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美咲が声をあげ指を鳴らすと、屋敷の扉に身を潜めていた様子の優菜はそれを合図に飛び出し、明るく無邪気な返事と共に抱きしめていたぬいぐるみ“ライタくん”の名を呼び天高く掲げて見せる。
光を浴びて焦げるように黒い靄をいぶし出し始めたぬいぐるみは四肢を力なく垂らしたまま、したたり落ちる水のように靄を地に落とし――それは徐々に夢姫達の足元へと迫り始めていた。
「させぬ!」
夢姫が杖を構えるよりも先に、鈴のように澄み切った声を張り上げると摩耶は一同を庇うように優菜達の前に立ちはだかり白い杖を一文字に構える。
杖を振るい空を一直線に切り裂くと、地面に蔓延っていた黒い靄は風に身を任せ千切れていった。
「優菜、待ち時間が長くって退屈してるでしょう? このお姉ちゃん達と遊んでて下さい……今日は特別。何をしても俺も風見さんも怒らないですから、好きにして下さい」
「ほんと!? ……わかったあ!」
霧散する靄の中、美咲は後ろに控えていた優菜の元へ歩み寄るとその背中を押す。
嬉しそうに笑顔を弾ませ目を輝かせている少女と入れ変わる形で夢姫達に背を向けると、美咲は振り向かないままに手を振り屋敷の中へ歩き始めていた。
「まずい! 待て吾妻!」
このまま美咲を見失ってしまう事が何を意味するか。頭の回転が早い方では無い夢姫でもそれくらいは理解できていた。
一刻の猶予も無いという焦りを隠し切れずに佐助が声をあげ駆けだす……が、それを優菜が見逃すはずもない。
「とーせんぼ!」
無邪気な声を跳ね上げると踊るように軽やかに回り、優菜は犬のぬいぐるみを胸に抱きしめ佐助を指さす。
すると、ぬいぐるみの体から染み出た靄は命令に従うかのように地を走り、佐助の足を絡め取ったのだった。
「まずはこっちのお兄ちゃんだね! ライタくんがね“こいつの息の根を止める”って言ってるの!」
舌足らずな言葉をたどたどしく紡ぎながら優菜はぬいぐるみの“ライタくん”の手を持ち操る。
滲み出る靄は徐々に針のような形を成し、優菜はその切っ先を佐助に突きつけたのだった。
「佐助! 下がれ!」
だが、その切っ先が足の自由を取られた佐助を貫くよりも先に摩耶は少女の前に対峙すると手にしていた白い杖でその針を薙ぎ払う。
振り払われた優菜が姿勢を整えなおそうとする一瞬の隙に摩耶が杖を両手に構え地面へと突き立てると、光の輪がまるで湖面の波紋のように地面を駆け抜けていき、足元に蔓延っていた靄も光に溶けていった。
「水瀬 夢姫! ここは私に任せてお主は今の内に中へ! 風見 桔子を止めるのだ!」
「摩耶ちゃん……う、うん分かった!」
唐突に自分の名を呼ばれ、凛としたその声に一瞬だけ怯んだ夢姫であったが、すぐに理解を追いつかせると深く頷き佐助の背後を走り抜ける。
「あっだめー! お姉ちゃんも優菜とあそ……」
「あそびません!」
針のような武器を構えた“ライタくん”の顔を向け、声をあげた優菜が夢姫に向かい駆けだそうとした時、小さな物体が二人の視界を横切る。
そう、猫の体を借りたままであるソラが、その決して軽くは無いふてぶてしい体を持ち上げ、優菜の顔に覆いかぶさったのだ。
「にゃや!? いやー! 猫いやー!!」
珍しく取り乱した様子の優菜は、肌身離さず手にしている“ライタくん”を振り回し叫ぶ。
その視界を遮るように少女の髪の毛に爪を絡ませたまま、ソラは夢姫に目配せをした。
「夢姫さん、今です!」
「サンキュー! ソラぽん! ……今、あんたと遊んでる暇ないの! そこどいて!!」
取り乱しきった優菜を追い払うように、夢姫は少女の小さな背中に杖を叩きつける。
元々が華奢な上に無防備極まりなかった優菜の体は、同様に力が無い夢姫の攻撃ですら耐えきれず、前のめりに倒れる。
すんでのところで身を捩り空中へ逃れたソラが転んでしまった優菜をかわすと、夢姫と視線を重ね、そのまま屋敷内へと駆けていったのだった。
――屋敷内に足を踏み入れると、冷えた空気とカビの匂いが鼻をつき、夢姫は思わずくしゃみをしてしまう。
ここが戦場であれば、危機一髪のピンチに陥っていたかもしれないが――屋敷内には人の気配はなく、夢姫の発した声は痛んだ柱に吸い込まれていった。
「……ソラぽん、床汚いみたいだからあたしが抱えて……重っ」
玄関では靴を脱ぐべきか躊躇した夢姫であったが、目の前に広がる吹き抜けのエントランスには泥が落ちたような足跡も見えた為、土足のままに段を上ると傍らのソラを呼び寄せた。
「ここが美咲達のアジトってことよね……? 優菜か美咲の家なのかな」
軋む廊下を進み、夢姫はソラの案内のもと階段を上がっていく。
外で出会った優菜の騒々しさとは裏腹。不気味すぎるほど静まり返った空気を払しょくしようと考えたのか、はたまた本来の呑気さゆえか……屋内をきょろきょろと見て回る夢姫を見上げたソラも鼻を鳴らして答えていた。
「どうでしょうか……人が住んでいるようには見えませんが」
「いやーこんな広いんだもん、掃除が行きとどいていないだけかもよ……」
ソラの案内によると、“体”は三階、つまり屋敷の最上階の一番奥の部屋にいるようだ。
道中、誰とも会う事も無く三階に辿りついた夢姫は、ふと何かに気付いた様子で足を止めた。
「ゆ、夢姫さん?」
一点を見つめ固まってしまった夢姫を不安げに見上げていたソラは辺りを見渡し耳を鳴らしてみる――が、特に先程までと変わった様子も無い。
恐る恐る視線を返すと……夢姫はぼそりと呟いた。
「待てよ……? この屋敷が仮に美咲の所有だとしたら、あいつ金持ちなんじゃない? 年下とはいえ身長があたしよりあるし、佐助と違ってあんま年下感無いし……ワンチャンあるかも……!」
「ワンチャン……」
小さな体のソラがついたため息は、冷えた空気に溶けていった。




