6-11
――相変わらずシートに身を預けたままの和輝、操作するでもなくただスマートフォンを見つめる詠巳。
駅に到着後の行動を決めてしまった刹那達三人の間にはそれ以上の話題も無く、居心地の悪い沈黙が舞い戻って来ていた。
「……あっ! 折返しだわ!」
沈黙を破ったのは詠巳のスマートフォン。そう、今この時――優菜の目の前で折返しの電話をかけ始めた寛二朗からの着信であった……。
マナーモードに設定された端末からはバイブレータの音が静かに響き、詠巳は慌てて終話ボタンを押す。
それは電車内のマナーに準じたとっさの行動であった。
……だが、寛二朗の性格を鑑みるとその行動は逆に相手を不安に駆りたてる事ではないだろうか。
刹那は心によぎったいやな予感を振り払うように視線を手向けた。
「詠巳ちゃん、大丈夫かい?」
「……ちょっとまずいわ、切っちゃった……ちょっと心配症なの、彼」
「“ちょっと”のレベル……?」
やってしまった、と詠巳は肩を落として頬に手を当てる。
“電車の中にいるから”とメールを打とうとするよりも遥かに早くに再度の着信が鳴り始めていた。
「あと少しで到着するだろうから、駅についたら折返した方が良いね」
「え、ええ、そうね……」
一分も経過しない間隔で寛二朗は発信しているようで、気が気じゃない様子の詠巳は苦笑いを返す。
居心地の悪さが増した車内で、少しでも気を紛らわしたかった刹那は車窓の外、流れる景色を見つめていた。
――駅に着くと、絶えず鳴り響き続けていたスマートフォンを片手に詠巳はホームの柱に身を寄せた。
急を要する事態であるとはいえ、そこは恋人同士の会話。聞き耳をたてることは無粋でであろう……と気をまわした刹那は敢えて距離を取ると、同じくホームに降り立った和輝と肩を並べる。
急いでいるようには見えないが、かといって詠巳の事を待つ風でもないように先に行こうとする和輝を引き留めると、刹那は不審げに手向けられた視線を受け止め苦笑いした。
「何ですか?」
詠巳は状況を説明しているらしい。
寛二朗が直情的であるがゆえに丁寧な説明が必要なのだろうな、と刹那はその面倒そうな二人の会話の断片を耳に息を吐く。
「……恋人同士には時間が必要みたいだから、こちらは待っている間に話でもしないかい? 例えば、“さっきの話の続き”とか」
聞く限りでは恋人たちの会話がすぐに終わる気配が無さそう、そう感じた刹那は声色を落とすと向き直る。
「……何か話してましたっけ?」
「君が抱え込んでいる“心”の話だよ。……全て話せないのなら、断片的でも良い。だから」
「ああ」
和輝は少し馬鹿にしたように一笑すると、“あんたも大概しつこいな”と毒づく。
塩対応に慣れていない刹那は思わず言葉を飲みこみ、息を吐いた。
「……もう良いか。……お察しの通り、ただの時間稼ぎでしたよ」
「僕を足止めするために?」
「少し違います。……逢坂さんを足止めしたかったんじゃなくて、“水瀬を一人で行かせる”必要があったんです」
「夢姫ちゃんを……?」
思いがけない名前を耳にし、刹那が聞き返すと和輝は一回だけ深く頷いた。
赤みがかった瞳は揺らぐ事もなくまっすぐにホームを見据えている。
「……水瀬が救い出さないと、“火災跡地の疫病神”は報われないってことです。……そろそろ電話が終わりそうですから、行きましょうか、逢坂さん――」
―――
「――ソラぽん、ここはあたしに任せて、あんたはソラぽんの体レスキューに行って」
鏡を片手に一人と一匹の行く手を遮っている少女に聞こえないように夢姫は声を落とす。
驚いた様子で目をまん丸く見開くと、猫の姿をしたソラは耳をアンテナのように揺り動かし夢姫を見上げた。
「……桔子は……十年前に死んだはずのあいつは、あたしが倒さないといけないんだ」
「夢姫さん……」
細い腕に鈍く光る腕輪を包み込むように握り締めると、夢姫は凛とした面持ちで桔子を見据えた。
返す言葉が見つからなかったソラは夢姫を見上げ、そして視線を辿りながら桔子へと目を向ける。
暫しの間様子を伺っていた風の桔子は、業を煮やしたように大きなため息を落とすと鏡を握り締めたまま夢姫を睨んだ。
「なにひそひそ話ししてるの? ……私を出し抜こうってことならそうはさせない! 私は夢姫ちゃんなんかよりずっと頭良いんだから!!」
先程まではどこか落ちついているように思えた少女は、まるで心の拠り所を失ったかのように悲鳴を上げ、苦しそうに頭を振り乱しながら鏡面に手をかざした。
「刀、返すんじゃなかったわ……まあ良い、代わりに良い物拾ったから、こっちで、殺す……!」
乱れた髪は口で繰り返す呼吸に身を委ね上下に揺れる。
セミロングの髪が貼りつく顔に正気でない笑みを浮かべると、少女は鏡面を夢姫に向けた。
「夢姫さん、あぶない!」
ソラが声を張り上げると同時に夢姫の肩に飛びつく。
ずっしりと重い衝撃を支えきれずに夢姫がよろめき、壁際に身を預けた瞬間――
――鏡面から溢れだした黒い靄は包丁のような刃の形を成し、元々夢姫達が立っていた場所目掛け降り注いだのだった。
「さ、サンキューソラぽん」
「手荒なよけ方、きょうしゅくです……気をつけてください、また来ます!」
ソラが言い放った通り、鏡から放たれる無数の刃は二人を目掛け降り注いでくる。
力は無くとも、決して運動音痴では無い夢姫が身軽な体をひるがえし後方に下がると、ソラもまた猫の身体能力で跳躍し窓枠に昇りかわした。
「殺す、殺す、殺す……夢姫は私が殺すの……! 私に、殺させて……!!」
少女の放つ刃の雨は降り止む事を知らずに容赦なく夢姫達の頭上に降り注ぐ。
実体を持たない黒い靄が力の根源となっているのだから当たったところで殺傷能力が無いのではなかろうか。
どこか楽観的に考えていた夢姫であったが――
窓枠に身を寄せていたソラ目掛け降り注いだ黒い刃は、かわした彼の背後にあった窓ガラスを容易く貫通してしまい黒とガラスの雨が窓の外に雪崩落ちていった。
――いびつな形で散らばっているガラスの破片と自分が辿ってしまっていたかもしれない未来の光景を思い浮かべた夢姫は、肝が冷える感覚を覚えた。
「すばしっこいなあ、見た目もだけどゴキブリみたい。……殺虫剤も撒くかなあ!!」
少女の心は泥に濁る水のように、刻々と蝕まれていっているかのようで、悪辣に顔を歪ませると品性のない言葉を吐き捨て、鏡の円形をなでる。
黒い刃は相変わらず無尽蔵に生まれ降り注いでいる中、隙間を埋めるように黒い煙が夢姫に向かって吹きつけられる。
「ゆ、夢姫さん!!」
黒く濁ってしまった視界の端、鋭利な刃がその目に留まった頃には既に手遅れ。
――反射的に身を守る為、屈みこんだ夢姫の背中目掛けて刃の雨が降り注いだのだった。




