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「――摩耶様! 看板が見えました!」
「ああ、ここで間違い無いようだ……」
街を駆け抜け、佐助は領収証に書かれたメモを頼りに目的地であった動物病院のドアを開ける。
佐助が逸る気持ちのままに扉を勢いよく開けてしまったが故に、待合室で診察を待つ犬猫の視線を一斉に集め、弱った犬達に寄る警戒の大合唱を浴びる事となった少年の後ろ姿……
――付き添った摩耶はいたたまれない気持ちで見守っていた。
「……ここにソラとか言うチビが来なかったか!?」
状況が飲めないのであろう、驚いたように目を白黒させていた受付の女性にカウンター越しに言葉を投げつけると、戸惑いながらも女性は受付内の同僚と顔を見合わせる。
「あの、もしかして春宮マリンちゃんの飼い主の方……?」
「マリン……そう、そいつ! ソラは!?」
女性が佐助の剣幕に押され、恐々と紡いだ名前、それは予想通り……來葉堂で飼われているデブ猫の名前だ。状況を飲みこみたいが故に、矢継ぎ早に問いただす佐助を摩耶が優しい声でその名を呼び制したのだった。
「……すみません」
「あ、いえ良いんですよ。ネコちゃんが心配だったんですよね? ……大丈夫ですよ、マリンちゃんは今は意識も戻ったみたいで大人しくしています」
「ソラは……あ、えっと、マリンを連れてきた小さい子供がいたと思うんですけど、その子は」
「子供? ……ああ。マリンちゃんを連れてきた男の子なら、“用事があるので、マリンの目が覚めたら迎えが来るように手配しておきます”って言ってお姉さんかな……貴方くらいの女の子と帰って行きましたよ」
「僕くらいの……まさか」
女性は丁寧に言葉を紡ぎ終えると、その足で診察室へ続く扉をノックする。
恐らくそこにマリンが預けられたままとなっているのだろう。そう安直に想像する一方で、ソラと連れ立って帰ったと言う“自分くらいの年格好の女の子”という一言が強く胸に残り、佐助は息を飲んだ。
「水瀬 夢姫やその友人はありえぬだろうな……あの聡明な子供がわざわざ不要な心配を煽るとは思えぬ。あと、考えられるは優菜という少女か、あるいは」
「風見、桔子……」
待合室で順番を待っている人々にはその姿が見えていないのであろうが、動物には見えているのだろう……元気のない大型犬が鼻を鳴らし摩耶を見上げている。
摩耶と言葉を重ね、行きついた最悪の展開予想を確かめるように佐助が頷いている間に受付の女性はカウンター前まで戻り、事情を知らないままに微笑んだ。
「――人間のお薬を間違えて飲んじゃった、ってことなので当分は様子を見ながら……出来るだけお水多めに、キャットフードを与えてて下さいね。もしまた具合が悪そうだったらすぐに連絡して下さい……あ、診察料は付き添いのお姉さんからもう頂いてるので――」
女性看護師がゲージを開けるとマリンはゆっくりと足を踏み出し、受け止めた看護師の腕の中で大人しく身を丸めているようだ。
佐助は看護師の説明も話し半分のまま、元気のないマリンを抱きとめると心そこにあらずの様相のまま相槌を返し、そのまま動物病院を後にしたのだった。
「“詳しい事は後で話す”とか言っておきながら、当人がいないのでは話にならぬではないか」
具合悪そうに背中を丸めたままのデブ猫を放っておくわけにもいかない、と佐助はひとまずマリンの飼い主の一人でもあるクララを尋ねる為に來葉堂へと足を向かわせた。
――商店街を抜け、裏路地に入りこむと佐助は片手でマリンを抱きなおし古びた扉を押しあける。
扉を開けると広がっている、いつも通り薄暗い店内の真正面に見える白い顔目掛け全力で駆け寄ると、佐助は鋭い視線で巨体を見上げた。
「――おい白妖怪! ネコが変なもの食わぬようにしつけくらいちゃんとやっておけ! ……って」
「ああああああああ佐助くん! 佐助くんだわ! クララ、心細かったのー!! もう一人にしないで!」
「うわあ!?」
“心細かった”という言葉は真に迫るものだったのだろう……。佐助と視線を重ねた瞬間、瞳を潤していた涙が滝のように溢れ出し――不健康なまでに白く塗りつぶされた顔は流れ落ちる黒いマスカラの繊維と共に本来の褐色の肌色を洗い出す。
佐助にとって、これまでの人生で経験したことのないような恐怖心と悪感が血流に乗り全身を駆け抜けていく。
マリンを抱えなおし、慌ててその身をひるがえた瞬間……佐助はすんでのところでクララからの熱い抱擁を免れたのだった。
「クララ……怖かった……」
「それはこっちの台詞だ……! 僕もこの瞬間今世最大の恐怖を味わった……」
高鳴る心音と鳥肌を静めるように深いため息を落とすと、佐助は力の入りかけていたマリンを抱く両手を緩めた。
「白太夫がこれだけ恐怖しておる、ということはやはり何かあったようだな。佐助、話を進めよう」
巨体を小さく丸め、白く可憐なハンカチで黒い涙を拭うクララを見つめていた摩耶がそう諌めると、佐助は“白太夫呼びについて触れてはいけない空気だ”とツッコミたい気持ちを飲みこんだのだった。




