6-13
「良いんだ、これで……! 今さら、守るような体でもない!」
いとも容易く破れ砕け散ったガラス片のように、少女の腕には無数の切り傷が刻まれ無作為の赤い線が桔子の衣服ににじむ。
憎む相手とはいえどその“顔”は自分にとって姉妹同然に育った親友と同じもの。
怒りよりも先に遠慮に似た躊躇に支配された夢姫。その一瞬のすきをつくように桔子は歯を食いしばって夢姫の胸部に勢いよく頭突きをし、突き飛ばした。
「水瀬、夢姫……! 私と一緒に地獄に逝きましょ? ……お姉ちゃんは天国に行ったかもしれないけど、私たちは地獄に、仲良く……!」
切り傷だらけの腕だけではとどまらず頭にも痛みが生じているのだろうか……桔子は声にならない悲鳴を奏でながら重たげな体を持ち上げ、気味が悪くなるような笑顔を貼りつける。
「じょーだんじゃない! “心中するならイケメンと”ってモットーがあるんだもん!」
「そのモットーもどうかと思いますけど……」
足元で聞こえる小さな猫のツッコミには耳を傾けず、心に生まれていた“引っかかるもの”を振り払うように何度も首を振ると、夢姫はもう一度杖を強く握り締めた。
「イケメン、ね……じゃあ“未来のイケメン”も道連れなら良い?」
力が入らないのだろう。弱々しく鏡を抱えると桔子は鏡面に手をかざし、再び“ま”を燻し出す。
再び刃を雨のように降らせるのだろうと手首を掲げた夢姫を余所に、黒い靄は地面に流れ落ち、吹き抜ける風のように足元を駆け抜けるとソラの小さな体を宙に持ち上げたのだった。
「ソラぽん!?」
「ほら、これで三人で逝けるよ?」
「この……っ」
桔子が手のひらを返すと、ソラを取り巻いた靄は付き従うように持ち上げたままの小さな体を夢姫の傍から引き離していく。
「桔子さん、やめましょう、こんな事……」
靄を手繰り寄せ、猫の柔らかい首元に目掛けて黒い刃を突きつけると桔子は目をつぶった。
「ちょっと、桔子! ソラぽんを返して!」
「動かないで。動いたらこいつを肉塊に返してやるから」
桔子の傷付いた腕では重い猫の体を抱え上げられないのだろう。
靄に包まれて宙釣りになったままのソラは苦しげに口を開けると、ほとんど動かせない首をわずかに桔子に向ける。
「あなたはやさしい人です。……変わってなんかいない」
「黙って!」
既に何度も叫んでいたがゆえに枯れかけていた喉を痛めつけるように少女が声をあげると、ソラの言葉に動揺した様子で自分の手に付着した鮮血を服の裾でふき取り、指先を眉間にあてた。
「……ん?」
夢姫はその仕草に既視感を感じ、思わず首を傾げる。
仕草自体の既視感と言うよりは、少女自身に対するもののような、そんな漠然とした違和感があったのだ。
「指、人差し指? ……人差し指、鼻の頭らへん――」
取りとめのない言葉をぼそぼそと呟き、夢姫は記憶を辿る。
その仕草は見たことがあった。
それは他の“誰か”のものでは無い。
――同じ顔で眼鏡をかけた少女……梗耶が良くやっていた仕草だった。
「分かった……あたし、なんで憎まれてたか」
電流が駆け抜けたかのように目を見開いた夢姫が紡いだ“答え”に桔子は何も応えない。
ただ呼吸を荒く繰り返すのみだ。
「……ずっと気付いていなかった。あの日からずっと」
夢姫がやっとのことで声をあげると、少女は弱々しく掲げていた鏡面を力なく落とす。
同時に、ソラの体も地に降ろされた。
「――あの日、火事で……焼け死んじゃっていたのは“桔子”じゃなくて“梗耶”の方だったんだ……だよね? ……きょーや」
ようやく紡ぎだせた“答え”……
その名前を呼ばれた瞬間、伏せられていた少女の瞳からは大粒の涙が滲みでる。
とめどなく溢れる涙を隠すように指先で眉間を押す仕草は、まるでそこにあるはずの“眼鏡”を持ち上げるように見えた。
言葉は無くとも、それが少女の――“桔子”の返事である、と夢姫は察して一歩ずつ……確かめるように歩み寄って行った。
「梗耶、じゃない……私の、名前は」
「うん……“桔子”だよ、ね?」
崩れ落ちるように座り込んでしまった桔子を衝撃から守るように、夢姫はその両手を取り目の前に座る。
ソラは一安心したように息をつくと、足音を響かせないように静かに二人の傍を離れた。




