7-1
――あの日。私はお姉ちゃんとお父さん、そしてお母さんと……家族みんなで買い物に出かけていた。小学校の入学式で着る洋服を買いに。だけど、選ぶのに飽きてしまった幼いお姉ちゃんと私は、お母さん達の傍を離れて遊び始めた。
『きいちゃん! おかあさんたちが、あたしたちをみわけられるかためしてみない? きてるふくをとりかえっこするの。かみのけもむすびなおしたら、あたしがきいちゃんであんたはあたし! ……おもしろくない?』
私は気乗りしなかった……自信が無かったから。
お母さんもお父さんも、気付いてくれなかったらどうしよう。
“私の名前、呼んでもらえなくなったらどうしよう”って、漠然とした不安があった。
お姉ちゃんは私と違って明るくて、元気で……いや、元気すぎて。お母さんに叱られる事もあったけど、私よりも怒られる分、私よりたくさん頭も撫でられていた。お姉ちゃんは家族の中心にいた。
お姉ちゃんは例え格好が違っても分かってもらえるはず、だけど輪の外にいた私の事は……?
『よし! かんぺき! あたしいま、どこからどーみてもきいちゃんだ! ……“きょーや”、まだおきがえおわらない?』
試着室の外から聞こえた声に、私は返事が出来なかった。梗耶が好んでいたキュロットパンツも履いて、髪の毛も一人で上手に三つ編み出来た。
――ただ、鏡の前にいる私が“私”じゃなくなっている事に戸惑っていた。
「そして、“あの事件”が起きた……」
――“疫病神”の手によって引き起こされた火の海の中、命からがら逃げ出して……途中意識が朦朧としたようだけど非常階段の付近で救出されたらしい。
「……うん、生きてたけどもしばらく面会出来なかったんだよね。……覚えてるよ」
数日の間悪夢にうなされた。そうして、次に目を覚ました時には、私は――
『まあま! おばちゃんー! “きょーや”が目をさましたよー!』
「ほんと!? ……ああ、良かった、きょーやちゃん……!」
『……梗耶ちゃん、ごめんね……あなたのお母さんもお父さんも……あなたの“妹”もまだ見つからないんですって……』
――“私”は、殺されていたんだ。
遺体は見つかっていたらしい。ただ、両親以外の誰も見分けがついていなかった姉妹を……黒こげになった片割れと、生き残った私とを当時ほとんど会ったことのなかった伯母夫婦や、憔悴していた夢姫の母親に見分けられるはずが無かった。
……大人たちは、一番親しくしていた夢姫の――見分けがついていた“親友”の言葉を信じるしかなかった。
「きっと夢姫には分からないよ。自分の遺影に線香をあげるこの気持ちは……自分のお葬式でみんなが泣いていても、薄っぺらいものにしか見えない荒んだ心は!!」
「……」
「伯母さんも恵さんも分からなくっても仕方ない、だけど夢姫だけは気付いてくれるって、思ってたのに……!!」
桔子は溢れる涙も、枯れた声もそのままにただただ夢姫の胸を叩く。既に力など残っていない、ただ触れるだけの指先を振り払う事も出来ず、夢姫はじっと堪えた。
「……あたし、ずっと親友のつもりでいたけど、親友ですら無かったんだね……向き合えていなかったんだ。……ごめん」
「謝ったってもう遅いよ……!! 私は、もう死んだんだ! あなたに、殺されたんだ!!」
喉を痛めつけて桔子が声を張り上げると、居ても立ってもいられない様子でソラは二人の傍へ駆け寄る。
鼻を鳴らし耳を立てると、短い前足を持ち上げ片方を夢姫……もう片方は桔子の膝の上に乗せた。
「おそい事など何もありません! ……だって、心は……桔子さんは生きているじゃないですか……!」
ソラは目をつぶると、短い尻尾を垂らす。笑顔を作れない代わりに耳をぴくぴくと動かすとソラは桔子を見つめていた。
「ボクには魂しかありません……だからこそ分かります。あなたの心は初めて会った時から――ふみきりでボクを怒ってくれたときから変わらず、やさしくて強いままです。……どんな姿をしていても、どんな名前を名乗っても……その“心”は変わらない」
「ソラ君……」
膝に前足を乗せたまま、後ろ脚を屈めて座り込んだソラを見つめて桔子は涙をぬぐう。傍らに伏せられた黒い鏡、鏡面からにじみ出ていた靄はもう見えなくなっていた。
涙を拭う桔子を見上げ、優しい眼差しを手向けていたソラはふと夢姫を見つめる。
“言いたい事を言うべきですよ”と聞こえた気がして、夢姫は深く頷いた。
「謝っても、遅いかもしれない、ソラぽんに便乗してるみたいになっちゃうけど……」
口を開くと、桔子は赤く充血した瞳で夢姫を見つめる。
そう言えば、桔子は元来泣き虫だった。――小さい頃を思い出した夢姫は、それと同時に“今まで、泣くことも我慢してきたんだろうな”とも思いいたる。
気の小さい桔子にとっては刺激の強すぎる出来事に巻き込んだ事も多々あったはず。だが、彼女は涙を流す事も無くなっていたのだ。
――そう気が付いたら衝動的に桔子を抱きしめていたのだった。
「あたし、きょーやのこと好きだった。小さい頃は一緒に遊んで、バカやって怒られて……でも楽しかった」
――走馬灯ほど鮮明なわけでも美しくもない。だが、夢姫はそれまでの思い出を思い返していた。
まだ火災の爪痕が色濃く残っていた頃、“梗耶”と火災前のように遊ぼうとして断られた事。元気有り余る夢姫が危険な遊びに乗り出しては“梗耶”に怒られ、諌められたこと。
学校で悪戯をした事がバレて怒られそうになった時、“梗耶”も一緒に怒られてくれた事――
「火災の後の……十年間も大事な時間だったんだ」
夢姫は極端に騒ぎを好む性格であるがゆえに他に友達と呼べる人はいなかった。
……出来た事もあったが、夢姫の性格を考慮した先方の親が子を守るために割り入ったり、または当人が距離を置いてしまったに長続きした事も無かったのだ。
それでも、“梗耶”は一緒にいてくれた。
怒ってくれた、呆れながらも……共に笑いあえていた。




