を返すと鼻歌交じりで盛りつけの準備をし始めた。
「んー……まあ、佐助の肩を持つ訳じゃないけど、夜に、しかも“ま”じゃなくって、ヤンキーと遭遇するかもしれない場所みたいだし水瀬はやめといたら?」
上機嫌なクララを尻目に、席に戻るなり和輝はそうため息を落とす。
夢姫自身は何にでも首をつっこみたがる性質なのは重々分かっているが、その保護者の――夢姫の母、恵がそのような危険な話を聞いたら卒倒してしまうと思ったのだ。
学園祭の日、一度だけ会った母、恵は娘の夢姫とは似ても似つかない、小動物のように小さくか弱く、泣き虫な女性であった。
それ故、不必要な心労を掛けたくないと思っていたのだ。
夢姫もまた、和輝が言葉にしていなくとも察したのだろう。
不服そうに頬を膨らませたものの、それ以外対抗する手段も持ち合わせていないらしく言葉を詰まらせると、勢いのまま最後の“みたらしにゃんこ”を口いっぱいに頬張ってしまった。
「……俺の全部食いやがった」